2011年02月
アメリカは生物兵器開発を行っている
「鶴見俊輔監修 Noam Chomsky ノーム・チョムスキー リトル・モア社、2002年」が面白い。2002年3月21日にカリフォル一一ア州バークレー、バークレー・コミュニティシアターでの講演会の記録は示唆に富む内容である。
1.軍需産業は、ほとんどすべてのハイテク産業を隠れ蓑としてきた。コンピューター、レーザー、通信技術、インターネット、オートメーション、あらゆるエレクトロニクスがそうである。政府の支出を調べてみると、この数年間、生物学を基礎とする分野への支出が急増している。その理由は、将来、生物学に基礎をおいた産業が、経済の最先端となっていくに違いない。バイオテクノロジーや遺伝子工学分野の産業であるが、バイオテロとの戦いという口実のもとに行われている。
2.アメリカは、反バイオテロ条約の確認システムを構築しようという6年にわたる国際的な努力をぶち壊した。クリントン政権が反対しブッシュ政権も継承した。理由は、それがアメリカの商業的利益、つまり製薬業界とバイオテクノロジー企業の利益に反するからである。反バイオテロ条約の確認システムが構築されるとアメリカの企みが調べられるからである。
3.アメリカは、既存の反バイオテロ条約を破っている。遺伝子工学において条約違反をしている。遺伝子操作によって、炭疽菌の抗ワクチン種(ワクチンの効かない新種の炭疽菌)をつくろうとした形跡がある。それは細菌学者たちの間では「悪夢のシナリオ」とされている。ウィルスであれバクテリアであれ何であれ、いかなるワクチンにも、どんな治療にも抵抗力をもつ、殺人種の創造である。それは常に、禁止されているはずだが、アメリカはつくっているらしい。他にも似たようなプロジェクトが2,3ある。それらはバイオテロに対抗するという口実のもとに行われている。
4.このような状況では、株売却運動が軍需産業のみをターゲットにするのは非常に困難である。武器製造を停止させることに幻想はもてない。それは経済を封じ込めることを意味する。しかし、とても重要である。南アフリカのケースと同じであり、組織化と啓蒙のために有効であり、大きな影響をもちうるからである。2年問で、アメリカの対南アフリカ政策を変えることができた事実は貴重である。
Noam Chomskyノーム・チョムスキー
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1.軍需産業は、ほとんどすべてのハイテク産業を隠れ蓑としてきた。コンピューター、レーザー、通信技術、インターネット、オートメーション、あらゆるエレクトロニクスがそうである。政府の支出を調べてみると、この数年間、生物学を基礎とする分野への支出が急増している。その理由は、将来、生物学に基礎をおいた産業が、経済の最先端となっていくに違いない。バイオテクノロジーや遺伝子工学分野の産業であるが、バイオテロとの戦いという口実のもとに行われている。
2.アメリカは、反バイオテロ条約の確認システムを構築しようという6年にわたる国際的な努力をぶち壊した。クリントン政権が反対しブッシュ政権も継承した。理由は、それがアメリカの商業的利益、つまり製薬業界とバイオテクノロジー企業の利益に反するからである。反バイオテロ条約の確認システムが構築されるとアメリカの企みが調べられるからである。
3.アメリカは、既存の反バイオテロ条約を破っている。遺伝子工学において条約違反をしている。遺伝子操作によって、炭疽菌の抗ワクチン種(ワクチンの効かない新種の炭疽菌)をつくろうとした形跡がある。それは細菌学者たちの間では「悪夢のシナリオ」とされている。ウィルスであれバクテリアであれ何であれ、いかなるワクチンにも、どんな治療にも抵抗力をもつ、殺人種の創造である。それは常に、禁止されているはずだが、アメリカはつくっているらしい。他にも似たようなプロジェクトが2,3ある。それらはバイオテロに対抗するという口実のもとに行われている。
4.このような状況では、株売却運動が軍需産業のみをターゲットにするのは非常に困難である。武器製造を停止させることに幻想はもてない。それは経済を封じ込めることを意味する。しかし、とても重要である。南アフリカのケースと同じであり、組織化と啓蒙のために有効であり、大きな影響をもちうるからである。2年問で、アメリカの対南アフリカ政策を変えることができた事実は貴重である。
Noam Chomskyノーム・チョムスキー
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「1ミリたりとも」「固有の領土」しか言えない無責任無能の自称愛国政治家、50年以上経ても同じ繰り返しで困るのは老いて死んでいく国民。
2月25日付けの大前研一さんのニュースの視点は『北方領土問題〜現状を理解せず、外交姿勢も一貫しない前原外相に猛省を促す』という標題の記事である。全く同感である。本件でも民主党を見損なった感じである。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.ロシアのメドベージェフ大統領が2月9日、北方領土の実効支配を軍事・経済両面で一層強める意向を明言したことについて、イタル・タス通信は、「大統領は事実上、領土問題をめぐる日本との今後の対話を閉じた」と報じた。
