2010年09月

2010年09月25日

金融外交 3

1268bb3a.jpg国益を守る
誰のための国益
短期的な国益
長期的な国益
円高で得をする人
内需を拡大して
日本国民の生活水準を
実質欧米人並みにすること


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池上湖心の書 

尖閣諸島問題、北方四島問題への日本の姿勢は論理的な筋道を明確にして、柔軟な外交交渉で取り組むことが必要 3

9月24日付けの大前研一さんの『ニュースの視点』は「尖閣諸島問題:中国の持病を気にせず、実効支配のルールを主張せよ」は流石に大前さんと思わせる説得力のある記事である。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.米国の知日派として知られるアーミテージ元国務副長官は9月15日、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件を巡る中国側の厳しい対応について「中国は日本を試している」との見解を示した。
2.中国外務省の姜瑜副報道局長は16日、中国内で散発する対日抗議行動について「中国の民衆が理性を持って合法的な方法で主張を表現すると信じる」と述べ、過激な行動を戒めた。当初、中国政府は民衆を炊きつけていた節がありますが、今は少し「抑える」方向へ動いているようである。中国政府に対して不満を持っている中国国民がこれに乗じて政府への抗議運動に転化するのを避けたいという意向もあると思われる。
3.アーミテージ元国務副長官が言う「中国政府は日本を試そうとしているので、毅然とした態度を示せ」という点は理解できるが、「尖閣諸島が日米安全保障条約の対象となっている」という考え方は、大前氏は間違っていると言っている。例えば米国の見解として「尖閣諸島は100%日本の領土だ」というものだとしても、尖閣諸島が中国によって侵攻されたからと言って「日米安全保障条約が発動する」ということはない。
4.尖閣諸島を契機として、地域紛争が発生すれば話は別です。例えば、沖縄などの地域紛争に発展してしまったら、日米安全保障条約の対象となる。しかし尖閣諸島だけの問題であれば、その可能性は極めて低い。日本にしても「尖閣諸島は歴史的にも国際法上もわが国固有の領土」という考え方だから、対応するのは「海上保安庁」であり「自衛隊」ではない。
5.先日、蓮舫行政刷新担当相が「尖閣諸島は領土問題なので、毅然とした日本国としての立場を冷静に発信するべきだ」と述べ波紋を呼びだんだが、すぐに前原外相に指摘を受けて発言を修正する事態になった。前原外相が言うように「尖閣諸島は歴史的にも国際法上もわが国固有の領土」であり、「領土問題は存在しない」というのが日本の見解である。この基本的なスタンスを採用するのであれば、そこから逸脱することなく一貫性を持って臨むべきである。 
6.実際のところ中国側は何を要求してきていて、日本はどのような態度を示すべきか?
中国側の対応としては「日本に対して、怒って抗議をする」というだけである。そこから武力行使に発展してはいない。尖閣諸島だけを対象として武力行使にまで踏み切る可能性はほとんどないと大前氏は見ている。
7.日本としては、本気で調査をする気持ちがあるなら中国漁船を本国へ返さずに徹底的に調査するべきであった。中国漁船が体当たりをしてきている証拠の映像があるなら、日本政府はそれを世界に開示するべきである。逆に、日本の海上保安庁の船の方がぶつかっているという映像があるのなら、中国政府も速やかにそれを見せれば良いのである。
8.裏側で日本政府が中国政府に「証拠の映像」なるものを見せたのかもしれない。もしそういう映像があるなら、私は「国民」に開示するべきである。その上で国民が判断するというのが正しい手順である。
9.中国では企業が日本への旅行を禁止するなどの過剰反応を示しているが、これは「中国の持病の1つ」で何度も同じことが繰り返されている。この問題を解決するためには、まず実効支配のルールに則って毅然とした態度を示すこと、そしてそれを踏まえて、話し合いをする際には大胆なアイデアや考え方を採用するということである。
10.実効支配のルールから言えば、北方領土はロシア、竹島は韓国、尖閣諸島は日本に帰属することは間違いない。まずここを明確にしておく。ここで態度を曖昧にしてしまうと、話し合いが成立しない。その上で「共同管理」を行うという提案をするのも良い。
あるいは北方領土問題なら「3島を返還してもらう」というのも1つの策である。今の日本を見ていると、特に北方領土問題の解決についての主張に柔軟性がない。あまりに頭が固くなりすぎている。
11.先日、ロシアと隣国ノルウェーはバレンツ海と北極海での係争海域を2等分する形で最終解決し、同地域の開発でも協力する条約に署名した。ソ連時代から40年に及ぶ境界画定論争に終止符を打ち、天然ガスや石油など資源探査・採掘、漁場資源開発で協力することになった。これは1つのお手本である。お互いのメリットになるように、このような解決策をぜひ日本でも模索してもらいたい。



