2011年03月
節電をした人がより得をするシステムが効果的
3月25日付けの大前研一さんのニュースの視点は『計画停電・復興資金〜一工夫で無理なく解決。政府はリーダシップを発揮せよ』と題する記事である。いつも具体的な提案をしてくれる同氏の発想の豊かさには敬服する。反面、菅首相や政治家から具体的なものが何も出てこない。命を懸けて取り組むなどというような言葉は聞き飽きた。命を懸けているかどうかは実際に行われている政策を見れば分かる。大前氏の提案の概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.東京電力は、3月14日から区域の1都8県を5つのグループに分けて順番に電力供給を停止する計画停電を開始した。しかし対象地域やグループ分けは毎日変更され、停電実施日に実際のグループと一致していない例も多く、混乱が続いている。この混乱は東京電力が機能不全に陥っている証拠である。
2.今回の計画停電について、以下のような指摘したいポイントがある。
1)東京電力は現代の「コンピューター社会」を理解していない。今の社会で電気の消費量が多いのはコンピューターである。特に、コンピューターの起動などのタイミングで多くの電力が消費されている。東京電力に泣きつかれて、菅首相は計画停電を「了承した」ということだが何を根拠に了承しているのか理解できない。
2)計画停電の実施状況に明らかな「差別」「恣意」を感じる。千代田区・港区などを避けて群馬県などの弱い立場にある地域に集中している。こうした姿勢も非常に「東京電力らしい」ところです。真っ先に自社のビルから停電にするくらいの誠意を見せるべきである。
3)大切なのは「節電」ではなく「集中排除」である。突然停電が起きるタイミングは、電力消費がピークに達した時であるす。蓮舫節電啓発担当相も「節約・倹約」を訴えているが、「ピーク時の電力消費量」が低くならなければ意味がない。消費量が低い真夜中にあえて暖房を止めて寒い思いをしてまで「節電」する必要はない。もちろん一般的に無駄な電力を節約するのは良いことだが、今回の趣旨とは違う。
3.これらの事実を踏まえて、電力を「15%」削減できる3つの施策を重ねて実行する。:
1)4月からサマータイムを採用し、時間を2時間早める。これから春・夏を迎えます。朝6時半から動き出すのではなく、2時間ずらして朝4時半からに変更する。太陽光をエネルギーにするのではなく、別の意味で太陽の力を借りるということである。これだけで4〜5%の削減できる。
2)企業や工場は週5日間を選択制で操業し電力需要を平準化する。東京電力管内の曜日別の電力需要量を見ると、土日が少なく、平日のピーク時は平均よりも約7%需要量が多くなっている。そこで、企業や工場は操業する曜日を週5日間から選択することで平準化を図る。もちろん多少の不便はあると思うが、これで約7%の削減できる。
が可能になると思います。
3)夏の甲子園を中止、または春か秋に変更する。1年間の中で最も電力消費量が多い8月への対策として、夏の甲子園を中止・延期する。甲子園で使われる電力の削減、冷房の効いた部屋で観戦する分の電力削減を狙う。
4.電力の東西グリッドの完全接続を実現する。日本では静岡県の富士川と新潟県の糸魚川付近を境にして、東側は50Hz、西側は60Hzの電気が送られている。これを完全に接続するためには相応の工事費用がかかるが、今回の混乱を見れば、世論も工事費の負担を受け入れてくれると思われる。今後、復旧まで3年〜5年ほど東京電力では発電量は20%減になる と思う。東西の日本でいつでも電力の貸し借りができる体制を今こそ作るべきである。
5.復興資金の捻出には大きく2つの方法が考えられる。
1)「期間限定・目的限定被災地救済消費税」の導入である。最大で2%の税率アップで約4兆円の復興資金を確保することができる。そのうち、2兆円を「被災地の住民」に、残りの2兆円を「公共・産業インフラ」に対する復興費用に充てます。消費税が上がると消費が冷え込むという見方もあるが、そこはリーダーシップを発揮して「東北地方に復興資金を送ろう」という雰囲気を創り出すべきです。
2)「節電のノルマ化と電気料金のレビュー化」である。まず、料金単価が安く設定されている大口顧客には、逆に「高い」もしくは我々と同程度の「普通」の金額設定にする。そして国民一人ひとりには「15%の削減ルール」を設定する。過去3ヶ月の平均使用量を基準として、以下のように電気の消費量に応じて料金を定める。
・85%以下(15%以上の削減):同一料金
・85〜94%(10%程度の削減):料金を10%アップ
・94〜100%(5%程度の削減):料金を15%アップ
・100%以上(削減できず):料金を20%アップ
このようなルールを設定すれば、自分の財布を直撃するので、真剣に「節電」について考え始める。料金のアップ分を「復興資金」として東北地方へ送れば良い。
