2010年12月
2010年12月31日
記者クラブを解体しなければ、日本には本当の言論の自由は成り立たない
「渡辺乾介著:小沢一郎 嫌われる伝説、小学館、2009年」の「記者クラブと小沢」の小節では、日本の大新聞・テレビメディアにおける記者クラブの慣習が、海外メディアから「官製報道」と軽蔑されている理由が分かりやすく記述されている。その事実は当然ながら日本の大新聞、テレビでは報道されていない。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.最近の報道の事例として、こと小沢一郎議員(以下小沢氏)の記事になると、大新聞、テレビなどのメディアが報道の大原則にしている5W1H(いつ、誰が、どこで、何を、なぜ、どのように)まで消滅している。その原因は記者クラブという存在への小沢氏の考え方である。(前長野県知事の田中康夫氏も同様の考えを表明していた)。
2.小沢氏、1990年代から、第四権力と言われる新聞、テレビなど大メディアに対し、「日本ではマスコミが最大の守旧派になっている」とか、「マスコミほど今の社会で既得権を得ているところはない」などと発言している。非公式ではあるが、「記者クラブというギルド組合を解体しなければ、日本には本当の言論の自由は成り立たない」と言っている。守旧派、既得権の解体は、小沢氏の改革論のキーワードである。
3.テレビは新聞以上に社会的に大きな影響力を持っているが、同氏はバラエティ番組には出ない。報道番組かインタビューには稀に出演するが、バラエティには絶対に出ようとしない。バラエティ番組は多岐にわたっており、政治のテーマを巧妙に取り込んで政治家の出番をつくってショーアップし、広く茶の間に浸透している。政治家もバラエティ番組を選り好みすることもなく、顔とイメージを売り、知名度を上げる絶好の場として積極的に出演し、注文どおり口角泡を飛ばしてトークバトルを演じて有名政治家の看板を得ようとする。政治バラエティ番組は、テレビ局は視聴率を稼ぎ、政治家は票と金を稼ぐ一挙両得、ともに悪くない商売である。
4.小沢氏としても、バラエティ番組にも出て、人となりが知られ、好感度を上げることは損にはならないし、そういう努力をしてもいいのではないかと周辺が勧めるが、小沢氏は次のように言って断っている。「政治には国民の命が懸かっている。不真面目、いい加減な気持ちで茶化すものではない。バラエティには人々を楽しませる重要な意義があるが、それと政治は違う。政治を真正面から議論するならどこにでも出る。そうでなければ政界を引退してから考える」。国に国是、会社に社是、政党に党是があるように、政治家個人には個是がある。小沢氏の個是は堅固である。
5.「メディア」とひとからげにするのは正確を欠く。二つに分ける。一つは新聞社(全国紙・地方紙)とテレビ局(キー局・ローカル局)などの組織メディアだが、その実体は記者クラブである。もう一つがフリーメディアで、出版社系雑誌、外国報道機関と個人のフリーランスなどが含まれる。フリーメディアには記者クラブはなく、欧米ジャーナリズムと同じく、自己責任と自由競争の世界であるが、日本のメディアの主軸で、絶大な力を持つ記者クラブは日本的システムと言うべき独特の機能と存在感を誇示したがる。本書が問題にしているメディアは組織メディアを意味している。小沢氏が対立している相手は記者クラブである。
6.記者クラブは新聞、テレビの政治部が取材と情報収集の最前線基地にしているだけでなく、政治報道の生命線でもある。それぞれに政治家の発言、動き、会議などあらゆることを日常的にフォローし、情報化する。内閣、政党の方針、政策、各種日程なども記者クラブに発表、提供される。総理大臣の記者会見は内閣記者会、政党の党首、幹事長の会見は与野党それぞれの記者クラブが取り仕切る。番記者制度は記者会見などと表裏をなすクラブ記者の特権である。各社政治部は中枢政治家から目を離さず「番」をする番記者と呼ばれる担当記者を配置し、特別の信頼関係を築き、機微に触れる問題のオフレコ懇談(記者懇)を持ち、または政治家の自宅に夜討ち、朝駆けして政局の読みや重要問題に対する本音を個別に探る取材手法を駆使してきた。
7.こうした記者クラブの取材活動に外部から参入することは一切許されず、内部は独自の懲罰規定を備えた閉鎖社会である。フリーメディアは記者会見に出席することすらできず、記者クラブの独占権益とされてきた。もし記者クラブがなくなったら、組織メディアの政治報道が立ち行かなくなる。日本の新聞社は政治部、社会部、経済部、外信部などと専門部制、専門記者制をとっている。後発のテレビ局もほぼ同じ形態であるが、記者クラブは政治に限らず、中央省庁から都道府県、市町村の議会、警察、行政機関にいたるまで、それこそ「既得権」の網の目が津々浦々に張りめぐらされている。組織メディアが自らその既得権を手放すか、解体されるとしたら、それはまさしくメディア革命と言うべきである。
8.フリーメディアは記者クラブ廃止論を主張してきたが、政党も個々の政治家も、組織メディアと一戦構えることは相当な痛手を蒙るとわかっている。進んで危険領域に足を踏み入れることはしてこなかった。
9.小沢氏は、政権党の幹事長として初めて記者懇をやらないことにとしたので、メディア各社は記者クラブのみならず政治部にとって一大事となった。政治部記者の特権の喪失、特権の剥奪になる。記者会見はテレビで放映されるし、当然、新聞は報道するのだから、もともと公開を前提にして行われるものだ。しかし「公開」の意味が違う。小沢氏がやったことは「開放」と言ったほうが現実に即している。それまでの記者会見は記者クラブの、記者クラブによる、記者クラブ記者のためのものであり、質問は記者クラブ記者しか許されず、フリーメディアの参加など論外だった。
