2006年10月
2006年10月31日
食べ合わせでできる発ガン物質
永川祐三著:抗がん食品事典、医者がすすめる83種、主婦と生活社、には抗がん食品のことが分かりやすく書かれているので紹介したい。それぞれの食品には発がん性がなくても,食べ合わせによって発ガン物質ができることがある。その物質とはニトロソアミンとエチルニトリル酸である。以下の例が示されている。
・ハム・ソーセージとレタスの組み合わせ
肉に含まれるアミンとレタスに含まれる硝酸イオンが変化してできる亜硝酸イオンが反応してできるニトロソアミン
・ 漬けものとタラコの組み合わせ
白菜などの野菜に含まれる硝酸イオンが漬物の微生物の作用で亜硝酸になり、タラコのアミンと反応しニトロソアミンを合成
・ ハム・ソーセージとかまぼこの組み合わせ
かまぼこの保存料であるソルビン酸とハム・ソーセージに含まれる亜硝酸が反応し酸性になる。そこに熱が加わりエチルニトリル酸になる。
・ハム・ソーセージとレタスの組み合わせ
肉に含まれるアミンとレタスに含まれる硝酸イオンが変化してできる亜硝酸イオンが反応してできるニトロソアミン
・ 漬けものとタラコの組み合わせ
白菜などの野菜に含まれる硝酸イオンが漬物の微生物の作用で亜硝酸になり、タラコのアミンと反応しニトロソアミンを合成
・ ハム・ソーセージとかまぼこの組み合わせ
かまぼこの保存料であるソルビン酸とハム・ソーセージに含まれる亜硝酸が反応し酸性になる。そこに熱が加わりエチルニトリル酸になる。
2006年10月30日
転移を防ぐ抗がん剤とは
永川祐三著:抗がん食品事典、医者がすすめる83種、主婦と生活社、には抗がん食品を通じて抗がん剤のことが分かりやすく書かれているので紹介したい。
癌の性質上、最もやっかいなのが、癌細胞が増殖したり、血管やリンパ管を通じて他の場所に転移することである。
近年の抗癌剤の研究では、いかにして転移を防ぐ薬をつくるかというテーマで開発が進められている。転移が抑えられれば癌を制圧をすることはむずかしくないからである。そのためにサメの軟骨が注目されている。強力な発癌物質を高濃度にした水槽でサメを飼う実験で、ほとんど癌が発生していないことが分かったのがきっかけである。動物の体はふつう硬骨でできているが、サメには硬骨がなく、頭蓋骨からヒレまですべて軟骨である。軟骨は「ムコ多糖体」という複合炭水化物とタンパク質でできている。硬骨と軟骨の違いは血管の有無である。生き物にとって、血管は体の組織に酸素や栄養を運ぶ補給路であるから血管がなければ組織は死滅する。軟骨には血管がないということは血管の造成を抑える物質が存在することを示す。癌細胞は「血管新生増殖因子」を出して、血管を勝手につくりだし、どんどん数を増やして大きくなっている。近年の研究では、サメ軟骨に含まれる血管の造成を抑える物質が癌の新生血管の造成も抑えることがわかってきた。その物質はムコ多糖体で、代表的な成分は「コンドロイチン硫酸」である。このコンドロイチン硫酸は正常な細胞を傷つけずに癌細胞を兵糧攻めにして滅ぼす。癌が骨転移するときには激痛を伴うの癌患者の苦痛であるが、その鎮痛効果も期待できる。
しかし、この書では、成人が血管の造成作用がなくなったらどうなるかという説明がないので副作用など疑問が残るが、別の機会に調べてみる。
抗がん食品事典―医者がすすめる83種
癌の性質上、最もやっかいなのが、癌細胞が増殖したり、血管やリンパ管を通じて他の場所に転移することである。