6.日本GDPは、幸いなことにピーク時から経済規模は拡大していない。新たな原子力発電所を作る必要はない。今ある原子力発電所を大切にし、企業・国民が力を合わせて電力の削減に努め、5〜15%の削減を重ねていけば良い。政府は未だに具体的な方針を示していない。リーダーシップを発揮してすぐにでも着手して欲しい。
1.東京電力は、3月14日から区域の1都8県を5つのグループに分けて順番に電力供給を停止する計画停電を開始した。しかし対象地域やグループ分けは毎日変更され、停電実施日に実際のグループと一致していない例も多く、混乱が続いている。この混乱は東京電力が機能不全に陥っている証拠である。
2.今回の計画停電について、以下のような指摘したいポイントがある。
1)東京電力は現代の「コンピューター社会」を理解していない。今の社会で電気の消費量が多いのはコンピューターである。特に、コンピューターの起動などのタイミングで多くの電力が消費されている。東京電力に泣きつかれて、菅首相は計画停電を「了承した」ということだが何を根拠に了承しているのか理解できない。
2)計画停電の実施状況に明らかな「差別」「恣意」を感じる。千代田区・港区などを避けて群馬県などの弱い立場にある地域に集中している。こうした姿勢も非常に「東京電力らしい」ところです。真っ先に自社のビルから停電にするくらいの誠意を見せるべきである。
3)大切なのは「節電」ではなく「集中排除」である。突然停電が起きるタイミングは、電力消費がピークに達した時であるす。蓮舫節電啓発担当相も「節約・倹約」を訴えているが、「ピーク時の電力消費量」が低くならなければ意味がない。消費量が低い真夜中にあえて暖房を止めて寒い思いをしてまで「節電」する必要はない。もちろん一般的に無駄な電力を節約するのは良いことだが、今回の趣旨とは違う。
3.これらの事実を踏まえて、電力を「15%」削減できる3つの施策を重ねて実行する。:
1)4月からサマータイムを採用し、時間を2時間早める。これから春・夏を迎えます。朝6時半から動き出すのではなく、2時間ずらして朝4時半からに変更する。太陽光をエネルギーにするのではなく、別の意味で太陽の力を借りるということである。これだけで4〜5%の削減できる。
2)企業や工場は週5日間を選択制で操業し電力需要を平準化する。東京電力管内の曜日別の電力需要量を見ると、土日が少なく、平日のピーク時は平均よりも約7%需要量が多くなっている。そこで、企業や工場は操業する曜日を週5日間から選択することで平準化を図る。もちろん多少の不便はあると思うが、これで約7%の削減できる。
が可能になると思います。
3)夏の甲子園を中止、または春か秋に変更する。1年間の中で最も電力消費量が多い8月への対策として、夏の甲子園を中止・延期する。甲子園で使われる電力の削減、冷房の効いた部屋で観戦する分の電力削減を狙う。
4.電力の東西グリッドの完全接続を実現する。日本では静岡県の富士川と新潟県の糸魚川付近を境にして、東側は50Hz、西側は60Hzの電気が送られている。これを完全に接続するためには相応の工事費用がかかるが、今回の混乱を見れば、世論も工事費の負担を受け入れてくれると思われる。今後、復旧まで3年〜5年ほど東京電力では発電量は20%減になる と思う。東西の日本でいつでも電力の貸し借りができる体制を今こそ作るべきである。
5.復興資金の捻出には大きく2つの方法が考えられる。
1)「期間限定・目的限定被災地救済消費税」の導入である。最大で2%の税率アップで約4兆円の復興資金を確保することができる。そのうち、2兆円を「被災地の住民」に、残りの2兆円を「公共・産業インフラ」に対する復興費用に充てます。消費税が上がると消費が冷え込むという見方もあるが、そこはリーダーシップを発揮して「東北地方に復興資金を送ろう」という雰囲気を創り出すべきです。
2)「節電のノルマ化と電気料金のレビュー化」である。まず、料金単価が安く設定されている大口顧客には、逆に「高い」もしくは我々と同程度の「普通」の金額設定にする。そして国民一人ひとりには「15%の削減ルール」を設定する。過去3ヶ月の平均使用量を基準として、以下のように電気の消費量に応じて料金を定める。
・85%以下(15%以上の削減):同一料金
・85〜94%(10%程度の削減):料金を10%アップ
・94〜100%(5%程度の削減):料金を15%アップ
・100%以上(削減できず):料金を20%アップ
このようなルールを設定すれば、自分の財布を直撃するので、真剣に「節電」について考え始める。料金のアップ分を「復興資金」として東北地方へ送れば良い。
6.日本GDPは、幸いなことにピーク時から経済規模は拡大していない。新たな原子力発電所を作る必要はない。今ある原子力発電所を大切にし、企業・国民が力を合わせて電力の削減に努め、5〜15%の削減を重ねていけば良い。政府は未だに具体的な方針を示していない。リーダーシップを発揮してすぐにでも着手して欲しい。
日本のエリート官僚の育成を抜本的に変革することが急務