2.そうした中、モスクワを訪問した前原誠司外相は2月11日、ロシアの外務省でラブロフ外相と約2時間近くに渡って会談した。ラブロフ外相は会見で、メドベージェフ大統領の国後島訪問を「許し難い暴挙」と非難した菅首相の発言に不満を表明し、議論は平行線を辿った。
3.菅首相も前原外相も、ロシアとの外交について点数をつければ「0点」と言わざるを得ない。従来、北方領土問題は専門家同士の話し合いによって交渉が行われてきたので、ロシア国民の中には詳しい事情を知らない人も多かったはずである。ところがメドベージェフ大統領の国後島訪問をキッカケにして事態が変わった。
4.日本の反発がロシアでも報道され、北方領土問題についてロシア全国民が知るところとなった。その結果、日本大使館の前で日本の国旗が焼かれるなど、ロシアの一般市民も興奮し始めてしまった。
5.前原外相との会談でラブロフ外相は、「第2次世界大戦の結果を認めない限り、話し合いは無意味」という趣旨のことを述べた。第2次大戦末期、ヤルタ会談でドイツ降伏後のソ連による対日参戦と、千島列島をソ連に引き渡すことが、米ルーズベルト大統領とソ連スターリン書記長の間で取り決められた。
6.また、終戦までに、トルーマン大統領はスターリン書記長による北海道分割という提案を拒否し、北方四島をソ連に譲ることについて承諾したとも言われているなど戦後を見据えた米ソに激しい駆け引きがあった。この事は「戦争の結果」であって、今さら「固有の領土」という概念を持ち出してみてもロシアが受け入れることはない。もしその議論が成立するなら、米国は「固有の領土」をネイティブインディアンに返還し、国民は英国に戻りなさいという話になってしまう。
7.歴史的な背景を認識しつつ、今日の日ロの友好関係から、ロシア側は「2島先行返還」「面積等分」などのプランを提示し歩み寄る姿勢を見せていたのに、それを全くの無駄にしてしまった。余りにも前原外相の態度がひどいために、ロシア側も「そこまで言うなら、2島先行返還もない」と態度を変化させてしまった。
8.前原外相は松下政経塾のOBですが、「日本外交の基礎・第1章」くらいしか理解していない。さらに言えば、「外交態度に一貫性がない」ことも致命的である。例えば、ロシアは中国や韓国の企業と合弁で北方領土での事業を開始するような動きを見せているが、前原外相はこれについての対処がない。
9.「ロシアとの合弁事業を始めた企業には、今後一切、日本との交渉・交易を認めない」という強い姿勢を打ち出し、抑止力として利用することなど考えまられるが、もちろん、このような姿勢に同意できない。しかし、今行われている前原外相の外交からすれば、このような態度に出ないとつじつまが合わないし、外交の一貫性がない。
10.ロシアの合弁事業の呼びかけに対して、大連のある企業が手を挙げているとの噂があったが、大連市当局はすぐに否定し、該当企業の特定に乗り出す姿勢を見せた。なぜ大連市がこうした行動に出るのかと言えば、大連にとっては「ロシアよりも日本が大切」であるためである。したがって、大連市の企業はロシアとの合弁事業には参加しないと表明した。
11.前原外相が「力の外交」を押し通そうするならば、徹底的にやらなくては意味がない。韓国でも中国でも、ロシアと北方四島の合弁事業に手を出すなら、一切日本との交易を認めないと表明し、企業名を名指しで公開しても良い。
12.枝野官房長官にしても、先日海上保安庁の航空機で北方領土を上空から視察し、「思った以上に近い。皆が近さを知れば、関心は大きくなる」と述べたとのことだが、そんなものは「Google Earth」を利用すれば済むことである。菅首相、前原外相、枝野幹事長のいずれも、もう1度「外交の基礎」から学び直してもらいたい。
(飛行機で上空から眺めている枝野幹事長の写真は、その後のコメントも含めて、なんとも情けない。政治家としてマイナスイメージを日本にも世界にも印象づけたと思う。一見、強行姿勢で愛国的政治家で点数稼ぎでもしようとしているのかも知れないが50年後、100年後世界がどう変わるか知れないが、旧島民は皆、生きていない。生きているうちに。少なくとも5年、10年以内に、それなりの成果を出さなければ政治家の責任のがれの強行姿勢でしかない)。
1.ロシアのメドベージェフ大統領が2月9日、北方領土の実効支配を軍事・経済両面で一層強める意向を明言したことについて、イタル・タス通信は、「大統領は事実上、領土問題をめぐる日本との今後の対話を閉じた」と報じた。
2.そうした中、モスクワを訪問した前原誠司外相は2月11日、ロシアの外務省でラブロフ外相と約2時間近くに渡って会談した。ラブロフ外相は会見で、メドベージェフ大統領の国後島訪問を「許し難い暴挙」と非難した菅首相の発言に不満を表明し、議論は平行線を辿った。
3.菅首相も前原外相も、ロシアとの外交について点数をつければ「0点」と言わざるを得ない。従来、北方領土問題は専門家同士の話し合いによって交渉が行われてきたので、ロシア国民の中には詳しい事情を知らない人も多かったはずである。ところがメドベージェフ大統領の国後島訪問をキッカケにして事態が変わった。