近年の抗癌剤の研究では、いかにして転移を防ぐ薬をつくるかというテーマで開発が進められている。転移が抑えられれば癌を制圧をすることはむずかしくないからである。そのためにサメの軟骨が注目されている。強力な発癌物質を高濃度にした水槽でサメを飼う実験で、ほとんど癌が発生していないことが分かったのがきっかけである。動物の体はふつう硬骨でできているが、サメには硬骨がなく、頭蓋骨からヒレまですべて軟骨である。軟骨は「ムコ多糖体」という複合炭水化物とタンパク質でできている。硬骨と軟骨の違いは血管の有無である。生き物にとって、血管は体の組織に酸素や栄養を運ぶ補給路であるから血管がなければ組織は死滅する。軟骨には血管がないということは血管の造成を抑える物質が存在することを示す。癌細胞は「血管新生増殖因子」を出して、血管を勝手につくりだし、どんどん数を増やして大きくなっている。近年の研究では、サメ軟骨に含まれる血管の造成を抑える物質が癌の新生血管の造成も抑えることがわかってきた。その物質はムコ多糖体で、代表的な成分は「コンドロイチン硫酸」である。このコンドロイチン硫酸は正常な細胞を傷つけずに癌細胞を兵糧攻めにして滅ぼす。癌が骨転移するときには激痛を伴うの癌患者の苦痛であるが、その鎮痛効果も期待できる。
しかし、この書では、成人が血管の造成作用がなくなったらどうなるかという説明がないので副作用など疑問が残るが、別の機会に調べてみる。
抗がん食品事典―医者がすすめる83種
2006年10月29日
一層進んだNPT崩壊の危機
10月29日付け読売新聞の社説「[北朝鮮核実験]「一層進んだNPT崩壊の危機」」は非常に時機を得たもので参考になる。しかし、日本の政府の外務大臣までが軽々しい表現で述べていることに言及して欲しかった。言論の封殺などとピントはずれの見解しか述べることの出来ない外務大臣には失望である。社説の内容は以下のとおりである。
「北朝鮮の核実験は、新たな核兵器保有国を作らないとした核拡散防止条約(NPT)体制の崩壊につながりかねない。 国際社会が北朝鮮の核武装化を止めることができない現状では、その懸念が深まるばかりだ。
濃縮ウラン活動を続けるイランが、北朝鮮の後に続けば、サウジアラビアやエジプトなど、中東地域での核のドミノ現象が現実になる恐れもある。テロリストに核兵器が渡る危険はさらに高まる。
NPT体制が崩壊すれば、日本はもちろん国際社会全体の平和と安全が重大な脅威にさらされる。
国連安全保障理事会の常任理事国である米露中英仏の5か国は、NPTによって「核兵器保有国」という特権的な地位を保証されている。だからこそ、核拡散の阻止のために、積極的な役割を果たすべき大きな責任を負っている。
核軍縮に誠実に取り組むことは、そのための第一歩だ。
だが、この面での努力はほとんどしてこなかったのが実情だ。現に、米国と中国は、いまだに核実験全面禁止条約(CTBT)を批准していない。
ブッシュ米政権は、日本が国連に毎年提出している核軍縮決議案に、反対票を投じている。NPT順守の重要性を強調する日本案には、「CTBTの早期発効」を求める項目があるためだ。
今年は、新たに「北朝鮮の核実験非難」を盛り込んだ日本案が、国連総会第1委員会で、169か国の賛成を得て採択された。反対したのは、北朝鮮、インド、それに米国だ。米国が、北朝鮮と同じ側にいる。
北朝鮮に「核放棄」を迫るうえで、NPTなどの国際規範の順守を求めることは重要な根拠となる。だが、現実にはNPT体制は根底から揺らいでいる。
NPTに非加盟のインドとパキスタンは、1998年に相次いで核実験を実施し、核兵器保有国であることを誇示したが、安保理は厳しい制裁措置を取ることはできなかった。ロシアと中国が両国を擁護したためだ。
パキスタンの場合、米国や日本が科していた制裁は、米同時テロ後、対テロ戦争での協力を理由に解除された。核兵器保有は不問にふされた。
インドは、昨年、米国との原子力協力に合意している。中国への牽制(けんせい)や、急成長するインド経済市場への参入などの狙いから、米国は、インドを核兵器保有国として容認したのである。