10.日本の大メディアは記者クラブという排他的な組織を通して政党のみならず立法、行政、司法を網羅して国のすべての機関のアクセス権を独占し、既得権益としていることで、海外メディアから「官製報道」と批判を受け、冷たい視線を浴びてきた。それでも、記者クラブは既得権を温存するためにフリーメディアを排除し続けてきた。メディアの自己改革の足跡は何もない。その記者クラブの排他主義に風穴を開けたのが小沢氏である。(民主党政権で一部の記者会見が記者クラブから表向きに開放されたが、実態は依然としてグレーである)
11.記者クラブメディアが、小沢氏のこととなると事実の確認は二の次、取材は三の次と冷静さを失い、批判とは名ばかりに袋叩きに走るのも、小沢が「最初の一人」であることに発している。さすがに直情的に攻撃することにリスクがあると見ると、政治の「小沢vs反小沢」の対立を隠れ蓑にして、反小沢側の小沢批判に寄生することによって、小沢がかくかく批判されているという事実を報道するというトリッキーな手法を駆使している。そうすることで、小沢氏本人に対する取材を省き、記事のリスクを回避して、小沢攻撃もしくは批判ができるという手抜きをしている。
12.献金事件報道が好例である。記者クラブメディアはこぞって検察のリーク情報を記事にした。欧米のジャーナリズムでは、公権力のリーク情報は出所、取材源をはっきりさせるか、情報の真偽や事実関係を独自に取材して確認してから記事にするというルールがある。しかし、小沢の献金事件報道では、検察のリーク情報がそのまま垂れ流し状に紙面に躍った。大メディアは、小沢批判には手間暇をかけないと決めてかかっているようだ。事実の有無、小沢氏の主張にかかわらず、先入観と批判ありきを前提にしている。小沢氏は大メディアのなすがままに耐えるしかない。
小沢一郎 嫌われる伝説
クチコミを見る
1.最近の報道の事例として、こと小沢一郎議員(以下小沢氏)の記事になると、大新聞、テレビなどのメディアが報道の大原則にしている5W1H(いつ、誰が、どこで、何を、なぜ、どのように)まで消滅している。その原因は記者クラブという存在への小沢氏の考え方である。(前長野県知事の田中康夫氏も同様の考えを表明していた)。
2.小沢氏、1990年代から、第四権力と言われる新聞、テレビなど大メディアに対し、「日本ではマスコミが最大の守旧派になっている」とか、「マスコミほど今の社会で既得権を得ているところはない」などと発言している。非公式ではあるが、「記者クラブというギルド組合を解体しなければ、日本には本当の言論の自由は成り立たない」と言っている。守旧派、既得権の解体は、小沢氏の改革論のキーワードである。
3.テレビは新聞以上に社会的に大きな影響力を持っているが、同氏はバラエティ番組には出ない。報道番組かインタビューには稀に出演するが、バラエティには絶対に出ようとしない。バラエティ番組は多岐にわたっており、政治のテーマを巧妙に取り込んで政治家の出番をつくってショーアップし、広く茶の間に浸透している。政治家もバラエティ番組を選り好みすることもなく、顔とイメージを売り、知名度を上げる絶好の場として積極的に出演し、注文どおり口角泡を飛ばしてトークバトルを演じて有名政治家の看板を得ようとする。政治バラエティ番組は、テレビ局は視聴率を稼ぎ、政治家は票と金を稼ぐ一挙両得、ともに悪くない商売である。
4.小沢氏としても、バラエティ番組にも出て、人となりが知られ、好感度を上げることは損にはならないし、そういう努力をしてもいいのではないかと周辺が勧めるが、小沢氏は次のように言って断っている。「政治には国民の命が懸かっている。不真面目、いい加減な気持ちで茶化すものではない。バラエティには人々を楽しませる重要な意義があるが、それと政治は違う。政治を真正面から議論するならどこにでも出る。そうでなければ政界を引退してから考える」。国に国是、会社に社是、政党に党是があるように、政治家個人には個是がある。小沢氏の個是は堅固である。
5.「メディア」とひとからげにするのは正確を欠く。二つに分ける。一つは新聞社(全国紙・地方紙)とテレビ局(キー局・ローカル局)などの組織メディアだが、その実体は記者クラブである。もう一つがフリーメディアで、出版社系雑誌、外国報道機関と個人のフリーランスなどが含まれる。フリーメディアには記者クラブはなく、欧米ジャーナリズムと同じく、自己責任と自由競争の世界であるが、日本のメディアの主軸で、絶大な力を持つ記者クラブは日本的システムと言うべき独特の機能と存在感を誇示したがる。本書が問題にしているメディアは組織メディアを意味している。小沢氏が対立している相手は記者クラブである。
6.記者クラブは新聞、テレビの政治部が取材と情報収集の最前線基地にしているだけでなく、政治報道の生命線でもある。それぞれに政治家の発言、動き、会議などあらゆることを日常的にフォローし、情報化する。内閣、政党の方針、政策、各種日程なども記者クラブに発表、提供される。総理大臣の記者会見は内閣記者会、政党の党首、幹事長の会見は与野党それぞれの記者クラブが取り仕切る。番記者制度は記者会見などと表裏をなすクラブ記者の特権である。各社政治部は中枢政治家から目を離さず「番」をする番記者と呼ばれる担当記者を配置し、特別の信頼関係を築き、機微に触れる問題のオフレコ懇談(記者懇)を持ち、または政治家の自宅に夜討ち、朝駆けして政局の読みや重要問題に対する本音を個別に探る取材手法を駆使してきた。
7.こうした記者クラブの取材活動に外部から参入することは一切許されず、内部は独自の懲罰規定を備えた閉鎖社会である。フリーメディアは記者会見に出席することすらできず、記者クラブの独占権益とされてきた。もし記者クラブがなくなったら、組織メディアの政治報道が立ち行かなくなる。日本の新聞社は政治部、社会部、経済部、外信部などと専門部制、専門記者制をとっている。後発のテレビ局もほぼ同じ形態であるが、記者クラブは政治に限らず、中央省庁から都道府県、市町村の議会、警察、行政機関にいたるまで、それこそ「既得権」の網の目が津々浦々に張りめぐらされている。組織メディアが自らその既得権を手放すか、解体されるとしたら、それはまさしくメディア革命と言うべきである。
