2011年01月

2011年01月31日

穀物高騰 3

be80017c.jpg4000兆円のホームレスマネー
国家の政策の限界
国際相場のディーラに
翻弄される経済政策
日本の国債格下げにも注意
AAAからAAAマイナス
マーケットからの警鐘
GDP比200%を超える借金


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4000兆円のホームレス・マネーを扱う600人のプレーヤが世界の相場を動かしている 3

「大前研一著:お金の流れが変わった!、PHP研究所、2011年」の「第2章:お金の流れが変わった!」の「ホームレス・マネーに翻弄される世界」は、これまではうわさ話程度には知っていたが、実態が定量的にも分かりやすく解説されており、国民ひとりひとりも認識しておくことが重要である。特に、国家の存在自体にも疑問を投げかけている興味ある大問題でもある。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.これからの世界経済を考えるうえで、絶対に無視できない存在は「ホームレス・マネー」である。ホームレス・マネーとは、投資先を探して世界をさまよっている不要不急で無責任きわまりないお金のことである。その額は、最盛期には約6000兆円にも上ったが、リーマン・ショックで各国の株式市場が軒並み暴落し半減した。現在は約4000兆円にまで回復している。
2.この巨大なホームレス・マネーが姿を現したのは今世紀に入ってからであり、それ以前にこれほどの過剰流動性を人類が経験したことはない。過剰流動性、つまり市場のカネあまり現象というのは、以前は政府が考えなしに実体経済をはるかに上回る資金を供給することで起こったが、現在の過剰流動性は、必ずしもそうとはいえない。世界的に高齢化とモノあまりが進み、需要が低調でお金がモノに転換されなくなったのがおもな原因である。
3.ホームレス・マネーの出所は大きく分けて次の3つがある。
1)ノルウェー、スウェーデン、カナダ、オーストラリア、アメリカ、ドイツ、イギリスといった古くからOECD(経済協力開発機構)に加盟している国々の余剰資金。これらの国々では高齢化が進み、年金、貯金、保険などの分野に十分すぎるお金が貯まったにもかかわらず、金融緩和の結果、国内には満足のいくリターンを期待できる運用先がなくなってしまった。それで、それらのお金が投資機会を求めて国境の外に出て行き、ホームレスマネーとなった。2)原油価格の高騰で中東産油国に積み上げられた多額のドル。これはオイル・マネーと呼ばれ、高い利回りを求めて海外の金融市場を跋扈している。ロシア・マネーも広い意昧ではオイルマネーである。
3)中国マネーであり、市場開放後、中国は貿易でお金を集め、外貨準備高はいまや2兆7000億ドルに迫ろうとしている(2010年現在)。ただし、それをまともに人民元に換えるとインフレを招いてしまう。それで中国政府は政府系ファンド、中国投資有限責任公司を立ち上げ(2007年9月、公式に運用開始)、ニューヨークの民間投資会社ブラックストーン・グループの株式30億ドルを取得し、海外で運用するようになった。
4.これらのホームレス・マネーの特徴は、非常に足が速いということである。次はここだとだれかがいうと、瞬時にそこに向かって移動する。数秒単位といってもよい。だが、決してそこに長期滞在することはない。少しでも危険な兆候が見えたら、敏感に反応し、われ先にと逃げ出して次の投資先に向かう。
5.そのような節操のない動き方をするのは、これらのお金を動かしているゲームプレーヤのせいである。ホームレス・マネーはウォール街の(一部はロンドン、エディンバラ、シンガポール、香港などにも分散)、わずか600人ほどのファンドマネジャーによって組織的に運用されている。運用といっても実態は、アセット・アロケーション理論に基づいてプログラム売買するにすぎない。いわば彼らは巨額の資金を使ってマネーゲームに興じているのである。例えば、これから株式インデックスの上昇率が大きいのは、人口が多く、教育レベルが高く、資源の少ない国ということになると、その条件だけをコンピュータにインプットして、出てきた国の株式市場に機械的に投資するというやり方をする。その際、その国の政治情勢や、地政学的な特徴、文化や歴史などはまったく考慮しない。それよりも彼らにとって重要なのは、お金が集まりそうな兆しをいち早く嗅ぎ取り、だれよりも先に資金を入れることである。市場が過熱する前に資金を入れておけば、それだけ儲けは大きい。
