2015年03月

2015年03月31日

サクラ満開

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全国各地で平年を上回る暖かさ
東京と福岡市ではサクラが満開
鹿児島市で25度2分夏日
東京の都心で21度1分
広島市で20度6分
仙台市で19度7分
札幌市で16度3分
4月下旬から5月中旬並みの暖かさ


yuji5327 at 07:12 
池上湖心の書 

中国は焦りを感じており、途上国に投資してリターンを考えると、簡単ではない。アジア開発銀行でアジアのインフラ整備をするのも、一つの選択肢である。

3月27日付けの 大前研一さんの「 ニュースの視点」(発行部数 178,581部)は「中国投資銀行・中国経済政策・STX大連の話題について」と題する記事である。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.17日付の英紙フィナンシャル・タイムズは、中国主導で年内発足を目指すアジアインフラ投資銀行(AIIB)に、フランス、ドイツ、イタリアも参加すると報じた。英国に続き、欧州主要国が加盟で合意したことは、投資銀に距離を置くよう働き掛けてきたオバマ米政権の「打撃」になると分析している。欧州主要国など様々な国の参加が決まり、当初の予定を上回り最終的には中国が資本金の3割程度を提供する形に落ち着きそうである。
2.今になって中国がこのような動きを見せている理由は、世界銀行もアジア開発銀行も先進国が牛耳っているが、まだまだアジアにはインフラを整備する必要があり、そこに投資を集中する銀行が必要というのが理由である。
3.これに対して日米は運営の透明性を問題にしていだが、IMFにしろ、世界銀行にしろ、運営の透明性という点では似たようなものである。中国がこの銀行を設立したいと考える、理由は「中国経済のスローダウンと崩壊」に関係がある。
4.中国は巨大な建設機械を使い、鉄道、道路、橋などを次々と建設してきたが、今や中国経済はスローダウンし、中国の建設市場も失速している。このまま巨大な機械を中国国内に鎮座させていても、何も意味はない。中国企業に限界が来る前に、早く巨大な機械をアジアに持って行かなくてはいけないと考えている。
5.ここに来て、日本も参加するような姿勢を見せているが、最初から参加表明をしているフランス、ドイツ、イタリアを中国は優遇し、当初反対姿勢だった日本が優先されることは考えにくい。
6.日本の態度に一貫性がないのは、米国の意向を受けて態度を決めかねているからである。何ともみっともない話である。中国主導の投資銀行に参画するのか、あるいは別の道を行くのか、明確に態度を決定すべきである。
7.中国と袂を分かつのならば、アジア開発銀行で同じようなインフラを作れば良いし、もし中国と一緒にやるのなら、中国に次いで資本を入れるくらい積極的にならなければ意味がない。注意したほうが良いのは、今、中国は「焦り」を感じており、そのようなときには、投資判断を間違う可能性が高いことである。