8.フリーメディアは記者クラブ廃止論を主張してきたが、政党も個々の政治家も、組織メディアと一戦構えることは相当な痛手を蒙るとわかっている。進んで危険領域に足を踏み入れることはしてこなかった。
9.小沢氏は、政権党の幹事長として初めて記者懇をやらないことにとしたので、メディア各社は記者クラブのみならず政治部にとって一大事となった。政治部記者の特権の喪失、特権の剥奪になる。記者会見はテレビで放映されるし、当然、新聞は報道するのだから、もともと公開を前提にして行われるものだ。しかし「公開」の意味が違う。小沢氏がやったことは「開放」と言ったほうが現実に即している。それまでの記者会見は記者クラブの、記者クラブによる、記者クラブ記者のためのものであり、質問は記者クラブ記者しか許されず、フリーメディアの参加など論外だった。
10.日本の大メディアは記者クラブという排他的な組織を通して政党のみならず立法、行政、司法を網羅して国のすべての機関のアクセス権を独占し、既得権益としていることで、海外メディアから「官製報道」と批判を受け、冷たい視線を浴びてきた。それでも、記者クラブは既得権を温存するためにフリーメディアを排除し続けてきた。メディアの自己改革の足跡は何もない。その記者クラブの排他主義に風穴を開けたのが小沢氏である。(民主党政権で一部の記者会見が記者クラブから表向きに開放されたが、実態は依然としてグレーである)
11.記者クラブメディアが、小沢氏のこととなると事実の確認は二の次、取材は三の次と冷静さを失い、批判とは名ばかりに袋叩きに走るのも、小沢が「最初の一人」であることに発している。さすがに直情的に攻撃することにリスクがあると見ると、政治の「小沢vs反小沢」の対立を隠れ蓑にして、反小沢側の小沢批判に寄生することによって、小沢がかくかく批判されているという事実を報道するというトリッキーな手法を駆使している。そうすることで、小沢氏本人に対する取材を省き、記事のリスクを回避して、小沢攻撃もしくは批判ができるという手抜きをしている。
12.献金事件報道が好例である。記者クラブメディアはこぞって検察のリーク情報を記事にした。欧米のジャーナリズムでは、公権力のリーク情報は出所、取材源をはっきりさせるか、情報の真偽や事実関係を独自に取材して確認してから記事にするというルールがある。しかし、小沢の献金事件報道では、検察のリーク情報がそのまま垂れ流し状に紙面に躍った。大メディアは、小沢批判には手間暇をかけないと決めてかかっているようだ。事実の有無、小沢氏の主張にかかわらず、先入観と批判ありきを前提にしている。小沢氏は大メディアのなすがままに耐えるしかない。
小沢一郎 嫌われる伝説
クチコミを見る
新興国への進出は起業家精神旺盛な現地マネジャーをスカウトすることがカギ
「大前研一編著:大前研一の新しい資本主義の論点:ニュー・ノーマルという秩序の登場、ダイヤモンド社、2010年8月」の第3部、グローバリゼーションと新興経済:新興市場の未来『ハーバード・ビジネス・レビュー』エディター・アト・ラージのアナンド・P・ラマン氏らの論文が新鮮な情報が盛りだくさんで面白いので、当ブログでも何度か紹介している。新興国の今後の動向など参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.多国籍企業は今、どのような人材に新興市場を任せるべきか、その要件を見直そうとしている。多国籍企業の多くが、中国やインドで20年近く操業してきた。したがって、その規模もかなり大きいため、組織設計の責任者を任命し、各種システムを強化し、本社の流儀をいっそう浸透させたいと思う。しかし新興市場では、顧客争奪戦が激しい。したがって、リスクを物ともしない起業家精神旺盛な現地マネジャーをCEOに登用したほうがよい。
2.開発途上国での業績を飛躍的に高めるには、『ブレークスルー・リーダーシップ』が必要である。新興国における大企業の多くが、業界のグローバル・リーダーの座を狙っている。したがって、流動性の危機が収まった時には、先進国企業の買収に動くだろう。ウォールストリートでは企業価値が半分に目減りしていることもあり、これら侵略者たちは、コモデイティの生産者、斜陽産業の伝統ブランド、成長産業の最先端技術を獲得せんと、互いにしのぎを削り合う。
3.非公開企業が公開企業を買収する、いわゆる「リバースM&A」の第二波は、以下の三つの点で、第一波とは異なる。
1)インド企業は2007年、他に先駆けて他国企業の買収に走ったが、今後は、中国、ブラジル、さらにはロシアの企業がリードするだろう。これら三力国の企業には潤沢な現金があり、インド企業、たとえば、タタ・グループによるジャガーとランドローバー、そして鉄鋼大手コーラスの買収、アルミ・銅生産会社ヒンダルコによる大手アルミ圧延会社ノベリスの買収など、大規模買収を行うために、不況前に多額の資金を銀行から借りているに比べて、借金が少ない。
2)中国とラテンアメリカの企業は、グローバル化ではなく国際化を進めるためにM&Aを活用する。したがって、世界中の国々で操業するグローバル企業を目指すのではなく、自国内もしくは近隣諸国の企業を複数買収することを選ぶ。たとえば、ブラジル企業がラテンアメリカ圏で実施したクロスボーダーM&Aの数は、2005年にはわずか2件だったが、2006年は11件、2007年は25件と、ここ数年間で軒並み増加している。2008年には23社を買収し、汎ラテンアメリカ主義のリーダー、あるいはマルチ・ラテンアメリカのリーダーとなった。同じくメキシコのメクシチェムは、2002年から2007年にかけて、中南米の企業数社を買収し、ラテンアメリカ最大のプラスチック管メーカーへと成長した。インド企業は、別の考え方をする。近隣諸国の多くは市場規模が小さいため、むしろ域外への進出を選ぶ。そして他の新興国の大企業同様、インド企業も、不況が終息したあかつきには、アメリカ企業ではなく、ヨーロッパ企業に目をつける可能性が高い。
