2015年02月

2015年02月23日

後方支援

IMG_20150221_0002
後方支援
英語: Combat service support
第一線部隊の後方において作戦を支援
あらゆる業務を包括する概念
兵站業務と呼ばれる。
補給、輸送、整備、回収、建設、衛生、労務、役務
兵器や人員を戦地輸送
車両や航空機のメンテナンス
GPSや暗視装置
負傷した将兵の手当て・看護・治療
給食、洗濯、守衛、配達、建設作業、印刷、翻訳、機械操作
(Wikipediaより)

yuji5327 at 06:53 
池上湖心の書 

エリツィンはソ連共産党の活動停止を命令。ゴルバチョフは共産党を解散させ、800万人の党員がいた党が消滅し、1991年12月、ソ連は崩壊した。

「池上彰著:学校では教えない「社会人のための現代史」池上彰教授の東工大講義、文藝春秋、2013年」が面白い。「Lecture2.ソ連崩壊 社会主義の理想が怖い国になるまで」の「プーチン長期政権への裏ワザ」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.ゴルバチョフ書記長は、ソ連のペレストロイカを提唱した。ロシア語で「立て直し」を意味する。秘密主義で言論の自由がなく、国民が国家の問題点に気づかないことを知ったゴルバチョフ書記長は、情報公開によって社会や経済の問題点を国民に知ってもらい、そこから改革を進めようと考えた。
2.外交政策では、「新思考外交」を推し進めた。これは、米国など西側諸国との冷戦状態を終わらせようというもので、これにより、米国との関係改善が進んだ。しかし、ゴルバチョフ書記長の方針は理想主義的すぎて、うまくいかなかった。たとえば、強い酒のウオッカを大量に飲む国民が多いため、労働生産性が上がらないと考えたゴルバチョフ書記長は、節酒キャンペーンを展開した。酒類の価格を引き上げた。すると、砂糖が店頭から姿を消した。人々は、自宅で砂糖を使って酒の密造を始めた。
3.情報公開が進んだ結果、人々は、ソ連がいかに遅れた国であるかを初めて知るようにな、自信を失ったり、国家や共産党への不信感を強めたりする人たちが続出し、ソ連社会は不安定になった。
4.危機感を抱いた共産党保守派は、1991年8月、ゴルバチョフがウクライナのクリミアの別荘で静養中、ソ連政府高官8人がクーデターを起こした。ソ連を構成する共和国のひとつであるロシア共和国は、住民の選挙で選ばれる大統領制を採用しており、エリツイン大統領はモスクワ市内で戦車の上に乗り、「クーデター反対」を叫んだ。ここに市民2万入が集まった。クーデター勢力から攻撃を命じられたソ連軍の特殊部隊は命令を拒否し、クーデターは失敗し、別荘で軟禁されていたゴルバチョフは無事にモスクワに戻った。権力はエリツィンに移っていた。
5.エリツィンはソ連共産党の活動停止を命令。ゴルバチョフは共産党を解散させた。800万人の党員がいた党が一瞬にして消滅した。1991年12月、ソ連は崩壊した。ソ連を構成していた15の共和国は、それぞれ独立した。ソ連の財産あるいは外国との条約などはロシア共和国が継承した。
6.エリツィン大統領は、経済体制を、社会主義から資本主義へと急激に転換させた。急な転換は大混乱をもたらした。ソ連崩壊に合わせ、ロシアからの分離独立を求める運動も盛んになった。とりわけカフカス地方のチェチェンが独立に動いたが、これをエリツィン政権は弾圧し、これを力で抑え込んだのが、ウラジーミル・プーチン首相だった。エリツィンは、プーチンを高く評価して後継者に指名した。大統領選挙の結果、2000年5月、47歳のプーチン大統領が誕生した。
7.ロシアの大統領任期は、このとき1期4年で連続2期までとなっていた。プーチン大統領は、2期を務め終えた2008年、腹心のメドベージェフ第一副首相を大統領に据え、本人は首相になるという裏ワザを展開。メドベージェフ大統領時代に大統領の任期を6年に延長し、2012年再び大統領選挙に出て当選を果たた。メドベージェフは首相に就任した。
8.これからは1期6年の連続2期までの任期だがら、プーチン時代は、今後12年続くかもしれない。プーチンは、最初の大統領時代、石油や天然ガスを扱うエネルギー企業を国有化し、プーチン政権に批判的な人物を、さまざまな理由をつけて逮捕した。
9.初期のプーチン時代、国際的な石油価格高騰により、ロシアは財政が豊かになり、経済が発展した。ロシア国民は、これを「プーチンのおかげ」と受け止めた。かつてのレーニンやスターリンのような強い指導者を求めるロシア庶民は、プーチン大統領を支持したが、プーチン政権を批判するジャーナリストが次々に殺害されたり、不審な死を迎えたり、という事態が続いている。まるでスターリン体制の再来のような事態が起きていることが危惧されている。