6.このホームレス・マネーが最初に向かったのは、ペルー、エジプト、トルコ、インドなど、これから先、発展の伸びしろが大きいと思われるエマージング・マーケット(新興国市場)だった。例えば、2007年にインデックスが上がった株式市場は、世界中で53ヵ所もあったが、これらはまちがいなくホームレス・マネーの仕業である。なかでもナイジェリアは、資源が豊富で人口も多く、いちばんの有望株と見て大量の資金が流れ込んだ。おかげで、ナイジェリアの株式インデックスは、その年、世界でもっとも高い上昇率を記録することになった。
7.株式市場の次にホームレス・マネーが向かったのは商品市況。金、銀、銅、錫、モリブデンなどの鉱物資源、繊維、ゴムといった原材料。これら商品取引市場で売買される商品(コモディティ)がホームレス・マネーの受け皿となって、続々と最高値を更新していった。なかでも、原油価格の高騰は記憶に新しい。1990年代の前半までは、原油の先物はすべてロイヤル・ダッチ・シェル(オランダ)、ブリティッシュ・ペトロリアム(イギリス)、エクソンモービル(アメリヵ)の三大メジャー(国際石油資本)などによる実需の裏づけのある取引だった。彼らは為替の変動に備える、つまり半年後の実需を安定させるために、先物を買ってヘッジングしていた。ところが、そこにホームレス・マネーを操るヘッジファンドが入ってきた。その結果、原油価格の代表的な指標であるWTI(ウエスト・テキサス・インターミディエイト)原油の先物はNYMEX(ニューヨーク・マーカンタイル取引所)で取引されるのだが、そこで先物を買う8割以上が、ホームレス・マネーを扱う石油トレーダー、金融機関、ヘッジファンドになってしまった。彼らは6カ月の原油先物を買っても、それを半年後に受け取ろうという気などさらさらない。たた価格を吊り上げ売り抜けることが目的なのである。
8.中東の原油は生産コストが1バレル2ドル程度でわる。それが100ドルを超える価格で取引されるという異常な事態が起こったのは、まさに実需と関係のない連中が、ホームレス・マネーを使ってマネーゲームに興じたからである。
9.原油が上がったことによって今度は、代替エネルギーであるバイオ燃料が注目されるようになり、ほどなくそれは、穀物や乳製品の価格高騰を引き起こすことになる。ブラジルなどでバイオ燃料の原料となるのはトウモロコシである。このトウモロコシの需要が増すと、トウモロコシからつくる飼料の値段が上がるので、牧畜に影響が出る。それが最終的に、卵、牛乳、バターなどの価格にも反映される。
10.その結果、まずトゥモロコシの産地であるブラジルの農地が投機の対象となって値を上げた。続いて、まだ農地として開発されていないが、その肥沃な土地はトウモロコシの生産にうってつけだということで、経済的には決してうまくいっていないアルゼンチンに1000億円単位の投機資金が入りはじめる、さらに、そのブームはルーマニアにも飛び火し、やがて親欧米派(オレンジ派)と親ロシア派の対立で、政治が混乱を極めていたウクライナの土地までもが買い漁られ、価格が上昇するという事態にまで発展した。
11.ウクライナは、農地としてだけではなく、石炭や鉄鉱石などの鉱物資源も豊富だと知れわたると、これは資源国としても有望だと、たちまちホームレス・マネーが大挙してやってきた。現地を見たこともないファンドマネジャーたちが、ウクライナの土地を買いまくった。
12.各国の都心の不動産もまたホームレス・マネーの受け皿になった。そもそも十地は長らく国から出て行かない不動産だったのだが、REIT(不動産投資信託)のように証券化されたとたんに動産化して、最大の金融商品となった。とくに旧ソ連圏の不動産価格の値上がりはすさまじい。大前氏が2007年にモスクワを訪れたときは、赤の広場の近くにマンションが続々と建設されているその光景にまず驚き、続いてその値段がどれも1億円を超えていると聞いてさらに驚いた。その数年前には、1000万円以上のマンションなどロシアにはほとんどなかったからである。
13.同じ時期にブルガリアの首都ソフィアでは、不動産屋に5000万円の家を見せてほしいとバッタリをかましたら、逆に2億円以下の物件はないといわれた。ブルガリアの人件費は、平均で月3万円であることから日本の常識では考えられない。ウクライナの首都であるキエフや、同じくルーマニアのブカレストにも実際に足を運んだが、不動産価格の値上がりはモスクワと大差なかった。
14.圧巻はトルコのイスタンブールである。ボスポラス海峡を見下ろす場所にある古い住宅街の、6年前には約2000万円でも買い手がつかなかった物件が、なんと20億円超に跳ね上がっていた。とにかく、これから経済が発展しそうだとなると、世界じゅうの余剰資金が一気に流れ込み、たちまち不動産価格が上昇して、都心の一等地に億ションが林立するという現象が、世界のいたるところで起こった。