3)新興国企業は、同じ海外でも、おそらく大企業ではなく中小企業を買収する。ただしインド企業の場合、これ以外に選択肢はない。金融危機が起こる前に買収した大企業を手なずけるのに忙しく、小規模かつ戦略的な案件に絞らざるをえないからである。このような方向転換は、TCL集団と聯想集団がグローバルM&Aの後遺症に苦しんだことから、中国でも見られるようになった。TCLは2004年、フランスのトムソンのテレビ事業とアルカテルの一部を買収したが、赤字が数年間続き、ヨーロッパからの撤退を余儀なくされた。聯想も同年、IBMのPC事業を買収し、一定の成功を収めたとはいえ、アップル、デル、ヒューレッド・パッカードの反撃によって利益率が下がり、いまではグローバル企業の買収に興味を失っている。中国企業は、他国企業を経営することがいかに大変であるか、身をもって学んだ。その結果、買収候補の資産の質について注意を払うようになった。今後は大企業を避け自分の色に染めやすい中小企業を狙う。新興国の大企業は、他の開発途上国の資源や原料を確保するために、他国企業とどのように提携すべきか、新たな方法を模索している。たとえば中国の銀行は、外国企業の株式を取得する、もしくは融資枠を広げる。
4.中国の国家開発銀行(CDB)は近頃、石油の長期供給を条件に、ブラジルの国営石油会社ペトロブラスに100億ドルを融資した。同行はまた、ロシアの国営エネルギー会社ロスネフチに150億ドル、またロシア国内の石油パイプラインを独占的に所有.運営するトランスネフチに100億ドルを拠出し、その見返りとして、今後20年間において年間1500万トンの石油供給を約束させた。
大前研一の新しい資本主義の論点
クチコミを見る
1.多国籍企業は今、どのような人材に新興市場を任せるべきか、その要件を見直そうとしている。多国籍企業の多くが、中国やインドで20年近く操業してきた。したがって、その規模もかなり大きいため、組織設計の責任者を任命し、各種システムを強化し、本社の流儀をいっそう浸透させたいと思う。しかし新興市場では、顧客争奪戦が激しい。したがって、リスクを物ともしない起業家精神旺盛な現地マネジャーをCEOに登用したほうがよい。
2.開発途上国での業績を飛躍的に高めるには、『ブレークスルー・リーダーシップ』が必要である。新興国における大企業の多くが、業界のグローバル・リーダーの座を狙っている。したがって、流動性の危機が収まった時には、先進国企業の買収に動くだろう。ウォールストリートでは企業価値が半分に目減りしていることもあり、これら侵略者たちは、コモデイティの生産者、斜陽産業の伝統ブランド、成長産業の最先端技術を獲得せんと、互いにしのぎを削り合う。
3.非公開企業が公開企業を買収する、いわゆる「リバースM&A」の第二波は、以下の三つの点で、第一波とは異なる。
1)インド企業は2007年、他に先駆けて他国企業の買収に走ったが、今後は、中国、ブラジル、さらにはロシアの企業がリードするだろう。これら三力国の企業には潤沢な現金があり、インド企業、たとえば、タタ・グループによるジャガーとランドローバー、そして鉄鋼大手コーラスの買収、アルミ・銅生産会社ヒンダルコによる大手アルミ圧延会社ノベリスの買収など、大規模買収を行うために、不況前に多額の資金を銀行から借りているに比べて、借金が少ない。
2)中国とラテンアメリカの企業は、グローバル化ではなく国際化を進めるためにM&Aを活用する。したがって、世界中の国々で操業するグローバル企業を目指すのではなく、自国内もしくは近隣諸国の企業を複数買収することを選ぶ。たとえば、ブラジル企業がラテンアメリカ圏で実施したクロスボーダーM&Aの数は、2005年にはわずか2件だったが、2006年は11件、2007年は25件と、ここ数年間で軒並み増加している。2008年には23社を買収し、汎ラテンアメリカ主義のリーダー、あるいはマルチ・ラテンアメリカのリーダーとなった。同じくメキシコのメクシチェムは、2002年から2007年にかけて、中南米の企業数社を買収し、ラテンアメリカ最大のプラスチック管メーカーへと成長した。インド企業は、別の考え方をする。近隣諸国の多くは市場規模が小さいため、むしろ域外への進出を選ぶ。そして他の新興国の大企業同様、インド企業も、不況が終息したあかつきには、アメリカ企業ではなく、ヨーロッパ企業に目をつける可能性が高い。
3)新興国企業は、同じ海外でも、おそらく大企業ではなく中小企業を買収する。ただしインド企業の場合、これ以外に選択肢はない。金融危機が起こる前に買収した大企業を手なずけるのに忙しく、小規模かつ戦略的な案件に絞らざるをえないからである。このような方向転換は、TCL集団と聯想集団がグローバルM&Aの後遺症に苦しんだことから、中国でも見られるようになった。TCLは2004年、フランスのトムソンのテレビ事業とアルカテルの一部を買収したが、赤字が数年間続き、ヨーロッパからの撤退を余儀なくされた。聯想も同年、IBMのPC事業を買収し、一定の成功を収めたとはいえ、アップル、デル、ヒューレッド・パッカードの反撃によって利益率が下がり、いまではグローバル企業の買収に興味を失っている。中国企業は、他国企業を経営することがいかに大変であるか、身をもって学んだ。その結果、買収候補の資産の質について注意を払うようになった。今後は大企業を避け自分の色に染めやすい中小企業を狙う。新興国の大企業は、他の開発途上国の資源や原料を確保するために、他国企業とどのように提携すべきか、新たな方法を模索している。たとえば中国の銀行は、外国企業の株式を取得する、もしくは融資枠を広げる。