日本は、北朝鮮の核武装阻止に全力を挙げなければならない。だが、状況はますます困難になっている。」
朝日新聞も、この問題をどのように捉えるているかを明らかにして、国際社会に日本の立場について情報発信をしてもらいたい。
「北朝鮮の核実験は、新たな核兵器保有国を作らないとした核拡散防止条約(NPT)体制の崩壊につながりかねない。 国際社会が北朝鮮の核武装化を止めることができない現状では、その懸念が深まるばかりだ。
濃縮ウラン活動を続けるイランが、北朝鮮の後に続けば、サウジアラビアやエジプトなど、中東地域での核のドミノ現象が現実になる恐れもある。テロリストに核兵器が渡る危険はさらに高まる。
NPT体制が崩壊すれば、日本はもちろん国際社会全体の平和と安全が重大な脅威にさらされる。
国連安全保障理事会の常任理事国である米露中英仏の5か国は、NPTによって「核兵器保有国」という特権的な地位を保証されている。だからこそ、核拡散の阻止のために、積極的な役割を果たすべき大きな責任を負っている。
核軍縮に誠実に取り組むことは、そのための第一歩だ。
だが、この面での努力はほとんどしてこなかったのが実情だ。現に、米国と中国は、いまだに核実験全面禁止条約(CTBT)を批准していない。
ブッシュ米政権は、日本が国連に毎年提出している核軍縮決議案に、反対票を投じている。NPT順守の重要性を強調する日本案には、「CTBTの早期発効」を求める項目があるためだ。
今年は、新たに「北朝鮮の核実験非難」を盛り込んだ日本案が、国連総会第1委員会で、169か国の賛成を得て採択された。反対したのは、北朝鮮、インド、それに米国だ。米国が、北朝鮮と同じ側にいる。
北朝鮮に「核放棄」を迫るうえで、NPTなどの国際規範の順守を求めることは重要な根拠となる。だが、現実にはNPT体制は根底から揺らいでいる。
NPTに非加盟のインドとパキスタンは、1998年に相次いで核実験を実施し、核兵器保有国であることを誇示したが、安保理は厳しい制裁措置を取ることはできなかった。ロシアと中国が両国を擁護したためだ。
パキスタンの場合、米国や日本が科していた制裁は、米同時テロ後、対テロ戦争での協力を理由に解除された。核兵器保有は不問にふされた。
インドは、昨年、米国との原子力協力に合意している。中国への牽制(けんせい)や、急成長するインド経済市場への参入などの狙いから、米国は、インドを核兵器保有国として容認したのである。
日本は、北朝鮮の核武装阻止に全力を挙げなければならない。だが、状況はますます困難になっている。」
朝日新聞も、この問題をどのように捉えるているかを明らかにして、国際社会に日本の立場について情報発信をしてもらいたい。
2006年10月28日
日ハム優勝 北からの新しい風
「日ハム優勝 北からの新しい風」とういう朝日新聞の社説には共感した。自分には気がつかなかった見方もあり面白い。内容は以下のようなものである。
「北海道日本ハムファイターズがプロ野球日本一になった。
中日ドラゴンズを下して優勝を決めた日、地元の札幌ではテレビの瞬間最高視聴率が70%を超えた。心理的にも物理的にも遠かった日本ハムが自分たちの球団になった。北海道の人たちのそんな変化を象徴しているようだ。
ことし、4万人収容の球場は、何度も満員になった。チームの活躍が、景気の回復が遅れている北海道の人々をどれほど元気づけたことだろう。
その原動力の一つが、札幌に拠点を移したのちに迎えた新庄選手である。
仮面をかぶったり、空中ブランコで登場したり。「新庄劇場」と呼ばれる派手さばかりが注目されたが、目をこらせばグラウンドの内外に新庄効果があった。
