2013年10月

2013年10月31日

白露も時雨もいたくもる山は下葉のこらず色づきにけり

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紀貫之句
長谷川櫂解説
もる山
滋賀県守山
木々を漏れる雨露
下葉まで紅に染まる
地名の霊力
(読売新聞2013.10.30より)

yuji5327 at 06:58 
池上湖心の書 

鎌倉仏教の僧侶は、きちんと供養してほしいという庶民の願いに応じて葬儀を引き受けるようになった。日本仏教と葬式の密接な関わりの始まりである。


「池上彰著:池上彰と考える 仏教って何ですか? 、 飛鳥新社、2012年」が面白い。 第1章:仏教って何ですか?」の「三大宗教のひとつ、仏教はどこでどのように生まれた?」「仏教の役割はどのように変化してきた?」の小節の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.飛鳥時代から奈良時代、僧侶は国家の体制を維持するために、国家公認の資格をもつ官僧として、仏教という学問を学び、加持祈祷を行なった。仏教は国家のための宗教として保護され、栄えた。
2.平安時代には、遣唐使として唐で最新の仏教を学んだ最澄と空海が帰国した。政治と密着した官僧によって俗化が進んだ奈良仏教とは一線を画し、奈良とは離れた地に修行の場を開いた。
3.最澄が開いた比叡山延暦寺から、法然、親鷺、道元、日蓮などが登場した。それまで朝廷や貴族を相手にしていた仏教を、天変地異や戦乱の世で救いを求める庶民にまで広めたのが鎌倉仏教である。法然と親驚は「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土に行けるというシンプルな教えを説き、仏教は一気に広まった。
4.鎌倉仏教の僧侶は、きちんと供養してほしいという庶民の願いに応じて葬儀を引き受けるようになった。日本仏教と葬式の密接な関わりのスタートである。
5.江戸時代、幕府はキリスト教を禁止するため、日本人全員をどこかの寺に所属させる檀家制度を導入した。浄土真宗の拡大によって世襲制の寺が増え、お寺と檀家、地域との関係性が固定化された。僧侶は地域の葬儀・法事を一手に引き受けることを代々の家業とするようになり、葬式仏教が確立した。
6.現在、信仰心もお寺とのつながりも希薄になり、意義さえ問われており、お寺の存在感が薄くなっている。葬式をお寺に任せることの仏教の教えも一般の人々に「葬式仏教」時代以降、日本人は特定の宗教を信じているという自覚をもたない「無宗教」の民族になったといわれている。しかし、何かに救いを求める気持ちがなくなったわけではなく、目立つようになったのが新興宗教やカルトの存在である。


yuji5327 at 06:40 
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2013年10月30日

和食無形遺産

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日本食文化、ユネスコ無形文化遺産に。
多様で豊富な旬の食材や食品
栄養バランスの取れた食事構成
食事と年中行事や人生儀礼との結びつき
フランス美食術
地中海料理
メキシコ、トルコの伝統料理
審査を経て、平成25年12月に可否が決定される
エビの食材偽装の影響はないか