「小室直樹著:日本の敗因・・歴史は勝つために学ぶ、2000年、講談社」の著者は、昨年9月4日に亡くなった。彼の著作は全て原理、原則に基づいたものであり、説得力がある。本書の「第8章:どうすれば勝ち残れるのか・・日本の教育システムは、科挙と同様に堕落した」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.日本のエリートの入学試験のやり方を再検討するべきである。例えば、「3度のチャンス」の入試法も一案である。第1次試験は、小学校卒業の段階で、ずば抜けて優秀な人を選んで、彼らにベストな教育をほどこす。入学試験の科目は、算術と理科だけでよい。それも考える力の有無を判断する試験を眼目とする。
2.才能が片寄るという反論もあるが構わない。国語も英語も社会も、入学後によい教師をつけてみっちり教えれば、それで十分である。入学後も、数学と理科(とくに物理)が教育の中心になる。ただし、数学や理論物理学の才能では、早熟は大成にあらず、ということに留意する。
3.アメリカでは、高校で数学の「天才的才能」を発揮した者には、飛び級ならぬ「飛び大学」がある。大学の学部を経ないで、いきなり大学院に入れるコースがある。しかし、このスーパー・エリート教育は成果をあげていない。大学から大学院へと普通のコースをたどった数学者と、「飛び大学」させた数学者とを比べると、一人前になる比率も、業績の比率も差がなかった。早熟でその後しぼんでしまう人もいたし、晩成の人もいてさまざまである。
4.小学卒の段階だけでチャンスを与えるのは問題である。中学卒業の段階で、もう1回入試をやる。科目は、数学、物理学とくに力学とする。ここでも、考える力が試験のポイントになる。
5.戦前の高校の数学、物理学の教育は固定的で、数学は解析幾何学(デカルト幾何学)、高等代数学とその後に微分積分学だけだった。微分方程式はほとんどやらなかった。物理学の教育では不自由であった。
6.複素数関数論がなかったので、微分積分学のほんとうの意味が理解できなかった。行列式は出てくるのに行列はない。当時の高等学校の数学教育は、科学者の卵を養成するには、中途半端であった。物理学の授業も半端なものになってしまった。科学者のスタートにおいて、数学と物理学とをしっかりと理解しておくことが大事である。将来、どの方向へ進むとしても、この思考過程は肝要である。
7.高校卒業時にも3回目の入試のチャンスを与えるべきである。真のエリートを育てるための授業料は無料にするべきである。本人の生活費は全額支給する。日本がまだ貧しかった戦前、お金がなくて上級校に進学を断念せざるを得なかった人が多かった。不平等社会であった戦前日本には、そんな人が多かった。貧困ゆえに進学できない人材が、日本のエリートから洩れるのは残念である。
8.エリート教育の定員は1クラス15人強くらいとする。3クラスとして、全部で50人弱とする。その50人弱が、小卒組、中卒組、高卒組をそれぞれ3クラスとし、大学レベルまで卒業する人は、合計150人弱にする。
9.戦後の日本経済が、高度経済成長で欧米に追いついた理由の一つは、新制大学卒の技術者を数多く輩出したからであった。欧米諸国では、大学の数も少なく、技術者も少数だった。
ドイツのマイスター制度では多くの技術者は養成できなかった。技術者の数もまた大切である。
(東大法学部卒で代表されるようなエリートと言われる人たちは知識偏重、固定観念、思考停止、論理的思考の苦手な人が多い。彼らが日本の行政、司法の主要な地位についている現状が、日本の国の歪みを拡大し、日本の再生の障害になっている。国民もようやくそれに気がつきだしたが、この状態を早急に修復することが今一番必要なことである)
日本の敗因―歴史は勝つために学ぶ (講談社プラスアルファ文庫)
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1.日本のエリートの入学試験のやり方を再検討するべきである。例えば、「3度のチャンス」の入試法も一案である。第1次試験は、小学校卒業の段階で、ずば抜けて優秀な人を選んで、彼らにベストな教育をほどこす。入学試験の科目は、算術と理科だけでよい。それも考える力の有無を判断する試験を眼目とする。
2.才能が片寄るという反論もあるが構わない。国語も英語も社会も、入学後によい教師をつけてみっちり教えれば、それで十分である。入学後も、数学と理科(とくに物理)が教育の中心になる。ただし、数学や理論物理学の才能では、早熟は大成にあらず、ということに留意する。
3.アメリカでは、高校で数学の「天才的才能」を発揮した者には、飛び級ならぬ「飛び大学」がある。大学の学部を経ないで、いきなり大学院に入れるコースがある。しかし、このスーパー・エリート教育は成果をあげていない。大学から大学院へと普通のコースをたどった数学者と、「飛び大学」させた数学者とを比べると、一人前になる比率も、業績の比率も差がなかった。早熟でその後しぼんでしまう人もいたし、晩成の人もいてさまざまである。
4.小学卒の段階だけでチャンスを与えるのは問題である。中学卒業の段階で、もう1回入試をやる。科目は、数学、物理学とくに力学とする。ここでも、考える力が試験のポイントになる。