4.日本の反発がロシアでも報道され、北方領土問題についてロシア全国民が知るところとなった。その結果、日本大使館の前で日本の国旗が焼かれるなど、ロシアの一般市民も興奮し始めてしまった。
5.前原外相との会談でラブロフ外相は、「第2次世界大戦の結果を認めない限り、話し合いは無意味」という趣旨のことを述べた。第2次大戦末期、ヤルタ会談でドイツ降伏後のソ連による対日参戦と、千島列島をソ連に引き渡すことが、米ルーズベルト大統領とソ連スターリン書記長の間で取り決められた。
6.また、終戦までに、トルーマン大統領はスターリン書記長による北海道分割という提案を拒否し、北方四島をソ連に譲ることについて承諾したとも言われているなど戦後を見据えた米ソに激しい駆け引きがあった。この事は「戦争の結果」であって、今さら「固有の領土」という概念を持ち出してみてもロシアが受け入れることはない。もしその議論が成立するなら、米国は「固有の領土」をネイティブインディアンに返還し、国民は英国に戻りなさいという話になってしまう。
7.歴史的な背景を認識しつつ、今日の日ロの友好関係から、ロシア側は「2島先行返還」「面積等分」などのプランを提示し歩み寄る姿勢を見せていたのに、それを全くの無駄にしてしまった。余りにも前原外相の態度がひどいために、ロシア側も「そこまで言うなら、2島先行返還もない」と態度を変化させてしまった。
8.前原外相は松下政経塾のOBですが、「日本外交の基礎・第1章」くらいしか理解していない。さらに言えば、「外交態度に一貫性がない」ことも致命的である。例えば、ロシアは中国や韓国の企業と合弁で北方領土での事業を開始するような動きを見せているが、前原外相はこれについての対処がない。
9.「ロシアとの合弁事業を始めた企業には、今後一切、日本との交渉・交易を認めない」という強い姿勢を打ち出し、抑止力として利用することなど考えまられるが、もちろん、このような姿勢に同意できない。しかし、今行われている前原外相の外交からすれば、このような態度に出ないとつじつまが合わないし、外交の一貫性がない。
10.ロシアの合弁事業の呼びかけに対して、大連のある企業が手を挙げているとの噂があったが、大連市当局はすぐに否定し、該当企業の特定に乗り出す姿勢を見せた。なぜ大連市がこうした行動に出るのかと言えば、大連にとっては「ロシアよりも日本が大切」であるためである。したがって、大連市の企業はロシアとの合弁事業には参加しないと表明した。
11.前原外相が「力の外交」を押し通そうするならば、徹底的にやらなくては意味がない。韓国でも中国でも、ロシアと北方四島の合弁事業に手を出すなら、一切日本との交易を認めないと表明し、企業名を名指しで公開しても良い。
12.枝野官房長官にしても、先日海上保安庁の航空機で北方領土を上空から視察し、「思った以上に近い。皆が近さを知れば、関心は大きくなる」と述べたとのことだが、そんなものは「Google Earth」を利用すれば済むことである。菅首相、前原外相、枝野幹事長のいずれも、もう1度「外交の基礎」から学び直してもらいたい。
(飛行機で上空から眺めている枝野幹事長の写真は、その後のコメントも含めて、なんとも情けない。政治家としてマイナスイメージを日本にも世界にも印象づけたと思う。一見、強行姿勢で愛国的政治家で点数稼ぎでもしようとしているのかも知れないが50年後、100年後世界がどう変わるか知れないが、旧島民は皆、生きていない。生きているうちに。少なくとも5年、10年以内に、それなりの成果を出さなければ政治家の責任のがれの強行姿勢でしかない)。
ナチスを生んだドイツロマン派の思想の背景
「杉浦敏子著:ハンナ・アーレント、現代書院、2006年」はアメリカの政治思想家:ハンナ・アーレントの思想が分かりやすく解説されているので、2月22日に当ブログで紹介した。1906年生まれのドイツ系ユダヤ人で、ナチスの迫害を受けアメリカに亡命した政治思想家で、フッサール、ハイデガー、ヤスパースに学び、実存主義、現象学の影響を受けながらも、一線を画し、思想史上では独自の地位を占めている。自らの迫害体験に基づいて、20世紀を襲った全体主義の脅威を分析し、1951年に『全体主義の起源』という著書がアーレントの政治思想家としての地位を不動のものとしている。続いて『人間の条件』『革命について』『イェルサレムのアイヒマン』などの著作を発表している。「第4章:時代状況」のドイツとナチスの関係の解説について前回紹介した、アーレントが批判したドイツロマン派の思想についての解説で、印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.ドイツロマン派の始まりはフランス革命とナポレオンの登場によるヨーロッパの動乱期である。農民は日々の生活に追われ、都市では手工業者が主流であり、商人や工場主のような豊かな市民は少数派であった。つまりブルジョアジーの勢力は弱く、国家による上からの殖産興業は経済の自律的発展とブルジョアジーの独立心と自由を奪い、国家への依存を引き起こした。