yuji5327 at 07:07 
池上湖心の書 

新島裏と死別してから、八重はシングルライフを楽しんだ。余生の42年間、日清・日露戦争に際して広島と大阪で篤志看護婦をした後、裏千家の茶人として過ごした。

「本井康博著:八重の桜・裏の梅、學士會会報 No.902(2013-)」が面白い。著者は、同志社大学神学部元教授である。特に新島八重(1845〜1932と新島襄の生涯に関する記述が興味深い。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.新島八重の生涯は三分割するとよく分かる。
(1)会津時代(1845〜1871):NHKのポスターに登場する八重役の綾瀬はるかさんは「腰に刀、腕に鉄砲」という扮装で、明らかに戊辰戦争時代の山本八重子である。「会津のジャンヌ・ダルク」として描かれ、86年の生涯の最初の26年に相当し、少女時代、初恋、戊辰戦争、白虎隊、最初の夫である川崎尚之助との結婚と離別、米沢避難の時代である。
(2)京都時代(1871〜1890):鳥羽伏見の戦いで戦死したと思っていた兄(山本覚馬)が実は生きていたと知り、避難先の米沢から兄を頼って上洛するところから、八重の京都時代は始まる。八重は以後、86歳で亡くなるまで62年問を京都で過ごすが、新島嚢と出会い、死別するところで京都時代を前半である。八重はクリスチャンになり、牧師夫人になり、校長夫人になり、14年間を新島襄と二人三脚で歩みました。欧米流のレディファーストの身
に付いた襄と男勝りの八重は似合いの夫婦だったが、男尊女卑の根強い世間からは「悪妻」と評された。また、薩長出身の学生を冷遇し、西洋の感覚を身に付けながらも武士の誇りと道徳にこだわり、周囲との軋礫を生み、学生の一部からは非難された。
(3)京都時代(1890〜1932):新島裏と死別してからの余生を、八重はシングルライフを楽しむ元気なお婆ちゃんとして過ごした。余生といっても42年間に及ぶが、日清・日露戦争に際して広島と大阪で篤志看護婦をしたこと、晩年の30数年を裏千家の茶人として過ごし、死ぬ前日も茶会を開いていた。
2.新島裏の生涯(1843〜1890)
(1)江戸で侍時代(1843〜1864):神田一ツ橋にあった上州安中藩邸上屋敷で、下級武士の祐筆の息子として生まれた。21歳まで江戸藩邸で暮らしたが、2度目に仕えた藩主とそりが合わず、当時は禁止されていた海外渡航を思い立ち、アメリカへ向けて函館より密出国した。
(2)留学生時代(1864〜1874):ボストンに着いた新島は、以後10年間を海外で過ごした。ボストン入港後にアメリカの篤志家夫妻と知り合った新島は、夫妻の援助で、幸運にも超一流校で教育を受ける機会に恵まれた。まず、フィリップス・アカデミー高校に入学し、在学中に洗礼を受けた。次に進学したアーモスト大学は、リベラルアーツカレッジで、4年間、自然科学、社会科学、人文科学といった一般教養と、その基礎となる語学だけを学ぶ。医学や法学などの専門は大学院に進学してから学ぶことになっていた。卒業生に授与されるのは、文学士という学位のみであった。新島は元来、理系が好きだったようです。幕府
の軍艦操練所に通っていた頃のノートがたくさん残っている。測量術、算術、地質学などが得意だったことが窺われる。その後、アンドーヴァー神学校という大学院に進学し、1874年に卒業した。牧師の免許を取得して帰国した。
(3)京都で校長・牧師時代(1875〜1890):神学校を卒業した新島は、宣教師団体アメリカン・ボードの試験を受けて宣教師の資格を取得し、「日本にキリスト教主義の大学を設立する」という使命を得て、1874年、帰国した。当時、日米通商修好条約などの制約で、宣教師たちが居住し、学校を設立してもよい場所は、開港地と居留地に限られていた。アメリカン・ボードの日本での拠点は神戸と大阪だった。大阪での大学設立を目指したが、府知事がキリスト教系の大学設立に難色を示したため、計画は土壇場で頓挫した。実際に大学が設立されたのは、京都だったが、京都と同志社という取り合わせは、本来なら絶対にありえなかった。
(4)可能になった背景には、八重の兄、山本覚馬との出会いがあった。当時の覚馬は京都府の顧問を務めていた。いわば知事のブレーンで、府政を指導する立場だった。覚馬が新島の学校設立に協力を約束した。覚馬は、維新後に自ら購入していた旧薩摩藩邸跡地を学校用地として新島に譲渡し、新島と連名で「私塾開業願」を文部省に提出し、知事の認可も取りつけた。クリスチャンがほぼ存在しなかった時代に、保守的な京都の御所と相国寺に隣接した一等地に、キリスト教の学校を設立することは、山本覚馬というコネがあってこそ可能だった。1875年、同志社英学校が設立さた。以後、新島は亡くなるまでの14年間、初代校長を務めながら、同志社英学校を同志社大学にしようと尽力した。新島は大学設立のための募金活動のさ中に前橋で倒れ、1890年、静養先の大磯で46歳で帰らぬ人となった。正式に大学に昇格したのは、死後30年たった1920年のことである。八重は存命だった。