5.戦前の高校の数学、物理学の教育は固定的で、数学は解析幾何学(デカルト幾何学)、高等代数学とその後に微分積分学だけだった。微分方程式はほとんどやらなかった。物理学の教育では不自由であった。
6.複素数関数論がなかったので、微分積分学のほんとうの意味が理解できなかった。行列式は出てくるのに行列はない。当時の高等学校の数学教育は、科学者の卵を養成するには、中途半端であった。物理学の授業も半端なものになってしまった。科学者のスタートにおいて、数学と物理学とをしっかりと理解しておくことが大事である。将来、どの方向へ進むとしても、この思考過程は肝要である。
7.高校卒業時にも3回目の入試のチャンスを与えるべきである。真のエリートを育てるための授業料は無料にするべきである。本人の生活費は全額支給する。日本がまだ貧しかった戦前、お金がなくて上級校に進学を断念せざるを得なかった人が多かった。不平等社会であった戦前日本には、そんな人が多かった。貧困ゆえに進学できない人材が、日本のエリートから洩れるのは残念である。
8.エリート教育の定員は1クラス15人強くらいとする。3クラスとして、全部で50人弱とする。その50人弱が、小卒組、中卒組、高卒組をそれぞれ3クラスとし、大学レベルまで卒業する人は、合計150人弱にする。
9.戦後の日本経済が、高度経済成長で欧米に追いついた理由の一つは、新制大学卒の技術者を数多く輩出したからであった。欧米諸国では、大学の数も少なく、技術者も少数だった。
ドイツのマイスター制度では多くの技術者は養成できなかった。技術者の数もまた大切である。
(東大法学部卒で代表されるようなエリートと言われる人たちは知識偏重、固定観念、思考停止、論理的思考の苦手な人が多い。彼らが日本の行政、司法の主要な地位についている現状が、日本の国の歪みを拡大し、日本の再生の障害になっている。国民もようやくそれに気がつきだしたが、この状態を早急に修復することが今一番必要なことである)
日本の敗因―歴史は勝つために学ぶ (講談社プラスアルファ文庫)
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2011年03月24日
放射性物質
様々な放射性物質
ウラン、プルトニウム、トリウムのような核燃料物質
放射性元素
放射性同位体
中性子を吸収、核反応生成された放射化物質
原子炉で核燃料物質が核分裂して生成された物質
原子炉及び設備の鉄骨や水が中性子を吸収して生成された物質
核燃料物質によって汚染された物質
濃縮等の製錬によって核燃料物質となる核原料物質
放射線療法などで使用する放射性物質を放射線源
放射性物質を含む廃棄物を放射性廃棄物
(Wikipediaより)
検出された放射性物質
12都県で1キログラム当たり
放射性ヨウ素が0・14〜19ベクレル
4都県で放射性セシウムが0・31〜5・3ベクレル
曖昧な暫定値を決めた罪
ウラン、プルトニウム、トリウムのような核燃料物質
放射性元素
放射性同位体
中性子を吸収、核反応生成された放射化物質
原子炉で核燃料物質が核分裂して生成された物質
原子炉及び設備の鉄骨や水が中性子を吸収して生成された物質
核燃料物質によって汚染された物質
濃縮等の製錬によって核燃料物質となる核原料物質
放射線療法などで使用する放射性物質を放射線源
放射性物質を含む廃棄物を放射性廃棄物
(Wikipediaより)
検出された放射性物質
12都県で1キログラム当たり
放射性ヨウ素が0・14〜19ベクレル
4都県で放射性セシウムが0・31〜5・3ベクレル
曖昧な暫定値を決めた罪
個人IDによる行政の効率化を実施するべき、個人情報保護など別の問題である
「大前研一著:民の見えざる手・・デフレ不況時代の新・国富論、小学館、2010年」の著者は原子力の専門家でもある。今回の東北・関東大震災による行方不明者の捜査も難航している。特に市町村の行政機関が被災し、職員の多くが犠牲になった自治体もある。今後の復興に伴う社会保険などの行政コストの負担の増大も予想される。本書の「個人IDでさらに行政カット」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.国民教育から社会とのかかわりまで、かなり基本的な問題を整理する政策が必要になる。民主党は「個人識別ID」すなわち「国民総背番号制」を提案している。もともとこの考え方は自民党が何回か提案していたが、今の民主党の一部である旧社会党が「背番号は国民の監視に繋がり、また戦前の赤紙(徴兵制)に繋がるので反対」と唱えて今日まで実現していない。朝日新聞なども反対に回っていた。
2.日本には国民と国家を繋ぐ基本的なデータベースがない。戸籍はデータベース化されていないし、住民票は基礎データとして不十分である。住民基本台帳も大多数の人がまだ登録していない。