8.途上国に投資してリターンがあるのかを考えると、決して簡単ではない。その意味でも、中国とは別の道を選び、アジア開発銀行でアジアのインフラ整備をするというのも、一つの選択肢として検討するべきである。
9. 15日に閉幕した全国人民代表大会は2015年の成長率の目標を前年よりも0.5ポイント低い「7%前後」とする方針を確認した。李克強首相は小刻みな政策対応で安定成長を続ける「新常態(ニューノーマル)」を保つとしながら、この目標の実現も「簡単ではない」と認めた。
10.人民銀の周総裁が、預金金利の上限撤廃をなくすと発表するなど、全人代では様々な意見が出たようだが、気になるのは中国が公式発表している成長率の数値への疑念である。中国の場合、GDPの算出にあたり、どのような統計を使い、どのような計算をしているのかという点が明確になっていない。
11.中国経済の成長率を測る経済指標に、「李克強指標(インデックス)」と呼ばれるものがある。これは、「電力消費」「鉄道貨物取扱量」「銀行融資」といった実体経済にリンクした数字がどのくらい動いているかを見て成長率を測るもので、李克強首相が遼寧省で党委書記を務めていた時に着眼していた指標である。
12.李克強指標(インデックス)によると、直近の成長率は5%程度である。中国政府が受け入れるかどうかは別として、公式発表の数値に信頼が置けない以上、こういう指標を使わざるを得ないのが問題である。
13.李克強首相には逆風も吹いている。韓国STXグループ傘下で、中国最大級の外資系造船所STX大連が経営再建を断念し破産手続きに入った。李克強首相が遼寧省トップ時代に誘致し、東北振興の目玉事業と位置づけられたプロジェクトだが、2008年のリーマン・ショックを機に造船不況が深刻化し受注が低迷した。従業員は一時、2万人に達し今も数千人いるが、全員解雇になるらしい。李克強首相にとって最大級の痛手であり、中国造船の不況は相当厳しい。
14.中国だけではなく、韓国の造船もそれほど調子が良くない。一時の中国の勢いを見ていたら、日本も韓国も枕を並べて討ち死にかと思っていたが、円安の追い風も手伝って意外と今治造船などが健闘している。現在の造船業では、世界最大級のコンテナを積み込めるスーパータンカーが競争優位のポイントになっている。
15.スーパータンカーの受注状況などを見ると、日韓で半々ずつという形になっている。まさにヒュンダイや今治造船が競い合っている。最近、韓国では日本の競争力に大騒ぎになっている。韓国のインターネットなどを見ていると、韓国も競合しているように見えるが、「結局のところ、部品は日本からの輸入に頼っているため、最終的に日本には敵わない」という意見も見られる。
16.韓国の苦戦どころか、中国はこの競争に参画すらできていない。李克強首相にとっても厳しい状況である。