お金の流れが変わった! (PHP新書)
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2011年01月30日

風評被害 3

566a17bc.jpg検察とメディアが仕掛ける
風評被害
人権侵害
メディアの存在価値放棄
改革が怖い既得権者たち
貴重な実業家、政治家を失う
国民の大損失

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池上湖心の書 

日本の最高裁と検察審査会の杜撰さが暴露されている 3

森ゆうこ参議院議員のブログによれば、日本の最高裁と検察審査会の杜撰さがよく分かる。日本の大手メディアがこの事実を報道すれば、「小沢議員が起訴されたら議員辞職するべきか」などという世論調査など全く無意味である。それ以上に有害であることが分かる。恣意的なものであれば日本の司法が侵す人権侵害の犯罪でもある。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.検察審査会の謎を解明するために、最高裁に対して資料の提出や説明を求めて来たが、一向に対応してくれない。その理由も曖昧である。税金を使って運営されている検察審査会と、その予算を管理している最高裁が、検察審査会法を恣意的に解釈して、本来開示すべき情報を秘匿する事が出来ないことは既に明らかであり、それについて最高裁担当者は森ゆうこ議員に反論出来なかった。
2.これまでの調査、実験で検察審査会くじ引きソフトに重大なセキュリティーホールがあり、いくらでも恣意的に審査員、補充員が選定できることが証明された。更に、計算間違いなどで三度発表されることになった審査員の平均年齢は一回目と同じ34.55歳に落ち着いた。それまでの2転3転が、つじつま合わせの捏造であり信憑性は0%に近い。
3.小沢議員の起訴議決を行った東京第五検察審査会の審査員、補充員、審査補助員(吉田弁護士)に対する日当、旅費の支払文書は、東京地裁の管理する行政文書であることが分かった。開示するとともに、文書が捏造されていない事を確認出来るよう現物を閲覧させることも必要であるが、対応していない。
4.森ゆうこ氏は検察官適格審査会委員として、既に審査員の氏名を知っているので、個人情報を含む支払文書を全面閲覧させたとしても、何の問題もない。むしろ、審査会が本当に開催され、適正に予算が執行されたことを証明するために、開催日時と審査員等の署名入り領収書を含む関連文書を、積極的に閲覧させるべきである。
5.検察審査会法では、起訴議決を行うことになる2回目の審査会には担当検事の出頭を義務付けている。審査事件票には、一回出頭した旨の記載がある。しかし、関係者によれば、担当の斎藤検事は9/14の議決日以後に出頭したという。この情報が正しければ、小沢議員に対する起訴議決は「無効」である。検察審査会は、斎藤検事が確かに議決日前に出頭したことを示す記録を、開示しなければならない。
6.開示を求めた情報が、検察審査会法の会議の「非公開の原則」の例外であることは最高裁との議論で証明済みである。