3.民主党が2009年の総選挙マニフェストで主張した考え方は、年金問題解決のためにすべての個人に識別IDをつけ、これを課税と年金のデータベース管理に使う、というものだった。また、社会保険庁を解体して国税庁と一体化した歳入庁(アメリカと同じIRS:International Revenue Services)をつくるというものであった。
4.長妻昭前厚生労働相は、社会保険庁を「日本年金機構」という名称に変えたが、実質的には延命させることになった。民主党はもともとの提案に戻るべきである。バイオメトリックス(指紋など生体認証)付きの非接触IC カードで個人識別IDを発行し、このデータベースを国が一元管理してすべての行政サービスを行なえるようにすべきである。欧米のデンマークなどでは生まれた時からこのようなIDを発行している。
5.成人年齢に達した人にこの識別IDを与えるという考えかたもある。アメリカでは収入が発生したら、その時から社会保障番号(SSN)が与えられる。この番号は納税や年金だけではなく、銀行口座を開くにも、運転免許証を取るにも必要となる。納税していなければ、行政サービスは受けられないシステムである。
6.日本では省庁ごとに異なるIDを発行しているし、手続きもその都度記入が要求される。パスポートや運転免許証、年金手帳、健康保険証、納税証明書、身分証明書、各種許認可の申請などすべてが、こうした国民データベースに基づいて行なわれると、今までのようにその都度記載する煩わしさはなくなる。
7.データベースをたどれば、納税だけではなく、病歴や処方箋なども見ることができるし、選挙の時のIDにもなる。今のように総選挙1回ごとに1000億円近い経費をかけることもなく、地上デジタルテレビ放送で候補者の紹介をして、携帯電話や固定電話、パソコンからでも投票できるようになる。旅行中に世界中どこにいても投票できる。
8.税金に関しても、納税額や納税履歴に応じた特典を与えることもできる。減税による景気対策を打つことも経費をかけずに実施できる。自民党政権末期の「定額給付金」では結局全員に配布することが物理的にできなかった。基礎自治体構想と合わせて国民データベースを構築できれば、行政コストを画期的に削減できる。国、都道府県、市町村などが同じデータベースを使えば、行政の重複も避けられ、人海戦術のサービスもすべて無人化、自動化できる。国家戦略局の最重要課題である。
民の見えざる手 デフレ不況時代の新・国富論
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1.国民教育から社会とのかかわりまで、かなり基本的な問題を整理する政策が必要になる。民主党は「個人識別ID」すなわち「国民総背番号制」を提案している。もともとこの考え方は自民党が何回か提案していたが、今の民主党の一部である旧社会党が「背番号は国民の監視に繋がり、また戦前の赤紙(徴兵制)に繋がるので反対」と唱えて今日まで実現していない。朝日新聞なども反対に回っていた。
2.日本には国民と国家を繋ぐ基本的なデータベースがない。戸籍はデータベース化されていないし、住民票は基礎データとして不十分である。住民基本台帳も大多数の人がまだ登録していない。
3.民主党が2009年の総選挙マニフェストで主張した考え方は、年金問題解決のためにすべての個人に識別IDをつけ、これを課税と年金のデータベース管理に使う、というものだった。また、社会保険庁を解体して国税庁と一体化した歳入庁(アメリカと同じIRS:International Revenue Services)をつくるというものであった。
4.長妻昭前厚生労働相は、社会保険庁を「日本年金機構」という名称に変えたが、実質的には延命させることになった。民主党はもともとの提案に戻るべきである。バイオメトリックス(指紋など生体認証)付きの非接触IC カードで個人識別IDを発行し、このデータベースを国が一元管理してすべての行政サービスを行なえるようにすべきである。欧米のデンマークなどでは生まれた時からこのようなIDを発行している。
5.成人年齢に達した人にこの識別IDを与えるという考えかたもある。アメリカでは収入が発生したら、その時から社会保障番号(SSN)が与えられる。この番号は納税や年金だけではなく、銀行口座を開くにも、運転免許証を取るにも必要となる。納税していなければ、行政サービスは受けられないシステムである。
6.日本では省庁ごとに異なるIDを発行しているし、手続きもその都度記入が要求される。パスポートや運転免許証、年金手帳、健康保険証、納税証明書、身分証明書、各種許認可の申請などすべてが、こうした国民データベースに基づいて行なわれると、今までのようにその都度記載する煩わしさはなくなる。
7.データベースをたどれば、納税だけではなく、病歴や処方箋なども見ることができるし、選挙の時のIDにもなる。今のように総選挙1回ごとに1000億円近い経費をかけることもなく、地上デジタルテレビ放送で候補者の紹介をして、携帯電話や固定電話、パソコンからでも投票できるようになる。旅行中に世界中どこにいても投票できる。
