2011年02月

2011年02月23日

隔靴掻痒 3

ca12c076.jpgメディアの
政治とカネ報道は
隔靴掻痒
本質がない
そもそも
政治とカネの問題
政治家全員の問題
政局にして
特定の政治家を
追い落とす手段とする
メディアの卑怯な報道
赤旗新聞で購読料のカネで
政治活動をする疑問など
(読売新聞2011.2.22)より

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池上湖心の書 

太平洋戦争での日本の敗因は無能な軍事官僚制にあった 3

「小室直樹著:日本の敗因・・歴史は勝つために学ぶ、2000年、講談社」の著者は、昨年9月4日に亡くなった。その行動から奇人と評されることが多いが、その思想・学説は確かな資料を論理的に分析しており、説得力がある。当ブログでも何度か紹介している。戦前から続く日本の官僚の腐朽についての分析は貴重である。本書の「第4章:勝てなかった日本のシステム・・目的を見失う官僚たち」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.大東亜戦争(太平洋戦争)の敗因が日本のシステム、とくに軍事官僚制の内部にあった。それを指摘できる例はたくさんあるが、1つの例がマリアナ沖海戦である。
2.開戦の当初は、日本が優勢だったものの、アメリカの巻き返しが始まった。アメリカ軍の本格的反攻に押された東条英機内閣は、1943年(昭和18年)9月末、中部太平洋を東南端とする「絶対国防圏」を決定した。しかし、米軍の北上は止められず、1944年6月、ついに米軍はサイパン島への攻撃を開始した。これを撃滅すべく、日本海軍は総力を結集してマリアナ海域に急行し、双方がぶつかりあったのがマリアナ沖海戦であるが、日本側は惨敗した。サイパン島を「難攻不落」と豪語していた東条内閣は、その陥落によって退陣した。やがて、日本本土がサイパン島から飛来する「B29」の空襲を受けるようになり、日本は敗戦へと進んでいった。
3.重要なのは、マリアナ沖海戦を前にして、日本軍に判断ミスがあった。日本軍は、アメリカ軍がマリアナに来るとは思っていなかった。1943年11月からギルバート諸島のタラワ島とマキン島を陥落させ、翌年の1944年2月に、中部太平洋における日本海軍の一大拠点だったトラック島(カロリン諸島)を大空襲した。その時点で、次にマリアナ諸島が狙われるのは必至の情勢だった。ところが、日本海軍は、艦隊の給油の都合もあって、パラオ海域を決戦場に想定する「あ」号作戦を立てる。小沢中将の率いる機動部隊をフィリピン南西部に結集。陸上航空兵力も、この地域に結集させた。
4.5月末に、アメリカ軍が西ニューギニア北部のビアク島に上陸すると、日本軍は、陸上航空兵力の半分を投入する航空戦に打って出たが、結果は惨敗に終わった。その被害から立ち直らぬ6月中ば、マーシャル諸島を発した米軍がサイパン島を襲った。日本海軍の指導者たちの頭では、アメリカ軍がニューギニアから北上して、フィリピンに攻め上がってくるというルートしか思い浮かばなかった。
5.実松譲という大佐が、公開情報だけから「米軍は次にマリアナに来る」と明確に分析していた。にもかかわらず、軍幹部は一顧だにしなかった。暗号を解読したわけでもないし、スパイが極秘情報を盗み出したわけでもない。そんな公開情報だけからの分析なんか信じられるかと目もくれなかった。しかし、それが見事に当たっていた。
6.戦後、アメリカは実松大佐を逮捕して、「おまえはどんなスパイを使ってこの情報を得たのか」「どのようにアメリカの暗号を解読したのか」と問い詰めた。彼が公開情報だけから分析したことがわかって、真っ青になった。フィリピンを取られるのとマリアナを取られるのと、どちらが致命的だったかという本質を考えれば、わかるはずである。爆撃機「B29」がすでに完成していたこともわかっていたから、なおさらである。
7.すなわち、中国の成都から飛んできていたから、北九州までしか届かなかった。フィリピンからでは日本までは届かない。しかし、サイパンからなら、東京を直撃できるという本質を考えれば、わかることである。受験秀才官僚にはそのような判断力がなかった。
8.サイパンの攻防は、大東亜戦争に勝つか敗けるかの決戦である。どうして陸軍兵力をもっと結集しなかったのかという疑問である。無駄だったのが大陸作戦であった。1944年(昭和19年)春、膠着状態に陥っていた中国戦線で、日本陸軍の中国派遣軍は、華北から華南までの縦断路を確保することと、中国の米空軍基地を奪取して本土への空襲を防ぐことを目指していた。作戦は短期的には成功をおさめたが、すぐに戦線を維持できなくなった。作戦は何の利益ももたらさないまま破綻した。大陸作戦など、まったく必要がなかった。それより、中国派遣軍や関東軍の精鋭をサイパンに持ってくるべきだった。終戦時でも中国派遣軍は100万以上、関東軍(満州防衛軍)は70万以上の兵員を擁していた。
9.陸軍は、太平洋戦線が危機に陥っても、大陸の兵力を太平洋戦線に送ることには消極的だった。中国にいた陸軍と、太平洋で苦戦していた海軍の連携がまったくとれなかった。このことも大失敗である。サイパン島の攻防には、作戦上のミスもある。戦車も自走砲もなく正面からぶつかったら負けるに決まっていることを、日本はガダルカナル島の戦いで理解できなかった。つまり実戦での学習能力がなかった。