例えば、圧倒的な緊張感が球場を支配する日本シリーズで、好機にも、ピンチにも、彼の笑顔は変わらなかった。
それは平常心で自分らしくプレーすればいいという仲間へのメッセージだ。大リーグでワールドシリーズの舞台も踏んだ彼のふるまいは、若手中心のチームには大きな支えだった。
もう1人のチームの柱である小笠原選手とは好対照だった。職人肌の生え抜き選手と、目立つことが大好きな新庄選手は、一見すると水と油のようである。ところが2人は互いにプロとしての姿勢を認め、言葉にはしなくても通い合うものがあった。
ケミストリー(化学)という言葉がある。チーム競技では、選手の編成などに使われる。組み合わせの妙によってそれぞれの力を100%引き出し、さらにプラスアルファを生み出すことだ。
ベテラン2人の両輪に若手を絡ませたかみ合わせは絶妙だった。
ヒルマン監督の存在も大きい。まだ43歳だが、プロの監督歴は16年になる。米マイナーリーグでの12年間は、専門誌から有望な指導者として度々表彰された。移転を前に、チーム再生の目玉としてくどいたのが日本ハムだった。
マイナーリーグはスタッフが少ないから、打撃投手からファンサービスまであらゆることを監督がこなす。その中で実績を残した指導者が大リーグの監督へと階段を上っていく。指導者を育てる仕組みを持たず、現役時代の知名度を優先させがちな日本との大きな違いだ。
外国人監督を支えたフロントの整備も見逃せない。親会社の出向組が幅を利かせがちな球界で、現場のユニホーム組と背広組の責任を明確にして分担を進めた成果でもある。
今回の日ハムの優勝は、北海道へ移り、看板を書き換え、球団としての再出発があったからこそだった。
振り返れば、昨年の日本一も千葉へ移り、バレンタイン監督が率いたロッテだった。巨人中心の一極集中から、多様で地域に根ざしたプロ球界へ。近代化と変化を求める風が、ようやく球界の内側からも吹き始めたように見える。」
プロ野球の世界の変化とは言え、日本社会に新風を吹き込んだのか、陰湿なニュースの多い今の日本社会に一筋の希望の光が見えたようにも思える。
「北海道日本ハムファイターズがプロ野球日本一になった。
中日ドラゴンズを下して優勝を決めた日、地元の札幌ではテレビの瞬間最高視聴率が70%を超えた。心理的にも物理的にも遠かった日本ハムが自分たちの球団になった。北海道の人たちのそんな変化を象徴しているようだ。
ことし、4万人収容の球場は、何度も満員になった。チームの活躍が、景気の回復が遅れている北海道の人々をどれほど元気づけたことだろう。
その原動力の一つが、札幌に拠点を移したのちに迎えた新庄選手である。
仮面をかぶったり、空中ブランコで登場したり。「新庄劇場」と呼ばれる派手さばかりが注目されたが、目をこらせばグラウンドの内外に新庄効果があった。
例えば、圧倒的な緊張感が球場を支配する日本シリーズで、好機にも、ピンチにも、彼の笑顔は変わらなかった。
それは平常心で自分らしくプレーすればいいという仲間へのメッセージだ。大リーグでワールドシリーズの舞台も踏んだ彼のふるまいは、若手中心のチームには大きな支えだった。
もう1人のチームの柱である小笠原選手とは好対照だった。職人肌の生え抜き選手と、目立つことが大好きな新庄選手は、一見すると水と油のようである。ところが2人は互いにプロとしての姿勢を認め、言葉にはしなくても通い合うものがあった。
ケミストリー(化学)という言葉がある。チーム競技では、選手の編成などに使われる。組み合わせの妙によってそれぞれの力を100%引き出し、さらにプラスアルファを生み出すことだ。
ベテラン2人の両輪に若手を絡ませたかみ合わせは絶妙だった。
ヒルマン監督の存在も大きい。まだ43歳だが、プロの監督歴は16年になる。米マイナーリーグでの12年間は、専門誌から有望な指導者として度々表彰された。移転を前に、チーム再生の目玉としてくどいたのが日本ハムだった。