8.税金に関しても、納税額や納税履歴に応じた特典を与えることもできる。減税による景気対策を打つことも経費をかけずに実施できる。自民党政権末期の「定額給付金」では結局全員に配布することが物理的にできなかった。基礎自治体構想と合わせて国民データベースを構築できれば、行政コストを画期的に削減できる。国、都道府県、市町村などが同じデータベースを使えば、行政の重複も避けられ、人海戦術のサービスもすべて無人化、自動化できる。国家戦略局の最重要課題である。
民の見えざる手 デフレ不況時代の新・国富論
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2011年03月23日
復興への安定的財源として超党派で消費税アップに取り組むべき
読売新聞3月22日付の玄田有史氏(東大教授、労働経済学)の「復興へ安定的財源不可欠 超党派で消費税アップして」という見出しの投稿記事は参考になる。3月19日に当ブログで紹介した大前研一さんのニュースの視点『東北地方太平洋沖地震〜復興のための消費税「1%」増で「強い日本」に!』と題する記事と概ね同様の趣旨であり賛同される方も多いと思われる。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.東北関東大震災で被災した地域や人々に、全国そして世界中から多くの支援が届いている。物資の無償供給の他、寄付金を呼びかける運動も、多方面で展開されている。道路状況が整備されていけば、被災地でのボランティア活動も盛んになると思われる。を行う人たちも増えていくだろう。
2.支援はそれだけで十分ではない。被災を逃れた国民の責任もある。復興には、膨大な費用と労力、多くの忍耐、長期間必要である。その負担を全国民被が負うべきである。復興には安定的な財源を確保することが不可欠である。
3.日本の財政赤字の現状は震災前から赤信号が灯っていたのでに、復興のための膨大な費用の余裕はない。今回の震災をきっかけに、社会を立て直すための思い切った消費税率アップに踏み出すしか手立てはない。
4.財政再建を共通の目的として、今こそ民主党と自民党を中心に小異を捨てて団結する政治の大連立が早急に必要である。連立の上で消費税負担の必要性について、国民に熱意と誠意をもって説明し、税改正を一気に進めるべきである。復興に必要な資金を消費税のかたちで継続して集めることを多くの国民は理解してくれるだろう。被災地には当面、税免除なども考えられる。復興という名のもとに社会は一つになれる。
5.「どさくさにまぎれて」と揶揄する声もある。菅首相が谷垣自民党総裁に入閣を打診して、拒否され、連立は頓挫したように報道されている。見えないところで、老練な政治家たちが連立に向けた取り組みを進めているかもしれない。だが、今こそ志を持った若い政治家たちが、もっと透明なところで声を上げ、党派を超えて結束してほしい。その力で危機を乗り越えるべく、中心となって行動してほしい。
6.消費税アップは長らく、選挙や支持率を気にする余り、政治の力だけでは実現が難しかった。その結果、日本の財政は破綻の方向へと突き進んでだ。震災を契機とした政治の大連立により税制改革が実現すれば、過酷な体験に真正面から向かいあうことで、日本は自分の力で危機を乗り越えたという歴史が永遠に刻まれる。
7.悲しみと困難を克服すべく行動することで、亡くなった方々に報いることができる。財政再建に向けた道筋をつける良い機会である。この時機を逃せば、再建はもう無理である。何よりタイミングが重要である。
1.東北関東大震災で被災した地域や人々に、全国そして世界中から多くの支援が届いている。物資の無償供給の他、寄付金を呼びかける運動も、多方面で展開されている。道路状況が整備されていけば、被災地でのボランティア活動も盛んになると思われる。を行う人たちも増えていくだろう。
2.支援はそれだけで十分ではない。被災を逃れた国民の責任もある。復興には、膨大な費用と労力、多くの忍耐、長期間必要である。その負担を全国民被が負うべきである。復興には安定的な財源を確保することが不可欠である。
3.日本の財政赤字の現状は震災前から赤信号が灯っていたのでに、復興のための膨大な費用の余裕はない。今回の震災をきっかけに、社会を立て直すための思い切った消費税率アップに踏み出すしか手立てはない。
4.財政再建を共通の目的として、今こそ民主党と自民党を中心に小異を捨てて団結する政治の大連立が早急に必要である。連立の上で消費税負担の必要性について、国民に熱意と誠意をもって説明し、税改正を一気に進めるべきである。復興に必要な資金を消費税のかたちで継続して集めることを多くの国民は理解してくれるだろう。被災地には当面、税免除なども考えられる。復興という名のもとに社会は一つになれる。
5.「どさくさにまぎれて」と揶揄する声もある。菅首相が谷垣自民党総裁に入閣を打診して、拒否され、連立は頓挫したように報道されている。見えないところで、老練な政治家たちが連立に向けた取り組みを進めているかもしれない。だが、今こそ志を持った若い政治家たちが、もっと透明なところで声を上げ、党派を超えて結束してほしい。その力で危機を乗り越えるべく、中心となって行動してほしい。