4.中国の国家開発銀行(CDB)は近頃、石油の長期供給を条件に、ブラジルの国営石油会社ペトロブラスに100億ドルを融資した。同行はまた、ロシアの国営エネルギー会社ロスネフチに150億ドル、またロシア国内の石油パイプラインを独占的に所有.運営するトランスネフチに100億ドルを拠出し、その見返りとして、今後20年間において年間1500万トンの石油供給を約束させた。
大前研一の新しい資本主義の論点
クチコミを見る
2010年12月29日
濁った水でも、泥だらけの自分の足を洗うには十分ではないか。
「五木寛之著:大河の一滴、幻冬舎、平成13年24版」にいくつか印象に残る話がちりばめられている。「屈原の怒りと漁師の歌声:滄浪の水が濁るとき」はその一例である。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.中国の紀元前何世紀かの戦国時代に屈原という人がいた。彼は乱世のなかで国と民を憂い、さまざまに力を尽くしたが、それをこころよく思わぬ連中に讒訴されて国を追放され、辺地を流浪する身となった。屈原のすぐれた手腕と、一徹な正義感、そしてあまりにも清廉潔白に身を持そうとする生きかたが、周囲の反撥を買ったものと思われる。
2.長い流浪の歳月に疲れ、裏切られた志に絶望した屈原は、よろめきながら滄浪という大きな河のほとりにたどりつく。彼が天を仰いで濁世を憤る言葉を天に吐きながら独り嘆いていると、ひとりの漁師が舟を寄せてきて、身分の高いかたのようだが、どうなさいました、とたずねた。
3.屈原は答えた「いま世間は濁りきっている。そのなかで自分はひとり清らかに正しく生きてきたつもりだ。人々は、みな酒に酔い痴れているような有様だが、そのなかで自分はひとり醒めていたら、官を追われ、無念の日々を送っている」
4.漁師は、うなずきながらふたたび屈原にたずねた。「たしかにそうかもしれません。しかしあなたは、そのような濁世にひとり高くおのれを守って生きる以外の道は、まったくお考えにならなかったのですか」。
5.屈原は断固として答えた。「潔白なこの身に世俗の汚れたちりを受けるくらいなら、この水の流れに身を投じて魚の餌になるほうがましだ。それが私の生きかたなのだ」。
6.漁師はかすかに微笑み、小舟の船ばたを叩きつつ歌いながら水の上を去っていった。その漁師の歌は、次のように語り伝えられている。
・・・
滄浪の水清まば
以て吾が(櫻冠のひも)を濯う可し)
滄浪の水濁らば
以て吾が足を濯う可し
・・・
7.漁師は二度と背後をふり返ることなく、流れをくだって遠く消えていってしまった。この屈原と辺地の一漁師とのやりとりは、さまざまな説話として中国に語りつがれてきた。郭沫若にも戯曲『屈原』の作がある。
8.屈原のような人は、いまでも少なくない。有能で、理想家肌で、そしてまっすぐ正直に生きようとする。そういう人にとって、この現代の濁世は、真実、耐えがたいものだろうと思う。首脳部に命じられて、汚れた仕事を当然のように押しつけられる企業の社員もいる。屈原は見事な人物であるが、名もない漁師のふてぶてしい言葉にも、この世に生きる者の、ある真実があるように思われる。汚れて濁った水であっても、自分の泥だらけの足を洗うには十分ではないか。
(濁った水とはさながら、今の日本では、大新聞やテレビの記者クラブ情報で書かれた政治記事のようなもので、読まないわけにはいかない。日本の世論を巧みに誘導し、自分達の既得権を守っている実態を知ることも必要である)
大河の一滴 (幻冬舎文庫)
クチコミを見る
1.中国の紀元前何世紀かの戦国時代に屈原という人がいた。彼は乱世のなかで国と民を憂い、さまざまに力を尽くしたが、それをこころよく思わぬ連中に讒訴されて国を追放され、辺地を流浪する身となった。屈原のすぐれた手腕と、一徹な正義感、そしてあまりにも清廉潔白に身を持そうとする生きかたが、周囲の反撥を買ったものと思われる。
2.長い流浪の歳月に疲れ、裏切られた志に絶望した屈原は、よろめきながら滄浪という大きな河のほとりにたどりつく。彼が天を仰いで濁世を憤る言葉を天に吐きながら独り嘆いていると、ひとりの漁師が舟を寄せてきて、身分の高いかたのようだが、どうなさいました、とたずねた。
3.屈原は答えた「いま世間は濁りきっている。そのなかで自分はひとり清らかに正しく生きてきたつもりだ。人々は、みな酒に酔い痴れているような有様だが、そのなかで自分はひとり醒めていたら、官を追われ、無念の日々を送っている」
4.漁師は、うなずきながらふたたび屈原にたずねた。「たしかにそうかもしれません。しかしあなたは、そのような濁世にひとり高くおのれを守って生きる以外の道は、まったくお考えにならなかったのですか」。
5.屈原は断固として答えた。「潔白なこの身に世俗の汚れたちりを受けるくらいなら、この水の流れに身を投じて魚の餌になるほうがましだ。それが私の生きかたなのだ」。
6.漁師はかすかに微笑み、小舟の船ばたを叩きつつ歌いながら水の上を去っていった。その漁師の歌は、次のように語り伝えられている。
・・・
滄浪の水清まば
以て吾が(櫻冠のひも)を濯う可し)
滄浪の水濁らば
以て吾が足を濯う可し
・・・
7.漁師は二度と背後をふり返ることなく、流れをくだって遠く消えていってしまった。この屈原と辺地の一漁師とのやりとりは、さまざまな説話として中国に語りつがれてきた。郭沫若にも戯曲『屈原』の作がある。
8.屈原のような人は、いまでも少なくない。有能で、理想家肌で、そしてまっすぐ正直に生きようとする。そういう人にとって、この現代の濁世は、真実、耐えがたいものだろうと思う。首脳部に命じられて、汚れた仕事を当然のように押しつけられる企業の社員もいる。屈原は見事な人物であるが、名もない漁師のふてぶてしい言葉にも、この世に生きる者の、ある真実があるように思われる。汚れて濁った水であっても、自分の泥だらけの足を洗うには十分ではないか。