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2011年01月29日

防疫 3

94dd049d.jpg独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構鳥インフルエンザのワクチンによる防疫
H5N1亜型の高病原性鳥インフルエンザ
伝染病対策におけるワクチンの使用法
不活化ワクチン
米国のSwayneらの発表論文
一定期間発症と死亡を防
ウイルスの増殖及び排泄ウイルス量を減少
阻止可能期間が5ヶ月以下
ワクチン使用を許可している国は数カ国
米国では、1979年から1997年までにミネソタ州で七面鳥用
メキシコでは1994-1995年に発生したH5N2高病原性鳥インフルエンザ対策
パキスタンでは1995年にH7N3の高病原性鳥インフルエンザ対策
イタリアでは2000年にワクチンを使用せずに摘発淘汰で撲滅に成功
国際機関のワクチン使用への考え方
ワクチンは鳥インフルエンザの防圧と清浄化に有用な手段
ワクチンだけによる防疫では清浄化は困難
ワクチンの使用についての農林水産省の考え方
国際的な本病清浄国の防疫原則に則る
殺処分により撲滅を図る
ワクチンの使用を検討
あくまでも清浄化達成の一手段
不活化ワクチンが感染防御を保証しない
消費者は、清浄な環境で飼育された安全な食肉食卵を望んでいる。