6.消費税アップは長らく、選挙や支持率を気にする余り、政治の力だけでは実現が難しかった。その結果、日本の財政は破綻の方向へと突き進んでだ。震災を契機とした政治の大連立により税制改革が実現すれば、過酷な体験に真正面から向かいあうことで、日本は自分の力で危機を乗り越えたという歴史が永遠に刻まれる。
7.悲しみと困難を克服すべく行動することで、亡くなった方々に報いることができる。財政再建に向けた道筋をつける良い機会である。この時機を逃せば、再建はもう無理である。何よりタイミングが重要である。
世界のスラム街の住民もグローバル経済に巧みに組み込まれて貢献している
「池田香代子編著:世界がもし100人の村だったら、マガジンハウス、2002年」のダグラス・ラミス(C.Douglas Lummis:政治学者)の「経済発展の時代は終わった、踊りましょう!」の「なぜ貧乏なのか」も格差社会の日本の今の時代に示唆に富む内容である。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.本書は現実の世界の不平等を暴いた。しかし、不平等の理由、それが維持されている理由については何も語っていない。この部分は読者が考えるよう残されている。しかし、これが最も重要な問題である。
2.貧乏な人たちは天然資源の乏しいところに住んでいるから貧乏なのではない。世界の貧しい層の多くは世界で最も資源の豊かなところに住んでいる。その地域から膨大な富か生まれている。世界には比較的資源の少ないところに住み、貧しい国々から資源を輸入して富をつくりそれを維持している人たちがいる。
3.貧乏な人たちは一生懸命働かないから貧乏なのではない。豊かな人たちは、仕事中毒の人を別として、あまり働かない。さらなる豊かな金持ちは全く働かない。金持ち国でもよく働く人たちがたくさんいるが、貧乏な国で、コーヒーやバナナ栽培、衣服やスポーツシューズをつくるために低賃金で劣悪な労働条件の工場の労働者ほど働かない。
4.貧乏な人たちは経済発展の遅れた地域に暮らしているから貧乏なのではない。大多数の人びとはそうだと信じているが幻想である。1949年、トルーマン米大統領が「アメリカ政府は『低開発国を開発させる』プログラムを開始する」と世界に向けて発表した。それから半世紀以上、開発計画は、多くの政府だけではなく、国連やその関係機関、IMF、世界銀行、WTO(世界貿易機関)、NGO(非政府組織)などに支持され、エリートや企業の幹部に支持されてきた。しかし、経済発展は、世界の貧しい人びとを救い上げる慈善事業にはならなかった。むしろ、地球上のすべての人を資本主義産業システムに動員することになった。
5.その動因は初期段階では、植民地主義という方法で行われた。植民地では多くの人びとが奴隷や強制労働によって産業経済に参人させられた。奴隷にはならなかったが、植民地システムのなかで植民者が所有する農場や工場で職を探すほかなかった。
6.第2次世界大戦後、植民地解放運動によって直接的な植民地化は不可能になり国連憲章もそれを違法にした。しかし政治的植民地はなくなっても、経済的な動員のプロセスはなくならなかった。それが「発展」とか「近代化」と呼ばれるようになった。今日では「グローバリゼーション」と呼ぶのが流行っている。世界を資本主義産業システムに組み込む本質的なプロセスは変わっていない。
7.このプロセスによって絶対的貧困が無くなり、貧富の差を減らすことができると信じている人たちがいる。しかし、19世紀の初めから、資本主義産業システムでは、自由市場に任され、貧富の差を拡大している。資本主義の初期、西洋諸国においてこれは労働者階級の貧困化を意味した。その後、植民地化で始まった経済システムのグローバル化によって、そのシステムは、後に欧米や日本、いくつかの他のアジア諸国において労働者階級が比較的豊かになった部分もあったため、もしそのシステムが十分長く続けば貧困を解決するだろう、という幻想をつくってしまった。
8.その幻想を信じた人たちが気付かなかったのは、この経済システムが世界規模になったとき、豊かな金持ちになれたのは一握りの国で、不平等は再生産され続け、北の国と南の国の問の不平等になったということである。
9.この傾向は、第2次世界大戦後の半世紀にわたって続いてきた。1960年の金持ち国に住む世界人口のうちの20%の最富裕層は、貧乏国に住む20%の最貧困層の平均30倍の収入を得ており、1990年までに比率は2倍になり、収入は60対1となった。
10.これは発展が予期に反して失敗したということではない。世界の主要な国の政治家や経済人が頭を使い積極的に推進した結果である。貧困は、合理化されて利益を引き出すシステムにつくり変えられてきた。これは「貧困の近代化」と呼ばれている。
11.貧乏国の立派な高層ビルがあるが、その郊外にはスラム街がある。前者を「発展している」とか「近代的」と呼び、後者を「発展が遅れている」と考えがちであるが、間違いである。両者ともこの経済システムの産物である。