yuji5327 at 06:41 
共通テーマ 

2015年02月22日

人中に舞てはひりぬ春の雪

IMG_20150220_0002
鳳朗句
長谷川櫂解説
人々の行きかう街
春の雪がひらひら
春の雪の華やかさ。
(読売新聞2015.2.20より)

yuji5327 at 06:55 
池上湖心の書 

中国共産党は、民主主義と人権の尊重を求める運動に火が付くことを恐れて、天安門事件への言及を抑え込む。天安門広場に集結した学生や市民の消えることはない。


「メリンダ・リウ著:繁栄で忘れられた血染めの過去、 25年前の虐殺が示した独裁国家・中国の本性民主主義を拒否し続け、虚栄に浸る国の行く末とは、検閲で記憶は消せない、Newsweek June 10 2014」が面白い。
1.天安門事件以降、中国における抗議デモの性質には大きな変化が見られる。近年の抗議行動は、もっぱら地元の問題に対する怒りをぶつけるものが目立つ。環境を汚染する化学工場への抗議とか、少数民族の多い地域での宗教的・民族的な差別に対する反発などである。大規模なデモが行われる(許される)場合もある。アメリカや日本といった民主主義国家を含む諸外国による「侮辱」や「侵略」行為があったときに限られる。
2.ナショナリズムによって火が付くこうしたデモは、概して限定的なものである。大都市では激しいデモになるが、多くの地域の人はそうした問題について知らないか、知っていても気にしていない。建国以来、労働者や学生、高齢者や子供、農民までも含む幅広い民衆がたくさん参加し、世界中からあれほどの注目を集めた初めての、そして唯一の抵抗運動が天安門事件だった。
3.多くの中国人にとって、民主主義は遠い理想だが、司法制度は自分の生活に直結する。自宅を当局に没収されたり、身内が炭鉱事故で死亡したときなどに、泣き寝入りせずに損害賠償を求めたい。党内の権力闘争に影響されずに、公正な裁判が行われるようにしてほしい。国民は切実にそう思っている。
4.汚職撲滅運動によって、政府に対する国民の信頼もいくらか高まった。以前は汚職があまりに横行して、違法とも見なされないほどだった。中国社会がすっかり物質主義に染まり、不気味なほどのモラルの欠如も感じた。暮らし向きはよくなったが、公正さや幸福度、平等さに関しては何も変わっていない。人々の心を一つにするものが何もなく、ナショナリズムにも、その力はない。
5.中国の未来について、楽観はしているが、短期的には注意が必要であ。中国が過去25年以上にわたって追い求めてきた発展の代償を払う必要がある。これからは心の豊かさも目指さす必要がある。
6.天安門広場のリーダーだったウアルカイシも、中国の未来には希望を失っていない。ウアルカイシは「投獄は望むところだ、当時の私の行為を起訴させ裁判で政府を問い詰めたい天安門事件を公に議論するために」と言っている。自分が法廷に立てばオープンな対話の場ができる。それこそ25年前の自分が命懸けで求めたものだ、とウアルカイシは考えた。
7.1989年6月4日、北京の天安門広場で、民主主義と人権の尊重を求める学生や市民のデモが中国政府によって力で粉砕された。当時、この出来事を、世界規模で進む民主化の流れの中の一時的な後退にすぎないとみる人と、民主化の道が完全に閉ざされたとみる人がいた。それから四半世紀たった今、いずれの予測も間違っていたように見える。中国に大きな変化は起きていないが、変化への希望は生き続けている。
8.天安門事件が起きたのは、東欧の共産主義諸国や中南米諸国とアジアの独裁国家の一部で民主化が大きく進んだ時期だった。民主化運動を押しつぶした中国は、そうした世界の潮流に逆行しているようにみえた。このとき民主主義に移行した国の多くでは、その後も汚職がまかり通り、政府は反対勢力を沈黙させ続けている。
9.民主主義と人権尊重へ向けたさらなる進歩は、多くの国で停滞しており、中国に変革を促す外的な圧力もしぼんでしまった。その結果、中国の国内外の民主活動家たちが勢いを失った面もあった。この数十年、中国が目覚ましい経済成長を遂げてきた。中国政府はしばしばその実績を盾に、反対派を沈黙させてきた。中国共産党はいまだにほぼすべての政府機関を牛耳っていて、一部たりとも権力を手放す気配はない。平和的に反対意見を唱えることすら許す気はない。共産党は国民への監視を緩めておらず、特にメディアとインターネットには厳しく目を光らせ続けている。近い将来、中国が民主主義を受け入れるとは極めて考えにくい。
10.中国当局といえども、国民の自由な思想をすべて消し去ることはできない。多くの国民は、当局に公然と歯向かうことを避けつつ、情報や考えを交換したり、政策上の問題に関する意見を表明したりする手だてを見いだしている。当局が隠しておきたい情報を暴露したり、当局に公然と要求を突き付けたりする人たちもいる。
11.一線を越えた、と見なされたジャーナリストや弁護士、活動家などには、法的な制裁が加えられるが、すべての声を黙らせることはできない。環境汚染や土地の強制収用、汚職などに対する大規模な抗議活動や暴動を完全に封じ込めることもできていない。あの時の天安門広場のような民主化要求デモがいま起きるとは考えにくいが民主主義と人権の尊重を求める動きは何らかの形で続く。89年6月4日にすべてが終わったわけではない。
12.中国当局はこの25年間の経済発展という成果を理由に、共産党の一党独裁体制を正当化しようとする。中国は自他共に認める超大国で、既に世界2位の経済大国にのし上がっており、向こう10〜20年の間にはアメリカを抜いて世界1位に躍り出るとみられている。
急速な経済成長のおかげで、何億人もの中国人が貧困状態から抜け出せたことも事実だ。人類の歴史上、これほど大きな成果を収めた貧困撲滅キャンペーンはほかにない。
13.2091年のソ連崩壊後、旧ソ連諸国は大混乱に陥り、民主主義が定着しているとは言い難い。そういう現状を考えれば、どうして中国が段階的変革の路線を放棄し、あえてかつてのソ連と同じ道を選ぶ必要があるのかと、疑問に思うのも分る。しかし、中国が25年前の恐ろしい出来事の影から逃れることはできない。
14.共産党は、民主主義と人権の尊重を求める運動に火が付くことを恐れて、天安門事件への言及を抑え込もうとするが、中国政府がこの25周年の記念日を黙殺したところで、あの日、天安門広場に集結した学生や市民たちが表現した思いが消えることはない。いずれは、中国政府がそうした要求を抑え込めなくなる日が来る。