(濁った水とはさながら、今の日本では、大新聞やテレビの記者クラブ情報で書かれた政治記事のようなもので、読まないわけにはいかない。日本の世論を巧みに誘導し、自分達の既得権を守っている実態を知ることも必要である)
大河の一滴 (幻冬舎文庫)
クチコミを見る
TPPへの参加は環境問題も合わせて考えることが重要
12月1日付けの新聞案内人の水木楊氏(作家、元日本経済新聞論説主幹)の「TPPとトキ」と題する記事は、流石に同氏の広くて深い見識に基づく内容であり感心した次第である。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.最近、TPP(環太平洋パートナーシップ)が、いろいろな人々の論議の対象になっているが、ひとつ重大な視点が欠落している。TPPに入ると、「日本の農業が打撃を受ける」、「国の経済を開放しないと、世界の動きに乗り遅れる」「食糧自給率はさらに下がる」といった経済論ばかりが交わされている。著者自身、TPPへの参加には賛成だが、もう少し議論を広め、深めてほしいポイントがある。それは環境に対する影響である
2.先日、佐渡島に渡り、トキの群れを見学した。大きなケージの中で十数羽のトキが翼を閉じて静かに放鳥される日を待っている。すでに37羽が放たれ、中には日本海を渡って富山県あたりに行ったトキもいると言われてる。
3.トキは飛ぶと、翼の裏側が薄いオレンジ色に透け、まことに美しい。朱鷺色そのものである。トキの学名は「ニッポニア・ニッポン」で、一属一種である。かつては日本のどこにでも見られた鳥である。
4.なぜ、そのトキが絶滅に追い込まれ、中国から運んでこざるをえなくなったかと言えば、田んぼの減少である。あるいは農薬の大量投与によりドジョウなどの魚類が姿を消したためである。田んぼの減少はトキを危機に晒しただけではなく、生態系全体を乱し、稲作とともに築きあげた日本の文化も枯れさせようとしている。
5.日本だけではなく、世界ではいま急ピッチで都市化が進んでいる。「国連世界都市化予測」(2005年版)によれば、世界人口の49%が都市に住むようになっており、2030年にはこの数字が60%になると予測されている。
6.人間は何でもできるという超楽観主義のもとで発展し膨張してきた都市であるが、都市は消費するばかりで、人間が生きていくうえで欠かすことの出来ない食糧、水、空気を作り出すことなどできはしないという厳粛な事実を、いま人類は突きつけられている。都市と田園とのアンバランスが人類を長期的危機に追い込んでいる。世界を席巻するかもしれない米国産の農作物は大量の地下水の汲み上げ、画一的な耕地での機械化された作業など、都市的な手法によってコストを下げた農産物である。
7.トキの危機は、都市と田園とのバランスが崩れたことを象徴的に物語っている。それを知って、人々はトキの復活に精を出している。しかも、そのトキ再生に力を入れているのが環境庁である。一方で、経済論を振りかざしてTPPの効用を説き、片一方でトキの再生に力を入れている事実は矛盾である。
8.トキのために、日本経済が生きているわけではないので、外国産の米を始めとする安い農作物が入ってくることのメリットを否定するわけではないが、環境とそこに息づく文化、それから経済的なメリットとを調和させてほしい。それは不可能なことではない。
9.TPPに入り、日本の農業が国際市場に組み込まれたら、おそらく農業の二極分化が起きる。輸出可能な競争力のある農業と、どうにも太刀打ちできない農業の二極分化である。お役人が鉛筆をなめなめ作った戦後の農政は、失敗の連続であった。秋田県の大潟村の八郎潟を干拓した大規模な農地には、アキタコマチの稲が実っていた。ところが、その黄金色の海のところどころに、ぽっかりと空洞がある。理由は、全国一律の減反で、米を作ることができないためである。著者はあきれて立腹している。
10.減反に真正面から反対して、農水省や自治体の補助など要らないから、減反せず米を全国に売っている組織がある。少々高めの米だが、良質で美味しいから全国から注文が来る。著者は、その組織の長の意欲充分な姿勢に安心している。
11.日本の農家には、充分に企業家精神に富んだ人たちがたくさんいる。彼らの創意工夫や意欲を日本の農政は殺いできたのが官僚である。小学校の運動会で、優劣が付くのは可哀想だから、全員一緒にテープを切りなさいという思い上がった指導である。全国一律の保護策は一切止める。その代わり、弱いとされる部分のうち、環境と文化を保全する意味のあるところには思い切って税金を使う。きちんと説明するなら、納税者は納得する。
12.とりわけ大切なのは耕地面積の小さな里山である。里山の森の殆どは手入れする人たちが減り、荒れ放題になっている。人口は高齢化し、田畑の維持も難しくなってきている。里山はいま瀕死の悲鳴を挙げている。里山は都市と田園のバランスを保つ上で、きわめて大切な役割を担っている。日本の政策を立案し決断する人たちや、彼らに知恵を与える役割を担うマスコミの方々に、目先の経済的な得失だけではなく、長期的な、広がりのある視点で、物事を考えてもらいたい。
1.最近、TPP(環太平洋パートナーシップ)が、いろいろな人々の論議の対象になっているが、ひとつ重大な視点が欠落している。TPPに入ると、「日本の農業が打撃を受ける」、「国の経済を開放しないと、世界の動きに乗り遅れる」「食糧自給率はさらに下がる」といった経済論ばかりが交わされている。著者自身、TPPへの参加には賛成だが、もう少し議論を広め、深めてほしいポイントがある。それは環境に対する影響である
2.先日、佐渡島に渡り、トキの群れを見学した。大きなケージの中で十数羽のトキが翼を閉じて静かに放鳥される日を待っている。すでに37羽が放たれ、中には日本海を渡って富山県あたりに行ったトキもいると言われてる。
