2011年12月

2011年12月31日

平和を祈念する 3

5992e68a.jpg英紙タイムズが選んだ
今年の人
チュニジアで焼身自殺
中東の民衆運動「アラブの春」のきっかけ
果物商ムハンマド・ブアジジ氏=当時(26)
正義を求める果物商
身命を賭した抵抗で
世界を変える革命の火付け役
今年、最も重要な人物だった
(12月28日時事トットコムより)

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池上湖心の書 

アメリカの北ベトナム攻撃がほとんど無駄だったのは北ベトナムという国をよく知らなかったためである 3

「池上彰著:そうだったのか!現代史、集英社、2010年第16刷」の第10章アジアの泥沼・ベトナム戦争」の「トンキン湾決議」の小節は参考になる。戦争の回顧録、山本五十六の映画やテレビを見るときは、真実は30%くらいと思っているほう歴史を正しく理解できる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.「トンキン湾決議」にもとづき、アメリカ軍は、北ベトナムへの爆撃を開始した。当初は、魚雷艇の出撃港だとアメリカが断定した2つの港に限られたものだったが、やがて爆撃はエスカレートしていった。ベトナムでの解放戦線の活動が次第に活発になっているのは、北ベトナムが支援しているからだ、というのが、アメリカの北ベトナム攻撃の理由であった。
2.「北ベトナムへの爆撃」は略して「北爆」と呼ばれた。爆撃開始にあたって、カーチス・ルメイ空軍参謀総長は、「北ベトナムを石器時代に後戻りさせてやる」と、実に思い上がった発言をした。これは、北ベトナムがアメリカのような工業国であることを前提にした発言だった。実際には北ベトナムは農業国で、工業施設はほとんどなかった。爆撃で石器時代に戻そうにも、破壊すべき近代的な施設は、そもそもそれほど存在していなかった。
3.北爆には、B52爆撃機が使われた。ジエットエンジンを8基も搭載した巨大な爆撃機で、225キロ爆弾を1度に108発も運ぶことができた。この巨大な爆撃機の編隊が、連日北ベトナムの空を飛んだ。
4.アメリカは、軍需工場や燃料の集積施設をねらった。北ベトナムは、「分散」の思想で対抗した。燃料をどこか1ヵ所に集積すると、そこが爆撃されれば、大損害を受ける。そこで、道路や空地など、いたる所に、燃料のドラム缶を並べた。ごく1部が被害を受けることはあっても、ほとんど無傷で済むし、大きな施設も必要なく、空地に置くだけでよかった。5.軍需工場といっても、戦車や高射砲などの大砲、対空ミサイルは、ソ連や中国から送られてきたから、自国で生産しているわけではない。小さい部品は、地下に工場を作り、そこで生産を続けた。
6.アメリカの北爆で、住民には大きな被害が出たが、工業力には、大した被害は出なかった。これも、アメリカが北ベトナムという国をよく知らなかったために起きた誤算だった。北ベトナムは、アメリカからの爆撃を受けるほど、戦意を燃やした。
7.「南の同胞は、こんな爆撃を毎日受けているのだ」と思うと、南への支援を強化する意欲が高まった。北ベトナムは、北爆をきっかけに、南で戦う解放戦線への支援を強化することになった。それまで北からの影響が少なく、独立した戦いを続けてきた南ベトナム民族解放戦線は、これ以降、北ベトナムからの膨大な支援を受けて、戦力を強化した。
8.北ベトナムの正規軍がひそかに南下して、解放戦線に合流した。主導権は次第に北ベトナムに移っていった。アメリカが、「解放戦線の実態は北ベトナム軍だ」と主張していたのは、当初は必ずしも当たっていなかったが、次第に事実に近いことになっていった。


