2006年01月
2006年01月15日
燃料電池車開発の愚
電気でモータを駆動して走らせる自動車には、電気自動車(EV)と燃料電池車(FCV)があるが、両者を一緒にして従来のガソリン車と対比させて、将来の自動車の進む方向とするあいまいな解説を目にすることが多い。EV車はバッテリー車であり、トヨタのプリウスのようにガソリンエンジンとバッテリーを併用(ハイブリッド)方式にしてすでに世界で10万台以上が普及していることが知られている。自転車にもバッテリーを搭載し人力と電動モータを併用し、登りの坂道では電動モーターのアシストで比較的楽に登ることができる。価格も10万円を割って普及している。バッテリーは所謂、充電式電池(二次電池)で使わないときに充電しておく方式である。1回の充電電気代など10円以下である。ガソリンエンジンを使用しない電気自動車も既に市販されているが、ハイブリッド車の普及に比べて出遅れている。その理由は、1回の充電での走行距離が200km程度で、米国などの広大な土地での用途に適さないというのが最大の短所といわれている。その短所を補うということで出てきたのが燃料電池自動車(FCV)であるが、これとて燃料となる水素を積載するタンクが、走行距離を300km以上にするためには数百キログラムのタンク(大人4人分の重量)を積まなければならない。それ以上に問題なのは燃料となる水素の確保である。水素は製鉄所の溶鉱炉の副生ガス、あるいは風力発電の電気分解などで化石燃料を使わないでも得られるかのような解説が横行しているが、実際の需要に見合うだけの量を確保するとなると、化石燃料などの改質による方法は避けられない。
・EVとFCVのどちらがエネルギー効率が良いかというと、勝負はあきらかであり、FCVはEVにかなわない。
・EVでは化石燃料で発電する効率が40%、充電効率が80%、モータ駆動効率が80%で総合効率は26%になるが、
・FCVでは化石燃料から改質効率が70%、燃料電池の発電効率が40%、モータ駆動効率が80%で総合効率は22%になり、その差は大きい。ちなみに、
・ガソリン車は化石燃料から精製効率が92%、輸送効率が98%、としてもエンジンの駆動効率は15%程度であり、総合効率は14%ではるかに低い。
しかも、社会のインフラシステムとして新たに水素ステーションを建設するよりも、家庭用のコンセントがあればどこでも充電できるEVこそ、まず取り組むべき対象である。
燃料電池車指向に疑問を持つメーカ技術者も少なからずいるようであるが、技術以前に石油会社などの意向もあるかもしれないが、一般自動車ユーザに最も有益な技術開発を進めてもらいたい。
船瀬俊介:疾れ!電気自動車、築地書館、2004年、
疾(はし)れ!電気自動車―人類の未来を救うクルマはこれしかない
・EVとFCVのどちらがエネルギー効率が良いかというと、勝負はあきらかであり、FCVはEVにかなわない。
・EVでは化石燃料で発電する効率が40%、充電効率が80%、モータ駆動効率が80%で総合効率は26%になるが、
・FCVでは化石燃料から改質効率が70%、燃料電池の発電効率が40%、モータ駆動効率が80%で総合効率は22%になり、その差は大きい。ちなみに、
・ガソリン車は化石燃料から精製効率が92%、輸送効率が98%、としてもエンジンの駆動効率は15%程度であり、総合効率は14%ではるかに低い。
しかも、社会のインフラシステムとして新たに水素ステーションを建設するよりも、家庭用のコンセントがあればどこでも充電できるEVこそ、まず取り組むべき対象である。
燃料電池車指向に疑問を持つメーカ技術者も少なからずいるようであるが、技術以前に石油会社などの意向もあるかもしれないが、一般自動車ユーザに最も有益な技術開発を進めてもらいたい。
船瀬俊介:疾れ!電気自動車、築地書館、2004年、
疾(はし)れ!電気自動車―人類の未来を救うクルマはこれしかない
2006年01月14日
日本の企業の会議好き
青色発光ダイオードの発明で知られる中村修二氏の著書には共感する箇所が多くある。まず、「日本の企業の会議好き」の以下の記述もその一例である。
「日本の企業は年がら年中会議をやっている。しかし、会議で出てくるアイデアなどというものは、何の役にも立たないもの、常識的で面白くも何ともない考えである。なぜなら、非常識的なことでも言おうものなら「お前は、何を馬鹿なことを言っているんだ」と、必ず潰してしまうのが会議というものの一つの特色でもあるからだ。2-3人の会議でも、10人以上の会議でも、会議という名のつく限り、一つのユニークなアイデアが出されると、それについてピラニアのごとくよってたかってつつき回して、ついには骨なしにしてしまうのが会議なのである。そして結局「以上の意見を参考にして、次回までにもっとよく検討するように」と、何やらワケのわからない結論になって手打ちになるものなのだ。こういう会議のシステムがわかってくると、会議を通すためには、どうしても出席する人員たちの”常識”に沿うようなアイデアを提出しなければならなくなる。会議を通らなければどんな素晴らしいアイデアもゴミにしか過ぎなくなる。常識的なアイデアを元にしてビジネスが飛躍的に伸びるはずがない。会議などで提出されるアイデアには何の意味もないとわきまえるべきだ」
しかし、組織でプロジェクトを遂行しようとすると、研究開発の仕事とは異なる場合もある。マフィアの会議の映画シーン、会議は踊るなどを思い出すと会議にはいろいろな意味があるようだ。仕切り役以外は好きな人はいないはずである。日本の企業で中村氏の嫌うような会議が蔓延しているのも事実のようである。
中村修二:考える力、やり抜く力、私の方法、三笠書房、
月刊トークス 2001年4月号(第103号)
「日本の企業は年がら年中会議をやっている。しかし、会議で出てくるアイデアなどというものは、何の役にも立たないもの、常識的で面白くも何ともない考えである。なぜなら、非常識的なことでも言おうものなら「お前は、何を馬鹿なことを言っているんだ」と、必ず潰してしまうのが会議というものの一つの特色でもあるからだ。2-3人の会議でも、10人以上の会議でも、会議という名のつく限り、一つのユニークなアイデアが出されると、それについてピラニアのごとくよってたかってつつき回して、ついには骨なしにしてしまうのが会議なのである。そして結局「以上の意見を参考にして、次回までにもっとよく検討するように」と、何やらワケのわからない結論になって手打ちになるものなのだ。こういう会議のシステムがわかってくると、会議を通すためには、どうしても出席する人員たちの”常識”に沿うようなアイデアを提出しなければならなくなる。会議を通らなければどんな素晴らしいアイデアもゴミにしか過ぎなくなる。常識的なアイデアを元にしてビジネスが飛躍的に伸びるはずがない。会議などで提出されるアイデアには何の意味もないとわきまえるべきだ」
しかし、組織でプロジェクトを遂行しようとすると、研究開発の仕事とは異なる場合もある。マフィアの会議の映画シーン、会議は踊るなどを思い出すと会議にはいろいろな意味があるようだ。仕切り役以外は好きな人はいないはずである。日本の企業で中村氏の嫌うような会議が蔓延しているのも事実のようである。
中村修二:考える力、やり抜く力、私の方法、三笠書房、
月刊トークス 2001年4月号(第103号)
2006年01月13日
”エリート”が地方大学の落ちこぼれにかなわなかったわけ
青色発光ダイオードの発明で知られる中村修二氏の著書には共感する箇所が多くある。
「エリート”が地方大学の落ちこぼれにかなわなかったわけ」の以下のくだりも、自分も大企業の研究所の経験があり、大いに思い当たり、またまた溜飲がさがる。
「青色発光ダイオードの開発をしているとき、会社がもう一人部下をつけると言い出した。最初からいた部下は地方大学出身で成績も最下位近く、就職口がなくて、当時はほんとに小さな日亜化学へきたような男であった。会社は、そんな部下ではおぼつかないと考えたのかしらないが、有名大学出身で、大手の半導体メーカでこの分野の研究をしていた人物を送り込んできた。私は過去の経験から、たぶんこのような男はは使い物にならないと思っていた。実際、過去の10年間で途中採用で使い物になったためしがなかった。私のように勘だけで実験を進めていくやりかたのためだったかもしれない。すると、本にも論文にも書かれていないことが起こる。そのうような時、塾上がりエリートの頭でっかちの論文崇拝頭はつかいものにならない。この中途エリート社員にも、窒化ガリウムを材料にしたP型半導体をつくることを命じた。この中途社員は「大企業よりベンチャーで」とかの世間のカッコよい意見に賛同するところまではよかったが、私の予想したとおり使いものにならなかった。彼は過去の同種の論文を目ざとく見つけてきて、それこそ詳しく読んで、論文に書いてあるとおりの行程を踏んでP型半導体を作ろうしたが、いくらやってもできなかった。そのときに彼が言うには「中村さん、できませんでした」でおしまいである。それで平気な顔をしている。自分はきちんと言われたとおりにやったのに、できないのは論文が悪いのだと言わんばかりである。
これに対して、地方大学出身の落ちこぼれは、私が論文など読まなくてよいというとその通りに読まず、具体的な指示もしないのに、私との会話だけで完成してしまったのである。そのやり方は自分も想像はしていたが、私との会話の中でヒントを見つけ勘でP型半導体の作り方を学んでしまったのである。
論文や文献に頼るエリート気取りが新製品を開発したためしがないという事例である。」
同じ中村氏の著書のなかで、大学を出て就職するときに松下電器産業と京セラの入社試験で松下は不合格、京セラは合格だった。理由は、京セラの稲盛社長が面接で「あなたは、今の社会での問題点は何だとおもいますか?」と聞かれて、「受験です。子供の頃から受験、受験で明け暮れている。このような受験制度を廃止しないとだめです」と答えたそうである。松下の不合格の理由は、サラリーマン人事担当者の型どおりの試験に合わなかったのだろう。
京セラにも、個人的な理由で就職せず、田舎の自宅から近い日亜化学に就職したそうである。
中村修二:考える力、やり抜く力、私の方法、三笠書房、
月刊トークス 2001年4月号(第103号)
「エリート”が地方大学の落ちこぼれにかなわなかったわけ」の以下のくだりも、自分も大企業の研究所の経験があり、大いに思い当たり、またまた溜飲がさがる。
「青色発光ダイオードの開発をしているとき、会社がもう一人部下をつけると言い出した。最初からいた部下は地方大学出身で成績も最下位近く、就職口がなくて、当時はほんとに小さな日亜化学へきたような男であった。会社は、そんな部下ではおぼつかないと考えたのかしらないが、有名大学出身で、大手の半導体メーカでこの分野の研究をしていた人物を送り込んできた。私は過去の経験から、たぶんこのような男はは使い物にならないと思っていた。実際、過去の10年間で途中採用で使い物になったためしがなかった。私のように勘だけで実験を進めていくやりかたのためだったかもしれない。すると、本にも論文にも書かれていないことが起こる。そのうような時、塾上がりエリートの頭でっかちの論文崇拝頭はつかいものにならない。この中途エリート社員にも、窒化ガリウムを材料にしたP型半導体をつくることを命じた。この中途社員は「大企業よりベンチャーで」とかの世間のカッコよい意見に賛同するところまではよかったが、私の予想したとおり使いものにならなかった。彼は過去の同種の論文を目ざとく見つけてきて、それこそ詳しく読んで、論文に書いてあるとおりの行程を踏んでP型半導体を作ろうしたが、いくらやってもできなかった。そのときに彼が言うには「中村さん、できませんでした」でおしまいである。それで平気な顔をしている。自分はきちんと言われたとおりにやったのに、できないのは論文が悪いのだと言わんばかりである。
これに対して、地方大学出身の落ちこぼれは、私が論文など読まなくてよいというとその通りに読まず、具体的な指示もしないのに、私との会話だけで完成してしまったのである。そのやり方は自分も想像はしていたが、私との会話の中でヒントを見つけ勘でP型半導体の作り方を学んでしまったのである。
論文や文献に頼るエリート気取りが新製品を開発したためしがないという事例である。」
同じ中村氏の著書のなかで、大学を出て就職するときに松下電器産業と京セラの入社試験で松下は不合格、京セラは合格だった。理由は、京セラの稲盛社長が面接で「あなたは、今の社会での問題点は何だとおもいますか?」と聞かれて、「受験です。子供の頃から受験、受験で明け暮れている。このような受験制度を廃止しないとだめです」と答えたそうである。松下の不合格の理由は、サラリーマン人事担当者の型どおりの試験に合わなかったのだろう。
京セラにも、個人的な理由で就職せず、田舎の自宅から近い日亜化学に就職したそうである。
中村修二:考える力、やり抜く力、私の方法、三笠書房、
月刊トークス 2001年4月号(第103号)
2006年01月12日
”鈍くさい子”が神童を追い越すわけ
青色発光ダイオードの発明で知られる中村修二氏の著書には共感する箇所が多くある。
「鈍くさい子”が神童を追い越すわけ」の以下のくだりにも、自分の周囲を見ていて思い当たることが多い。
「子供の頃から才気ばしった子供が大人になっても才気煥発かというと決してそうではない。子供の頃に鋭敏だと言われ、何にでもよく気がついて、勉強もすぐにわかって点数がいいような子供は大人になってからは大成しないとしたものだ。塾などに嬉々として通い、帰りの電車やバスの中で算数は何点取ったの、国語や社会が何点とっただの、どこそこの私立中学は大丈夫だとか、したり顔で話している子供など大した人間にはなれない。こましゃくれて、ペラペラと大人顔負けの会話をする子を見て、「この子は大したものだ、大人になったら出世するよ」などと妙に反応するから、塾上がりの頭でっかちの子供ばかりでき上がってしまう。かれらは、決して出世などしない。創造的でユニークな仕事など、これっぱかしもできない。応用のできない、マニュアル人間どまりが関の山だろう。子供時代、特に男の子は、ちょっとくらい、ぼーっとしている方がいいのだ。何かを考えているようなタイプの子供の方が本当は成功する。」