マイナーリーグはスタッフが少ないから、打撃投手からファンサービスまであらゆることを監督がこなす。その中で実績を残した指導者が大リーグの監督へと階段を上っていく。指導者を育てる仕組みを持たず、現役時代の知名度を優先させがちな日本との大きな違いだ。
外国人監督を支えたフロントの整備も見逃せない。親会社の出向組が幅を利かせがちな球界で、現場のユニホーム組と背広組の責任を明確にして分担を進めた成果でもある。
今回の日ハムの優勝は、北海道へ移り、看板を書き換え、球団としての再出発があったからこそだった。
振り返れば、昨年の日本一も千葉へ移り、バレンタイン監督が率いたロッテだった。巨人中心の一極集中から、多様で地域に根ざしたプロ球界へ。近代化と変化を求める風が、ようやく球界の内側からも吹き始めたように見える。」
プロ野球の世界の変化とは言え、日本社会に新風を吹き込んだのか、陰湿なニュースの多い今の日本社会に一筋の希望の光が見えたようにも思える。
2006年10月27日
受験偏重が招いたルール無視
27日付け読売新聞の社説は説得力があり、朝日の社説よりこの事象を深く捉えている。[高校「必修」逃れ]「受験偏重が招いたルール無視」は教育再生にも繋がる本質的な問題を含んでいる。
多感な10代の後半に、親、学校の教師、社会ノメディアが最高の価値観を偏差値にあるように子供たちを洗脳し、そのように育ったブランド大学出身者がその価値観を持ったまま、霞ヶ関や一流企業の上層部に座っているからメスを入れるのは難しい。多感な紆余曲折の青春時代を過ごした部下たちに、悔しかったらどうしてこの道を選ばなかったのだというような浅薄な人生観で、指定席にどかっと座っている人間が多い日本の社会である。 「生徒の受験対策のためだった」。多くの高校が、そう釈明している。難関大学への合格実績を高めたいという学校側の思惑もあったろう。
だが、教育現場でルール無視があってはならない。 全国各地の高校で、卒業に必要な必修科目が教えられていなかった。多くは進学校だ。教育委員会に対し、必修科目を履修しているかのような虚偽の報告を行っていたところもある。
国の定める学習指導要領には、生徒が学ぶべき学習内容の最低基準が盛られている。中でも、全員が履修しなければならないとされているのが必修科目だ。
問題になっている地理歴史科は、「世界史」が必修で、併せて「日本史」か「地理」のいずれかを選択履修することになっている。つまり「世界史プラス1科目」が必修だが、履修漏れのあった高校では、1科目しか選択していなかったり、2科目をとっても世界史を履修していなかったりしたという。
「受験に不必要な科目は学習したくない」。そんな親や教師に洗脳された単純な生徒の要望に押され、指導要領に反すると知りながら、規定に背いた学校、教師が多かったようだ。 だが、そこで受験科目以外の教科を学ぶ必要性を、生徒に説得することが教師の役目だったのではないだろうか。「受験に不要」の理屈がまかり通れば、体育や芸術、家庭科などの授業も意義を失うことになる。
結果的に、生徒から他の科目を学ぶ機会を奪った。これから履修させるため、卒業までに残された5か月間で70回の授業を受ける負担も背負わせた。二重の意味で、学校と教師の責任は重い。
こうした履修漏れは、かなり以前から高校にはびこっていた。5年前にも西日本で表面化したが、抜本的な対策は講じられなかった。さらに、地理歴史だけでなく、理科や情報などの教科でも、一部不適切な履修が行われているようだ。
この際、実態をすべて明らかにした上で、文部科学省が各教育委員会を通じ、適切な改善指導を行うべきだ。指導要領に従い、きちんと授業を受けている生徒や保護者らに、不公平感、不信感を抱かせるような事態は避けねばならない。