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2013年10月29日

中国大気汚染

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PM2.5
喫煙の微粒子と同じ
暖房の季節
自動車の排気ガス
発がん性の確認
日本への影響
大陸と島国の違い
受動喫煙対策
歩行喫煙対策

yuji5327 at 06:45 
池上湖心の書 

ブッダはまったく違っていた。教団を作ろうと意図したわけではない。大きくなった教団を残そうという考えもなかった。日本では親鸞も、弟子をひとりもとらなかった。


「池上彰著:池上彰と考える 仏教って何ですか? 、 飛鳥新社、2012年」が面白い。 第1章:仏教って何ですか?」の「三大宗教のひとつ、仏教はどこでどのように生まれた?」「オウム真理教はどこで道を誤ったのか?」の小節の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.毎春、大学に新入生が入ってくる時期になると、「カルトに注意!」の告知がキャンパスで目立つ。1995年3月、東京都心の地下鉄に神経ガス・サリンを散布するというテロ事件「地下鉄サリン事件」を起こしたオウム真理教は、今もその後継組織が活動を続けている。
2.オウム真理教の教義は、ヒンドゥー原理主義をベースにしており、チベット仏教の修行体系を取り入れている。多くの一般信者は教義に沿って真面目に修行に励んでいた。輪廻転生があるのだから、生き物は大切にしなければならない。そうしたルールを守って生活していた。
3.全財産を教団に寄付して出家するという行為は、一般的には異常に思える。しかし、仏教の歴史の中では特別なことではない。今の僧侶は何も失うことなく出家するが、すべてを捨てて修行に入るのが本来、出家である。今の社会で理解を得るのは難しい。
4.ブッダのもとに弟子たちが集まって教団が大きくなっていったように、オウム真理教も当初は教祖のカリスマ性によって大きくなった、素朴な宗教団体だった。しかし、教団はある時期から姿を変えた。国家にまで影響を及ぼそうと巨大化を目指すようになった。早く財産を寄付させて出家させようと急かすような経営も行なわれた。宗教団体が国を脅かすほどの存在となることは珍しくない。
5.鎌倉仏教を生み出した延暦寺は仏教の中心地だっただけでなく、貴族や皇族と関係を深め、政治的にも大きな力を持った。お寺なのに数千の兵士で武装までしていた。朝廷は制圧に手を焼き、戦国時代末期には、織田信長が焼き討ちにしたくなるほど強大な力を手にしていた。
6.ブッダはまったく違っていた。教団を作ろうと意図したわけではない。大きくなった教団を残そうという考えもなかった。日本では親鸞も、弟子をひとりもとらなかった。一方、オウム真理教は、教団拡大への野望が運営姿勢に露骨に現われたので、反社会的な組織とみなされ、社会から敵視された。教団は孤立し、先鋭化した。
7.現世で悪いカルマ(業)を積みながら生きていても、来世で苦しむだけだ。だから我々の手で、まだ清らかなうちに来世に送る。これを「ボア」と称する。こうした傲慢な持論から地下鉄サリン事件を起こし、崩壊を迎えた。


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2013年10月28日

オスマンの夢海底トンネル

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ボスポラス海峡横断地下鉄整備事業
市内の旅客輸送手段には道路、鉄道、フェリー
輸送量の90%以上がを道路
混雑は著しい。
慢性的な交通渋滞
ボスポラス海峡横断地下鉄の事業化
安倍首相今日からトルコ訪問