2.ドイツには独立自尊のブルジョアジーが存在せず、社会に封建的勢力を温存したままの急速な近代化が社会にさまざまな歪みを生じさせ、同時にドイツの精神風土に大きな影響をもたらした。この風土の中でドイツロマン派が台頭してきた。彼らの敵は封建的な社会体制ではなく、鋳型にはめ込まれた惰性的な日常であった。
3.この日常への批判が観念的なものとなり、観念の世界で自己展開を図っていくと、この観念は現実世界と遊離して独走してしまった。外界と接点を持たない精神主義は芸術、学問、思想の純粋性と自己目的性を不当に強調し、それと対照的な単なる目的への手段としての政治や経済の軽視に繋がった。
4.精神の貴族性、超俗性の偏重は自己相対化の視点を欠いているために、容易に思想のファナティシズム(熱狂型思想)を招き、生き物として政治と対立していった。政治に関わる事柄は俗事と軽蔑され、妥協と対話が忌避され、観念の中での極限状態が設定され、この中で不毛な二元的対立(聖と俗、日常と非日常のような)が語られた。このような過剰な観念性が、硬直し固定化した精神を生み、「民族」という抽象的概念に依存した「血と大地」という閉鎖的で偏狭な共同体主義を招いた。
5.ドイツのナショナリズムも独特の発展を遂げた。ドイツにはナポレオン戦争の前から、啓蒙主義や進歩思想に対す反感があった。フランスやイギリスに代表されるいわば近代思想は、ドイツにあっては保守的な思想によって押さえ込まれ、変化を忌避することが過去への回帰を招き、遠い昔の価値観や理想を詩的に美化することに繋がっていった。
6.ナポレオンの軍事的勝利は、解放と平等の思想に対するドイツの敗北感を強め、フランスに対する怨恨、フランスがヨーロッパに解き放った思想への嫌悪を呼び覚した。フランス軍に占領されたどの地方でも「人権宣言」の恩恵を受けたのはユダヤ人であり、ドイツの各地方で解放を勝ち取った。
7.フランス軍占領地の一部では、強制的にユダヤ人に平等を与えささせられたことが、ドイツ人の怒りをかった。ナポレオンは同時にドイツ地方の再編成を行い、中世的な自由帝国騎士団の解体を促進させ、フランスの保護下にドイツ諸州連合を作った。ドイツ人たちは帝国という絆を失い、この政治的な現実を超越するような新しいナショナリズムを求めた。
8.自由や平等という自由主義的概念はフランス的であるとして、これを排斥し、ドイツ人を、国内の敵ユダヤ人から区別することによって、ドイツ的独自性を純化しようとした。そして「民族(フォルク)」に特別の意味を与え、その優越性を強調することにより、自らのアイデンティティーを作り上げていった。特にその後の第1次世界大戦の敗北は、ドイツ人が持っていたユダヤ人に対する「背後からの裏切り」という偏執的妄想を刺激し、自分たちの恐れているものを彼らに投影し、自分たちの中で抑圧したい気持ちをユダヤ人に覆いかぶせた。
ハンナ・アーレント (FOR BEGINNERSシリーズ)
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1.ドイツロマン派の始まりはフランス革命とナポレオンの登場によるヨーロッパの動乱期である。農民は日々の生活に追われ、都市では手工業者が主流であり、商人や工場主のような豊かな市民は少数派であった。つまりブルジョアジーの勢力は弱く、国家による上からの殖産興業は経済の自律的発展とブルジョアジーの独立心と自由を奪い、国家への依存を引き起こした。
2.ドイツには独立自尊のブルジョアジーが存在せず、社会に封建的勢力を温存したままの急速な近代化が社会にさまざまな歪みを生じさせ、同時にドイツの精神風土に大きな影響をもたらした。この風土の中でドイツロマン派が台頭してきた。彼らの敵は封建的な社会体制ではなく、鋳型にはめ込まれた惰性的な日常であった。
3.この日常への批判が観念的なものとなり、観念の世界で自己展開を図っていくと、この観念は現実世界と遊離して独走してしまった。外界と接点を持たない精神主義は芸術、学問、思想の純粋性と自己目的性を不当に強調し、それと対照的な単なる目的への手段としての政治や経済の軽視に繋がった。
4.精神の貴族性、超俗性の偏重は自己相対化の視点を欠いているために、容易に思想のファナティシズム(熱狂型思想)を招き、生き物として政治と対立していった。政治に関わる事柄は俗事と軽蔑され、妥協と対話が忌避され、観念の中での極限状態が設定され、この中で不毛な二元的対立(聖と俗、日常と非日常のような)が語られた。このような過剰な観念性が、硬直し固定化した精神を生み、「民族」という抽象的概念に依存した「血と大地」という閉鎖的で偏狭な共同体主義を招いた。
5.ドイツのナショナリズムも独特の発展を遂げた。ドイツにはナポレオン戦争の前から、啓蒙主義や進歩思想に対す反感があった。フランスやイギリスに代表されるいわば近代思想は、ドイツにあっては保守的な思想によって押さえ込まれ、変化を忌避することが過去への回帰を招き、遠い昔の価値観や理想を詩的に美化することに繋がっていった。