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新技術 

2010年09月24日

立てば立つところに止まり今日の月 3

b183ba4a.jpg鷹羽狩行句
長谷川櫂解説
夜道を歩く
お月様もついてくる
立ち止まると
お月様もぴたりと止まる
中秋の名月
天上の月の動き
地上を動く自分
1対1の境地

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池上湖心の書 

日本社会の集団志向での民主主義のもつ危険 3

「フランシス・フクヤマ著、渡部昇一訳:歴史の終わり(下)、1992年」の著者は日系3世でハーバード大学ソ連外交で政治学博士を取得している哲学者であることは当ブログでも既に紹介した。第4部 脱歴史世界と歴史世界歴史の中で、20年以上も前に、日本社会と、アジア社会の民主主義について述べていが、今、読んで見て流石にその洞察力に感心させられる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.日本の民主主義は、欧米の基準からすれば権威主義的に見える。この国でいちばんの権力者は高級官僚や自民党の派閥の領袖たちだが、彼らは民衆の選択によってその地位に達したのではなく、ペーパ試験による無意味な受験偏差値学歴か、さもなければ個人的なコネを通じてそこまでのしあがってきた。こういう連中が、選挙結果や大衆からの各種の圧力にはさほど耳も貸さずに、共同体の福利に影響を及ぼす重大な決定をおこなっている。とはいえ、そんな体制も民主主義のかたちにはとどまっている。なぜならそれは定期的な複数政党選挙や基本的諸権利の保証などリベラルな民主主義の基準を満たしているからである。
2.日本社会の大部分は、個人の諸権利という西欧的概念を受け入れているが、一方では、日本がある種の独裁体制によって支配されているという見方も成り立つ。それは、政権党がかつてのソビエト共産党のような形で社会に押しつけているからではなく、日本の大衆が現状のようなやり方で支配されることを選択しているからである。現代日本の政権システムは、日本の集団志向型文化、より開かれた基本哲学のある論争にはなじまないような文化に根ざしているからである。
3.アジア社会の大部分に集団の調和をよしとする合意があるとすれば、この地域で権威主義がさらに多彩な形で広まっているとしても驚くにはあたらない。ある種の家父長的な権威主義はリベラルな民主主義にくらべてアジアの儒教的な伝統と足並みをそろえやすい。さらに重要な点として、欧米に追いつくための高い経済成長率を保っていくにも適している。
4.その代表格はシンガポールの首相リー・クアン・ユー(当時)の意見だ。彼は、民主主義は経済成長にとって足手まといだと主張する。なぜなら民主主義は合理的な経済計画の邪魔になるし、共同体全体を犠牲にして無数の私的利益を声高に主張するような一種の平等主義的なわがままを助長するからだ、というわけである。
4.シンガポール自体は、言論批判の封殺や反体制派の人権の侵害という点で最近はつとに悪高くなってきている。さらにシンガポール政府は、少年の長髪を規制し、ビデオ・ショッ
プを非合法化し、はてはゴミの投げ捨てや公衆トイレの水の流し忘れといった些細な犯罪にまで法外な罰金を課すなど、西欧ではまったく受け入れられない程度まで市民の私生活に干渉の手を伸ばしている。
5.シンガポールの権威主義は、二つの点で特徴がある。第一にはそこに驚くべき経済的成功がともなってきたこと、第二に、それが過渡的な措置としてではなくリベラルな民主主義よりすぐれたシステムとして、正当化されてきたことである。
6.アジアの社会は、その集団志向によって多くのものを失っている。その社会は人々に厳しい服従を課し、穏やかな形での個性の表現をもしりぞける。このような社会の束縛は、伝統的な家父長的家族の重視によって家庭外での生活の機会が制限されてきた女性の現状に端的にあらわれている。消費者も無権利状態に近く、経済政策をほとんど口答えせずに受け入れねばならない。
7.集団に基礎をおいた認知とは、結局のところ非合理的なものであり、極端な場合には1930年代のように狂信的排外主義や戦争の温床ともなり得る。戦争にはいたらなくても、集団志向的な認知というものは重大な機能障害に陥る場合がある。たとえば今日ではあらゆる先進国が、貧しく政情不安定な国々から仕事や安全に魅せられた大量の人間が流入してくるという事態を体験している。そして日本もアメリカに劣らず、特定職種への低賃金労働者を必要としている。しかし、日本は、よそ者に対して基本的には不寛容な集団であるために、移民を受け入れる可能性がもっとも低い国だ。これに対してアメリカの徹底した個人レベルでの自由主義は、膨大な移民人口をうまく同化していける。
8.アジアの伝統的価値は近代的消費主義の前に崩壊していくという予言は、これまでのところなかなか現実のものとなっていない。それは、おそらくアジア社会がある種の強みをもっているからだ。そしてアジアの人々は、この強みをやすやすと手放そうとしないし、アジア以外の社会の現状を目にすればなおさらだ。
9.アメリカの労働者たちは朝礼で社歌を斉唱する必要はないが、現代のアメリヤ力人の生活にいちばん共通している不満の種はまさにそのような共同体が欠落しているという点なのである。アメリカにおける共同体生活の崩壊は、アメリカ人なら誰でも身に覚えのあることだが、ここ二世代のあいだに、家族の分解や核家族化とともにはじまった。多くのアメリカ人が郷土愛になんら意味を見出せず、身近な家族以外には社交性のはけ口はないというような現状からもわかる。アジア社会はまさにこの共同体感覚を提供しているのであり、その文化のなかで成長している多くの人々にとって社会的画一化や個人主義への束縛は些細な代価にすぎないとされている。


