2014年07月
日常生活で、ある治療でよくなる、または効果なしという現象を観察して因果関係を判断している。個別の経験を一般法則へと転換して新たな個別に利用している。
「津田敏秀著:医学的根拠とは何か?、岩波書店、2013年」はこれまで漠然と語られている医学の疑問への答えを示してくれる名著である。「第2章:数量化が人類を病気から救った」の「病気の原因とは何か」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.疫学においては、疾患の発生速度を変える要因を病気の原因とみなす。本書を読み進めるに当たっては、「何倍その病気が多発する」という発生の程度の違いによってわれわれは病気の因果関係をしることができる。
2.医学でよく耳にするのは、「結核の原因は結核菌の感染である」、また「これこれの遺伝子を持っているとこれこれのウイルスに感染しやすい」といったメカニズムの研究に基づく説明である。前者は、結核という特徴的な病気を持っているから結核菌と名づけ、また一定の症状があり結核菌が検出された患者に結核という病名をつけているので原因と結果が一対一対応をしているように見える。これは因果関係を明らかにしているのではなく、病気の定義なのである。
3.腰痛やがんのように症状のみから定義するのではなく、原因側から定義する病名は病因論的病名と呼ばれ、病気の名前の付け方の一つである。腰痛症も「職業性腰痛症」とすれば、その典型例といえる。
4.「○○病の原因遺伝子を解明」と報道されることがある。遺伝子や細胞を用いた実験で得られた結果でも、その遺伝子を持つ人間が実際に病気としてどの程度発症しやすくなるかは自明ではない。人を対象とした実験ができない以上、疫学研究による検証が必要である。このようなメカニズムが疫学によって否定されることもある。研究者がそれをわきまえていても、報道で決定論的なニュアンスが強まる。
5.メカニズムの研究の言い方は、一つの原因と一つの結果を決定論的に結びつけることを暗黙に想定している。そのため一つの観察で決定できるという前提で語られる。しかし、個々の観察によってこの因果関係を立証することはできない。ある患者でその原因と結果が観察されたとしても、それらに因果関係を言うためには多数回の観察が必要である。個別の観察だけをいくら続けても因果関係は定まらない。医学に限らず、このことは、イギリスの哲学者ヒュームによって250年以上前に指摘された。
6.ヒュームは「原因」を次のように定義した。原因とはある対象であって、それの後に続いて別の対象が生じる。そこでは第一の対象に類似したすべての対象の後に続いて第二の対象に類似した対象が生じる。言い換えれば、第一の対象がなかったならば、第二の対象は存在しない。
7.個別の観察でこのヒュームの定義を満たすことは不可能である。しかし、「第一の対象」がなかった場合を含めて観察を多数回積み重ねるのが疫学方法論である。ヒュームに関する記述は、最も有名な理論疫学のテキストに、現代疫学の因果関係論の基本としすることを勧めている。
8.個別現象は、それが一見明らかでも、別の個別の解釈には直接利用できない。個別の議論が厳密であればあるほど、その個別性が問題となる。個々の違いがあるからこそ、適切な方法で平均を求めることによって、その経験を一般的な判断に用いることができる。日常生活を考えても、ある操作を行ったら多くなる、または少なくなるという現象を観察して因果関係を判断している。私たちは、個別の経験を一般法則へと転換して新たな個別に利用している。
大中華の中国と小中華の韓国では、精神文化で共通する部分が多い。恨から生まれた韓国人の態度や言動を理解すれば、彼らが「反日」である理由がわかる。
「黄文雄著:なぜ中国人・韓国人は反日を叫ぶのか、宝島社、2013年」の著者は1938年台湾生まれで。コウ・ブンユウと読む。1964年に来日し早稲田大学を卒業し、評論家として活躍している。「第3章:中国・韓国の反日における深層心理」が参考になる。前半部分の印象に残った部分の続きを自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.文化・文明が違えば、ものの考え方も見方も異なる。利害関係の違いもそうである。日中韓が普遍的な価値観を共有しないかぎり、善隣はおろか共存さえむずかしい。それは、一方的な努力や妥協だけで片づけられるような問題ではない。ましてや中国・韓国とも歴史的、文化的、風土的にも近親僧悪、近隣憎悪の国である。日本人同士のように「話せばわかる」ような相手ではないことを、まず認識しておくべきである。
2.戦後、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは著書『菊と刀』の中で、文化人類学者の視点から世界文化類型を西洋の「罪の文化」と東洋の「恥の文化」に分けた。この論議は、ベネディクト以来繰り返されてきた、興味を誘う「日本人論」の一大テーマである。多くの論争があるにもかかわらず、日本の学校教科書でも日本文化を「恥の文化」と教えている。
3.朝鮮・韓国文化を「恨の文化」と説いている韓国学者もいる。「恥の文化」は日本よりも中国が本場だと考える日本の中国専門家も少なくない。たとえば『名と恥の文化中国人と日本人』を書いた森三樹三郎氏もその一人である。中国人が「名」を重んじることは否定できないが、「恥の文化」が存在するかどうかについては疑問が多い。厚顔無恥にして腹黒い人間が、中国にあふれているのが現実である。
4.魯迅と肩を並べる文壇の名士・徐志摩は、「群衆行為から見れば、中国人は世界でもっとも残忍な民族だ。個人的行為から見たら、中国人の大多数はもっとも恥知らずな個人だ」と指摘している。この「中国人論」は実証されている。
5.中国の「厚黒学」(厚かましく腹黒くなることを究める学問)の元祖・李宗吾が説く「恥知らずにして腹黒い中国人論」はここ100年近くもつとも人気がある書である。一時禁書になったこともあるが、現在、数百種の解説書が華人社会の書店の店頭に積まれ、もっとも読まれている。独特の「厚黒学」は中国人の人間性の解説書として愛読され、中国人の正体を知る聖典にもなっている。
6.大中華の中国と小中華の韓国では、精神文化で共通する部分が多い。「中華思想」も、その一つである。中華思想があるがゆえに、韓国人には優越感とともに「恨」も生まれてきた。恨から生まれた韓国人の態度や言動を理解すれば、彼らが「反日」である理由がわかる。
7.韓国人社会では恨がうずまいている。歴史風土から小中華となった自分たちの独自の民族性が恨として結晶した。韓国人社会においてだけでなく、反日の行動原理にもなっているの。中国人は日本文化は、「ただの中国文化の亜流のまた亜流にすぎない」といった認識だが、韓国人は、「日本人に文化を教えてやった」「日本が今日あるのは韓国人のおかげだ」というのが「常識」である。ことに若いインターネット世代は、日本文化の起源はすべて韓国からきたと信じている。
8.韓国人からすれば、中国人が父親のようなものでも、日本は韓国の弟という。日本人は兄に対して生意気で、恩知らずと主張する。日帝36年の七奪が証拠だと主張してやめない。韓国人にとっては、日本の統治は、くやしい史実であり屈辱の歴史である。そんな忘恩背徳の民族は、地上から死に絶えないかぎり、地球は平和にならない。韓国人の「反日」はこのような恨の感情によって生まれたものである。
除染だけで復興計画を作ることには問題がある。補償と除染のどちらにより重心をかけるべきか、再考の余地がある。断然補償中心にすべきである。
「中西準子著:原発事故と放射線のリスク学、日本評論社、2014年」の「第3章:福島の「帰還か移住か」を考える・経済学の視点から、対談:飯田泰之vs 中西準子」が面白い。
先ず、「「除染」しか選択肢はないのか」という小題の部分の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.東京電力福島第一原発周辺の11市町村の避難区域が再編された。帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域のいずれかに全域が該当するのが6町村、何割かが該当するのが5市町村となっている。居住制限区域と避難指示解除準備区域については除染が進められているが、中間貯蔵施設の建設予定地も決まらず、予定通りには進んでいない。果たしてこの地域の除染は本当に可能なのかという大問題はあるが、それ以前に仮に除染が可能だとして、それでこの地域で人が元通りに生活することができるのかという疑問がある。除染費用に見合う便益があるのか、つまり復興ができるのかということも問題だが、ほとんど議論されていない。
2.「完全に除染が可能ならば、そこに住んでいた人たちは帰還するのが前提」という考えも個人差がある。この地域では高齢者の比率が非常に高いが、現役世代の人たちにはすでに近県や首都圏などで仕事を見つけている人もいる。除染に重点を置いて財産損失への補償を小さくすると、この人たちには生活していけない土地や家に戻らざるをえないということになる。これはとても厳しい話で、若い世代ほど切り捨てられている。そして人が住まないものにお金をかけるという意昧で財政上の効率も悪い。
3.移住への補償という選択肢もあるべきである。政府や自治体は「ふるさと帰還事業」などと打ち出しているので、著者の意見はほとんど敵視され、大問題になってしまった。現実的には、それほど多くの方が帰還するわけではない。おそらく半分以下になる。そのように地域としての結び付が緩く薄くなっているところに莫大な予算を投じて除染をして、インフラ再整備もやろうとしている。
4.もし人口が半減するのなら、半減を前提にした都市計画を作るといった議論が出てこないといけないのに、全くない。移住する人々には土地家屋など物損面の補償だけではなく、移転費用も出すべきである。残らない人にとっては、その土地が除染されてもまったく得るものはない。住み続ける人だけに特化し、移住を希望している人に手薄くなるのは不公平性である。
5.移住することよりも、同じ所に住み続けることのほうが尊いというのは疑問である。移ることも立派な選択である。帰還については年齢の区分も重要で、おそらく若い人ほど戻らない。次に住む世代がいなくなるかもしれない地域に数兆円をかけようとしている。土地を相続する人たちには、資産としてはほぼ無価値のものが手渡されることになる。
6.除染だけで復興計画を作ることには問題がある。補償と除染のどちらにより重心をかけるべきか、再考の余地がある。断然補償中心にすべきである。
教育というのは「コンテンツ」が重要であり、 さらに先生の質や教材の作り方などが大事。ソニーの電子ペーパだけで 教育事業が成立するわけではない。
7月18日付けの『大前研一ニュースの視点』( 発行部数179,577部)「 タイヤ世界大手・ソニー・JR九州〜市場の大きな流れを理解する」と題する記事である。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1. 日経新聞は2日、タイヤ世界首位を争うブリヂストンと 仏ミシュランを比較・分析する記事を掲載した。ブリヂストンの2013年12月期の自己資本利益率(ROE)が 12.7%とミシュランを逆転したと紹介した。 円安に加え、米事業の改革が功を奏したものだが、 配当性向では依然として、ミシュランに見劣りするとし、 今後は市場との対話にも注力する必要があると指摘している。
2. 日本ではダントツのブリヂストンも、世界ではミシュランや グッドイヤーの後塵を拝してきたが、ついにグッドイヤーを抜き、 さらにミシュランも上回る数値を見せている。 時価総額、売上、純利益、ROE、そしてシェアもミシュランを 上回るようになった。
3.この業界におけるミシュランの重要性は、 ラジアルタイヤの発明にある。 それまではナイロンなどの繊維コードのタイヤが主流だったが、 一気にスティールコードのタイヤに代わった。一昔前見かけましたが、道路でタイヤのパンク修理をする人の姿を、 今はほとんど見ることはないのはラジアルタイヤのおかげである。ブリヂストンを含め、業界中の企業がラジアルタイヤの開発には苦労したが、ようやくミシュランと同程度のものが 作れるようになった。
4.ブリヂストンはフォードとの関係性が強いファイアストーンを買収し、米国でのポジションも築き上げつつある。世界の覇権を狙える立場であり、後は配当だけという印象である。
5.ソニーは電子ペーパーを活用した教育用システムを開発し、 今秋に大学に販売する見通しが明らかにした。紙の感覚で文字を書ける電子ペーパーをノート代わりに使い、教材やテストなどを無線でやり取りできるとのことである。印刷物をなくし丸ごと電子化することで、効率化や学生とのコミュニケーションの向上につなげる狙いである。
6.大前氏のように十数年間にわたってオンライン教育事業を展開している立場からすれば「バカにしている」レベルのニュースであり、「コンテンツ不在」「経験不在」である。 ハードウェア主体のゼネコン国家では何も実現できないのと同じである。こんなことに、IT投資の予算を割り当てる国もどうかしているし、事業化を目指すというソニーもひどいものである。
7.教育というのは「コンテンツ」が最重要であり、 さらに「先生」の質や「教材」の作り方などを考慮すべきである。「システム開発をして大学に販売します」というのは、何十年も前から聞いている話だがまともに実現されたことはない。学校の校舎を建てているだけの話で、 教育事業として成立しない。 IT投資にもなっていない。>
8. 国土交通省は、国が全株式を持つ九州旅客鉄道(JR九州)を2016年度までに上場させる検討に入った。収益力が高まり、上場後も安定的に経営できる環境が整ってきたと判断した。売却益の一部は北海道、北陸で建設中の整備新幹線の開業時期を早める財源に充てるらしい。 JR九州、JR四国、JR北海道は、経営安定基金からの助けを得て、運用益を出せている。
9.JR九州の経常利益の内訳を見ると、関連事業や流通業などが 好調である。一方で、本業の鉄道事業は苦戦しており、100億円規模の損失になっている。これを改善しない限り、上場してもおかしな構図になってしまう。
10. 日本初のクルーズトレインとした話題になったが、「ななつ星 in 九州」だけではダメである。鉄道事業の損失を、これからの1年〜2年で解消しなければならない。駅ビルなどの事業で、日本では珍しいほど利益を上げているので、ぜひ本業の改善に正面から取り組んで欲しい。
1. 日経新聞は2日、タイヤ世界首位を争うブリヂストンと 仏ミシュランを比較・分析する記事を掲載した。ブリヂストンの2013年12月期の自己資本利益率(ROE)が 12.7%とミシュランを逆転したと紹介した。 円安に加え、米事業の改革が功を奏したものだが、 配当性向では依然として、ミシュランに見劣りするとし、 今後は市場との対話にも注力する必要があると指摘している。
2. 日本ではダントツのブリヂストンも、世界ではミシュランや グッドイヤーの後塵を拝してきたが、ついにグッドイヤーを抜き、 さらにミシュランも上回る数値を見せている。 時価総額、売上、純利益、ROE、そしてシェアもミシュランを 上回るようになった。
3.この業界におけるミシュランの重要性は、 ラジアルタイヤの発明にある。 それまではナイロンなどの繊維コードのタイヤが主流だったが、 一気にスティールコードのタイヤに代わった。一昔前見かけましたが、道路でタイヤのパンク修理をする人の姿を、 今はほとんど見ることはないのはラジアルタイヤのおかげである。ブリヂストンを含め、業界中の企業がラジアルタイヤの開発には苦労したが、ようやくミシュランと同程度のものが 作れるようになった。
4.ブリヂストンはフォードとの関係性が強いファイアストーンを買収し、米国でのポジションも築き上げつつある。世界の覇権を狙える立場であり、後は配当だけという印象である。
5.ソニーは電子ペーパーを活用した教育用システムを開発し、 今秋に大学に販売する見通しが明らかにした。紙の感覚で文字を書ける電子ペーパーをノート代わりに使い、教材やテストなどを無線でやり取りできるとのことである。印刷物をなくし丸ごと電子化することで、効率化や学生とのコミュニケーションの向上につなげる狙いである。
6.大前氏のように十数年間にわたってオンライン教育事業を展開している立場からすれば「バカにしている」レベルのニュースであり、「コンテンツ不在」「経験不在」である。 ハードウェア主体のゼネコン国家では何も実現できないのと同じである。こんなことに、IT投資の予算を割り当てる国もどうかしているし、事業化を目指すというソニーもひどいものである。
7.教育というのは「コンテンツ」が最重要であり、 さらに「先生」の質や「教材」の作り方などを考慮すべきである。「システム開発をして大学に販売します」というのは、何十年も前から聞いている話だがまともに実現されたことはない。学校の校舎を建てているだけの話で、 教育事業として成立しない。 IT投資にもなっていない。>
8. 国土交通省は、国が全株式を持つ九州旅客鉄道(JR九州)を2016年度までに上場させる検討に入った。収益力が高まり、上場後も安定的に経営できる環境が整ってきたと判断した。売却益の一部は北海道、北陸で建設中の整備新幹線の開業時期を早める財源に充てるらしい。 JR九州、JR四国、JR北海道は、経営安定基金からの助けを得て、運用益を出せている。
9.JR九州の経常利益の内訳を見ると、関連事業や流通業などが 好調である。一方で、本業の鉄道事業は苦戦しており、100億円規模の損失になっている。これを改善しない限り、上場してもおかしな構図になってしまう。
10. 日本初のクルーズトレインとした話題になったが、「ななつ星 in 九州」だけではダメである。鉄道事業の損失を、これからの1年〜2年で解消しなければならない。駅ビルなどの事業で、日本では珍しいほど利益を上げているので、ぜひ本業の改善に正面から取り組んで欲しい。
中国・韓国が反日になる理由を知るには、伝統文化によって育まれた精神文化と、その潜在意識を知る必要がある。
「黄文雄著:なぜ中国人・韓国人は反日を叫ぶのか、宝島社、2013年」の著者は1938年台湾生まれで。コウ・ブンユウと読む。1964年に来日し早稲田大学を卒業し、評論家として活躍している。「第3章:中国・韓国の反日における深層心理」が参考になる。前半部分の印象に残った部分の続きを自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.戦前の中国の反日、排日、抗日運動は当時、「仇日」運動という用語で語られ、伝えられている。現在でも台湾のメディアでは、たとえば、最大のメジャー紙である「自由時報」によると中国の反日デモを「仇日運動」と報道し、「中国の仇日民族主義」を批判している。「反日」よりも「仇日」運動のほうが中国の運動の本質であり、中国人の態度や言動の原因をよく伝えている。
2.「日本に対する復仇はまだ終わっていないのに、日本と付き合うことは、中華民族に対する裏切りだ」と主張する仇日運動団体とその傘下の言論人がいる。中国・韓国が反日になる理由を知るには、伝統文化によって育まれた精神文化と、その潜在意識を知る必要がある。
3.辺境の野蛮人という意味の「夷狄」という差別用語の対極にあるのが、「中華」という言葉である。大中華の中国も、小中華の韓国も同様である。「中華」とは、「中」と「華」との合成語で、東西南北の方位から見て中国はあくまでも真ん中に位置するという考えから生まれた言葉である。
4.孔子も朱子もこの「華夷の別」という中華と夷狄との分別、差別意識を強調している。
このような差別意識は数千年来の文化伝統であり、中華という風土から生まれたものである。古来から「文明人としての華と野蛮人としての夷」はあったが、確立したのは、孔子以後の儒教によってである。
5.中華世界において、夷狄はずっと「禽獣」と見なされてきた。中華世界は漢末から六朝の時代になると、北方の夷秋が中原に入り、いわゆる「五胡十六国」「南北朝」の時代となる。この六朝の時代には、儒学者が逃げ散ってしまい、儒教を教えられる者が消えてしまったので、仏教がこの天下大乱の時代に中華世界に入ってきて、民衆の魂を救済する精神的な支えとなった。
6.東アジア史から見れば、北方諸民族と称される北狄である五胡と万里の長城以南の華夏の民である漢人、それに長江以南の楚蛮が、百越諸民族の大混合によって、「唐人」として歴史に登場してくる唐・宋の時代になると、儒学の復興をめざした韓愈が「原人」と記しているように、夷独も「禽獣」から「半人半獣」として描かれている。ダーウィンの「進化論」よりも早く、「夷独進化論」が認知されたのだった。
7.中国人から見れば、夷狄は必ずしも人間にまで進化したのではない。宋の時代に入ってから仏教思想の影響を受け、思想的には理と気の学がはやり、それを集大成したのが朱熹の「朱子学」である。元の時代を経て、明の時代は朱子学と異なる王陽明の「陽明学」が生まれた。
8.日本では「陽明学」を「革命の哲学」と説く学者が多いが、中国の「陽明学」とは「革命」とはまったく別次元の儒学で、夷狄虐殺を「天殺」とする「虐殺の哲学」である。儒学の「夷秋進化論」も、決して野獣から人間にまで一直線に進化してきたと認めているわけではない。明末から約400年にもわたって夷狄を人間とは見なしてこなかった。
9.明末の大儒学者である王夫之は、「夷狄は禽獣だから殺しても不仁といわず、だましても不義不信といわない」とまで説いている。仁義道徳は人間にしか通用しないという論理である。異人は禽獣だから「仁義道徳」など云々すべきでないとも説いていた。人間と禽獣をめぐる華夷の大論争が続き、清の雍正帝が『大義覚迷録』を著して、儒学者の不当な説を論破したほどだった。
10.外国人を禽獣視することは、時代を下って緩和したのかというとそうではなかった。アヘン戦争(1940〜42年)後の南京条約第13条で「これからイギリスを英夷と呼ばない」と明文化したが守られないので、アロー戦争(第二次アヘン戦争)後に締結した天津条約に「これから西洋人を西夷と呼ばない」と再度明文化された。だが、それでも守られなかった。
11.19世紀末の清朝で、明治維新をモデルとする戊戌維新を起こそうと計画していた康有為、梁啓超らが、下野し北京外遊中の伊藤博文元総理を政治顧問に迎えようとして、改革維新では何が重要なのかと聞いたところ、伊藤は開口一番「まず外国人を夷狭と呼ばないことだ」と諭した。
12.大中華の中国と小中華の韓国の外国人への差別は、かつての南アフリカにおけるアパルトヘイト以上で、人種差別ならぬ「人獣差別」である。たとえば、ライス元米国務長官を、中国のネット世代は「黒い犬」と呼んでいる。中国人による人種差別は、朝鮮人、ベトナム人を筆頭にチベット人、ウイグル人、モンゴル人にまでおよぶ。もちろん「小日本」といわれる「倭夷」も例外ではない。中国人からすれば、日本人も朝鮮人も「夷狄」であり、「正史」の東夷列伝に記述されている。
13.大中華から「東夷」と見なされている朝鮮人の小中華であるが、外人観は、李氏朝鮮時代は「大国人」である中国(明)は別格としても、北方の夷狄である満州人とモンゴル人を夷狄として極端に人獣差別していた。もちろん「倭夷」の日本人に対しても同様である。大中華も小中華も外に対する「人獣差別」がきわめて強い。「反日」はこういう中華の文化伝統としての華夷意識が元になっている。
14.そのような差別意識は外へばかり向けられる差別かというとそうではない。日本から「友好人士」が訪中した際、珍しい外国人見たさに集まった人民公社の村民を、党の役人があたかも動物のように追い払ったことに違和感を覚.えたという人が多かったと訪問録に記載されている。
15.小中華の場合、ことに李氏朝鮮時代には、思想的には儒教国家でも、社会構造上ではインド社会のカースト制以上の階級差別社会だった。ことに両班に差別される農民、奴碑、娼妓による、さらに下の「白丁」いじめは、じつに言語に絶するものがあった。
16.韓国は日韓合邦以降の朝鮮総督府の時代に、四民平等の近代国民国家の潮流にしたがって、法治国家となり、階級差別を是正し奴碑を解放した。しかし、実際には戦後になっても、地方差別だけでなく職種差別もなお根強く残っており、在日に対する差別も例外ではない。現在の中国・韓国の「反日」にひそむ潜在意識は、華夷思想の階級差別の意識に由来している。