まったく、同感であるが、恐ろしいのは、その種の塾上がりの頭でっかちの子供が一流といわれる大学法学部を出て、同じような公務員上級試験とかに合格して、そのまま官庁に入り、国の大切な税金の使いかたを決めることである。そればかりでなく、自分たちの保身のための用もない特殊法人とか独立行政法人をいくつもつくり、天下りして膨大な生涯報酬を得ていることも事実である。彼らは、20代で公務員上級試験に合格して、マニュアル通りの仕事で既に成功報酬を約束されているのに対して、中村氏や多くの中小企業の経営者たちは血と汗の税金を納め、命がけの努力でやっと40-50歳になって、やっと一部の人が成功報酬を得るのである。それでも米国社会に比べて日本社会は中小企業の人たちに、それに相応しい報酬を彼らに与えていない。そのような体制は旧ソ連や北朝鮮のように国を滅す。米国社会は弱肉強食という政治家は本質を見ていない。官僚社会と福祉社会とはレベルの違う話である。上級公務員試験が難関だということ自体が日本社会の癌である。大新聞までが合格者数大学番付を報道している日本社会全体が目覚める必要がある。無意味な受験勉強をさせて、幼稚園から椅子とりゲームに明け暮れている日本社会は確実に世界から遅れていく。
中村修二:考える力、やり抜く力、私の方法、三笠書房、
月刊トークス 2001年4月号(第103号)
「鈍くさい子”が神童を追い越すわけ」の以下のくだりにも、自分の周囲を見ていて思い当たることが多い。
「子供の頃から才気ばしった子供が大人になっても才気煥発かというと決してそうではない。子供の頃に鋭敏だと言われ、何にでもよく気がついて、勉強もすぐにわかって点数がいいような子供は大人になってからは大成しないとしたものだ。塾などに嬉々として通い、帰りの電車やバスの中で算数は何点取ったの、国語や社会が何点とっただの、どこそこの私立中学は大丈夫だとか、したり顔で話している子供など大した人間にはなれない。こましゃくれて、ペラペラと大人顔負けの会話をする子を見て、「この子は大したものだ、大人になったら出世するよ」などと妙に反応するから、塾上がりの頭でっかちの子供ばかりでき上がってしまう。かれらは、決して出世などしない。創造的でユニークな仕事など、これっぱかしもできない。応用のできない、マニュアル人間どまりが関の山だろう。子供時代、特に男の子は、ちょっとくらい、ぼーっとしている方がいいのだ。何かを考えているようなタイプの子供の方が本当は成功する。」
まったく、同感であるが、恐ろしいのは、その種の塾上がりの頭でっかちの子供が一流といわれる大学法学部を出て、同じような公務員上級試験とかに合格して、そのまま官庁に入り、国の大切な税金の使いかたを決めることである。そればかりでなく、自分たちの保身のための用もない特殊法人とか独立行政法人をいくつもつくり、天下りして膨大な生涯報酬を得ていることも事実である。彼らは、20代で公務員上級試験に合格して、マニュアル通りの仕事で既に成功報酬を約束されているのに対して、中村氏や多くの中小企業の経営者たちは血と汗の税金を納め、命がけの努力でやっと40-50歳になって、やっと一部の人が成功報酬を得るのである。それでも米国社会に比べて日本社会は中小企業の人たちに、それに相応しい報酬を彼らに与えていない。そのような体制は旧ソ連や北朝鮮のように国を滅す。米国社会は弱肉強食という政治家は本質を見ていない。官僚社会と福祉社会とはレベルの違う話である。上級公務員試験が難関だということ自体が日本社会の癌である。大新聞までが合格者数大学番付を報道している日本社会全体が目覚める必要がある。無意味な受験勉強をさせて、幼稚園から椅子とりゲームに明け暮れている日本社会は確実に世界から遅れていく。
中村修二:考える力、やり抜く力、私の方法、三笠書房、
月刊トークス 2001年4月号(第103号)
2006年01月10日
電話の声から市外電話と市内電話を判別できる
音声を電気信号に換えて送信するのが電話であるが、市外電話はNTTの局内を通る過程で、電気的なフィルターを通過するが約300Hz以下の周波数はカットされてしまう。市内電話ではそれ以下の周波数はカットされないが、その中でも旧式のクロスバー交換機とデジタル交換機で差があり、前者では160Hzくらい、後者では110Hz程度まで聞こえることになるの、音声もその違いが出てくる。誘拐犯人の電話の声とそのバックグランドの音の周波数帯域の違いから犯人がどの地域を移動しているかを判断できることになる。
鈴木松美:音の犯罪捜査官より
音の犯罪捜査官―声紋鑑定の事件簿
鈴木松美:音の犯罪捜査官より
音の犯罪捜査官―声紋鑑定の事件簿