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2010年09月23日

なんということなの 1

fb4570ea.jpg正義の仮面の
極悪犯罪人
組織犯罪集団
人権侵害犯罪集団
人生を台無しにされた
人たちの怨念
よその国なら
公開銃殺刑

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池上湖心の書 

特捜部解体論はどこへ行った? 3

2月25日付の江紹子氏のブログ「特捜部は本当に必要か」や「魚住昭著:特捜解体論、g2、講談社、2010」を読み、今回の大阪地検特捜部の主任検事前田恒彦容疑者の逮捕の記事を読むと江川氏、魚住氏の危惧が現実のものになった。流石にジャーナリストとして筋金が入っている。江川氏は裁判を何度も傍聴している。それに反して、日本の大新聞の一部の報道はトカゲの尻尾きりに加担するような内容である。両氏の主張の概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.捜査段階で、村木局長からの指示があった、とする上村証人の検事調書が作成されている。こうした調書について、上村証人は「検事の作文」と断言。本意でない調書ができあがった事情を聞かれ、上村証人は國井弘樹検事の取り調べについて次のように証言した。上村氏が単独でやったと言っても、検事に聞いてもらえなかった。村木課長と私の会話が生々しく再現されているが、それはでっち上げである。検事は都合のいいことはメモするが、そうでないことは聞いてくれなかった。
2.國井検事から、他の人は、こう言っている、という情報を次々に言われるるうちに、上村氏は記憶のあいまいな部分については自信がなくなっていった。『想像の話みたいになっちゃうけどね』と國井検事自身が話したことが、調書では、僕が話したことになった。
3.検察側はこれほど苦しい立証をしなければならないほどの無理をして、村木被告を逮捕・起訴した理由は、今回の事件が、厚労省の組織的犯罪であるということを、調書で書きたかったと感じた。
4.大阪地検特捜部は東京への対抗意識もあって、中央官庁のトップや政治家、目立つ経済人(リクルートやライブドア)を逮捕したい意識が強い。東京地検特捜部も、小沢・民主党幹事長の政治資金を巡る捜査や、福島県知事が収賄で起訴された事件で、無理な取り調べやマスコミへのリークなど、様々な問題が指摘されている。
5.特捜部らしい大物が関与する事件をやりたいという野心。自分たちこそが政財界や官界を正せるという正義感や強烈な自負心。このような特捜部ならではの意識が、問題を生んでいる可能性がある。そう考えると、村木被告の事件で格別問題があったというわけではなく、特捜部に内在する問題が分かりやすい形で現れただけである。
6.こうした事件を見ていると、そもそも特捜部を今後も存続させる意味に疑問を感じる。。東京、大阪、名古屋の3地検には特捜部があるが、すべての事件を刑事部が捜査を行うというので構わない。特捜部だから政治家や政府高官を挙げなければ、という余計なプレッシャーを検事に与えず、国民の利益と距離のある「検察の正義」が一人歩きすることが避けられる。