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2011年12月30日

消費税 3

4b701cf0.jpg野田首相の説得
民主党で決着
8%と10%の2段階
公務員給与の削減前には
実施しないと明記
自民党の屁理屈に注目

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池上湖心の書 

アラブ・ナショナリズムの起源は19世紀までさかのぼり、1950年代から60年代が最盛期でアラブ諸国の統一が試みられてきた。 3

「塩尻和子、池田美佐子共著:イスラムの生活を知る事典、東京堂出版、2004年」の「近代化・政治・国際関係」の章の「アラブ・ナショナリズム」下の「選挙」の小節は現在の世界の動向を知る上で参考になる。アラブの春との関連で読むとなるほどと思うことが多い。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.アラブ・ナショナリズムはアラブの政治的な統一を目指した思想や、それに基づいた運動を意味する。現在アラブ世界を統一する国家は存在しない。しかし、「アラブ」を正式名称に冠する国家はエジプト、リビア、シリアなどがあり、また、アラブ連盟も1945年から活動を続けている。アラブ・ナショナリズムの起源は19世紀までさかのぼるが、アラブ諸国独立後のアラブ・ナショナリズムは1950年代から60年代が運動の最盛期で、実際にアラブ諸国の統一も試みられた。
2.19世紀の最初の運動は、レバノンを中心にキリスト教徒やイスラム教徒の知識人の間で始まり、言語や歴史などを通してアラブの文化的自覚を促すアラブ主義が生ま.れた。「アラブ人」の政治的独立を目指すアラブ・ナショナリズムは、20世紀の初頭に起こった。とくに、オスマン帝国の支配下にあったアラビア語を母語とする現在のシリアやレバノンのアラブ人は、帝国の新しい、「トルコ主義」の政策、そしてそれに続く帝国の崩壊の過程で、アラブ・ナショナリズムの思想と運動を発展させていった。
3.最初の「アラブ帝国」建設の運動は、第1次世界大戦中に起こったもので、映画の「アラビアのローレンス」で有名な「アラブの反乱」である。マッカの大守フサインがイギリスの協力の下にオスマン帝国に反旗を翻して攻撃を開始し、1918年にはダマスカスに入城してアラブ政府を樹立した。しかし、最終的には列強の思惑によってこの政府はまもなく崩壊し、最初のアラブ・ナショナリズムの夢は果たされなかった。
4.その後、アラブ・ナショナリズムの気運が再上昇するのは、パレスティナ問題の危機がアラブ地域全体に浸透していく30年代からで、次いで45年のアラブ連盟結成、47年のパレスティナ戦争の過程で高まっていった。そして、運動のピークは、1956年のエジプトのナセル大統領によるスエズ運河の国有化宣言によって訪れた。これによってナセルは、西欧帝国主義に毅然と対抗するアラブのリーダーとしてアラブ民衆の強い支持を獲得し、エジプトはアラブ・ナショナリズムを推進する中心国となった。
5.1958年にはエジプトとシリアの国家連合が成立し、アラブ統一の気運が最高潮に達した。しかし、現実にはエジプトとシリアの国益の食い違いが明らかとなり、この連合は3.年後の61.年に解消した。その後もアラブ諸国内では政治統合のさまざまな計画や話し合いは継続していったが、これまでに成功例はない。
6.シリアでも40年代からアラブの統一を目標とするバアス党の運動が始まり、60年代にはシリアとイラクの両国でパアス党政権が誕生した。シリアでは70年以降、ハーフェズ・アサド大統領のバアス党政権が30年間続き、2000年の逝去後は息子バッシャール・アサドが政権を受け継いでいる、イラクのバアス党政権は68年(78年にサッダーム・フサインが大統領に就任)から2003年のイラク戦争での崩壊まで続いた。その間のシリアとイラクは同じバアス党政権にありながら袂を分かち、厳しい緊張関係にあった。
7.1950年代60年代のアラブ・ナショナリズムは反帝国主義、社会主義を標榜して広い民衆の支持を得たが、67年の第3次中東戦争におけるアラブ軍の大敗、70年代の湾岸諸国の石油産油国の台頭、79年のイラン・イスラム革命などの一連の出来事によって、その力を失っていった。
8.政治統合としてのアラブ・ナショナリズムは影を潜めたが、しかし、今日においてもアラブ国家やアラブ人の間の連帯や協力関係は、各分野で見られる。アラブ世界内での活発な人的移動、商業や投資活動、さまざまな文化面での協力や交流などでアラブ同胞の問の密接な関係は維持されている。