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池上湖心の書 

税と社会保障の一体改革の議論は根本的な部分が抜けている 3

1月28日の大前研一さんの「ニュースの視点」は『混迷する税制改革議論~3つの対立軸で整理すると見える将来の課税対象』は標題の通り分かりやすい。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.枝野官房長官は1月17日、民主党が公約した消費税を財源とする「最低保障年金」の創設に与謝野経済財政担当相が否定的な見解を示したことについて「哲学論争にさえしなければ、調整は充分に可能だ」との見解を示した。
2.与謝野経済財政担当相は21日、公的年金の支給開始年齢について「『人生90年』を前提に定年延長を考えねばならない。それにより年金支給開始年齢の引き上げも考えられる」と指摘した。「人生90年を前提に」とは、与謝野経済財政担当相もよくぞ言った。
3.マスコミでも盛んに取り上げられている税と社会保障の一体改革だが、どの議論も箸にも棒にもかからない。とりわけ消費税について議論されているが、この 議論を進めるならば、もっと根本的な部分から着手しなくてはいけない。
4.「そもそも税とは何か?」という点に立ち返るべきで、具体的には次の「3つの対立軸」について、それぞれゼロベースで議論を進めていくべきである。
1)社会負担方式 VS 税方式:国民負担率を考えた時、現在の日本の租税負担率は25%程度である。加えて、医療・失業保険・年金などが社会負担方式として徴収されている。全部を合わせてみると約42%で、多くの欧州諸国(約50%超が多い)よりやや低い数値になる。失業保険、健康保険なども結局は税金と同じだとすれば、日本も税方式のみで運用することは可能かも知れない。ただし、日本人は世界でも類を見ないほど「増税」を嫌う国民であることを留意するべきである。消費税の導入時、消費税率の3%から5%への引き上げ時のいずれの時も首相が、導入、税率引き上げ後しばらくして退任に追い込まれた。おそらく、現行の5%から10%へ消費税率を引き上げることがあるとしたら、その際にも同じことが起きると思われる。
2)フロー VS ストック:フロー課税というのは「収入(フロー)」に対して課税するもので、法人税・所得税などが代表である。一方のストック課税は「資産(ストック)」に対して課税するものである。不動産税などが分かりやすい例ですが、銀行に預けられている多額の預金も「資産」として課税対象とすることができる。日本のように経済的な成長が鈍化している国は、フロー課税のままでは税率を上げる以外に税収を伸ばす方法がないが、ストックは積み上がってきているので、ストック課税方式を採用する道も考えておくべきである。
3)直接 VS 間接:「所得税」のような直接税方式、あるいは「消費税」のような間接税方式のどちらを用いるのかも議論するべき事項である。例えばストック課税の場合で言えば、日本にある約1500兆円の個人金融資産に対して課税するのが直接税方式である。この場合、資産に対し1%課税するだけで15兆円もの税収が入る。一方、所得や資産の額によって課税額が増減・免除されるのではなく課税対象を広げようとする考え方が間接税方式である。
5.この3つの対立軸について議論をしながら、最終的には社会負担方式と税方式のいずれを採用していくのかを考えなくてはいけない。今の民主党の議論は、「フロー課税による税方式を前提にして」つじつまを合わせようとしているので、年金の原資が足りないなどと嘆く結果になる。抜本的な議論に立ち戻らなければ、全てが小細工に終わってしまう。
6.具体的に3つの対立軸を意識しながら、現在の日本の税制に ついて考える。例えば、年金保険料の税方式と社会保険方式の特徴について見てみると、社会保険方式では個人が拠出した額に応じて支給されるが、税方式では個人での拠出が不要である。また財源の負担者は、社会保険方式の場合には現役世代のみだが、税方式の場合には年金受給対象の高齢世代も消費税などの間接税の形で負担することが可能になる。
7.年金財源にもフローとストックの2つの考え方がある。現在、日本では今年の保険料はその年の保険料で賄っている状態である。一方、ストック課税の方法をとると積立方式になり、事前に積み立てた保険料と運用収入で年金給付を行う。401kなどが典型的な例である。
8.直接税・間接税について言うと、直接税は多くの人が負担できるメリットがある反面、累進性になりやすい特徴がある。実際、日本の税制は世界で最も累進性が高くなっている。一方、間接税は酒税・たばこ税・消費税のように受益者負担のため、資産の額に関わらず消費が同じなら等しい課税額になる。
9.菅首相のような「社会福祉型」を志向する人は、間接税には「逆進性」があるとして所得の低い人には不利だという側面を強調する傾向があるが、この点だけの「損得」で考えても意味はない。場合によっては欧州の国のように、部分的にある特定の食品には税金をかけないという調整をしても良い。
10.こうした税制度全体についての理解をした上で議論をせず、いきなり全てを消費税にシワ寄せしても無駄な議論に終わるだけである。これらを考慮した上で大前氏の結論は著書「新 大前研一レポート」で1993年から提唱しているように、「資産課税にシフトする」ことである。



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2011年01月28日

ダボス会議 3

e2a80a4c.jpg世界経済フォーラム
ジュネーヴに本部
スイスのダボスで開催
知識人やジャーナリスト
トップ経営者
国際的な政治指導者が一堂に
健康や環境等を含めた
世界が直面する重大な問題
について議論
中国で「ニュー・チャンピオン年次総会