7.通常の人員ではやりきれない事件もある。複雑なシステムを悪用した経済事件、大規模な脱税など、通常の捜査態勢では解明が難しいケースも、不正があればきちんと対応してもらわなければならない。そういう時には、事件の規模や捜査対象などに応じて、全国から検事を招集してチームを編成すればよい。チームは、事件処理が終われば解散する。次に大がかりな捜査の必要が生じれば、また新たなチームを組む。これで問題はない。
8.日本の検察ほど強大な権限をもつ国家機関は世界でも例がない。検察本来の役割は警察の捜査をチェックし裁判にかけることだが、日本の特捜部は独自の捜査をして、マスコミを使って世論をつくり、外部のチェックを受けずに起訴している。形式的に検察審査会とうのを設けているが日本のマスコミ以上に特捜部の洗脳が行われている。サッカーの審判がプレーヤーを兼ねているようなものである。どうしてこんなことになったのかは省略するが、要は、霞が関官僚たちの権力争いの結果、国民が重大な犠牲を払うことになっている。
9.どこから見てもおかしな事件として、‐沢元民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の件、元秘書の石川知裕議員、大久保秘書の逮捕、8労省の村木厚子元局長の逮捕、ぅ薀ぅ屮疋∋件の堀江貴文氏の逮捕、ノ詭攴|傍聴、佐藤優氏の逮捕、Ε螢ルート事件の江副浩正氏の逮捕、Д蹈奪ード事件の田中角栄元首相の逮捕など、恣意的な立件は数えきれない。これらの事件によって検察の力を誇示するという目的が果たされた。
10.政界汚職でも経済事件でも特捜部が摘発すればするほど検察の権益が広がり、OBも含めた「検察官王国」が盤石となり、経済事件では企業のコンプライアンス(法令順守)特需をもたらし、多くの企業は多額の報酬を払って検察OB を顧問などで受け入れるようになった。一種の天下りである。警察がパチンコ業界の自主規制団体に天下りしているのと同じ構図である。パチンコ業界の実態が賭博であることを誰も見て見ぬふりをしている。
11.これらの不条理な司法を防ぐ方策として、“鏥深圓ら参考人に至るまですべての取り調べを可視化すること。欧米や韓国で実現しているのに日本でできない理由を暴く必要がある。◆反夕岨碧 匹箸いβ疂瓩気譴討ら裁判にいたるまで続けると1年でも2年でも拘留されるという恐ろしい現実があり、保釈金などだせない庶民は、その期間より短い刑期を選択することもありうる、K寨茵∈枷修任両攜世判決を左右するべきなのに、日本では検察の作成した取り調べ調書、それも強制的な自白に基づく調書で有罪がきまる。日本の裁判では起訴されたら99%以上が有罪になるのは明らかにおかしい。裁判所が機能していない。た拡宗文訴官:起訴する人間)が捜査官を兼ねている日本の制度を即時やめること。犯罪捜査権を警察に全面的に委ね、検察は捜査のチェックと公判に専従する体制にすること、つまり「検事は法廷の外にでるべきではない」という原則に立ち戻ること。以上の4点で一握りの検察官僚の考えで政治や経済を左右する事態を回避できる。「検察官王国」を解体しなければ、司法再生への道は開けない。
(相変わらずメディアを使った検察庁の幕引きの動きが垣間見える。日本の民主主義の成熟のためにメディアの踏ん張りどころである)


g2 ( ジーツー ) vol.5 (講談社MOOK)
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2010年09月22日