3.トキは飛ぶと、翼の裏側が薄いオレンジ色に透け、まことに美しい。朱鷺色そのものである。トキの学名は「ニッポニア・ニッポン」で、一属一種である。かつては日本のどこにでも見られた鳥である。
4.なぜ、そのトキが絶滅に追い込まれ、中国から運んでこざるをえなくなったかと言えば、田んぼの減少である。あるいは農薬の大量投与によりドジョウなどの魚類が姿を消したためである。田んぼの減少はトキを危機に晒しただけではなく、生態系全体を乱し、稲作とともに築きあげた日本の文化も枯れさせようとしている。
5.日本だけではなく、世界ではいま急ピッチで都市化が進んでいる。「国連世界都市化予測」(2005年版)によれば、世界人口の49%が都市に住むようになっており、2030年にはこの数字が60%になると予測されている。
6.人間は何でもできるという超楽観主義のもとで発展し膨張してきた都市であるが、都市は消費するばかりで、人間が生きていくうえで欠かすことの出来ない食糧、水、空気を作り出すことなどできはしないという厳粛な事実を、いま人類は突きつけられている。都市と田園とのアンバランスが人類を長期的危機に追い込んでいる。世界を席巻するかもしれない米国産の農作物は大量の地下水の汲み上げ、画一的な耕地での機械化された作業など、都市的な手法によってコストを下げた農産物である。
7.トキの危機は、都市と田園とのバランスが崩れたことを象徴的に物語っている。それを知って、人々はトキの復活に精を出している。しかも、そのトキ再生に力を入れているのが環境庁である。一方で、経済論を振りかざしてTPPの効用を説き、片一方でトキの再生に力を入れている事実は矛盾である。
8.トキのために、日本経済が生きているわけではないので、外国産の米を始めとする安い農作物が入ってくることのメリットを否定するわけではないが、環境とそこに息づく文化、それから経済的なメリットとを調和させてほしい。それは不可能なことではない。
9.TPPに入り、日本の農業が国際市場に組み込まれたら、おそらく農業の二極分化が起きる。輸出可能な競争力のある農業と、どうにも太刀打ちできない農業の二極分化である。お役人が鉛筆をなめなめ作った戦後の農政は、失敗の連続であった。秋田県の大潟村の八郎潟を干拓した大規模な農地には、アキタコマチの稲が実っていた。ところが、その黄金色の海のところどころに、ぽっかりと空洞がある。理由は、全国一律の減反で、米を作ることができないためである。著者はあきれて立腹している。
10.減反に真正面から反対して、農水省や自治体の補助など要らないから、減反せず米を全国に売っている組織がある。少々高めの米だが、良質で美味しいから全国から注文が来る。著者は、その組織の長の意欲充分な姿勢に安心している。
11.日本の農家には、充分に企業家精神に富んだ人たちがたくさんいる。彼らの創意工夫や意欲を日本の農政は殺いできたのが官僚である。小学校の運動会で、優劣が付くのは可哀想だから、全員一緒にテープを切りなさいという思い上がった指導である。全国一律の保護策は一切止める。その代わり、弱いとされる部分のうち、環境と文化を保全する意味のあるところには思い切って税金を使う。きちんと説明するなら、納税者は納得する。
12.とりわけ大切なのは耕地面積の小さな里山である。里山の森の殆どは手入れする人たちが減り、荒れ放題になっている。人口は高齢化し、田畑の維持も難しくなってきている。里山はいま瀕死の悲鳴を挙げている。里山は都市と田園のバランスを保つ上で、きわめて大切な役割を担っている。日本の政策を立案し決断する人たちや、彼らに知恵を与える役割を担うマスコミの方々に、目先の経済的な得失だけではなく、長期的な、広がりのある視点で、物事を考えてもらいたい。
2010年12月27日
受験勉強だけが得意な日本の高級官僚の真の姿は科挙と同じく無様なものになっている
「小室直樹著:日本の敗因・・歴史は勝つために学ぶ、2000年、講談社」の著者は、今年9月4日に亡くなった。その行動から奇人と評されることが多いが、その思想・学説は、全て原理、原則に基づいたものである。会津高校から京都大学で数学、物理学を専攻した経歴もあちことからも伺える。その著作活動を身近に目にしてきた人から聞くと、命がけの取材と思考の凄まじさは誰もが敬服している。本書の「第8章どうすれば勝ち残れるのか・・官僚制のお手本は中国の「科挙」」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.日本の「官僚制」は、近代ヨーロッパ、とくにドイツの官僚制を手本にしたことになっているが、本当は中国の「科挙制」(ペーパーテストによる高級官僚の公募制度)を手本にしている。日本は中国からいろんなものを輸入したが、科挙、宦官、纏足、人肉食は輸入しなかった。しかし、科挙は徳川時代までは輸入しなかったが、明治以後に中国を真似て作った。従って、「科挙」についての研究が、日本官僚制理解のために参考になる。
2.どの国でも、高級官僚は貴族またはそれに準ずる階級(準貴族、準々貴族、大地主、大商人等)から採用されてきた。公募されるようになったのは、欧米諸国でも、19世紀後半から20世紀に入ってからである。ヨーロッパの知識人には、科挙こそ最良の政治制度であると唱えた人もいた。
3.中国で科挙が始まったのは随王朝(581~619年)のときであったが、次の唐王朝(618~907年)までは、貴族からも高級官僚を採用したので、科挙一本ではなかった。高級官僚の採用が科挙に限定されるようになったのは、宋王朝(960~1279年)の時代からである。宋王朝の時代には、貴族は絶滅して、権力に関与する特権階級は科挙出身者だけとなった。科挙だけが階級を作る方法、つまり階級構成原理となった。科挙によって、皇帝は、全国の人材を官僚制度に集めることができるようになった。