yuji5327 at 06:45 
共通テーマ 

2015年02月21日

ペン落とす音より春のこぼれたり

IMG_20150219_0002
河内静魚句
長谷川櫂解説
春の訪れを感じる
人によりさまざま
富士山の雪の色
春の白
ペンの落ちた音
水の雫の音を連想
(読売新聞2015.2.21より)


yuji5327 at 07:01 
池上湖心の書 

農協分野の岩盤規制を崩すと騒いでいたが、結局は全中をつぶすだけで、大山鳴動して鼠一匹である。

2月20日付けの大前さんの「 大前研一 ニュースの視点 」(発行部数 178,549部)は、「農協改革・統一地方選・財政再建の話題について」と題する記事である。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.政府・自民党と全国農業協同組合中央会(JA全中)の農協改革をめぐる協議が9日決着した。全中の監査・指導権をなくし、2019年3月末までに一般社団法人に転換することが取り決められた。農協分野の岩盤規制を崩すと騒いでいたが、結局は全中をつぶすだけで、大山鳴動して鼠一匹といったところである。
2.農家戸数の推移を見ると、専業農家の数はそれほど減っておらず、第2種兼業農家(農業所得よりもその他の所得が多い農家)の数が減少している。農協の組合会員数を見ると、准組合員数が増加し、正会員数は減少している。農協の会員になっていると、金融関係で有利な条件を得ることができ、それを得たいがためだけに会員になる人が多い。
3.農業の総産出額は、30年近く減少し続けており、インターネットを利用した直販も普及してきた結果、農協の取扱額も減少傾向である。安倍総理は「農業を成長産業に」と主張しているが、もう少し「具体策」が必要である。
4.全中を潰したのは良かったと思うが、それでも80億円の上納金がなくなるだけで、農業を成長産業にするためには、ここから何に取り組むかが重要である。農業を独自産業化し成長させていくためには、政府が主導して、各地の農協を株式会社化することも検討すべきである。政府は「株式会社化を許可する」という、各農協に「任せる」姿勢を見せているが、このままでは物事は進まない。
5.大前氏は、商店街も株式会社化しなければ生き残れないと指摘してきた。しかし、商店街の組合制度では「みんなが賛成しないと決定できない」となってしまい意見がまとまらないまま、大型店に遅れをとり、各地の商店街はシャッター街になってしまった。
6.農協を株式会社化すること自体は正しいと思うが、意思決定の仕掛けは政府主導にしなければ進展しない。政府にはぜひ積極的に動いてもらいた。