ゆるり秋色に 3

bed7b9bb.jpg真夏日70日の記録
暑さ寒さも彼岸まで

虫の声
ゆるり秋色に

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池上湖心の書 

今後10年間の中国は、過去10年間の中国とは別物である 3

「大前研一編著:大前研一の新しい資本主義の論点:ニュー・ノーマルという秩序の登場、ダイヤモンド社、2010年8月」の第3部、グローバリゼーションと新興経済:新興市場の未来『ハーバード・ビジネス・レビュー』エディター・アト・ラージのアナンド・P・ラマン氏の論文が新鮮な情報が盛りだくさんで面白い。新興国は先進国に比べ、2008年のリーマン・ショックに端を発した金融危機による痛手は小さいといわれている。不況が終わりを告げた時、世界の競争地図は様変わりしている。多くの新興国が先進国にとって手ごわい敵になっている。というのが基調である。先ず「不況後の勝者はだれか」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.フロンティは、場所を意味するのではなく、その境界が広がったり狭まったりすることで、人々や組織がこれに適応し変化するプロセスであるという。フロンティアの役割について、アメリカ合衆国が三世紀にわたって国家の創造に尽力しえたのは、この地が未開であったからであるが、この説は現代ビジネスにも当てはまる。
2.開発途上国はこの30年間、外資に経済を開放してきたが、これにより企業の世界における境界はたえず変化してきた。その結果、多国籍企業は、新興経済の急成長、熾烈な競争、事業環境の複雑さ、絶え間のない変化への対応をしてきたが、現在の不況が世界的に及ぼしている影響に関して、これまで欧米企業が学習してきたことは役に立たなかった。
3.景気後退の波は全世界に及んでいるが、そのダメージは新興国より先進国のほうが大きい。不況の影響は、先進経済と新興経済で性質を異にしている。それゆえに、世界経済における先進国の役割は変わってしまう。景気後退が終わる頃には、フロンティアは予想外の姿に変わっている。
4.今日の経済危機によって、三つの領域で変化が起こった。
1)開発途上国では、これまで以上に市場が拡大した。IMF(国際通貨基金)は、中国は6.5パーセント、インドは4.5パーセント、中東は2.5パーセントの経済成長を2009年の逆風下にもかかわらず、果たし、開発途上国全体では1.6パーセントになると予測している。不況を脱した時、全世界の生産量に占める新興市場のシェアは、景気後退が始まった時以上に増えているだろう。
2)新興諸国の政府は、通貨政策や財政政策を通じて経済成長を加速させる一方、経済発展のあり方そのものを変えようとしている。このことに中国はどの国よりも熱心で、GDPの50パーセントを占める10業種の需給を促すために、5860億ドル規模の景気刺激策を発表した。例えば、2009年1月、自動車産業の景気刺激策として、エンジン排気量1600娑焚爾両萢兌屬砲弔い討麓動車取得税を50パーセント減額するなど、小型車および低燃費車の需要を押し上げる措置が複数導入された。したがって、小型車や低燃費車を発売していない企業や大型車に特化している企業は不利な立場に置かれることになる。急成長中の開発途上国では、不況後、これまでとは異なる『新しい標準』が定着している。今後10年間の中国は、過去10年間の中国とは別物である。したがって、中国で事業展開するには、従来とは異なるアプローチが求められる。
3)開発途上国での競争は激化する一方である。輸出が減少するなか、開発途上国の企業は、国内売上げの拡大に力点を置くようになった。鉄、セメント、アルミニウムといったコモデイティ市場、あるいは富裕層やミドル市場では、とりわけ競争が加熱している。新興国企業のなかでも、先見の明のある企業はすでに、これらの変化によって生じる課題に対処している。
4.インド企業は、1995年から2008年にかけて、いっきに成長を遂げたが、その際、悪い習慣が入り込んでしまった。インド企業の経営者はいま、その一掃に努めている。10年を超える成長期がいったん終わり、戦略を再構築するための小休止といえる。新興国の大企業は、成否がはっきりしない多角化は中止し、重複する業務の統合を図っている。また、良質な製品を低コストで製造できるよう、品質管理システムを導入した企業もある。
5.中国やインド、トルコの企業では、従業員をより厳しく査定したり、解雇あるいは採用の停止に踏み切ったり、給与水準を抑えるためにボーナスや昇給をストップしたりしている。へき地の消費者や中流下層を狙って、コスト・パフォーマンスに優れた製品の開発に投資している企業もある。一部の中国メーカーは、下請業者から脱却するために、この需要低迷をチャンスととらえ、先進的な独自製品の開発に取り組んでいる。
6.現在、人件費など一部のコストは低く抑えられている。企業がイノベーション能力の開発に投資するには絶好のタイミングといえる。インドのタタ・モーターズが2000ドルという世界一安い自動車<ナノ>を発売したことから、企業も起業家も、低コストのイノベーションを最優先課題に位置づけるようになった。この傾向は、「ナノ効果」と呼ばれている。.中国では、比亜迫汽車(BYD)が、世界初の量産型プラグイン・ハイブリッド自動車〈F3DM〉を22000ドルで発売し、同様に「BYD効果」が生まれた。
7.不況が終わった時、これら新興国企業は、不況が始まった時以上の競争力を身につけているだろう。欧米企業の多くが、いまだ自国市場の危機に気を取られているが、世界経済の次なる成長に目を向ける必要がある。不意打ちを食らわないために、開発途上国で生じつつある構造変化について理解しておくべきである。