4.初期の科挙はよく機能した。状元(トップ合格者)は、確かに、宰相(首相)として適任であった。受験参考書は謝枋得の「文章軌範』であり、諸葛孔明の「出師表」はじめ、忠臣義士の文章に満ちていた。状元の宰相・文天祥は日本人の崇拝の的である。科挙が成功したので、明の成祖永楽帝は、この制度を完成させようとした。彼は、『四書大全』『五経大全』『性理大全』という科挙のための受験教科書を作らせた。科挙の受験者は、これを暗記して、すべての地方から、すべての階級から応募するようになった。その科挙の門が広く開かれた。だれもが受験できるようになったので、科挙は中国社会に広く深く浸透した。全ての人は全生涯を科挙合格に結びつけて生きていくことになった。科挙のための受験勉強は、3歳ぐらいから始められ、全エネルギーがここに結集した。合格は、40歳でも早いほうだとされる。70歳以上でも祝福される(役人の定年は70歳)。20歳かそれに近い年齢で合格というのは、文天祥、朱嘉、司馬光はじめ、千年に数人である。
5.人生のエネルギーを受験勉強に吸い尽くされた高級官僚の行動様式がいかに無様なものになるか、多くの事例がある。例えば、明の英宗皇帝は、1449年、蒙古のエセンの土木堡の戦いで大敗し、捕虜として連れ去られた。だれも予想していなかった大事件である。そのとき、受験秀才で固められた明の高級官僚はうろたえるばかりで何もできなかった。この危機を収拾したのは、宦官であった。宦官は、南京へ逃亡しようとする敗戦主義を一喝してしりぞけ、兵部侍郎指揮官にして、断乎として北京城を死守して蒙古軍を撃退させて、蒙古と交渉して捕虜になった英宗皇帝を取りもどした。これで、受験秀才の危機管理能力は、宙官に劣るということが証明された。高級官僚の無様な本質が理解できる例は、ほかにも沢山ある。
6.高級官僚の受験テキストたる儒教の古典のテーマは、忠臣義士の養成である。この古典を暗記、最難関たる科挙に合格しても、その内容が身についていない。忠臣義士の精神を貫き、殉死するどころか、平気で敵にひれ伏す。これが、受験勉強だけが得意な高級官僚の真の姿である。この科挙を手本として作られた日本の官僚制の正体も、これと同じである。
日本の敗因―歴史は勝つために学ぶ
クチコミを見る
1.日本の「官僚制」は、近代ヨーロッパ、とくにドイツの官僚制を手本にしたことになっているが、本当は中国の「科挙制」(ペーパーテストによる高級官僚の公募制度)を手本にしている。日本は中国からいろんなものを輸入したが、科挙、宦官、纏足、人肉食は輸入しなかった。しかし、科挙は徳川時代までは輸入しなかったが、明治以後に中国を真似て作った。従って、「科挙」についての研究が、日本官僚制理解のために参考になる。
2.どの国でも、高級官僚は貴族またはそれに準ずる階級(準貴族、準々貴族、大地主、大商人等)から採用されてきた。公募されるようになったのは、欧米諸国でも、19世紀後半から20世紀に入ってからである。ヨーロッパの知識人には、科挙こそ最良の政治制度であると唱えた人もいた。
3.中国で科挙が始まったのは随王朝(581~619年)のときであったが、次の唐王朝(618~907年)までは、貴族からも高級官僚を採用したので、科挙一本ではなかった。高級官僚の採用が科挙に限定されるようになったのは、宋王朝(960~1279年)の時代からである。宋王朝の時代には、貴族は絶滅して、権力に関与する特権階級は科挙出身者だけとなった。科挙だけが階級を作る方法、つまり階級構成原理となった。科挙によって、皇帝は、全国の人材を官僚制度に集めることができるようになった。
4.初期の科挙はよく機能した。状元(トップ合格者)は、確かに、宰相(首相)として適任であった。受験参考書は謝枋得の「文章軌範』であり、諸葛孔明の「出師表」はじめ、忠臣義士の文章に満ちていた。状元の宰相・文天祥は日本人の崇拝の的である。科挙が成功したので、明の成祖永楽帝は、この制度を完成させようとした。彼は、『四書大全』『五経大全』『性理大全』という科挙のための受験教科書を作らせた。科挙の受験者は、これを暗記して、すべての地方から、すべての階級から応募するようになった。その科挙の門が広く開かれた。だれもが受験できるようになったので、科挙は中国社会に広く深く浸透した。全ての人は全生涯を科挙合格に結びつけて生きていくことになった。科挙のための受験勉強は、3歳ぐらいから始められ、全エネルギーがここに結集した。合格は、40歳でも早いほうだとされる。70歳以上でも祝福される(役人の定年は70歳)。20歳かそれに近い年齢で合格というのは、文天祥、朱嘉、司馬光はじめ、千年に数人である。
5.人生のエネルギーを受験勉強に吸い尽くされた高級官僚の行動様式がいかに無様なものになるか、多くの事例がある。例えば、明の英宗皇帝は、1449年、蒙古のエセンの土木堡の戦いで大敗し、捕虜として連れ去られた。だれも予想していなかった大事件である。そのとき、受験秀才で固められた明の高級官僚はうろたえるばかりで何もできなかった。この危機を収拾したのは、宦官であった。宦官は、南京へ逃亡しようとする敗戦主義を一喝してしりぞけ、兵部侍郎指揮官にして、断乎として北京城を死守して蒙古軍を撃退させて、蒙古と交渉して捕虜になった英宗皇帝を取りもどした。これで、受験秀才の危機管理能力は、宙官に劣るということが証明された。高級官僚の無様な本質が理解できる例は、ほかにも沢山ある。
6.高級官僚の受験テキストたる儒教の古典のテーマは、忠臣義士の養成である。この古典を暗記、最難関たる科挙に合格しても、その内容が身についていない。忠臣義士の精神を貫き、殉死するどころか、平気で敵にひれ伏す。これが、受験勉強だけが得意な高級官僚の真の姿である。この科挙を手本として作られた日本の官僚制の正体も、これと同じである。
日本の敗因―歴史は勝つために学ぶ
クチコミを見る