6.ナポレオンの軍事的勝利は、解放と平等の思想に対するドイツの敗北感を強め、フランスに対する怨恨、フランスがヨーロッパに解き放った思想への嫌悪を呼び覚した。フランス軍に占領されたどの地方でも「人権宣言」の恩恵を受けたのはユダヤ人であり、ドイツの各地方で解放を勝ち取った。
7.フランス軍占領地の一部では、強制的にユダヤ人に平等を与えささせられたことが、ドイツ人の怒りをかった。ナポレオンは同時にドイツ地方の再編成を行い、中世的な自由帝国騎士団の解体を促進させ、フランスの保護下にドイツ諸州連合を作った。ドイツ人たちは帝国という絆を失い、この政治的な現実を超越するような新しいナショナリズムを求めた。
8.自由や平等という自由主義的概念はフランス的であるとして、これを排斥し、ドイツ人を、国内の敵ユダヤ人から区別することによって、ドイツ的独自性を純化しようとした。そして「民族(フォルク)」に特別の意味を与え、その優越性を強調することにより、自らのアイデンティティーを作り上げていった。特にその後の第1次世界大戦の敗北は、ドイツ人が持っていたユダヤ人に対する「背後からの裏切り」という偏執的妄想を刺激し、自分たちの恐れているものを彼らに投影し、自分たちの中で抑圧したい気持ちをユダヤ人に覆いかぶせた。
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2011年02月25日
ジャーナリズムも学界も自国の行なった残虐行為については詳しく調査しない
「鶴見俊輔監修 Noam Chomsky ノーム・チョムスキー リトル・モア社、2002年」のノーム・チョムスキーはMITの教授でアメリカの真実を語る数少ない有識人である。メディアには煙たがれており、大メディアに取り上げられることが比較的少ない。
2002年3月21日にカリフォル一一ア州バークレー、バークレー・コミュニティシアターで行われた講演会では、アメリカの実質的なテロ行為について暴露している。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.1980年頃、アメリカの対外軍事援助をもっとも多く受けていたエルサルバドルでは、ものすごい残虐行為が行われていた。SOA(ラテンアメリカ人兵士と警察官の養成機関、現在のWHISC)の資料に記されている。アメリカ軍は、1960年代後半からカトリック教会の一部の聖職者が起こした、貧しい民衆の立場からキリスト教をとらえ直そうとした運動を抑圧した。
2.アメリカのテロとの戦いの主な標的の一つがカトリック教会である。エルサルバドルがその事例である。エルサルバドルでは、1980年代の大司教の殺害で弾圧が始まり、有力なイエズス会神父6人の殺害で幕を閉じた。誰もこの事実を知らないことが、アメリカ社会の知識人文化の奇妙なところである。殺された人たちの名前も著作も読まれていたと思うが、
3.中東がアメリカのテロとの戦いの第2の焦点である。国が支援したテロによる残虐行為が多かったことは確かである。最悪の例は、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻であり、2万人が犠牲になった。これは国際テロである。アメリカがゴーサインを出し、武器を供与し、国連の安全保障理事会での、戦闘を中止し軍隊を撤退させる決議に拒否権を行使したような外交的なサポートで実現し、レバノン侵攻は大成功で終わった。
4.侵攻はイスラエルでは「占領地域のための戦い」と呼ばれていた。PLOが執拗に話し合いによる紛争の解決を求めたが、イスラエルは話し合いによる解決は望まなかった。そしてPLOの破壊と追い出しに大成功した。これは国際テロのお手本ともいえる。アメリカ政府はテロの定義を「政治的、宗教的、もしくは他の目的で、脅迫や恐怖を誘発するために、民間人に対して脅しや暴力を行使する」としている。アメリカが決定的な役割を果たした国際テロである。
5.これは国際テロよりもはるかに悪質な侵略だと呼ぶ人もいる。もし侵略であれば、アメリカとイスラエルの指導部はニュールンベルグ裁判にかけられるべきである。単なる国際テロとしておくことで、それが避けられた。アメリカは、この戦争の理由を20年間偽ってきた。さすがに『ニューヨーク・タイムズ』が実態を明らかにした。つまりあの戦争は政治目的のためだけに戦われた。ヨルダン川西岸のための戦争で、パレスチナ側からの話し合いという「脅威」を排除するためだった。
6.この20年間、アメリカ国民だけが知らされなかった。やっと真実を述べた文章が存在することがわかった。それらが『ニューヨーク・タイムズ』から引用できるようになったのは、まずは改善である。
7.中東におけるテロは他にもある。中東でのテロのピークは1985年であった。中東で起きた最悪のテロ行為は3つ挙げられる。
1)ベイルートで車に爆弾が仕掛けられた事件です。モスクの外に仕掛けられ、モスクから人々が立ち去る時間にタイマーが合わせられて狙い通り80名が亡くなり、250名が負傷した。この事件は元をたどればCIAやイギリスの諜報部にたどり着くが、メディアは取り上げなかった。