日本の敗因―歴史は勝つために学ぶ (講談社プラスアルファ文庫)
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2011年02月22日

めつむればくまなく春の水の音 3

0cdbe8ae.jpg岩田由美句
長谷川櫂解説
春の雪解けの水
音を立てて流れはじめる
地域全体にくまなく響きわたる
目を閉じて水の音に耳をすます
(読売新聞2011.2.19)より

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池上湖心の書 

ナチスは国民の不満勢力の憎悪感情をあおりドイツ再生のスローガンで社会のさまざまな階層の支持を得た 3

「杉浦敏子著:ハンナ・アーレント、現代書院、2006年」はアメリカの政治思想家:ハンナ・アーレントの思想が分かりやすく解説されている。1906年生まれのドイツ系ユダヤ人で、ナチスの迫害を受けアメリカに亡命した政治思想家で、フッサール、ハイデガー、ヤスパースに学び、実存主義、現象学の影響を受けながらも、一線を画し、思想史上では独自の地位を占めている。自らの迫害体験に基づいて、20世紀を襲った全体主義の脅威を分析し、1951年に『全体主義の起源』という著書がアーレントの政治思想家としての地位を不動のものとしている。続いて『人間の条件』『革命について』『イェルサレムのアイヒマン』などの著作を発表している。「第4章:時代状況」のドイツとナチスの関係の解説が興味深い。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.ドイツのワイマール体制、ワイマール共和政がナチスにとって代わられた理由には、ドイツの戦争の敗北による屈辱感、経済的困窮、帝政の没落への郷愁など、さまざまな不満が渦巻いていたことがある。この不満勢力の受け皿としてのナチスは、既に1933年以前に憎悪感情をあおる宣伝と「民族共同体」によるドイツ再生のスローガンで社会のさまざまな階層の支持を得ていた。
2.この不満勢力は、ボルシェヴイズム(プロレタリア独裁を目指すボルシェビキの思想)への恐怖、「他郷者」(ドイツ的でない者)に対する憎悪、大戦前時代への憧れ、現在の悲惨な状況からの解放という感情を広く持っていた。
3.新しいドイツの再生は、腐敗をもたらした「悪い敵」を絶滅することによってのみ可能とナチスは主張した。ナチスは「利益団体を超える」政党として活動し、多様な社会的要求を国民的刷新という統一的スローガンにまとめあげたため、他のどの政党よりも広範な社会層、特に中間層の支持を得た。
4.ワイマール体制は、共和国としての統合を実現できず、政治的アイデンティティーも創出できなかった。ナチスはこうした時代の人々の行動様式と価値観に難なく付け入った。ドイツ人の国民的結集、内外の重圧からのドイツ国民の解放、特にベルサイユ条約の敗北感からドイツ国民を救い、「大ドイツ」を作り上げる、つまり、ドイツには新しい出発と国民的再生が必要であるという主張は、中問層と農民層を深く捉えた。
5.この中閻層と農民層は、帝政時代の階級秩序の再建を望んでいたわけではない。彼らは左翼の平等主義を払いのける一方で、家柄と財産に基づくエリート主義を嫌悪した。機会均等と自らの資質に基づく新しいエリートが待望された。優秀な人物はそれにふさわしい地位を手に入れるのは当然であるという一方で「寄生虫」「怠け者」「望まれない分子」という負のレッテルを貼られた弱者を排除することが肯定された。
6.ユダヤ人は同化への必死の努力にもかかわらず、どこか「違う」とされ、羨望と裏返しの憎悪の対象になり、ユダヤ人は単に異なっているだけでなく、社会に悪影響を及ぼすという考えがナチスの宣伝によって広まった。ナチスのような狂気じみたユダヤ人迫害が可能だったのは、潜在的な反ユダヤ主義が、既に広範に流布されていたからである。人々はこの新しい国家は国民的利益を促進し、民族に有害な諸勢力を排除することで、しかるべき者にチャンスと地位をもたらすと信じたのである。
7.ナチス体制が最も力を注いだのは世論操作であった。ゲッベルスが率いる宣伝省の目的は能動的宣伝であった。ナチズムを積極的に支持しない人々をテロによって服従させるだけでなく、暗黙の了解や中立的態度のような中問派も許さなかった。宣伝省は国民を一致団結させてナチスの国民革革命のもとに結集させために求められているのは精神的動員であった。
8.メディアや文学、音楽などの芸術も画一化されナチスの方針に沿った世論作りに動員された。ナチスの教義自体は曖昧であったが、国民の一体性、民族共同体が至上の価値であり、盲目の犠牲と完壁な忠誠が要求され、異民族に対する一方的優越感が醸成されていった。中にはナチスの曖昧なイデオロギーを嘲笑し、冷静な態度をとる市民も存在したがマルクス主義の否定、秩序の回復、大量失業の解消、経済の発展、軍事力の再建、外交の勝利(ベルサイユ条約の破棄)、国民的自尊心の再生というナチス党の誇大な宣伝の前に沈黙した。
9.ナチス体制の残忍さや不公正さ、抑圧について批判する者などいなかった。学問の世界でも理性への反逆と生への渇望という心理が濃厚となり、ハイデガーの哲学も新しく生まれ変わりうるという希望を人々に与えた。生の哲学は、現実に悩み苦しむ生を丸ごと問題にする学問にすることが切望され。ワイマール共和国の終期には危機意識が一般化し、「このままではだめだ、一切を変えなければいけない」という言葉が頻繁に使われるようになり、指導者が待望され「共同体」という言葉に深い意味が込められるようになった。
10.このようなドイツ独特の状況は、ドイツの置かれた歴史的位置、つまり近代化の遅れと無縁ではなかった。この状況のもとで生まれたドイツロマン派の思想が、大きな影響を及ぼしている。アーレントはこの思想を批判した。