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2011年12月29日

消費増税 3

be02b5f6.jpg民主党の公約違反
結局霞ヶ関官僚が
動かしている日本
未熟な民主主義の日本
無意味な国政選挙
不完全な三権分立
司法と行政の結託
民主勢力の芽を摘む日本
真の民主党を



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池上湖心の書 

ベトナム戦争の後始末は終わっていない 3

「池上彰著:そうだったのか!現代史、集英社、2010年第16刷」の第10章アジアの泥沼・ベトナム戦争」の「ホーチ・ミン・ルート」の小節は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.北ベトナムから南の解放戦線へ軍事物資を運ぶルートは、当時の北ベトナムの指導者の
名前をとって、「ホー・チ・ミン・ルート」と呼ばれた。南北ベトナムの境の非武装地帯は警戒が厳重だったため、北ベトナムの輸送部隊は、いったんラオス国内に入り、険しい尾根伝いに南下して、南ベトナムに物資を運んだ。さらに南下を続けてカンボジア国内を通り、南ベトナムの南部に送り届けるルートもあった。北ベトナム軍の兵士も、このルートを通った。このルートは、直線距離にして1400キロ、総延長は4000キロを超える長い補給路であった。
2.北ベトナム軍がラオスとカンボジアを勝手に通っていたが、当時のラオスもカンボジアの政府も、北ベトナムに対抗する力は持っておらず、黙認するしかなかった。当初は、尾根伝いやジャングルの中を通る細い道で、人手に頼って運んでいたが、やがて自転車に積んで運ぶようになり、さらには、堂々とトラックで運ぶまでになった。
3.最盛期には、北ベトナムは1万台のトラックと2万台の自転車を動員した。アメリカは、この補給ルートをつぶそうと、連日大量の空軍機を使って爆撃をくり返したが、人海戦術による輸送を完全に阻止することはできなかった。
4.アメリカ軍の爆撃で破壊された道路は、直ちに補修された。このルートの維持・補修に、北ベトナムは20万人を動員した。このルートがラオス、カンボジア領内を通っているため、アメリカ軍は、ラオス、カンボジアも、ひそかに爆撃した。この事実は、ベトナム戦争中は秘密にされていた。
5.ラオスやカンボジアの国内で活動する反政府の共産ゲリラを攻撃するための爆撃も繰り返された。ラオス北東部には、いまもこの爆撃の跡が点々と残っている。不発弾も多く、田んぼで農作業をしている農民や、遊んでいる子どもたちが爆発で死傷する事故が相次いでいる。ベトナム戦争は、まだ終わっていない。


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2011年12月28日

忘念もて出来上がりゆく高齢の脳ありて人間の終わり楽しも 3

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馬場あき子句
長谷川櫂解説
高齢者が分かること
未知の世界が垣間みえる
妄想と執念のかたまり
忘年会
忘念会
忘れてはならない
大震災
国のトップの
取り乱し
首相の器のある人は誰?
(読売新聞2011.11.16より)