現在、文科省は学習指導要領の改定作業を進めている。「国際化の進展」を重視して「世界史」が必修とされたのは1989年だ。最近は「自国の歴史・文化の理解がまず重要だ」と、日本史の必修化を求める声が高まっている。
どちらを必修科目とするかを学校ごとの選択に任せるべきだ、という意見もある。幅広い見直し論議が必要だ。多感な10代の好奇心で幅広い教養を身につけてきたた人が社会の指導層に座ってほしいものである。大学入試は米国式でよい。卒業することが難しいシステムにすることが最も合理的で良い人材を生むことに間違いない。
多感な10代の後半に、親、学校の教師、社会ノメディアが最高の価値観を偏差値にあるように子供たちを洗脳し、そのように育ったブランド大学出身者がその価値観を持ったまま、霞ヶ関や一流企業の上層部に座っているからメスを入れるのは難しい。多感な紆余曲折の青春時代を過ごした部下たちに、悔しかったらどうしてこの道を選ばなかったのだというような浅薄な人生観で、指定席にどかっと座っている人間が多い日本の社会である。 「生徒の受験対策のためだった」。多くの高校が、そう釈明している。難関大学への合格実績を高めたいという学校側の思惑もあったろう。
だが、教育現場でルール無視があってはならない。 全国各地の高校で、卒業に必要な必修科目が教えられていなかった。多くは進学校だ。教育委員会に対し、必修科目を履修しているかのような虚偽の報告を行っていたところもある。
国の定める学習指導要領には、生徒が学ぶべき学習内容の最低基準が盛られている。中でも、全員が履修しなければならないとされているのが必修科目だ。
問題になっている地理歴史科は、「世界史」が必修で、併せて「日本史」か「地理」のいずれかを選択履修することになっている。つまり「世界史プラス1科目」が必修だが、履修漏れのあった高校では、1科目しか選択していなかったり、2科目をとっても世界史を履修していなかったりしたという。
「受験に不必要な科目は学習したくない」。そんな親や教師に洗脳された単純な生徒の要望に押され、指導要領に反すると知りながら、規定に背いた学校、教師が多かったようだ。 だが、そこで受験科目以外の教科を学ぶ必要性を、生徒に説得することが教師の役目だったのではないだろうか。「受験に不要」の理屈がまかり通れば、体育や芸術、家庭科などの授業も意義を失うことになる。
結果的に、生徒から他の科目を学ぶ機会を奪った。これから履修させるため、卒業までに残された5か月間で70回の授業を受ける負担も背負わせた。二重の意味で、学校と教師の責任は重い。
こうした履修漏れは、かなり以前から高校にはびこっていた。5年前にも西日本で表面化したが、抜本的な対策は講じられなかった。さらに、地理歴史だけでなく、理科や情報などの教科でも、一部不適切な履修が行われているようだ。
この際、実態をすべて明らかにした上で、文部科学省が各教育委員会を通じ、適切な改善指導を行うべきだ。指導要領に従い、きちんと授業を受けている生徒や保護者らに、不公平感、不信感を抱かせるような事態は避けねばならない。
現在、文科省は学習指導要領の改定作業を進めている。「国際化の進展」を重視して「世界史」が必修とされたのは1989年だ。最近は「自国の歴史・文化の理解がまず重要だ」と、日本史の必修化を求める声が高まっている。
どちらを必修科目とするかを学校ごとの選択に任せるべきだ、という意見もある。幅広い見直し論議が必要だ。多感な10代の好奇心で幅広い教養を身につけてきたた人が社会の指導層に座ってほしいものである。大学入試は米国式でよい。卒業することが難しいシステムにすることが最も合理的で良い人材を生むことに間違いない。