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池上湖心の書 

1990年代からの日本の衰退は大東亜戦争で日本が負けた過程と酷似 3

「小室直樹著:日本の敗因・・歴史は勝つために学ぶ、2000年、講談社」の著者は、今年9月4日に亡くなった。その行動から奇人と評されることが多いが、その思想・学説は会津高校から京都大学で数学、物理学を志したこともあり、確かなデータに基づく論理的な記述は説得力がある。その著作活動を身近に目にしていた人の話では、命がけの取材と奥深い洞察力には誰もが敬服している。本書の「第1章 敗因は腐朽官僚制にあり」は、現代の霞ヶ関官僚を見る上でも参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.日本に未来はあるのか? 日本はこのさきどうなるのか? こんな問いをよく耳にするようになった。世紀と千年紀(ミレニアム)の変わり目ということもある。ふだんは、「百年の計」などには思いも至らない人々も、自分たちが生きてきた時代が終わりを迎え、新しい時代を迎えるころになると、それまでの、たかだか数日から数週間単位のモノの考え方から一変、大きな時間の単位でものを考えてみたりする。年の暮れから正月、その時期だけなぜか一年を振り返り、次の年を展望する。そんな人の習性と同じじである。
2.日本の将来は? この問いは、予測という科学的な問いではない。客観的な問いでもない。確実に、悲観を含む。不安なのである。バラ色の将来が、日本人のあいだに共通のビジョンとして抱かれているかぎりは、「将来」について、問うたり考えたりしない。日本はこの先どんな国になっていくのだろう。この問いには、その輪郭がはっきりと見えてこない不安がある。滅亡などと大袈裟な言葉が、人々の口にのぼることは少ないが、日本がその方向へと向かっているのではないかという不安や疑問は、誰にもあるらしい。小室氏自信にも、答えが求められることがある。それに対しては、「大東亜戦争に学べ」と答えている。
3.1945年(昭和20年)、日本の敗戦に終わった大東亜戦争。この戦争で、日本が勝つチャンスは十分にあった。勝機は随所に転がっていた。それなのに日本はその可能性を活用できなかった。チャンスをみすみす逃してしまった。その敗戦への過程を学ぶことによって、これからさきの日本についてはっきりと見えてくる。なぜなら、この大東亜戦争当時の状況が、現在の日本の状況に酷似しているからである。
4.1980年代を思い出してみると、当時、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉がマスコミに躍った。驚異の戦後復興から、経済は高度成長へ。GDP(国内総生産)は、大国アメリカに次ぐ世界第二位。日本企業がつぎつぎとアジアへ、アメリカ大陸へ、ヨーロッパへと進出した。経済によって世界を席巻し、21世紀はアメリカにかわって日本が覇権を握る。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というのんきな標語を信じた人は多かった。
5.「経済は一流、政治は二流」といった言葉がさかんに口にされたのも、このころである。ところが、1990年代を迎えると、様相は一変する。日本中が浮かれたバブル景気が崩壊。「一流」だったはずの経済が、数年間で「二流」「三流」にまで成り下がる。日本経済を支えてきた日本の金融システムは、実はほころびだらけ。旧大蔵省の護送船団方式で守られ、横並びで成長してきた金融機関には競争力がなく、欧米の金融機関とは対等に渡り合えない。危機に瀕したときに、とるべき方策を知らない。危機管理能力の決定的な欠如は、バブル崩壊という経済危機の前に無能だった事実によって、はっきりと証明された。
6.危機管理能力のなさは、金融界だけの事情ではない。産業界、政界、そして庶民にも共通の大問題として残った。経済で、世界の一流国へとのぼりつめた日本が、その経済の失敗によって、窮地に追い込まれている現在の状況。それは、軍事によって西欧列強と肩を並べ、そして軍事の失敗によって敗戦した1930年代から40年代の状況と同じである。戦後、経済で栄えた日本は、現在、経済で滅びそうである。それは、戦争で栄えた日本が戦争で滅んだのと酷似している。
7.日清、日露の両戦争で、西欧列強と肩を並べた日本が、大東亜戦争によって滅んだ。それとそっくりの状況が、いまの日本で展開されている。だから、大東亜戦争を検証し、そこから学ぶべきものを学ぶということでしか、現在の日本の状況を打開することはできない。大東亜戦争を無視して、日本の将来はありえない。
(太平洋戦争は、第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国(日本)など枢軸国と、連合国(主にアメリカ合衆国、イギリス帝国、オランダなど)との戦争である。大東亜戦争は太平洋戦争と同義ではない。これは、閣議決定にある「支那事変ヲモ含メ」という文言をいかに解釈するかという問題で、大東亜戦争の中に、1937年からの支那事変の全期間を含むと考えるのか、1941年以降の中国大陸における戦闘のみを含むと考えるかの違いによる。本書では同義のようである)