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池上湖心の書 

社会主義的な市場経済のメリットとは? 3

「副島隆彦著:新たなる金融危機に向かう世界。徳間書店、2010」はユニークな本である。確かな情報源があるのか最後まで疑問が残る内容であるが、感覚的に共感する部分があるので紹介したい。「第3それでもユーロとEUは崩壊しない」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.金融危機に陥るのは、中国ではないかと一部の者たちが言い出している。いつもながらの「中国分裂論」、「中国大崩壊論」の焼き直しであり、間違いである。中国は崩壊しないし、中国への金融危機の伝播や財政破綻も起きない。なぜなら今の中国人は、したたかで優秀である。アメリカなんかに騙されない。もし、中国の株式市場や、人民元の信用危機が起きそうになったら、中国政府は、取引市場を、お得意の強権発動で、市場統制を一斉に断行してしまうからである。
2.これが中国がこれまで主張してきた「社会主義的な市場経済」のプラスの面である。高度資本主義国のアメリカも日本も、実際には金融統制をやっている。中国政府は、遠慮しないで、自国が危ないと思ったら強力な統制を上からかける。外国からの害毒は即座に遮断する。
3.アメリカの過剰な金融バクチの投機資金の流入や、超高速取引での不自然な取引価格の出現に対しては、強力な政府統制を行う。だからヨーロッパの次に中国に金融・財政危機が波及することはない。
4.中国共産党が気にしているのは、上海の不動産バブルと株式市場である。中国政府としては、上海と広東省のバブルさえ抑え込めればと温家宝首相は考えている。上海だけが、他の内陸部のまだ貧しい省たちに比べて、突出して繁栄している。この現状をなんとかしたいと考えている。上海の金融過熱さえ厳しく管理できればいい。
5.上海の住宅と金融のバブルは、上海閥の連中が起こしている。彼らは太子党=石油党でもあり、腐敗して富豪化している。これに倣って他の各省の幹部たちにも隠れた富豪たちが数百万人単位で出現している。内陸部の省はまだまだ貧しくて、開発意欲がまさにこれから起きる地帯である。中国は、生産過剰がもたらすデフレ不況を、内陸部、ユーラシア大陸全体の旺盛な消費需要で補うことができる。だからデフレ危機と賃金の下落をコストプッシュ・インフレで自律的に克服できる。だからアメリカが中国に世界的な金融恐慌の連鎖を計画的に持ち込もうとしても失敗する。
6.中国経済に対して楽観的である。中国が、日本や欧州が受けたような、ハゲタカ外資による超短期資金の金融バクチ攻撃で翻弄され、大混乱に陥るとことはない。中国はさっさと防壁を築いて果断に自衛策を講じる。だから人民元の切り上げも、着実に少しずつ行う。
7.外国人の投機家たちにみすみす大儲けさせない。外国からの投機資金の流入を許さず計画的に資金配分をする。まだまだ内陸部は貧しくて、正常で健全な資金需要が強いの。お金にも、健康で真面目なお金と、不健全で腐ったお金がある。日本や欧米にあるような汚れた過剰資金ばかりではない。世の中のためになる正しい設備投資のための資金需要である。
8.中国に対するアメリカからの圧力がものすごい。人民元切り上げの通貨政策の担当者が、李克強副首相になることが決まった。中国の李克強副首相は共産党理論誌「求是」に掲載した論文で、「人民元の相場形成メカニズムの改革をさらに進める必要がある」と指摘した。高度に政治問題化した人民元改革について、胡錦濤国家主席と温家宝首相以外の最高指導部メンバーが言及するのは珍しい。次期首相の最有力候補と目される李氏が、人民元改革で発言力を強めつつある。
9.論文は、人民元改革に関して「合理的で均衡のとれた水準で相場の基本的な安定を保つ原則の下、元相場が経済構造の調整に積極的な作用を発揮すべきだ」と訴えた。李氏の論文は人民元改革が産業構造の高度化を促すと主張した点で新味があり、「改革に前向き」との見方につながっている。副首相の筆頭格である李氏は、経済政策全般を統括する立場である。、人民元に関する発言はこれまでほとんどなかった。市場では「李氏が次期首相の足場を固めつつある」との観測も出ている。通貨問題と対外経済問題の交渉担当者が、これまでの王岐山副首相から、北京派で、汚れていない立派な指導者である李克強に変った。これで李克強が、2年後の2012年10月に、首相(国務院総理)になることがほぼ決まり、規律ある人民元の上昇ということになる。


新たなる金融危機に向かう世界
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2011年12月27日

汚染土処理 3

172da348.jpg放射性セシウムは
ゼオライト吸着
ダイオキシン
炭化水素系は
微生物の力
バイオレメディエーション
植物の力
ファイトレメディエーション
の可能性