ハンナ・アーレント (FOR BEGINNERSシリーズ)
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2011年02月21日

GDP三位 3

32118380.jpg世界の一人当たりのGDPランキング(2009年)
1位ルクセンブルク、2位ノルウェー、3位 スイス
4位カタール、5位デンマーク、6位アイルランド
7位オランダ、8位アメリカ、9位オーストリア
10位アラブ首長国連邦、11位オーストラリア
12位フィンランド、13位ベルギー
14位スウェーデン、15位フランス
16位ドイツ、17位日本
18位カナダ、19位アイスランド
20位シンガポール 36、21位 イタリア
22位イギリス、23位スペイン
・・・
37位韓国、38位台湾
・・・
98位中国
http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpdpc.htmlより

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池上湖心の書 

日本の官僚は先例主義で学習能力がない 3

「小室直樹著:日本の敗因・・歴史は勝つために学ぶ、2000年、講談社」の著者は、昨年9月4日に亡くなった。その行動から奇人と評されることが多いが、その思想・学説は確かな資料を論理的に分析しており説得力がある。戦前から続く日本の官僚の腐朽についての分析は貴重である。本書の「第4章:勝てなかった日本のシステム・・目的を見失う官僚たち」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.太平洋戦争における日本軍は、対空砲火の重要性を知らずに、訓練も装備もいい加減だった。艦砲射撃への対策も必要だった。米軍が猛烈な艦砲射撃を浴びせてから上陸してくることは、マキン島やタラワ島の戦いでわかっていた。それなのに、相変わらずの「水際撃滅主義」、つまり、敵の上陸を海岸で撃破しようという考え方である。主力を海岸線に布陣させて、またもや艦砲射撃でやられている。
2.海岸なんて放っておいて、山を利用すればよかった。米軍の艦砲射撃にも耐えられるような地下壕をいっぱい掘っておいて、155ミリ砲をはじめとする日本の優秀な大砲をいっぱい揃えておく。飛行機も地下に格納しておく。それで艦砲射撃に耐えて、敵が上陸してきたところに集中砲火を浴びせる。そういう戦い方をするべきだった。
3.アメリカ軍の戦い方は、それまでの戦い方をみていたならばわかることである。敵の出方によって、こちらのやり方も柔軟に変えていく。これは、戦争に限らず、どんな戦いにおいても常識である。それができず、いったん決めた戦い方を頑迷に守って、それを繰り返す。これも、腐朽しきった軍事官僚制の弊害である。
4.昭和における日本の戦争の致命的な特徴の一つは、学習能力の不在である。連合軍の指揮官たちは言っていた。「われわれは何回敗けても、最後には勝つ。われわれは敗戦から学んで、戦争のやり方を改善する。しかし、日本はけっしてそれをしない。いつも千篇一律。同じ戦法でやってくるから、すぐに手の内が見えてくる」