大前研一の新しい資本主義の論点
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2010年09月21日

高齢 3

ff091c5c.jpg日本人の寿命
世界一の中身
健康な生活寿命
生きがいの寿命
消えた高齢者
高齢者のプライバシー?


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池上湖心の書 

日本人の集団主義はこれからの世界で生き抜くためには邪魔になる 3

「フランシス・フクヤマ著、渡部昇一訳:歴史の終わり(下)、1992年」の著者は日系3世でハーバード大学ソ連外交で政治学博士を取得している哲学者であることは当ブログでも既に紹介した。日系3世というこ経歴から日本の社会にも深く関心を持っていることがわかる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.日本の憲法や法体系はアメリカと同様に個人の諸権利を認めているかもしれないが、一方で日本の社会はまずもって集団を認めようとする傾向がある。このような社会における個人は、当人が既存の集団の一員であってその規則を遵守するかぎりにおいて尊厳をもつ。しかし、彼がその集団に対して自己の尊厳や権利を主張するやいなや、伝統的な専制支配の公暴政にも劣らないほどの手ひどい社会的村八分に遭い、地位を失うはめになる。このことが協調性を要求するためのはかりしれない圧力を生み出し、そのような社会に暮らす者は幼い子供のうちからこの協調性を植えつけられていく。(鈴木宗男氏への仕打ちもその典型かもしれない)
2.言い換えればアジア社会における個人は、トクビルのいう「多数者の専制」の餌食となっている。日本に日本社会おいて個人がまず第一に敬意を払うべき社会集団は家族であり、子供に対する父親の慈愛に満ちた権威は、支配者と被支配者との関係をふくめて社会全般の力関係の原型であった。ヨーロッパでも家父長的権威が政治的権威のモデルだったが、近代自由主義はその伝統に対して明確に訣別した。
3.アメリカでも子供たちは、幼いうちは両親の権威への服従を要求される。だが成長するにつれて彼らは親に反抗して自分自身のアイデンティティを主張しはじめる。親の価値観や希望に子供が公然とそむく十代の反逆という行為は、一人の大人の人間としての個性を作り上げていく過程でほとんど欠かせないものである。反逆という行為によってのみ子供は自立と自活への精神的心構えを養っていく。同時に、自分を守ってくれる家庭という傘を捨てる能力、そしてのちには一人の大人としての人格を支える能力を基に、一個の人間としての「気概」に満ちた自己価値観を磨いていく。この反逆の時期をくぐり抜けてはじめて彼は両親と互いに尊重し合う関係に戻れるが、それはもうかつてのような従属関係ではなく対等なつきあいである。(日本のエリート官僚、裁判官などはこの大事な時期を通過していないのでおかしな行政、裁判が行われる)
4.日本では、十代の反逆などはめったに起こらない。幼いころの年長者への服従は、成人してからも一生続いていくのが当然とされる。人の「気概」は、個人の資質に誇りを抱く自分自身にではなく、むしろ、個々の構成員以上に全体としての評判を優先する家族その他の集団へと結びついていく。怒りが生じるのは、他人が自分自身の価値を認めてくれなかったときではなく、こうした集団が軽視されたときである。逆に、最大の差恥心は、個人的な失敗からではなく、自分の属する集団が被った不名誉から生じる。したがって日本の多くの親たちは、結婚相手を選ぶなど子供たちにとっての重要な決断に対しても、自尊心のあるアメリカの若者なら誰ひとり許さないようなところまで差し出がましく口をはさむ。