yuji5327 at 06:47 
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2015年03月30日

沖縄辺野古移設問題

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米軍普天間飛行場
沖縄県宜野湾市
同県名護市辺野古への移設問題
沖縄防衛局に出した作業停止指示
林芳正農林水産相
指示を無効とする方向で調整
防衛局は作業停止指示の取り消し
農水相に行政不服審査請求
制度は国民が不服を申し立てるためのもの
主権を持つ独立国家の行動ではない


yuji5327 at 07:10 
池上湖心の書 

太平洋戦争で日本が負け、日本軍が引き揚げると、ホー・チ・ミンはベトナム民主共和国の独立を宣言したが、フランスが戻ってきて、ベトミンと衝突しのがインドシナ戦争である。


「池上彰著:学校では教えない「社会人のための現代史」池上彰教授の東工大講義、文藝春秋、2013年」が面白い。「Lecture7.ベトナム戦争、アメリカ最大最悪のトラウマ」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.アメリカ首都ワシントンの公園に「ベトナム戦争戦没者慰霊碑」がある。慰霊碑は、全長151メートルある。ベトナム戦争で死亡した米国人の氏名が年代順に刻まれている。その数5万8000人余りである。これだけ多くの犠牲を出したベトナム戦争は、東西冷戦の中での代理戦争であり、米国社会を大きく変えた出来事だった。
2.ベトナムを含むインドシナ半島はフランスの植民地だったが、まだ太平洋戦争が始まる前の1940年9月、日本軍は仏領インドシナのベトナムに進駐した。第2次世界大戦の欧州戦線でフランスがドイツに敗れたことから、ドイツと軍事同盟を結んでいた日本は、ベトナム進出の絶好のチャンスと考えた。
3.当時の日本は中国大陸で中華民国を相手に日中戦争を戦っていた。米国は中華民国を支援し、ベトナム経由で支援物資を中国に送っていた。日本軍は、ベトナムに進駐することで、この支援ルートを切断しようと考えた。日本軍が進駐していた1941年5月、ホー・チ・ミンの指導の下、ベトナムの独立を求める「ベトナム独立同盟」(ベトミン)が結成された。ベトミンを結成したホー・チ・ミンは、フランス船に見習いコックとして乗り込んでフランスに渡り、マルクス主義に触れて共産主義者になった。ベトナムに帰国後、独立運動を指揮するようになった。
4.太平洋戦争で日本が負け、ベトナムから日本軍が引き揚げると、ホー・チ・ミンは「ベトナム民主共和国」の独立を宣言した。ところが、日本軍が引き揚げた後にはフランスが戻ってきて、植民地支配を継続させようとした。1946年、独立を求めるベトミンとフランス軍が衝突した。これがインドシナ戦争である。
5.ベトミンはソ連と中国が援助し、フランスを米国が支援した。世界は東西冷戦が始まり、ベトナムで米ソの代理戦争が行われた。これは、その後、米国が全面参戦して始まるベトナム戦争とまったく同じ構図である。インドシナ戦争で、フランス軍はベトミンとの戦いに苦戦した。1953年から1954年にかけては、ベトナム北西部のディエンビエンフーにあったフランス軍基地がベトミン軍によって包囲された。2カ月にわたる攻防戦の結果、1954年5月には1万人ものフランス軍兵士が捕虜になった。この結果、フランス軍はベトナムから撤退することになり、同年7月、スイスのジュネーブで開かれた和平会談の結果、休戦「ジュネーブ協定」が成立した。
6.この協定で、ペトナムは北緯17度線で南北に分断された。南北の境には幅10キロメートルの非武装地帯(DMZ)が設定された。DMZの北側には、すでに独立を宣言していた「ベトナム民主共和国」(北ベトナム)が発足し、ホー・チ・ミンの指導の下、社会主義への道を歩んだ。一方、南には米国が支援する「ベトナム共和国」(南ベトナム)が1955年10月に成立した。フランスが撤退した後を、米国が引き継いだ。
7.当初のジュネーブ協定では、DMZは国境ではなく、南北ベトナム全体で統一選挙を実施して統一国家を樹立することになっていたが、米国と南ベトナムは、共産党主導の国家ができることを恐れたため、これを拒否した。南ベトナムのトップであるゴ・ジン・ジェム大統領は、独裁者として反対派を弾圧した。ゴ一族は米国からの援助を懐に入れて私腹を肥やした。米国は、東西冷戦の中で、米国の味方であれば、どんな政権でも支援した。
8.カトリック教徒のゴ大統領は仏教寺院を弾圧した。これに抗議した僧侶が焼身自殺するというショッキングな事態も起きた。これに慌てた米国は、米中央情報局(CIA)を使ってベトナムの軍部にクーデターをそそのかし、次々に大統領が交代させた。国民の心は政権や米国から離れた。