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池上湖心の書 

ベトナム戦争の枯葉作戦の怖さを語り継ごう 3

「池上彰著:そうだったのか!現代史、集英社、2010年第16刷」の第10章アジアの泥沼・ベトナム戦争」は、当時、こんな真相はどの新聞も報道されてなくてかなの偏見でベトナム戦争の印象をもって今日まできていることが分かる。「枯葉剤作戦」の小節も参考になる。
印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.南ベトナム解放戦線は、熱帯のジャングルを味方に戦っていた。アメリカ軍が上空
から解放戦線のゲリラを探そうにも、ジャングルにおおわれた地上を見ることはできない。上空から爆弾を投下しても、密集したジャングルでは破壊力は小さかった。ジャングルは自然の障壁、緑の防壁だった。
2.これに対してアメリカ軍がとった作戦が、「枯葉剤」の空中散布だった。除草剤、枯葉剤を大量にまくことにより、ジャングルの木々を枯らしてしまう環境破壊作戦だった。この除草剤には、不純物としてダイオキシンが混じっていた。当初は人間への影響がないと言われた除草剤だったが、混じっていたダイオキシンが人間にとって極めて有害なものであることが、その後わかってきた。高い発ガン性や、異常出産をもたらす危険性があった。除草剤を浴びたベトナム国民はもちろんのこと、大量の除草剤を扱ったり、作戦行動中に除草剤を浴びたりしたアメリカ兵も、戦後アメリカに帰国してから、後遺症に悩まされた。ベトナム戦争が終わってからも、2人の体がつながって生まれた「ベトちゃん、ドクちゃん」のような赤ちゃんの出産が相次いだ。戦争は、環境や子孫への犯罪となった。
3.環境破壊をともなう戦術をとっても、アメリカ軍は苦戦した。南ベトナム民族解放戦線にとつて、ジャングルや山岳地帯は、生まれ育った郷土である。この地形をフルに生かして戦うことができる。解放戦線のゲリラは、自分たちの土俵で戦争をすることができた。
4.一方、遠いアジアに連れてこられたアメリカ兵には、まったく未知の土地である。勝手が違うアメリカ軍は焦るばかりで、「解放戦線がいる」という情報を得ると、まず戦闘機やヘリコプターが出動して空から爆撃した。続いて地上部隊がかけつけて、その場にいる農民や家族をつかまえ訊問し、怪しいとなれば、その場で射殺する。解放戦線の村と見れば、家屋に火を放ち、焼き払う。アメリカ軍の戦いは、ベトナムの農村を破壊する戦いになった。この実態を、あるアメリカ軍将校は、「この町を救うためにそれを破壊している」と表現した。
5.この破壊により、南ベトナムの人口の大多数を占める農民を、解放戦線の側に追いやることになった。土地は荒廃し、農業生産国だった南ベトナムは、1965年を境に、コメの輸入国に転落した。


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池上技術士事務所の紹介
261-0012
千葉市美浜区
磯辺6丁目1-8-204

池上技術士事務所(代表:池上雄二)の事業内容
以下のテーマの技術コンサルタント
1.公害問題、生活環境、地球環境
2.省エネ・新エネ機器導入
のテーマについて、
・技術コンサルタント
・調査報告書の作成
・アンケート調査・分析
・技術翻訳、特許調査
を承ります。
有償、無償を問わず
お気軽に下記にメールをください。
ke8y-ikgm@asahi-net.or.jp

工学博士、技術士(応用理学)、
公害防止主任管理者、
騒音防止管理者の資格で
お役に立ちたいと思います。

池上湖心プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山(文化功労者)に師事
書象会理事、審査会員
公募展出展
〇謙慎展・常任理事
・春興賞受賞2回
・青山賞受賞
〇読売書法展理事
・読売奨励賞受賞
・読売新聞社賞受賞
〇日展入選有

書道教室(自宅)
・学生:月曜日
・一般:火曜日、水曜日



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