yuji5327 at 06:52 

2015年02月20日

爆買

IMG_20150219_0003
中国の「春節」と呼ばれる旧正月
7連休で、日本への「買い物ツアー」
大型観光バスで免税店
電化製品や化粧品、食品を購入
人気は日本製炊飯器
高機能便座
買い物の予算100万円~400万円
購入品を詰め込む
新たなスーツケースを購入
空港の出発ロビー荷物であふれる


yuji5327 at 06:52 
池上湖心の書 

首相の座を降りたチャーチルは、1946年、米国を訪問した。招待されたミズーリ州のウェストミンスター大学で講演し、有名な「鉄のカーテン」という言葉を使った。


「池上彰著:学校では教えない「社会人のための現代史」池上彰教授の東工大講義、文藝春秋、2013年」が面白い。「Lecture1.東西冷戦、世界はなぜ2つに分かれたか」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.第2次世界大戦が終わると、戦争を指導した英国のチャーチル首相は選挙で敗北し、首相の座を降りた。戦争中はチャーチルの指導に従っていた英国民も、平時の指導者としてはチャーチルを選ばなかった。
2.首相の座を降りたチャーチルは、1946年、米国を訪問した。招待されたミズーリ州のウェストミンスター大学で講演し、有名な「鉄のカーテン」という言葉を使った。「バルト海のシチェチンからアドリア海のトリエステまでヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。このカーテンの裏側には、中欧・東欧の古くからの国々の首都がある」と続く演説である。
3.第2次世界大戦中、米国・英国はソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)と連合を組み、欧州でドイツやイタリアと戦った。ドイツが占領していた広範な欧州地域は、西側を米軍が、東側をソ連軍が占領した。ソ連軍が占領した地域では、ソ連寄りの共産党政権が次々に樹立した。
4.これらの国々は、ソ連の指導に従い、西側諸国との交渉を絶ち、まるで鎖国のような状態になった。これをチャーチルは、「鉄のカーテン」と称した。歴史のある、かつては自分たちの仲間だった中欧・東欧がカーテンの陰に隠れ、その向こうでどのようなひどいことが行われているかわからなくなった嘆きと同時に、そのようなソ連の動向に注意を喚起するように米国民に呼びかけた。
5.その後、中国大陸で共産党政権が樹立され、大陸の様子が外部から窺い知れなくなったとき、これをマスコミは「竹のカーテン」と呼んだ。鉄のカーテンで東西に分割された様子を、1947年、米国のジャーナリスト、ウォルター・リップマンは「冷戦」と呼んだ。第2次世界大戦のような直接の殺し合いの「熱い戦争」ではなく、睨み合いの続く様子を、こう表現した。
6.第2次世界大戦後の世界がこうなったのは、ソ連のスターリンがヤルタ協定の約束を破ったからである。
1945年2月、当時のソ連、現在はウクライナに所属するリゾート地・ヤルタに米大統領のルーズベルト、英首相のチャーチル、ソ連首相のスターリンが集まり、戦後秩序のあり方について会談した。
7.その結果、ドイツの占領から解放した地域で自由選挙を実施して国民を代表する政府をつくるということで合意した。スターリンは、約束を守る気はなく、自国の勢力圏を拡大することを考えていた。ソ連軍が占領したポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアでは、ソ連共産党の指導を受けた各国の共産党が臨時行政委員会を結成し、それが政府を形成した。
8.唯一、自由な選挙が実施されたチェコスロバキアでは、連立政権を組んだ共産党がクーデターで独裁政権を樹立した。スターリンの振る舞いには、スターリンの異常な恐怖心があった。第2次世界大戦でドイツの侵略を受けたソ連は、2000万人を超える戦争犠牲者を出した。これがスターリンの恐怖心の理由で、ソ連が敵国になりうる国と直接国境を接していると、いつ侵略を受けるかわからない。ソ連の周辺国家は、自国の言うことを聞く国々で固めておこうとした。
9.スターリンの対応に対して、米国のケナンは「封じ込め政策」で応じた。1946年2月、米国のケナンは米国務省あてに長文の電報を打った。それが、ソ連を「封じ込めるべきだ」と提唱するものだった。この電報が高く評価され、国務省に呼び戻され、対ソ連の外交政策をまとめる中心人物となった。
10.ケナンは、外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」(1947年7月号)に「X」という匿名で「ソ連封じ込め」を提唱する論文を執筆した。米国は、英国など西欧諸国と連携して、ソ連の膨張主義に対抗し、これ以上ソ連の勢力圏が拡大しないように封じ込めるべきだという趣旨だった。これは、「X論文」と呼ばれた。
11.この方針を受けて米国のトルーマン大統領は1947年3月、「トルーマン・ドクトリン」を発表した。世界を自由主義(善)と共産主義(悪)に2分して悪との対決を宣言した。世界を単純に二つに分けたがる。2001年の米同時多発テロ以後、当時のジョージ・ブッシュ大統領が、「テロとの戦い」を宣言し、「アメリカの味方でなければ敵だ」と宣言したのと共通した発想である。