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2015年03月29日

沖縄辺野古移設問題

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米軍普天間飛行場
名護市辺野古への移設問題
県が沖縄防衛局作業停止指示
林芳正農林水産相
指示を無効とする方向
翁長雄志知事
申し立ては不適法
県の指示は行政処分でなく行政指導
制度は国民が不服を申し立てるためのもの
日米関係が悪化するから
許可を得ずに作業を続けていい
主権を持つ独立国家の行動ではない
安倍首相、高村氏ら
品格のない発言が続く。


yuji5327 at 07:04 
池上湖心の書 

日本を危機的な状況から救うために「政治の品格」がいまほど求められているときはない。そのために、いまこそ石橋湛山に学ぶ意味は、非常に大きい。


「後藤臣彦著:政治と品格 石橋湛山と遠山正瑛に学ぶ、原書房、2006年」のプロローグの印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.「品格」という言葉は、現代の日本人が失った大切なものとして語られることが多い。品格とは「どことなく、その人物に備わっている品位」である。政治家における品格という場合に限っては、自分の意思に従って行動し、自分の意見をはっきり主張できること、仮に敵対していても、相手の立場や考え方を理解し聴く耳をもつこと、公の利益に身を捧げる覚悟をもっていること、足るを知ることなどが考えられる。
2.「足るを知る」とは、欲をかきすぎて自分の能力以上のものを求めたり、白信過剰に陥ったりしないことを意味する。一般的には、貧欲や自惚れを戒める教えとしてよく知られているが、どんなご馳走でも腹八分で満足する自己制御の姿勢ということである。
3.政治家の「品格」の条件ならば、「国として毅然とした自主独立外交を展開できる」「国としてはっきり自分の意志を主張できる」「国として他国の立場や意見を理解し、聴く耳をもっている」「自国の利益のみにこだわるのでなく、大きな視点から相互の利益.を考える」「自国の際限のない主張を抑える器量を備える」ことである。
4.今の日本は心もとない。外交の姿勢は、米国追随である。たとえば、駐留米軍再編や海兵隊のグアム移駐で、何の根拠もない3兆円の経費がかかるという米国側の勝手な発言を許し、具体的な議論を積み重ねることをせず、あいまいなままに既成事実化している。
5.束アジアの近隣外交においても、繰り返された小泉前首相の靖国神社参拝問題が中国、韓国の首脳との顔合わせも会話もできない状態をつくりだした。メディアで報道された前首相の行動、ワンフレーズ発言の繰り返しの発信は、郵政民営化選挙の強引な手法を再現しているように見えた。安倍新首相の識見と政権運用力が試される。
6.北朝鮮からは、いいように足元を見られている。2006年7月、北朝鮮は、「9・17日朝合意」を無視して日本海にミサイル七発を連射した。北朝鮮は、この連射が軍事訓練の一環であり、当然の権利と主張した。こうしたときにこそ、政治の実力が問われるが、それは常日頃から政治家が、先に述べたような「政治の品格」を磨いていないと、威力を発揮できない。
7.政治家の品格とは、単に人柄がいいということではない。信念はいうまでもなく、高い教養と知性、倫理性、思考力と洞察力、そして意志の強さといった能力である。粘り強く諸問題にあたり、国民の利益を守ることにある。昨今は、こうした政治家が少ない。自己保身や自己利益のみを追求して、公の使命をまったく忘れている政治家ばかりが目立つ。
8.今、日本の政治と政治家に品格を取り戻すために、その良き手本となるのは、石橋湛山という政治家である。湛山は東京生まれで、山梨県で育った。早稲田大学に入学し、卒業後、ジャーナリストを志して東京毎日新聞に入社した。その後、東洋経済新報社に転じた。大正から昭和初期にかけて植民地放棄の小日本主義、民権、自由主義の論陣を貫いた。
9.戦後、第一次吉田内閣の蔵相就任を皮切りに、政界に身を転じ、敗戦後の困難な危機的な情況の中で、新たな日本の進路を切り開き、その進むべき指針を示すことができる数少ない政治家として、大いに期待された。1956年、岸信介氏と争って、自民党総裁となり、首相に選出された。そして湛山は、自分の抱負を国民に語るべく全国遊説を行なった。
10.日本を危機的な状況から救うために「政治の品格」がいまほど求められているときはない。そのために、いまこそ石橋湛山に学ぶ意味は、非常に大きい。



yuji5327 at 06:48 
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2015年03月28日

花冷えの顔を壊して師を嘆く

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橋本美代子句
長谷川櫂解説
花冷えの顔
白々と色を失った顔
敬愛する人の死
泣きたい気持ちをこらえる顔
師とは
俳人山口誓子
(読売新聞2015.3.26より)