5.日本での集団意識のあらわれの第二番目のものは、従来からの西欧流の民主主義的な「政治」が見えてこない。というのも西欧の民主主義は善悪についての「気概:自己」にもとついた対立意見のぶつかり合いのうえに成り立ち、その対立はマスコミでの論戦となってあらわれ、最終的には各種レベルの選挙によって利害や主張の異なる政党が政権交代を繰り返していく。この対立意見のぶつかり合いは当然しごくで、民主主義の正常な機能にとって不可欠なものと考えられている。(日本のマスコミの小沢バッシング一色という主体性の欠如は民主主義の正常な機能の未熟さを示している)
6.日本では、社会全体が単一かつ安定した権威の源泉をもっているただ一つの大集団と見なされている。集団の調和を強調することによって、開かれた対立は政治の外縁部へと追いやられてしまう傾向にある。だから日本には「政治問題」での衝突による政権交代は皆無で、むしろ自由民主党の支配が数十年にわたって続いてきた。
7.自由民主党と野党の社会党や共産党とのあいだにはあからさまな論争もあるが、これらの野党は、主張が急進的すぎるために時流から取り残されている。政治の駆け引きは、中央官僚制度の内部や自民党の密室など大衆の目が届かない場所でおこなわれている。自民党のなかでは、政治は個人的な親分・子分の関係で行われており、西欧なら誰もが政治の中身として理解しているものがそこにはまったく欠けている。
8.日本における集団的コンセンサスの重視は、それを嫌った三島由紀夫のような個人主義者の尊敬によって部分的にはバランスがとれている。しかし、多くのアジア社会では、自己を取り巻く社会の不正に対してたった一人で立ち向かうソルジェニーツィンやサハロフ博士のような人間の原理原則にもとづいた個人主義などはほとんど顧みられない。フランク・キャプラの映画「スミス都へ行く」のなかでジェームズ・スチュアートは、地元選出上院議員の死後、政界のボスからその州の代表に指名された小さな町の無邪気な人物を演じている。
9.ワシントンに到着するやスチュアートは、自分が目にした腐敗に対して反旗を翻し無節操な法律の成立を阻止するため単身で上院の議事進行を妨害して、彼を巧みに操縦していたつもりの黒幕たちを狼狽させた。スチュアートの役柄はある意味でアメリカン・ヒーローの典型だ。だがアジア社会の大部分では、たった一人の個人が圧倒的多数の合意に異を唱えれば狂気の沙汰だと見なされる。
(ノーベル物理学者の益川敏英氏も語っているが、日本では物理学会のような社会でも皆つかず離れずの仲間意識が目に付くそうで、外国には見られないことのようである)


歴史の終わり〈上〉歴史の「終点」に立つ最後の人間
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池上技術士事務所の紹介
261-0012
千葉市美浜区
磯辺6丁目1-8-204

池上技術士事務所(代表:池上雄二)の事業内容
以下のテーマの技術コンサルタント
1.公害問題、生活環境、地球環境
2.省エネ・新エネ機器導入
のテーマについて、
・技術コンサルタント
・調査報告書の作成
・アンケート調査・分析
・技術翻訳、特許調査
を承ります。
有償、無償を問わず
お気軽に下記にメールをください。
ke8y-ikgm@asahi-net.or.jp

工学博士、技術士(応用理学)、
公害防止主任管理者、
騒音防止管理者の資格で
お役に立ちたいと思います。

池上湖心 プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山に師事
書象会に所属、書象会理事
審査会々員
○作品展の開催
・主宰している「さざ波会」
 作品展を毎年8月開催
(於:稲毛ギャラリー)
・土曜会(グループ展)
 作品展を毎年10月開催
(於:銀座大黒屋)
○公募展の受賞、入選
・日展入選
・読売書法展(現在理事)
 読売奨励賞
 読売新聞社賞
・謙慎展(現在理事)
 春興賞の受賞:2回
○書道教室
・学生:月曜日
・一般:火曜日、水曜日





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