2)その数カ月後のイスラエルによるチュニス爆撃である。チュニジア人およびパレスチナ人75名が亡くなった。イスラエルではヘブライ語新聞の記者によって生々しく伝えられたが、アメリカではあまり大きくは報道されなかった。これもアメリカが深く関与した国際テロであった。この爆撃についてシュルツ国務長官はイスラエルの外相に電話で祝辞を述べたが、国連の安保理がイスラエルを武力侵略のかどで糾弾した後、シュルツ長官はこの虐殺への賛辞を撤回した。アメリカが、その決議を棄権したのは自国の非を認めたと同然である。これも武力侵略とはせずに国際テロと呼ぶことにしている。
3)1985年3月にペレス首相がレバノン南部に対して行なったアイアンフィスト作戦である。イスラエル軍の最高司令部がテロリスト村であるとみなした村を攻撃し、大規模な虐殺や残虐行為に及んだ。イスラエル軍によって多くの村民が殺された。また多くの人々がイスラエルに連行されて尋問され拷問され投獄された。
8.ジャーナリズムも学界も自国の行なった残虐行為については調査研究は行わないのが通例になっている。例えば、ベトナム戦争も、何百万の人々が犠牲になっているが、それ以上くわしくはわからない。南ベトナムにおけるアメリカの化学兵器で何十万人が亡くなったかをわざわざ数えたいと思う人はアメリカにはいない。アメリカ以外では大まかな推定の試みはあるが、アメリカでは論評しない。
Noam Chomskyノーム・チョムスキー
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2002年3月21日にカリフォル一一ア州バークレー、バークレー・コミュニティシアターで行われた講演会では、アメリカの実質的なテロ行為について暴露している。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.1980年頃、アメリカの対外軍事援助をもっとも多く受けていたエルサルバドルでは、ものすごい残虐行為が行われていた。SOA(ラテンアメリカ人兵士と警察官の養成機関、現在のWHISC)の資料に記されている。アメリカ軍は、1960年代後半からカトリック教会の一部の聖職者が起こした、貧しい民衆の立場からキリスト教をとらえ直そうとした運動を抑圧した。
2.アメリカのテロとの戦いの主な標的の一つがカトリック教会である。エルサルバドルがその事例である。エルサルバドルでは、1980年代の大司教の殺害で弾圧が始まり、有力なイエズス会神父6人の殺害で幕を閉じた。誰もこの事実を知らないことが、アメリカ社会の知識人文化の奇妙なところである。殺された人たちの名前も著作も読まれていたと思うが、
3.中東がアメリカのテロとの戦いの第2の焦点である。国が支援したテロによる残虐行為が多かったことは確かである。最悪の例は、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻であり、2万人が犠牲になった。これは国際テロである。アメリカがゴーサインを出し、武器を供与し、国連の安全保障理事会での、戦闘を中止し軍隊を撤退させる決議に拒否権を行使したような外交的なサポートで実現し、レバノン侵攻は大成功で終わった。
4.侵攻はイスラエルでは「占領地域のための戦い」と呼ばれていた。PLOが執拗に話し合いによる紛争の解決を求めたが、イスラエルは話し合いによる解決は望まなかった。そしてPLOの破壊と追い出しに大成功した。これは国際テロのお手本ともいえる。アメリカ政府はテロの定義を「政治的、宗教的、もしくは他の目的で、脅迫や恐怖を誘発するために、民間人に対して脅しや暴力を行使する」としている。アメリカが決定的な役割を果たした国際テロである。
5.これは国際テロよりもはるかに悪質な侵略だと呼ぶ人もいる。もし侵略であれば、アメリカとイスラエルの指導部はニュールンベルグ裁判にかけられるべきである。単なる国際テロとしておくことで、それが避けられた。アメリカは、この戦争の理由を20年間偽ってきた。さすがに『ニューヨーク・タイムズ』が実態を明らかにした。つまりあの戦争は政治目的のためだけに戦われた。ヨルダン川西岸のための戦争で、パレスチナ側からの話し合いという「脅威」を排除するためだった。
6.この20年間、アメリカ国民だけが知らされなかった。やっと真実を述べた文章が存在することがわかった。それらが『ニューヨーク・タイムズ』から引用できるようになったのは、まずは改善である。
7.中東におけるテロは他にもある。中東でのテロのピークは1985年であった。中東で起きた最悪のテロ行為は3つ挙げられる。
1)ベイルートで車に爆弾が仕掛けられた事件です。モスクの外に仕掛けられ、モスクから人々が立ち去る時間にタイマーが合わせられて狙い通り80名が亡くなり、250名が負傷した。この事件は元をたどればCIAやイギリスの諜報部にたどり着くが、メディアは取り上げなかった。
2)その数カ月後のイスラエルによるチュニス爆撃である。チュニジア人およびパレスチナ人75名が亡くなった。イスラエルではヘブライ語新聞の記者によって生々しく伝えられたが、アメリカではあまり大きくは報道されなかった。これもアメリカが深く関与した国際テロであった。この爆撃についてシュルツ国務長官はイスラエルの外相に電話で祝辞を述べたが、国連の安保理がイスラエルを武力侵略のかどで糾弾した後、シュルツ長官はこの虐殺への賛辞を撤回した。アメリカが、その決議を棄権したのは自国の非を認めたと同然である。これも武力侵略とはせずに国際テロと呼ぶことにしている。