yuji5327 at 20:59 
池上湖心の書 

戦争は環境破壊につながる。戦争で南ベトナムの土地は荒廃し、農業国だった南ベトナムは、1965年を境にコメの輸入国に転落した。


「池上彰著:学校では教えない「社会人のための現代史」池上彰教授の東工大講義、文藝春秋、2013年」が面白い。「Lecture7.ベトナム戦争、アメリカ最大最悪のトラウマ」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.腐敗した政権に反対する民主化運動の中から、1960年2月、「ベトナム南部解放民族戦線」が結成された。一般的には解放戦線と呼ばれた。参加者は、広範な知識人、学生、民族主義者、共産主義者の組織である。当初は、さまざまなメンバーが加わっていたが、激しい戦闘によって、当初のメンバーが死亡するにつれ、やがて北ベトナムの命令を受ける共産主義者の組織に変質した。
2.解放戦線は、農村部でのゲリラ活動を中心に据えながら、次第に勢力を拡大していった。解放戦線には腐敗した政権に反対する民主主義勢力も含まれていたが、米国は「ソ連、中国の手先」と考え、南ベトナム政府軍に代わって、解放戦線を攻撃するようになった。すべては東西冷戦の観点からしか見ることができなくなっった。
3.当時の米国は、ドミノ理論値を唱えていた。ベトナムが共産主義者の手に落ちれば、次はカンボジアやラオス、タイ、マレーシアと、次々に共産主義になる、という危機感である。
4.米国は、ケネディ大統領の時代に1万6000人の軍事顧問団を送り込んでいたが、後任のジョンソン大統領は、1965年頃には20万人を超える米兵を送り込んだ。それでも苦戦が続くと、次々に兵力を投入し、最終的には50万人もの米兵がベトナムに送られた。
5.米兵は、ゲリラと農民の区別がつかなかった。解放戦線の兵士は、ふだんは農作業に従事し、夜間にはゲリラに早変わり、ということを繰り返した。米兵は、農民がみんなゲリラに見えてきて、結局、無関係の農民が殺害される事件も相次ぎ、一般国民の米国に対する敵意が高まった。
6.苦戦する米軍は、戦争をエスカレートさせ、1964年には、北ベトナムに対する爆撃を開始した。この年の8月、南北ベトナムの沖合のトンキン湾で、米軍の駆逐艦が北ベトナム軍の魚雷艇から攻撃を受けたとして、米軍は北ベトナムに対する爆撃を開始した。これが「トンキン湾事件」である。米国は、南ベトナムの解放戦線の力が一向に弱まらないのは、北ベトナムからの支援があるからだと考え、支援の元を断つという狙いがあった。米空軍のカーチス・ルメイ参謀総長は、「ベトナムを石器時代に後戻りさせてやる」と発言した。
7.北ベトナムは、「分散の思想」で対抗した。燃料などを1カ所に集積すると、空爆で損害を受ける。燃料の入ったドラム缶を道路や空き地に並べ、爆撃を受けても被害は少なくて済む。大きな燃料タンクや倉庫など必要ない。両者の発想はまったく違っていた。
8.南北国境の非武装地帯(DMZ)は警戒されていたので、北ベトナムの輸送部隊は、いったん西側のラオス国内に入り、尾根伝いに南下して、南ベトナムに物資を運んだ。さらに南下してカンボジア国内を通るルートもあった。この輸送路について、米国は、当時の北ベトナムの指導者の名前を冠して、ホー・チ・ミンルートと呼んだ。当時のラオスやカンボジアは、北ベトナムに対抗する力がなく、北ベトナム軍が自国の領土を通ることを黙認した。
9.米国は、ラオスやカンボジア領内でもひそかに爆撃を実施していた。これはベトナム戦争中には秘密にされ、戦後、明らかになった。解放戦線のゲリラ兵士は、熱帯のジャングルを利用して行動していた。米軍は、ヘリコプターで上空からゲリラ兵士を捜したが、ジャングルに覆われ、発見できない。米軍は、枯れ葉剤の空中散布という作戦に出た。枯れ葉剤でジャングルの木々を枯らし、ゲリラ兵士が隠れる場所をなくしてしまう環境破壊作戦である。
10.枯れ葉剤には不純物としてダイオキシンが含まれていた。枯れ葉剤を浴びたベトナム国民はもちろん、枯れ葉剤を扱った米兵も、帰国後、後遺症に悩まされた。ベトナム戦争が終わった後も、ベトナムではダイオキシンが原因とみられる奇形児が生まれた。
11.戦争は環境破壊につながる。戦争で南ベトナムの土地は荒廃し、農業国だった南ベトナムは、1965年を境にコメの輸入国に転落した。



yuji5327 at 20:47 

2015年03月27日

みんなが心に握ってゐる桃色の三等切符を神様はしずかにお切りになる・・・

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杉山平一さんの詩
三等とは押し合いへし合い
人に揉まれる花見
グリーン車の切符に似合わない
(読売新聞編集手帳2015.3.24より)