yuji5327 at 06:57 
池上湖心の書 

札幌高裁の判決は、自衛隊の憲法判断に統治行為論は、裁判所の審査権の範囲外とし、史上初の高裁判決であった。

法服の王国 小説裁判官(下)
黒木亮
産経新聞出版
2013-07-13

黒木亮著:「法服の王国小説裁判官、産経新聞出版、平成25年7月14日第1刷発行」は、裁判官の日常生活、人事の葛藤、個性など庶民にはよく見えない面が書かれており面白い。著者は、1957年、北海道生まれ。カイロ・アメリカン大学大学院(中東研究科)修士卒で都市銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務し、2000年『トップ・レフト』で作家デ
ビューした経歴がある。札幌地裁の長沼ナイキ訴訟における自衛隊違憲第一審判決の状況が面白い。印象に残った部分の概要を以下に記す。
1.裁判官の鑑のような荻野も、出世という意味でぱ必ずしも恵まれてはいない。小さな地裁の所長くらいにはなれそうだが、それ以上は難しい感じである。裁判所内で出世し、組織を牛耳ってゆくのは、やはり事務総局の司法官僚である。
2.長沼ナイキ訴訟の一審で裁判長を務め、自衛隊違憲判決を出した福島重雄判事は、東京地裁の民事第7部(手形部)に異動になった。東京地裁といえば聞こえはいいが、明らか
な左遷人事だった。手形部は手形訴訟をやるだけの部だが、手形訴訟はもっぱら形式の問題(金額と支払い場所があるか、振出人があるか、印鑑があるか等)なのでよほどの抗弁でもない限り、形式的な審理で済み、裁判官としての能力は必要とされない。同部に裁判官は3、4人しかおらず、職場も東京地裁とは別の日比谷公園内分庁舎である。
3.福島は裁判長の肩書も失った。札幌高裁では、『長沼シフト』が敷かれた。札幌高裁では、横浜地裁で部総括判事を務めていた小河八十次判事が長沼ナイキ訴訟の控訴審を担当することになった。また、東京地裁の落合威判事が右陪席として札幌高裁に送り込まれた。4.一審で歴史的な自衛隊の違憲判決が下された長沼ナイキ訴訟が、控訴審の判決目を迎えた。2年前に札幌高裁民事二部で審理が始まった控訴審では、去る三月の結審まで9回の口頭弁論が行われた。小河八十次裁判長が突然、結審を宣言した。原告(住民)側がこれに反発して、3人の裁判官の忌避(交代)を申し立てたが、札幌高裁が申立てを却下。原告側弁護団が口頭弁論再開を申し立てたが、高裁側は方針を変えず、この口の判決を迎えた。
5. 3人の裁判官が姿を現した。裁判長・小河八十次(東大卒・修習1期・57歳)、右陪席・落合威(東北大卒・12期・41歳)、左陪席・山田博(名古屋大卒・15期・44歳)である。
小河は「当法廷は、弁論再開はしません」「それでは、判決をいい渡します」と、原告団長の宇野邦晴が、判決の朗読を遮ろうとするのに構わず、
「主文。原判決を取り消す」「被控訴人(住民側)の訴えはいずれもこれを却下する。訴訟費用は第1、2審をつうじて、被控訴人らの負担とする」さらに、わざわざ自衛隊の憲法判断について、「当裁判所はこれ(原審)と異なる結論を有するので」と前置きし、次のように言及した。
〃法九条が一義的、明確に保有を禁じているのは、侵略戦争のための軍備ないし戦力だけで、自衛のための戦力の保持については、積極、消極の両説あり、憲法がいずれの見解に立脚して設けられたものであるかは必ずしも明瞭ではない。自衛隊の組織、編成、装備も、一見極めて明白に侵略的なものであるとはいい得ない。
⊆衛隊の存在等が憲法九条に違反するか否かは、統治行為に関する判断であり、国会及び内閣の政治行為として究極的には国民全体の政治的判断に委ねられるべきで、司法審査の対象ではない。
6.札幌高裁の判決は、自衛隊の憲法判断に統治行為論(高度の政治性を持った国家の行為である統治行為は、裁判所の審査権の範囲外にあるとする考え)を採用した史上初の高裁判決であった。
7.自民党政府は「現在望みうる最高の合憲判決」として歓迎し、原告弁護団は「(小河裁判長は)この裁判のためにだけ派遣された『特命』裁判官で、計画された結審の仕方を見ても意図的であった。訴えの利益がないだけで判決には足りるのに、わざわざ自衛隊に触れたのは、原告側の手足を縛ってから、脛を蹴り上げたようなもの」と反発した。
8.一審の裁判長で東京地裁民事七部(手形部)に勤務する福島重雄氏は、官舎のテレビで判決を知り、「このような結果になって、非常に残念に思う」と感想を述べた。全国の裁判官たちは、判決に接して寒々とした気分を覚え、行政と対峙することに一層臆病になった。





yuji5327 at 06:39 
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2013年10月27日

メニュー偽装

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メニュー誤表記
偽装ではない
社長の弁解
根は深い
内部告発者を処遇

yuji5327 at 08:31 
池上湖心の書 

結腸の収縮運動は、胃に食べ物が入って胃・結腸反射が起こることによって引き起こされる。朝食を摂らないと、これが起きなくなり、結果的に便秘などの腸の不調を引き起こす。