日本の敗因―歴史は勝つために学ぶ (講談社プラスアルファ文庫)
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2011年01月27日

愚考はもうよせ 3

5263fd44.jpg愚考の心理
そのことしか頭になくなる
柔軟な思考の停止
秋葉原歩行者天国無差別殺人
日本軍捕虜の自害が美徳
日本軍エリート官僚の腐朽
誘導自白のみの検察調書
調書丸呑みの無責任裁判官
皆同じ精神状態

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池上湖心の書 

日本の敗因の究極は日本軍の奇妙な精神主義 3

「小室直樹著:日本の敗因・・歴史は勝つために学ぶ、2000年、講談社」の著者は、今年9月4日に亡くなった。その行動から奇人と評されることが多いが、その思想・学説は会津高校から京都大学で数学、物理学を専攻したこともあり、全て原理、原則に基づいたものである。その著作活動を身近に目にしている人から聞くと、命がけの取材と洞察の深さには誰もが敬服している。本書の「第4章勝てなかった日本のシステム・・目的を見失う官僚たち」は、今の官僚たちのの無様さをよく書き表している。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.日本軍の指導者は戦時中奇妙な精神主義がつくりだした。目的を見失うと、奇妙な精神主義へと陥ることが多い。太平洋戦争におけるその好例が、「生きて虜囚の辱めを受けず」という言葉に象徴されている。つまり「捕虜になってはいけない。捕虜になりそうになったら、その前に潔く死ね」ということである。
2.陸相・東条英機が詩人島崎藤村に依頼して作ったものだが、この精神主義がどれほどの兵士を無駄死にさせたことか!!こんなとんでもないことが、まるで美徳のようにずっと信じられ、日本軍人の鏡のように語られていた。そんなことは、軍の刑法のどこにも書かれていない。陸軍刑法にも海軍刑法にも、「捕虜になったものは死刑に処す」という定めはない。戦前・戦中の日本にも、「外交官刑法」という特別刑法はなかった。しかし、特別刑法としての陸軍刑法、海軍刑法は存在した。しかも、そのどこにも、「捕虜になったものは死刑に処す」という規定はない。
3.軍人のための最高規範は、「軍人勅諭」である。そのどこにも「捕虜にはなるな」とは諭されていない。捕虜に関する記述は何もない。こんなことがいい出されたのは、第2次上海事変1973年)の後からである。その後出た「戦陣訓」に、「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残なかれ」とある。戦陣訓は、ときの陸軍大臣・東条英機中将が勝手に公布したものである。勅諭ではないから規範ではない。海軍とは何の関係もない。陸軍刑法とも関係がないから、罰則規定ではない。「戦陣訓」の教えに違反したからとて処罰されることはないのである。しかし、現実には、「捕虜になった者は死刑に処す」という罰則規定が機能していたのである。
4.想像を絶することである。刑法でもない下位規範が、正式の規範たる刑法の機能を無視していたのである。捕虜は、軍法会議にかけられて死刑にされることはなかったが、実質的に死刑であった。ノモンハン事件(1939年)で捕虜になって生還した将校は、辻政信参謀に自殺を強制された。太平洋戦争のとき、捕虜になることは、これほどまでの大罪とされていた。いわば、地獄の法として、法以上の法であった。
5.軍の上層部が腐朽官僚制の様相を呈し、国民の信頼が衰えた。だから、自分たちの威信失墜を棚に上げて、なんとかして軍の規律、ひいては国の空気を引き締めなければならなくなったのだ。もちろん、日本には、「自害」を一種の美徳とする歴史もある。武士は、場合によっては腹を切ることで、自らの誇りや威信を守った。だが、少なくとも日露戦争のときは、捕虜になってもよかった。そこから脱走してくれば、勇敢な行いだということで、勲章が出たくらいである。大東亜戦争では、命を絶つことが最大の目的であるかのような規範を、指導者がつくってしまった。戦争の目的は勝つことであって、死ぬことであるはずがない。その基本的なことを崩してしまったのだから、どうしようもない。