3)1985年3月にペレス首相がレバノン南部に対して行なったアイアンフィスト作戦である。イスラエル軍の最高司令部がテロリスト村であるとみなした村を攻撃し、大規模な虐殺や残虐行為に及んだ。イスラエル軍によって多くの村民が殺された。また多くの人々がイスラエルに連行されて尋問され拷問され投獄された。
8.ジャーナリズムも学界も自国の行なった残虐行為については調査研究は行わないのが通例になっている。例えば、ベトナム戦争も、何百万の人々が犠牲になっているが、それ以上くわしくはわからない。南ベトナムにおけるアメリカの化学兵器で何十万人が亡くなったかをわざわざ数えたいと思う人はアメリカにはいない。アメリカ以外では大まかな推定の試みはあるが、アメリカでは論評しない。
Noam Chomskyノーム・チョムスキー
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2011年02月24日
アメリカの主張する人権問題のの矛盾
「鶴見俊輔監修 Noam Chomsky ノーム・チョムスキー リトル・モア社、2002年」が面白い。2002年3月21日にカリフォル一一ア州バークレー、バークレー・コミュニティシアターの講演会の記録である。アメリカの軍事、人権、社会医療と題する講演会の記録は示唆に富むないようである。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.アメリカは世界でもっとも大きな力をもっている。軍事力だけでなく、現代世界の出来事に対して決定的な影響力をもっている。我々は他に例のないほど自由で、大部分の人が国民としての特権に浴している。これは自分自身の行動、そして政策決定への影響力の行使について重い責任があることを意味する。
2.世界におけるアメリカの役割について考える方法はたくさんある。その1つが、アメリカの対外援助、特に軍事援助を検討する方法である。しかし、アメリカの対外援助は、先進国の中でももっとも少ない。そしてその対外援助から、イスラエルとエジプトを除くとほとんど何も残らない。
3.軍事援助はかなりの規模である。この点は検討に値する。ノースカロライナ大学のシュルツ教授は、ラテンアメリカにおけるアメリカの援助と人権侵害に非常に強い相関性があると指摘している。彼は、「アメリカの対外援助は、市民に対して拷問を行なっているラテンアメリカ各国の基本的人権の侵害を行なっている国に偏っている」と述べている。ほぼ同時期のノーム・チョムスキーとペンシルベニア大学ワートン校のハーマン名誉教授が、同じ強い相関関係があることを示している。
4.第3世界の諸国における投資環境を良くするた、労働組合や農民のリーダーを殺害すること、宗教者を拷問すること、農民を虐殺すること、社会保障プログラムの土台を揺るがせること、などが考えられる。アメリカが利益を得るために選んだ手段が、他国での甚だしい人権侵害という結果をもたらしている。
5.20年前、レーガン政権は、「テロとの戦い」を外交政策の焦点にすることを声高に主張して登場した。焦点となったのは、国家が支援する国際テロである。彼らはそれを「現代の恐るべき疫病。堕落した文明の敵が犯す犯罪。蛮行への回帰」と呼んだ。それに対して、仲裁や調停などの理想主義的な法的手段でなく、武力で対峙しなければならないとした。レーガン政権が目をつけたのは、この犯罪が多発している中米と中近東であった。
6.中米と中近東で起こったことは、甚だしい人権侵害であり、中米は墓地と化した。約20万もの人が虐殺さた。そして100万人以上の難民、孤児、終わりなき拷問、考えうるすべての蛮行が行われた。アメリカのニカラグア攻撃は本格的なものだった。何万もの人が亡くなり、事実上、国が崩壊してしまった。ニカラグアは現在、西半球で二番目に貧乏な国であり、復興は難しい。ニカラグアは法治国家として国際機関へ訴えた。国際司法裁判所は、国際テロ、違法な武力行使、国際条約違反としてアメリカを糾弾し、その犯罪行為を中止し多額の賠償金を支払うように命じた。
7.それに対してアメリカは、命令に反して攻撃を激化し、「軟目標」と呼ばれる標的、つまり診療所、農業協同組合などへの攻撃も、政府として命令を下し、ニカラグアに親米派の大統領が生まれる年まで続いた。
国際司法裁判所の判決をアメリカが拒否した後、ニカラグアは国連の安全保障理事会に訴えたが、安保理の決議に対して拒否権を行使した。つまり、現在、テロとの戦いのリーダーとされる国は、国際司法裁判所によってその国際テロ活動を糾弾された唯一の国であり、また、安保理の決議にも拒否権を行使した唯一の国がアメリカである。
8.しかし、このような状況に言及する報道は自由な国といわれるアメリカにおいても、いくら探しても見当たらない。大メディアや有識者と言われる人の多くは知らぬ振りをしているのだろうか?