「松生恒夫著:腸を温めると体の不調が消える、青春新書、2013年2月」の「第1章:その健康常識、腸にはストレスです」「朝食抜きは腸に大きなストレス」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.朝食を抜いたくらいで、健康にはそれほど影響はないだろう。必要なエネルギーは昼食や夕食で補えばいい。むしろ、朝食を抜いたほうがダイエットにもなると考える人も少なくない。しかし、腸の専門医の立場からは、朝食抜きをるることはできない。排便にとても重要な大ぜん動と呼ばれる結腸の収縮運動が最も強く起こるのが、朝だからである。
2.結腸の収縮運動は、胃に食べ物が入って胃・結腸反射が起こることによって引き起こされる。朝食を摂らないと、これが起きなくなり、結果的に便秘などの腸の不調を引き起こす。便秘外来を訪れる患者の生活習慣を調査したら、1日の食事回数が少ない人が多く、朝食抜きの人が大変多い。
3.生活習慣の乱れと、食生活の変化や食物繊維摂取量の減少が、腸に悪影響を与えている。 1950年代の日本人の食物繊維の平均摂取量は、1人あたり1日20gを超えていたが、現在は、わずか14gである。厚生労働省が策定した「日本人の食事摂取基準」その目標量は、18歳以上では1日あたり男性19g以上、女性17g以上とされている。
4.自国の食に関する分野をユネスコの無形文化遺産として登録する諸外国の動きがある。フランス美食術、地中海料理、メキシコ、トルコの伝統料理が社会的習慣としてすでに登録されている。日本の食文化については、すでにユネスコへの登録提案をしている。
5.日本食は、穀物や魚、野菜、海藻類、そして発酵食品などを中心とした低脂肪、低カロリーのヘルシー食であるということで、世界でも注目されている。しかし、その一方で、日本では日本食離れが進み、食の欧米化が進んでいる。2011年には、2人以上の世帯のパンの支出額が、主食であるはずのお米を抜いてしまった。この「食の欧米化」が日本人の健康に劇的な変化をもたらした。 1960年代頃から肉や乳製品の摂取量が劇的に増え、それに伴って、日本人の病気の質が変わってきた。「食の欧米化が、日本人の健康にとって諸悪の根源」という意見も聞かれる。
6.2011年の日本人の平均寿命は、男性で79.44歳、女性は85.90歳と、近年やや短くなる傾向にある。とくに女性は1985年から26年間守ってきた世界一の座を香港(86.7歳)に明け渡し2位となった。2011年3月に日本を襲った東日本大震災の影響が考えられるものの、男性も前年の4位から8位に大きく順位を下げた。
7.近年の自然食ブームのなかでも、「玄米菜食」は健康志向の高い女性に人気の高い食事法である。この玄米菜食を徹底した食事療法であるマクロビオティックは、高血圧や糖尿病、メタボリックシンドローム、大腸がんなどの生活習慣病予防に有効である。玄米菜食の食事療法には、マクロビオティック以外にもいろいろな流派があるが、いずれも、全粒粉穀類や野菜を中心にした低脂肪の食事がその大きな特徴である。
8.この理想的に見える食事法にしても、よいことばかりではない。腸の状態を悪化させることもある。なかでも、慢性便秘で悩んでいる人には注意が必要である。とくに症状がひどいときに実践してしまうと、お腹の状態はさらに悪化し、腹部膨満感がひどくなったり、便が硬くなって排便障害を起こしてしまう。
9.玄米などの全粒粉穀物や野菜を多く摂ると、食物繊維のなかでも水に溶けにくい不溶性食物繊維の摂取量が多くなる。不溶性食物繊維を多く摂る場合は、同時に水分を多めに摂るか、水に溶けやすい水溶性食物繊維(果物、ナメコ、海藻類など)を併せて摂ることが必要である。
10.慢性便秘で悩む患者のなかにも、玄米食が中心の食事をすることで、症状が悪化した人が多い。大腸内視鏡検査をすると、上行結腸に未消化の玄米が多数残っていた。玄米は栄養面ではすぐれた食べ物だが、よく噛まずに食べると消化に時間がかかり、未消化になることがある。白米を食べるのと同じ感覚で玄米を食べると、腸の状態をさらに悪化させる。




yuji5327 at 08:21 
健康 
池上技術士事務所の紹介
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池上技術士事務所(代表:池上雄二)の事業内容
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工学博士、技術士(応用理学)、
公害防止主任管理者、
騒音防止管理者の資格で
お役に立ちたいと思います。

池上湖心 プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山に師事
書象会に所属、書象会理事
審査会々員
○作品展の開催
・主宰している「さざ波会」
 作品展を毎年8月開催
(於:稲毛ギャラリー)
・土曜会(グループ展)
 作品展を毎年10月開催
(於:銀座大黒屋)
○公募展の受賞、入選
・日展入選
(平成28年度、国立新美術館にて開催)
・読売書法展(8月開催、現在理事)
 読売奨励賞
 読売新聞社賞
・謙慎展(3月開催、現在理事)
 春興賞の受賞:2回
○書道教室
・学生:月曜日
・一般:火曜日、水曜日





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