6.「生きて虜囚の辱めを受けず」は日本だけである。多くの例のなかの一つである。1941年(昭和16年)12月12日、台南から比島(フィリピン諸島)爆撃に出撃した「一式陸上攻撃機」一機は被弾し、ルソン島西海岸に不時着して、機長原田武夫一飛曹以下7名は米軍に捕らえられた。飛行機が不時着すれば、飛行兵は完全に戦闘能力を失っている。この場合には、捕虜になっても何の責任も問われることはない。これが、世界各国に共通のルールである。
7.もはや戦闘継続困難なとき、アメリカ、フランス、イタリアの軍艦は降伏する。ドイツ、イギリスの軍艦は降伏しない。しかし、それらのいずれの場合にも、艦が沈んで波間に漂う人の場合には、もはや敵に抵抗する義務はない。捕虜になっても敵も味方も名誉ある軍人とみなす。飛行機を失った飛行兵がまったく無力であることは、波間の水兵以上である。敵に抵抗することは、いかなる場合でも、まったく要求されない。「義務以上の「義務」を遂行した」とさえもみられないのである。かかる抵抗は、飛行兵たる者の特性からして、まったく無意味であるからである。
8.ヒットラーは、絶望的状況にあるドイツ軍に、最後の一兵までの抵抗を命じたことはあった。そのヒットラーも、飛行機を失った飛行兵が、無抵抗で敵の捕虜になることは当然だと考えていた。1940年(昭和15年)、ドイツ軍がフランスを征服したとき、ドイツ飛行兵約5000名はフランス軍の捕虜になっていた。乗機がフランス上空で撃墜されたからであった。彼ら5000人の捕虜は、フランス降伏後、ドイツ軍に返された。そしてすぐさま、イギリス空襲に投入されて大きな戦力となった。
9.乗機が落とされたパイロットが捕虜になったからとて、何のプライドも失うものではない。彼らは名誉ある飛行士なのである。すなわち、戦車を失った戦車兵、軍艦が沈められた水兵よりも無力な存在なのである。
10.連合国はいうまでもなく、枢軸国たるドイツもイタリアもこの通りである。日本だけが違っていた。乗機が被弾して不時着して米軍に捕らえられた原田機長以下7名の飛行兵はどうなったかというと、フィリピンを占領した日本軍に救出されてもとの部隊へ帰った。よくぞ無事でと喜んで迎えられて、もういちど、米軍撃滅のために勇んで出撃していったわけではなかった。彼らになされたのは名誉剥奪であった。彼ら7名は、善行章、特技章を剥奪されたうえ、三ヵ月の謹慎を命じられた後、死刑にも相当する旧式低速の「96式陸上攻撃機」で、昼間偵察を命ぜられた。単機の昼間偵察なんて、ライオンの前に羊を放つようなものだ。もちろん、このうえなく貴重な7名の航空兵は、空しく殺された。
11.「捕虜になった者は死刑に処す」という地獄の法に、一切、情状酌量の余地はない。しかし、適用されない者は存在した。トップエリートの軍事官僚である。
この者どもにかぎって、捕虜になっても死刑にされないだけではなく、少しのお讐めもなし。出世にも支障がなくフルスピードで出世していった。


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工学博士、技術士(応用理学)、
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池上湖心プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山(文化功労者)に師事
書象会理事、審査会員
公募展出展
〇謙慎展・常任理事
・春興賞受賞2回
・青山賞受賞
〇読売書法展理事
・読売奨励賞受賞
・読売新聞社賞受賞
〇日展入選有

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