5.例えば補給の問題である。日本軍にはもともと、兵站=補給という考え方そのものがな
かった。明治時代には、陸軍がドイツからメッケル少佐を招いたことがある。日本の代表は、ドイツの参謀総長モルトケに「世界最高の戦術家を推薦してくれ」と申し込んだ。モルトケはプロイセンの軍人で、陸軍を近代化し、プロイセンとオーストリアの戦争)とプロイセンとフランスの戦争を勝利に導いて、天才的戦術家とうたわれた人物である。そのモルトケが指名したのがメッケルだった。
6.日本の陸軍は、メッケルから、多くのことを教わった。その結果、日露戦争に勝つのだが、ドイッ軍は「日本の歩兵は、メッケルルの教えの通りに突撃する」と、大喜びした。そのとき、メッケルからただ一つ学ばなかったのが、兵站(補給)である。メッケルは本気で教えるつもりであったが、日本人は本気で研究はしなかった。昭和に入ると忘れてしまった。
7.日本軍は、補給というものを知らない。そのために何回、ひどい目にあっても気がつかない。1937年(昭和12年)12月の南京城総攻撃のとき、攻略部隊の進軍スピードが速すぎて、補給部隊は追いつけない。食べるものもなくて、多くの兵士はふらふらになりながら、総攻撃を敢行した。日本軍はこの体験を少しも学習せず、兵站は依然として不完全なままだった。そのため、次の年、漢口攻略戦のときにも補給ができず、餓死する兵士まで出た。
8.日本軍の無反省は、きわめて高くついた。中国軍相手のときは、兵站がどれだけ不完全でも敗けることはなかった。だが、ソ連軍やアメリカ軍が相手だと、そうはいかなかった。
1939年(昭和14年)のノモンハン事件のとき、日本陸軍は、ソ連の戦車にやられたことになっている。敗因は、敵の戦車であると言われていたが、事実は、その後の研究で兵站の不完全さにあることがわかった。補給ができなければ戦闘をやめるべきという原則、近代戦の初歩さえも日本軍はわかっていなかった。
9.悪いことには、何回ひどい目にあってもけっして反省しない。実戦から学習することをしない。当時の日本軍の上層部は、現場との接触を失ってしまっていた。だから、現実に柔軟に対応するということがまったくできなくなっていた。日本軍が、もし、実戦から学んで、補給の重要性を理解していたら、大東亜戦争におけるガダルカナルの悲劇もインパールの悲劇もなかった。


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2011年02月20日

独裁政権 3

1b192f06.jpg北アフリカ・リビア
最高指導者カダフィ大佐
41年にわたり権力を独占
治安当局側は徹底弾圧
デモ隊の映像には王制時代の国旗
政権に人権尊重の考え方なし
1942年にリビア北部シルトで遊牧民の子に生まれる
中学生のころから「革命」にあこがれ
ナセル・エジプト元大統領(1918-70)のアラブ民族主義に傾倒
1969年無血クーデター
イドリス国王を追放、軍事政権を樹立
27歳の若さで革命指導評議会議長