12.スラム街の住民はグローバル経済に巧みに組み込まれている。彼らは高層ビルの窓をふいたり、トイレを掃除したり、リサイクルのための空き瓶やプラスティックを回収している。劣悪環境の工場でブランドもののスポーツシューズをつくるのが近代的と言うように、これらは全て高度に近代的な職業であるが、人びとを貧困から解放する職業ではない。
世界がもし100人の村だったら
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1.本書は現実の世界の不平等を暴いた。しかし、不平等の理由、それが維持されている理由については何も語っていない。この部分は読者が考えるよう残されている。しかし、これが最も重要な問題である。
2.貧乏な人たちは天然資源の乏しいところに住んでいるから貧乏なのではない。世界の貧しい層の多くは世界で最も資源の豊かなところに住んでいる。その地域から膨大な富か生まれている。世界には比較的資源の少ないところに住み、貧しい国々から資源を輸入して富をつくりそれを維持している人たちがいる。
3.貧乏な人たちは一生懸命働かないから貧乏なのではない。豊かな人たちは、仕事中毒の人を別として、あまり働かない。さらなる豊かな金持ちは全く働かない。金持ち国でもよく働く人たちがたくさんいるが、貧乏な国で、コーヒーやバナナ栽培、衣服やスポーツシューズをつくるために低賃金で劣悪な労働条件の工場の労働者ほど働かない。
4.貧乏な人たちは経済発展の遅れた地域に暮らしているから貧乏なのではない。大多数の人びとはそうだと信じているが幻想である。1949年、トルーマン米大統領が「アメリカ政府は『低開発国を開発させる』プログラムを開始する」と世界に向けて発表した。それから半世紀以上、開発計画は、多くの政府だけではなく、国連やその関係機関、IMF、世界銀行、WTO(世界貿易機関)、NGO(非政府組織)などに支持され、エリートや企業の幹部に支持されてきた。しかし、経済発展は、世界の貧しい人びとを救い上げる慈善事業にはならなかった。むしろ、地球上のすべての人を資本主義産業システムに動員することになった。
5.その動因は初期段階では、植民地主義という方法で行われた。植民地では多くの人びとが奴隷や強制労働によって産業経済に参人させられた。奴隷にはならなかったが、植民地システムのなかで植民者が所有する農場や工場で職を探すほかなかった。
6.第2次世界大戦後、植民地解放運動によって直接的な植民地化は不可能になり国連憲章もそれを違法にした。しかし政治的植民地はなくなっても、経済的な動員のプロセスはなくならなかった。それが「発展」とか「近代化」と呼ばれるようになった。今日では「グローバリゼーション」と呼ぶのが流行っている。世界を資本主義産業システムに組み込む本質的なプロセスは変わっていない。
7.このプロセスによって絶対的貧困が無くなり、貧富の差を減らすことができると信じている人たちがいる。しかし、19世紀の初めから、資本主義産業システムでは、自由市場に任され、貧富の差を拡大している。資本主義の初期、西洋諸国においてこれは労働者階級の貧困化を意味した。その後、植民地化で始まった経済システムのグローバル化によって、そのシステムは、後に欧米や日本、いくつかの他のアジア諸国において労働者階級が比較的豊かになった部分もあったため、もしそのシステムが十分長く続けば貧困を解決するだろう、という幻想をつくってしまった。
8.その幻想を信じた人たちが気付かなかったのは、この経済システムが世界規模になったとき、豊かな金持ちになれたのは一握りの国で、不平等は再生産され続け、北の国と南の国の問の不平等になったということである。
9.この傾向は、第2次世界大戦後の半世紀にわたって続いてきた。1960年の金持ち国に住む世界人口のうちの20%の最富裕層は、貧乏国に住む20%の最貧困層の平均30倍の収入を得ており、1990年までに比率は2倍になり、収入は60対1となった。
10.これは発展が予期に反して失敗したということではない。世界の主要な国の政治家や経済人が頭を使い積極的に推進した結果である。貧困は、合理化されて利益を引き出すシステムにつくり変えられてきた。これは「貧困の近代化」と呼ばれている。
11.貧乏国の立派な高層ビルがあるが、その郊外にはスラム街がある。前者を「発展している」とか「近代的」と呼び、後者を「発展が遅れている」と考えがちであるが、間違いである。両者ともこの経済システムの産物である。
12.スラム街の住民はグローバル経済に巧みに組み込まれている。彼らは高層ビルの窓をふいたり、トイレを掃除したり、リサイクルのための空き瓶やプラスティックを回収している。劣悪環境の工場でブランドもののスポーツシューズをつくるのが近代的と言うように、これらは全て高度に近代的な職業であるが、人びとを貧困から解放する職業ではない。
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