(ノーム・チョムスキーが以前から警告しているように、メディアはスポーツや芸能ニュースの報道に紛れて、恣意的な歪んだニュースの報道を流している。それらに接していると、我々はいつの間にか洗脳されている。特にに日本では従来の記者クラブで守られてきた大新聞や国の許認可で独占されてきたテレビのメディアには充分注意する必要がある。最近はネットでも、彼らがそれを察知して、フリーのジャーナリストによる真実の報道を紛らわしてしまうので、視聴者に見分ける力が必要になってきた)
Noam Chomskyノーム・チョムスキー
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1.アメリカは世界でもっとも大きな力をもっている。軍事力だけでなく、現代世界の出来事に対して決定的な影響力をもっている。我々は他に例のないほど自由で、大部分の人が国民としての特権に浴している。これは自分自身の行動、そして政策決定への影響力の行使について重い責任があることを意味する。
2.世界におけるアメリカの役割について考える方法はたくさんある。その1つが、アメリカの対外援助、特に軍事援助を検討する方法である。しかし、アメリカの対外援助は、先進国の中でももっとも少ない。そしてその対外援助から、イスラエルとエジプトを除くとほとんど何も残らない。
3.軍事援助はかなりの規模である。この点は検討に値する。ノースカロライナ大学のシュルツ教授は、ラテンアメリカにおけるアメリカの援助と人権侵害に非常に強い相関性があると指摘している。彼は、「アメリカの対外援助は、市民に対して拷問を行なっているラテンアメリカ各国の基本的人権の侵害を行なっている国に偏っている」と述べている。ほぼ同時期のノーム・チョムスキーとペンシルベニア大学ワートン校のハーマン名誉教授が、同じ強い相関関係があることを示している。
4.第3世界の諸国における投資環境を良くするた、労働組合や農民のリーダーを殺害すること、宗教者を拷問すること、農民を虐殺すること、社会保障プログラムの土台を揺るがせること、などが考えられる。アメリカが利益を得るために選んだ手段が、他国での甚だしい人権侵害という結果をもたらしている。
5.20年前、レーガン政権は、「テロとの戦い」を外交政策の焦点にすることを声高に主張して登場した。焦点となったのは、国家が支援する国際テロである。彼らはそれを「現代の恐るべき疫病。堕落した文明の敵が犯す犯罪。蛮行への回帰」と呼んだ。それに対して、仲裁や調停などの理想主義的な法的手段でなく、武力で対峙しなければならないとした。レーガン政権が目をつけたのは、この犯罪が多発している中米と中近東であった。
6.中米と中近東で起こったことは、甚だしい人権侵害であり、中米は墓地と化した。約20万もの人が虐殺さた。そして100万人以上の難民、孤児、終わりなき拷問、考えうるすべての蛮行が行われた。アメリカのニカラグア攻撃は本格的なものだった。何万もの人が亡くなり、事実上、国が崩壊してしまった。ニカラグアは現在、西半球で二番目に貧乏な国であり、復興は難しい。ニカラグアは法治国家として国際機関へ訴えた。国際司法裁判所は、国際テロ、違法な武力行使、国際条約違反としてアメリカを糾弾し、その犯罪行為を中止し多額の賠償金を支払うように命じた。
7.それに対してアメリカは、命令に反して攻撃を激化し、「軟目標」と呼ばれる標的、つまり診療所、農業協同組合などへの攻撃も、政府として命令を下し、ニカラグアに親米派の大統領が生まれる年まで続いた。
国際司法裁判所の判決をアメリカが拒否した後、ニカラグアは国連の安全保障理事会に訴えたが、安保理の決議に対して拒否権を行使した。つまり、現在、テロとの戦いのリーダーとされる国は、国際司法裁判所によってその国際テロ活動を糾弾された唯一の国であり、また、安保理の決議にも拒否権を行使した唯一の国がアメリカである。
8.しかし、このような状況に言及する報道は自由な国といわれるアメリカにおいても、いくら探しても見当たらない。大メディアや有識者と言われる人の多くは知らぬ振りをしているのだろうか?
(ノーム・チョムスキーが以前から警告しているように、メディアはスポーツや芸能ニュースの報道に紛れて、恣意的な歪んだニュースの報道を流している。それらに接していると、我々はいつの間にか洗脳されている。特にに日本では従来の記者クラブで守られてきた大新聞や国の許認可で独占されてきたテレビのメディアには充分注意する必要がある。最近はネットでも、彼らがそれを察知して、フリーのジャーナリストによる真実の報道を紛らわしてしまうので、視聴者に見分ける力が必要になってきた)
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