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池上湖心の書 

高齢者の方の屋根の雪下ろしによる死亡事故は行政の怠慢の犠牲 3

2月18日付けの大前研一さんのニュースの視点は『大雪被害に見る行政の怠慢〜「コミュニティ」で住民本位の行政を実現せよ』は、奥深い考察もあり参考になる。
概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.日本各地で大雪被害が深刻化している。除雪作業が間に合わず列車が運休するほか、雪の重みによる家屋の倒壊や除雪作業中の事故などが相次ぎ、特に高齢化が進む地域では人手不足が事態を深刻化させていることから、行政も除雪費用に予算を振り分けるなど対応に追われている。東北地方や北陸地方で記録的な大雪が続き、地域によっては雪を捨てる場所もないということが問題になっている。
2.大雪被害の本質的な問題は大きく以下の2つがある。
1)「高齢化」との関連。80歳を超える高齢者の方が屋根の上に登って1メートル以上の除雪作業に悪戦苦闘するのは危険であることは明らかである。今年になってすでに100人以上の死亡者が出ている。また建設業者への除雪継続可能年数調査によると、6年以上除雪継続が出来ると回答したのは青森県で約26%、長野県は約12%、群馬県は約3%に過ぎない。
2)「利権化」との問題。大前氏のスノーモービル友達の中にも、除雪のライセンスを取得して、今は除雪が忙しいので遊びに来られないという人がいる。建設業者にとってはより深刻である。冬の間は建設作業がないので、除雪作業がないと経営的に成り立たない。
3.これらの問題への対策はある。例えば北海道では積雪を防止する「屋根に取り付けるルーフヒーター」というものがある。屋根そのものを温めて雪を溶かしてしまうので積雪・除雪が不要になる。このような解決策は探せばすぐに見つかるのに、行政は何十年もの間放ったらかしにしてきた。毎年、高齢者の方が除雪作業で数百人も亡くなっているが、この悲劇は行政の怠慢が原因である。行政が率先して構造的に投資を行い問題解決に乗り出せば、一気にこのような問題はなくなる。
4.現実的に行政がこうした「地域」の問題を解決するためのキーワードは「道州制」と「コミュニティ」である。その考え方の基本は、
1)国の役割を外交・国防、金融などに限定する。
2)「産業基盤」の担い手として全国で11程度の「道州」を定める。道州の単位を考える際には、単に市町村や都道府県の合併したものではなく、産業基盤としての単位として考える。例えば、沖縄と九州は同一の「道州」にするべきではない。沖縄は東シナ経済圏を睨んだ独自の産業基盤を持つ。
3)この道州の下に「生活基盤」を担う「コミュニティ」を置き、道州の権限の多くを委譲する。人口30万人くらいの単位が、生活基盤のまとまりとしては最適である。全国で約400のコミュニティが誕生することになる。
4)コミュニティのコンセプトは「キャンプ場」のようなものである。キャンプ場の利用者が場所代(入場料)を支払うように、コミュニティに属する個人や家庭、企業は場所代として納税する。5)コミュニティは、例えばキャンプ場が水を提供し掃除をするのと同様に、住民の暮らしのために生活基盤を整備し、ゴミの処理や治安活動のほか、地域医療、教育、高齢者保護などサービスを提供する。
5.これまで国や県、市、郡、町、村がバラバラになってキャンプ場の役割を担ってきたが、それを統合して住民の暮らしに関するすべてをコミュニティが担当する。国民は揺りかごから墓場まで、あらゆる相談事をコミュニティの窓口を通して解決できるようになる。
6.大切な点は、「財源を自主確保」である。すなわち、コミュニティの財源はコミュニティの中で確保するシステムを作らなければいけない。そのために、コミュニティにはキャンプの入場料として、そこで生活する者および事業を営む者から、所得税と固定資産税を徴収する権限を付与する。所得税は全国一律とすべきだが、固定資産税の税率はコミュニティで調整できるようにする。コミュニティで徴収される税金は「安定した暮らしのための“木戸銭”だから、暮らしのために使われる」べきという認識を共有する。
7.現在のように国が税金を徴収して景気対策などの名目でバラ撒きを行っても、税金を払っている人の暮らしが良くなるわけでもなく、一向に大切な問題の解決にはつながっていない。あまつさえ、利権化の温床になっているケースすらある。この構造を根本的に見直すべきである。高齢者の人が除雪作業によって命を落とすという様なことがなくなり、 安心して生活できる地域社会を実現するためにも、1日も早く道州制・コミュニティを実現してもらいたい。