yuji5327 at 06:56 
池上湖心の書 

中国は、イラクに対しISとの戦闘に単独で支援を申し出ている。空爆有志連合に加わらず、イラク一国と関与する。内政不干渉を掲げる中国としては異例である。

「アジアの中のイスラム国、選択、2015.3」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.二人の自国民が殺害されたことで、「イスラム国(IS)」の脅威について遅ればせながら気付かされた日本人の認識について、インドネシアでイスラム過激派対策の最前線に立つ治安組織の幹部は以下のように語っている。マレーシアは国内外のテロリスト予備軍を呼び寄せ、ISへと送り込む拠点と化している。
2.我々はこれまでイスラム国について遠い異国の現象だと捉えていたが、その考えが大きな誤
りだったことに気付いた。中東や欧米だけでなく、インドネシアはもちろん南アジアや東、東南アジアもISの標的になっている。
2.当局が把握しているだけで60人以上のマレーシア人がISなど過激派組織に戦闘員として加わっており、志願者が後を絶たない。これらは氷山の一角である。すでにシリアから帰還した戦闘員も国内に潜伏してリクルート活動を行っている。戦闘に加わる者だけでなく、彼らを資金面で援助する人間も多い。
3.2001年の米同時多発テロ以降、マレーシアも他国と同様に自国内で過激派分子の摘発を行ってきた。主にターゲットとなったのはインドネシア発祥の東南アジア土着の過激派組織「ジェマ・イスラミァ(JI)」である。マレーシア国内で拘束されているJIの指導者、アブ・バシル容疑者が獄中からISへの支持を表明している。。
4.欧米で危険視されているローン・ウルフ(一匹狼)ごホーム・グロウンテロリストは、イスラム教徒の多いマレーシアのほうが身を隠しやすい。世界最大のイスラム教徒を抱えるインドネシアでも、「感染者」は拡大している。ISに加わる最大の動機は経済的不満である。低所得層の若者のリクルートの場として機能しているのが、モスクや神学校である。
5.イスラム教徒は少数派だが、インドや中国は別の意味で危機的である。中国は比較的安全に見えるが、現実にはそうではない。ISは日本を名指しするより前の、昨年7月時点で中国をイスラムの敵と宣言していた。IS指導者のバグダディ容疑者は20力国の筆頭になぜか中国を挙げ、イスラム教徒への締め付けが続く新彊ウイグル自治区を占領する計画まである。
6.300人以上の中国人がマレーシアを経由して第三国に渡航し、ISに合流している。この第三国がトルコである。トルコに留学し、シリアで訓練を受けたウイグル族の学生が帰国直後に逮捕された。学生は洗脳されてシリアのアレッポにある訓練所に送られた。7日間の訓練を受けた後、新たな任務、中国での聖戦、新彊ウイグル自治区の破壊活動を任され。
7.近年、中国のテロ勢力はシリアやイラクなどの戦乱地域で訓練や作戦に参加して経験を積み、テロの能力を向上させている。中国共産党.がナーバスになっているのは、マレーシアで大量のウイグル族が摘発されたのを見て看過できないからである。
8.ウイグル族がISに惹きつけられるのは「国家建設」を掲げている点である。中国国内のウイグル族人口は約1千万人。同じトルコ系のカザフ族やキルギス族が中央アジアに民族国家を樹立する中で、中国に隷属しているウイグル族の苦悩は察するに余りある。今後、中東でテロ技術を学んだ『聖戦士』が続々と帰国するようになる。小規模テロを防げないことは過去の事件を見ても明らかである。
9.ISの動きが見えないのは広大なアジアのなかでほんの一部、日本と朝鮮半島くらいである。2001年の米同時多発テロ以降、イスラム教徒を監視対象に加えているが、外事警察がモスクの出入りを見張っているだけである。
10.中国は昨秋、イラクに対しISとの戦闘に単独で支援を申し出ている。空爆有志連合に加わることができないため、イラク一国と関与する姿勢をとった。これまで内政不干渉を掲げてきた中国としては極めて異例である。共産党内部では、有志連合に参加して空爆に参加すべきという意見まで出ている。



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池上技術士事務所の紹介
261-0012
千葉市美浜区
磯辺6丁目1-8-204

池上技術士事務所(代表:池上雄二)の事業内容
以下のテーマの技術コンサルタント
1.公害問題、生活環境、地球環境
2.省エネ・新エネ機器導入
のテーマについて、
・技術コンサルタント
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・アンケート調査・分析
・技術翻訳、特許調査
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有償、無償を問わず
お気軽に下記にメールをください。
ke8y-ikgm@asahi-net.or.jp

工学博士、技術士(応用理学)、
公害防止主任管理者、
騒音防止管理者の資格で
お役に立ちたいと思います。

池上湖心プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山(文化功労者)に師事
書象会理事、審査会員
公募展出展
〇謙慎展・常任理事
・春興賞受賞2回
・青山賞受賞
〇読売書法展理事
・読売奨励賞受賞
・読売新聞社賞受賞
〇日展入選有

書道教室(自宅)
・学生:月曜日
・一般:火曜日、水曜日



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