2006年06月
2006年06月30日
「バイオパイラシー」の翻訳者のあとがき
昨日紹介したインドの女性物理学者で環境科学者、平和運動家でもあるバンダナ・シバ氏の著書「バイオパイラシー:バイオにおける海賊行為、松本丈二氏訳、緑風出版、2002年」の翻訳者のあとがきも読み応えがある。ケンブリッジ大学で勤務中の訳者自身がこの本と出合い、その内容の凄さに身震いがし、巨大な現代社会の様々な問題に理知的に考察している著者の姿勢には涙を流しながら翻訳を進めたことを告白している。確かに、日本の自称環境科学者たちの著書が軽薄で読む気も起こさせなくなるような内容である。医療問題、環境問題、南北問題、食糧問題などについて根幹となる原因を理知的に考察し、さらに解決策まで提案している本は世界的にみても数少ない本と松本氏は絶賛している。インド出身の著者の視点は西洋文明、資本主義社会、キリスト教社会からも距離を置いて権力者側からの考察ではなく常に民間の非暴力者の立場からの考察には共感する部分が沢山ある。以前にこのブログで書いた「有機肥料が善で、化学肥料は全て悪」という日本の環境科学者や消費者団体役員たちの言動を批判したが、さすがにこの本でもその基調は変わっていない。自分の勉強不足によるものであるが、この本で書かれている「生物多様性こそこれからの地球環境問題の基本であり、企業利益追求のための効率主義に根ざす化学肥料や遺伝子操作生物の出現が数十年という長い期間で考えたときに環境問題を決してよい方向には導かない」とい趣旨の意見には考えさせられる。しかし、その理由について今ひとつの説得力ある論理が欲しいし、現在のバイオテクノロジーの研究者たちの意見も聞きたいものである。
バイオパイラシー―グローバル化による生命と文化の略奪
バイオパイラシー―グローバル化による生命と文化の略奪
2006年06月29日
コロンブスの再来:特許戦略の事例
昨日紹介したインドの女性物理学者で環境科学者、平和運動家でもあるバンダナ・シバ氏の著書「バイオパイラシー:バイオにおける海賊行為、松本丈二氏訳、緑風出版、2002年」の標題の記事は具体的な事例がないと分かりにくいかもしれない。地域固有の知識と知的所有権の問題として捉えている。田舎の「おばあちゃんの知恵」も貴重なノウハウがあることは一般の人も実感している。それを特許や実用新案にしようなどとは考えない。地域社会共有の財産として数千年続いてきたものもあると思われる。特許庁のお役人や企業の担当者は「そんなものは公知の事実であるから特許になりません」などと軽薄に簡単に答える。彼らは科学技術の専門家でもなんでもないし、過去の文書の数行の文言の並び方、表現をいじくりまわすだけである。地域の知識を基礎として同定された植物を用いた生産物および生産過程に特許を与えることは、知的所有権に関する大きな問題である。インドに自生する美しい樹木であるニーム(日本名:インドセンダン)は生物農薬および薬用として何世紀も使われてきた。薬用・抗菌作用があるので歯の衛生効果のため毎朝ニームの歯ブラシを使う。西洋の企業の科学者たちは、最近の人工化学物質、特に農薬への反対の気風が高まる中で、今まで見向きもしなかったニームの薬理学的性質に興味を持ち、1985年以降、ニームに関する特許が10数件も米国と日本の企業に獲得されてしまった。地元の人たちが有効成分の抽出法や調合法など特許に書かれていることなど昔からやっていたことと反論しても、最近のコンピュータ制御の分析機器などと連動させる方法などを専門用語で記述した文書で正当化してしまう。
この分野に限らず、世界の各地でこのような特許戦略で、地元の住民は経験知識が没収されたあげく、それを使用するのに高い特許使用料を払わなければならないという新しい植民地化現象が起きている。
バイオパイラシー―グローバル化による生命と文化の略奪
この分野に限らず、世界の各地でこのような特許戦略で、地元の住民は経験知識が没収されたあげく、それを使用するのに高い特許使用料を払わなければならないという新しい植民地化現象が起きている。
バイオパイラシー―グローバル化による生命と文化の略奪
2006年06月28日
コロンブスの再来:特許戦略
インドの女性物理学者で環境科学者、平和運動家でもあるバンダナ・シバ氏の著書「バイオパイラシー:バイオにおける海賊行為、松本丈二氏訳、緑風出版、2002年」は、欧米先進国に対して挑戦的な姿勢を崩さない内容は新鮮で面白い。イントロの冒頭から、コロンブスのアメリカ新大陸発見を「ローマ法王が神の代理として、まるで自分の手でもあやつるかのように世界を統率した。キリスト教徒に支持されたローマ法王は、世界を自分の意思に従って操るべき所有物であると考えた」という歴史研究者の言葉を引用している。植民地における略奪行為を「神聖な行為」にすりかえてしまい、植民化された人々や国々はローマ法王の直接の所有物として君主たちに寄贈したかたちにした。コロンブスの新大陸発見の1492年にアメリカ大陸に住んでいた原住民は7200万人いたが、数世紀後には400万人まで激減している。
これと、同じ植民地化現象が現代も進んでいる。それはバイオテクノロジー分野の特許戦略である。原住民たちが、世界の農民たちが数千年の歴史のなかで、地上の生物と人類の調和を保ちながら人間の食糧としてより優れた品種改良を行ってきたが、バイオ関連大企業の白衣を着た研究員の創造性の成果という名目で特許権を取得してしまい、特許文書の数行に該当する世界中の農民たちの生産活動が特許侵害ということで訴えられ、特許使用料を支払うことになる。そもそも遺伝子とかDNAとかについて、科学者がどこまで理解しているか疑問である。生物の誕生以来の永い年月を経てきた複雑なDNAの配列を、科学者が理解できない部分を「がらくた」DNAとして片付けてしまうのは科学者の奢りである。
バイオパイラシー―グローバル化による生命と文化の略奪
これと、同じ植民地化現象が現代も進んでいる。それはバイオテクノロジー分野の特許戦略である。原住民たちが、世界の農民たちが数千年の歴史のなかで、地上の生物と人類の調和を保ちながら人間の食糧としてより優れた品種改良を行ってきたが、バイオ関連大企業の白衣を着た研究員の創造性の成果という名目で特許権を取得してしまい、特許文書の数行に該当する世界中の農民たちの生産活動が特許侵害ということで訴えられ、特許使用料を支払うことになる。そもそも遺伝子とかDNAとかについて、科学者がどこまで理解しているか疑問である。生物の誕生以来の永い年月を経てきた複雑なDNAの配列を、科学者が理解できない部分を「がらくた」DNAとして片付けてしまうのは科学者の奢りである。
バイオパイラシー―グローバル化による生命と文化の略奪
2006年06月27日
音薬療法と音楽療法の違い
「タンパク質の音楽」筑摩書房:1999年の著者深川洋一氏は、彼が紹介しているフリーの理論物理学者ステルンナイメール氏の「タンパク質の音楽」を用いた治療方法、あるいは植物栽培方法を「音薬療法」と呼んでいる。従来から日野原医師らによって推奨されている「音楽療法」とは質的に異なっているとしている。
「タンパク質の音楽」は特効薬としての効果を有する「音薬」である。従って、副作用の危険も大きく、利用に当たっては正しい知識が必要で、遊び半分で聴いたり聞かせたりしてはいけないものだそうである。各種のアミノ酸に対応する音感のピッチ(周波数の違いなど)や色彩のコード、DNAの各塩基の音感のピッチも敢えて公表していない。ステルンナイメール氏によれば「DNAの音楽」のほうが「タンパク質の音楽」よりも危険度が高いとしている。その理由は、タンパク質はDNAをもとにして合成されることが解明されており、現象のより根源に近いものほど影響力が大きいと考えられるためである。
タンパク質の音楽
「タンパク質の音楽」は特効薬としての効果を有する「音薬」である。従って、副作用の危険も大きく、利用に当たっては正しい知識が必要で、遊び半分で聴いたり聞かせたりしてはいけないものだそうである。各種のアミノ酸に対応する音感のピッチ(周波数の違いなど)や色彩のコード、DNAの各塩基の音感のピッチも敢えて公表していない。ステルンナイメール氏によれば「DNAの音楽」のほうが「タンパク質の音楽」よりも危険度が高いとしている。その理由は、タンパク質はDNAをもとにして合成されることが解明されており、現象のより根源に近いものほど影響力が大きいと考えられるためである。
タンパク質の音楽
2006年06月25日
独立の科学者の役割
深川洋一氏の著書「タンパク質の音楽」、筑摩書房:1999年の著者が紹介している理論物理学者は独立の科学者であることを著者は同じ立場で彼の役割を評価している。「タンパク質の音楽」は誰も足を踏み入れたことのない領域で私たちが世界を見る全く新しい視点を与えてくれる。今世紀の科学の特徴として、二つを挙げている。ひとつは各分野がどんどん細分化され、狭く深くという方向に進んでいる。同じ物理学でも、」ちょっと専門が異なるとお互いに理解できなくなることが当たり前と見られている。「タンパク質の音楽」は、科学の大きな分野だけでも物理学、生化学、農学、医学、科学の対極にある芸術さえも関わる分野である。もうひとつは、国家や企業が科学研究に積極的に関与するようになり、その成果が社会に極めて大きな影響を与えている。アインシュタインの言葉「もう一度人生をやり直せるなら、配管工になりたい」は誇張があるが、科学者の生き方の苦悩の一端が伺える。
フランスのシラク大統領は、1997年の科学アカデミーの演説で「専門家の団体は偏向しないとも限らない。専門家と何人かの「独立」の科学者が意見交換する場が必要ではないか?」にはステルンナイメール博士のことが念頭にあったと言われている。大きな学会が・・賞などで投稿論文集めに精を出し組織の維持に尽力していることには全く関心がなく、自然界や社会の諸現象に素直な疑問を感じてそれらを理解し解明していこうという科学の原点を感じさせる著書である。
タンパク質の音楽
フランスのシラク大統領は、1997年の科学アカデミーの演説で「専門家の団体は偏向しないとも限らない。専門家と何人かの「独立」の科学者が意見交換する場が必要ではないか?」にはステルンナイメール博士のことが念頭にあったと言われている。大きな学会が・・賞などで投稿論文集めに精を出し組織の維持に尽力していることには全く関心がなく、自然界や社会の諸現象に素直な疑問を感じてそれらを理解し解明していこうという科学の原点を感じさせる著書である。
タンパク質の音楽