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2011年02月19日

放言 3

ff82a1c7.jpg鳩山元首相の放言
放言ではない
方便とは
無能記者達の揚げ足取り
北方領土2島プラスα
現実的なアイデア
4島は日本固有の領土です
を今後50年間唱えていても
国民には有害無益無意味
当時の島民は皆亡くなっている
自称愛国政治家の
自己PRの方便にするのは
政治家の無責任
第2次世界大戦後の領土という
ロシアのコメントに論理的で
国際的に説得力のあるコメントを
すかさず出せない
日本の政治家の無能さに失望


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池上湖心の書 

アメリカもテロ国家であるという理由 3

「鶴見俊輔監修:ノーム・チョムスキー、リトル・モア、2002」の「あとがき」には、哲学者:鶴見氏のノーム・チョムスキーの人物紹介が述べられており興味深い。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.チョムスキー自身にとって、ヴェトナム戦争への反対運動が当時、日本にあるということが、日本訪問のかくれた動機になっていた。日本の数学者:弥永良吉氏らのヴェト数懇(ヴェトナム戦争に反対する数学者の会)にも関心があった。本多勝一氏の『戦場の村』の英訳出版について、ノーム・チョムスキー氏は努力を惜しまなかった。そういう細かい実際的な活動にも手を貸していた。
2.「テロリズム」という言葉の使い方をノーム・チョムスキー氏は分析して、国家権力の責任者が、自分たちの側の活動にはテロリズという言葉を使わないことに疑問を感じていた。フランス大革命の推進者たちやナチスも、自分たちがテロリズムを実行しているとは言わなかった。2度の大戦における、ヨーロッパ諸国の支配層も同様であった。アメリカ合衆国も、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争に際して、自分たちの方法をテロリズムとは言わない。
3.その前から、アメリカ合衆国がラテンアメリカに対して行った計画的暴力行為はテロリズムそのものであったが、アメリカ合衆国国民は、自分たちの国がテロリズムを実行しているとは言わなかった。テロリズムとは、自分の国以外のものがとる行為に対して使う言葉になっている。その不条理に彼は何かできるのかと考えた。
4.講演会でのチョムスキーの表情は、追いつめられた苦しいものではなく、ゆっくりと、あかるく話していた。個人で会見しているときもそうだった。そこには、現在の米国政府への信頼を失っていても、アメリカ国民に対しては、信頼をもってた。
5.チョムスキーは言語学者として、わずかな原則を自由に使いこなして未来に向かう人間の本性を早くから身に付け今日に至っている。その長い歴史の中では、今年、来年とう短期ではなく、長い時間で働きつづける人間の活動を信頼して今この時を生きる。それがチョムスキーの表情をあかるくしていた。
6.ノーム・チョムスキーは 40年前に「自分はユダヤ人だ。過去を忘れない。自分には、原子爆弾を落とされた日本人が、もはやそれを忘れたように見えることが納得できない」と言っている。 チョムスキーは今、イスラエルの政策をひとりのユダヤ人として批判している。それは、アメリカ合衆国の政策を批判する多くのアメリカ人の一人でもある。


Noam Chomskyノーム・チョムスキー
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池上技術士事務所の紹介
261-0012
千葉市美浜区
磯辺6丁目1-8-204

池上技術士事務所(代表:池上雄二)の事業内容
以下のテーマの技術コンサルタント
1.公害問題、生活環境、地球環境
2.省エネ・新エネ機器導入
のテーマについて、
・技術コンサルタント
・調査報告書の作成
・アンケート調査・分析
・技術翻訳、特許調査
を承ります。
有償、無償を問わず
お気軽に下記にメールをください。
ke8y-ikgm@asahi-net.or.jp

工学博士、技術士(応用理学)、
公害防止主任管理者、
騒音防止管理者の資格で
お役に立ちたいと思います。

池上湖心 プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山に師事
書象会に所属、書象会理事
審査会々員
○作品展の開催
・主宰している「さざ波会」
 作品展を毎年8月開催
(於:稲毛ギャラリー)
・土曜会(グループ展)
 作品展を毎年10月開催
(於:銀座大黒屋)
○公募展の受賞、入選
・日展入選
・読売書法展(現在理事)
 読売奨励賞
 読売新聞社賞
・謙慎展(現在理事)
 春興賞の受賞:2回
○書道教室
・学生:月曜日
・一般:火曜日、水曜日





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