yuji5327 at 06:35 
共通テーマ 

2015年02月19日

脱デフレのきざし

IMG_20150217_0001
価格下落が続いたデジタル家電
価格上昇の兆し
薄型テレビなどのメーカー
利益率を重視した販売戦略
消費者「安さ」から「質重視」の姿勢
4Kや大型化で価格を上げる


yuji5327 at 06:50 
池上湖心の書 

ゴルバチョフを過大評価していたが、もっと大きな見込み違いもしていた。「天安門の悲劇が共産党の崩壊を招くだろう」という予測である。


「メリンダ・リウ著:繁栄で忘れられた血染めの過去、天安門事件 25年前の虐殺が示した独裁国家・中国の本性民主主義を拒否し続け、虚栄に浸る国の行く末とは、検閲で記憶は消せない、Newsweek June 10 2014」が面白い。
1. 25年前の春、中国では多くの人がソ連の「改革」に共感していた。5月にはゴルバチョフが国賓として訪中し、30年にわたる中ソ対立に終止符を打つことになっていた。当然、外国メディアも大ニュースとして注目していた。当時の私は香港を拠点としていたが、ゴルバチョフ取材のために短期の報道ビザを取り、空路北京に入った。到着してまず感動したのは、4月15日に死去した改革派の旗手・胡耀邦元総書記を悼む人々がたくさんいたことである。
2.胡が他界する以前から中国では民主化の欲求がくすぶっていたが、天安門広場の人民英雄記念碑は白い花輪に埋もれていた。政府の中枢機関がある中南海前では、報道の自由の拡大を含む胡の始めた改革の継続を求める多くの民衆が平和的に座り込みをしていた。中ソ首脳会談の前週には100人の中国人記者が国営新華社通信に押し掛け、こうした民衆行動に関する報道の規制に激しく抗議していた。
3.私は自転車で市内を巡りながら、あちこちで大勢のデモ隊の姿を目撃した。「抗議行動について別の記事も書きたい」と、ニューヨークの編集部に提案したが、あっさり却下された。「中ソ関係記事の中に盛り込んでくれ」という指示だった。人民英雄記念碑は天安門広場の中央にそびえ立つ。そこに集結したデモ隊も、ゴルバチョフが到着する5月15日までには排除されるだろう実を言えば思い込んでいた。ところが13日には自転車に乗った数百人の大学生が集まり、下火になり始めた運動を再び盛り上げるため、記念碑の下でハンストを始めた。14日の夕方、今夜こそ当局が出動すると予想した私は、現場に立ち会うため広場へ向かった。
4.北京の春は心地よい。学生たちの掲げる色とりどりの絹の旗が、そよ風に揺れていた。彼らは静かに話し合い、歌ったりギターを弾いたりしていた。夜が明け、輝く朝日が記念碑を照らし始めた頃、私は疲れ切った体を引きずり、不吉な予感を抱えながら帰った。結局、ゴルバチョフ訪中のニュースはかすんでしまうことになる。
5.到着したゴルバチョフは、市民から「英雄」として想定外の大歓迎を受けた。天安門広場は群衆で埋め尽くされ、一行はめったに使われない裏口から人民大会堂に入ることになった。もちろん中国側の意向である。ゴルバチョフの車列が通る沿道では、民衆が歓呼で迎えた。ゴルバチョフを「真の改革者」と呼ぶ中国語とロシア語の赤い横断幕もあった。それは「中国に真の改革者はいない」というメッセージで迎えた。
6.経済改革が進んだ今の中国でも、ゴルバチョフ流のグラスノスチ(情報公開)は実現していない。ゴルバチョフは中国側に配慮して、そんなことには気付かぬふりをし、度重なる予定変更にも文句を言わなかった。しかし裏では事態を注視し、側近たちに状況を尋ねていたらしい。随行員の1人は、「横断幕に『ソ連にはゴルバチョフがいる。中国には誰がいるか?』と書いてある。」と言った。
7.ロシアに対する中国の認識は大きく変化してきた。天安門事件25周年今年、両国は向こう30年にわたる天然ガス供給契約を結び、友好関係を確認し合った。ただし現在の両国関係においては、欧米諸国の制裁に苦しむロシアのほうが格下である。今どき、ロシアを羨ましいと思う中国人はほとんどいない。中国政府は、ゴルバチョフのグラスノスチがソ連崩壊を招いたと考えている。歴代の国家主席も、「中国のゴルバチョフ」になり得ると評されるのを嫌っていた。
8.ゴルバチョフを過大評価していたが、もっと大きな見込み違いもしていた。「天安門の悲劇が共産党の崩壊を招くだろう」という予測である。天安門での抗議デモのニュースは、中ソ首脳会談の取材のために中国入りしていた外国の記者たちにとって不意打ちだった。中国政府が最終的にデモを終結させるために「あそこまで」やるとは予想できていなかった。
9.デモは何週間も続き、取材を続けていた多くの記者やカメラマンは疲れ切っていた。そんな日の晩、軍による強制排除が始まった。北京に残るのは少人数のスタッフだけだった。中国の友人たちから、当局による弾圧が近いと警告する電話が入り始めていた。興奮した市民たちが、人民解放軍から奪ったヘルメットや制服の切れ端、装備品一式を「戦利品」として見せびらかしながら3輪バイクを乗り回す光景を見て、悪い予感は募った。
10.軍の弾圧が、あそこまで残忍なものとは予想していなかった。あまりにひどい大虐殺(当局が事実を全否定)で頭に血が上り、暴発しそうになったこともあった。北京飯店ホテルの従業員が表情一つ変えずに「天安門広場の近くで殺された人はいない」と言うのを聞いたときは、われを忘れて中国語で怒鳴り返した。


yuji5327 at 06:43 
共通テーマ 
池上技術士事務所の紹介
261-0012
千葉市美浜区
磯辺6丁目1-8-204

池上技術士事務所(代表:池上雄二)の事業内容
以下のテーマの技術コンサルタント
1.公害問題、生活環境、地球環境
2.省エネ・新エネ機器導入
のテーマについて、
・技術コンサルタント
・調査報告書の作成
・アンケート調査・分析
・技術翻訳、特許調査
を承ります。
有償、無償を問わず
お気軽に下記にメールをください。
ke8y-ikgm@asahi-net.or.jp

工学博士、技術士(応用理学)、
公害防止主任管理者、
騒音防止管理者の資格で
お役に立ちたいと思います。

池上湖心 プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山に師事
書象会に所属、書象会理事
審査会々員
○作品展の開催
・主宰している「さざ波会」
 作品展を毎年8月開催
(於:稲毛ギャラリー)
・土曜会(グループ展)
 作品展を毎年10月開催
(於:銀座大黒屋)
○公募展の受賞、入選
・日展入選
・読売書法展(現在理事)
 読売奨励賞
 読売新聞社賞
・謙慎展(現在理事)
 春興賞の受賞:2回
○書道教室
・学生:月曜日
・一般:火曜日、水曜日





地域別アクセス

ジオターゲティング

ジオターゲティング
livedoor プロフィール

yuji5327

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード