2015年11月

2015年11月25日

人生の数だけ死の種類がある。一つとして同じ人生や同じ死ほないのである。文学における伝記や医学の中の病跡学に登場する人物の人生や死は、参考にはなっても目標にはならない。

「日本の科学アラカルト、選択、2015.1」は面白い。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.最近、月刊誌にも週刊誌にも、死の問題が取り上げられることが多くなった。その内容は多岐にわたる。尊厳死や安楽死の問題もあるし、終末期医療の問題もある。「婚活」をもじったのか「終活」ということばが広まっている。
2.「終活」の認知度は2012年2月には10.2%であったのが2013年2月には27.0%にまで上昇した。「終活」は「人生の終わりのための活動」の略である。この中でも葬儀や墓の問題は大きなビジネスに結びついている。
3.相続による財産の移行に関しても、本人や親族のみでなく、金融機関をふくむさまざまな企業が大きな関心を寄せている。「終活」をテーマにしたフォーラムや講習も盛んになってきた。「終活」ビジネスの収益の一部還元として、エンディング・ノートのつくり方といった、いわ
ゆる死の教育も企業の社会貢献の一環として行われるようになった。
4.死を扱う学問を「サナトロジー(死生学)」という。これは、「ジエロントロジー(老年学)」ということばと共に、1903年パスツールの後継者メチニコフにより、ギリシャ語から創られたものである。メチニコフは後に、ヨーグルトの成分である乳酸菌の効用についての研究によりノーベル賞を受賞している。
5.このように主として生きている問のことを問題にする老年学と、主として死のことを問題にする死生学は、双子のように生まれた。この2つは、統合的に、また包括的に扱われるべきものである。しかし、死の問題は、性の問題と共にタブー視される傾向にあった。宗教や哲学や文学以外ではあまり問題にされなかった。
6.欧米では第二次世界大戦後、グリーフケア、自殺、死の教育などの問題が論じられるようになり、1970年以降専門のジャーナルも出されるようになった。しかし、本格的に死生学が研究されるようになったのは1980年代に入ってからである。
7.死生学と一緒に誕生した老年学は、この百年間に目覚ましい進展を遂げた。素晴らしい人生を送り天寿をまっとうすることをサクセスフル・エイジングとよぶことも多い。このことばが最初に登場したのは、アメリカの老年学の雑誌において、1950年のことであった。その後、サクセスフル・エイジングの条件は生涯現役かハッピーリタイアメントかと議論が活発化した。その結着はまだついていない。いわば公然と、人生の後半期のための人生論を青臭く論じ続けてきた。
8.老年学と死生学は進捗に差があったため、人生の送り方と死に方を統合的に捉える研究は進みようがなかった。日本には昔から「あいつは罪業を重ねているから畳の上では死ねないそ」という言い習わしがある。これなどは、まさしく人生のあり方と死に方を統合的に捉えたアフォリズムといえる。
9.このことを科学的に実証しようとしても、どのような方法を採ったら良いかよく分からない。死生学の研究は、大きく2つに分けられる。1つは、人生のほんとうの終末期における死の質の問題を扱う研究である。この方面の研究は、北米の研究者たちにより、この4半世紀に大きく前進した。それは、概念枠組みと尺度の開発が進んだためである。
10.良い死に方、死に往く人をとりまく環境、ホスピスへのアクセスをふくめての終末ケアの内容などに関する尺度が整備され、実証研究に大きく貢献した。一般に、操作概念化が進むと、その分野の研究に研究者が殺到し、急速にデータが蓄積される。しかし、筆者は、死生学の中の、きわめて短いスパンの終末期の研究が局所拡大的に肥大することに危惧を覚える。
11.この死の質に関する実証研究の進展を止めることを願っているわけではない。人生そのものと死の関連を扱う方の研究も同じくらい生産されるべきである。人生そのものと死の関連を扱う研究は操作概念化すること、すなわち量的に扱うことが、困難あるいは不可能である。宗教、哲学、倫理学、文学など、いわゆる人文学の中でしか、扱えないのかもしれない。
12.精神医学の一分野に、ヤスパースにより発展させら.れた病跡学がある。著名な思想家や作家などの精神病理に関して研究する分野であり、当然、人生と死の問題もふくまれる。文学の中にも、伝記、あるいは伝記をベースとするフィクションもあり、人生の生と死の問題が扱われる。このような分野の研究は、操作化することは難しく、いわゆるナラテイブな手法を採ることになる。
13.期待しているのは、老年学の応用の一つである自分史の作成の普及である。人間の数だけ人生の種類がある。同時に、人生の数だけ死の種類がある。一つとして同じ人生や同じ死ほないのである。文学における伝記や医学の中の病跡学に登場する人物の人生や死は、参考にはなっても目標にはならない。
14.「死は個別的であるから、あれこれ語る必要がない」という見解には賛同できない。人生が如何に個別的であっても、それを語ることによって、人類の文化は豊かになった。すべての人が、自分の人生と死について語ることにより、死生学と老年学の統合への道が拓かれると思われる。


yuji5327 at 06:37 
健康 | 共通テーマ

2015年11月24日

大阪ダブル選挙

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知事選挙では現職の松井一郎氏
市長選挙では新人の吉村洋文氏
地域政党「大阪維新の会」勝利
自民党や民主党、共産党が推す候補敗北
大阪府と大阪市の二重行政を解消
支持政党を持たない無党派層
大阪都構想議会側と合意形成
実現を目指す

yuji5327 at 06:45 
池上湖心の書 

「国家なき民族」という言葉は、民族は国家をもたねばならないという価値観に基づいている。国境線を引いたところで、そのなかに複数の民族集団・宗教集団を含まざるを得ない。

「後藤明、山内昌之著:イスラームとは何か、新書館、2003年」はイスラーム社会の概要を理解する上で参考になる。「クルド人」の小節の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.クルド人は、「国家をもたない民族」、「分断された民族」、「悲劇の民」などと形容される。こうした紋切り型の表現は、ときに現実を理解するのをさまたげる。新聞記事にも、固定観念に引きずられた「誤報」が少なくない。
2.クルド人は、印欧系言語のクルド語を母語とし、トルコ、イラン、イラクなどに居住する民族集団である。人口は総計2千万とも3千万ともいわれるが、いずれの国も民族集団別の人口統計をとらない。現在ではこの地域以外にもそれぞれの国の経済的先進地域やさらには欧米など国外に移住したクルド人も少なくない。遊牧祁族というクルド人イメージがあるが、現在では遊牧生活を送るものはほとんどいない。
3.トルコ、イラン、イラクなどの国々において「少数派」として抑圧されたクルド人が、自らの民族的権利を求めて抵抗するというのが基本である。国家による抑圧とクルド人の抵抗というわかりやすい対立構図は、以下の問題を孕んでいる。まず第1に、クルド人は常に被抑圧者と見なされ、歴史的な変化を過小評価する危険性がある。
4.クルド人問題は、第一次世界大戦以前には存在しなかった。「中東」と呼ばれる地域の大半は、近代以前にあっては、イスラムを統合理念とする諸王朝によって支配されており、これらの国々では、国家が人々を把握する際にもっとも重要な範疇は宗教であり、とくにイスラム教徒かそれとも異教徒であるかということが重要な指標であった。
5.大半がムスリムであったクルド人の場合、クルド人であるというだけで政治的に疎外されることはなかった。ある集団が民族の名のもとに反乱を起こした場合でも、これとは宗教的に異なる別のクルド系集団が、国家とともにこの反乱を鎮圧する側にまわることも珍しくなかった。
6.「国家なき民族」という言葉は、民族は国家をもたねばならないという、民族解放=独立が手放しで賞賛された時代の価値観に基づいている。どのように国境線を引いたところで、そのなかに複数の民族集団・宗教集団を含まざるを得ないような中東地域にあって、民族が独立を果たすべきであるという前提はかならずしも現実的ではない。
7.クルド人を抱える国は国境問題や水資源の利用をめぐって激しく対立しているが、クルド国家の出現を認めないという点では、完全に一致している。少なくとも現時点では、クルド系の政治組織のほとんどが既存の国境線の枠内での自治や文化的な権利を要求しており、独立を目指すような動きはほぼ存在しない。
8.クルド人問題を理解するには、固定観念を排して、クルド社会の政治・社会構造、国家との関係が歴史的な変化などをじっくり見ていく必要がある。


yuji5327 at 06:31 

2015年11月23日

対イスラム国

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インドネシア
ルフット・パンジャイタン政治・法務・治安調整相
マレーシアで読売新聞と会見
インドネシアから約700人
イスラム国の戦闘員として中東に渡った
同様の事件は東南アジアでも起こり得る
テロに免疫のある国はない
インドネシアは世界最大の約2億人のイスラム人口
ASEANの情報共有強化が必要


yuji5327 at 07:09 
池上湖心の書 

水素を輸送するためにもマイナス253度まで冷却して液化する必要があり、大量のエネルギーを消費して炭酸ガスを生じる。二酸化炭素フリーのエネルギーではない。

「疑問に満ちた水素社会元年、政官財が画策する巨大鋼橋事業、選択、2015.1」は参考になる。。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.政府や企業が水素社会に前のめりになっているのは、補助金を軸とした巨大な公共事業と利権を生み出すために過ぎない。水素燃料の需要を創出して流通させるためには、燃料電池車の普及に始まり、水素ステーション、水素液化プラント、液化水素輸送網といったインフラの整備が必要となる。
2.次世代車候補である電気自動車が普及してもそれほど投資は生まない。発電所と送電線というインフラは既に全国で整備されている。急速充電設備も、1基あたりの設置コストはわずか5百万円程度である。
3.水素エネルギーのインフラはほとんど手付かずである。新たな水素製造プラントを整備すれば全国で数千億円規模の投資が行われる。燃料電池車に水素を補給するための水素ステーションを建設するためには1ヵ所あたり6億円かかり、急速充電設備の120倍の資金が動く。
4.政府は、2020年の東京オリンピックを日本が誇る水素エネルギーの展示場とすべく、会場に燃料電池バスを走らせ、東京、名古屋、大阪、福岡の四大都市圏を中心に水素ステーションを拡充する構想を練っている。2015年には100カ所、2025年までには1千カ所の水素ステーションを建設し、費用の半分を国が補助するという。これだけでも3千億円以上の税金がばらまかれることになる。
5.これを後押しするために政府やシンクタンクが弾く水素市場の将来予測にはバラ色の数字が並ぶ。ある企業の試算では2020年に燃料電池車市場は5千億円規模、水素発電市場は9千億円規模にまでそれぞれ拡大すると予測。それは世界でも同様で、デロイト・トーマツが公表した予測では、2025年には世界の燃料電池車市場は、米国で85万台、欧州で71万台、日本で20万台と驚異的なベースで拡大するとみている。
6.水素のイメージ作りにも躍起である。政府は水素が「究極のクリーン・エネルギー」としきりに触れ込む。たしかに、酸素と反応させると水しか排出しないため、低炭素社会の主役にまつり上げるにはうってつけの物質に見える。また、排熱も利用して熱需要に充てるエネルギー供給システムを用いれば、実際に消費される燃料のエネルギー量と、それによって利用できるエネルギー量との比率を表した「総合エネルギー効率」は90%と、通常の火力発電所のエネルギー効率40%とは比較にならないほど優れていることをもって、水素社会の正当性を謳う専門家もいる。
7.仮に水素が目然界に単体で存在している一次エネルギーであれば、こうした見方は概ね正しいが、実際には水素は天然ガスや灯油などの主成分である炭化水素の組成、性質を改良する「改質」によって取り出す二次エネルギーである。
8.二次エネルギーは製造する過程で二酸化炭素を排出する。政府の言う「究極のクリーン・エネルギー」はこの時点で眉唾物であることがわかる。また、水素を輸送するためにはマイナス253度まで冷却して液化する必要があり、ここでも大量のエネルギーを消費して炭酸ガスを生じる。「二酸化炭素フリー」のエネルギーであるかのような現在の水素キャンペーンは捏造である。
9.水素の利用法として、燃料電池ではなく直接燃焼させる水素エンジン車や、水素発電も検討されている。この場合燃焼過程で二酸化炭素は発生しないものの、空気中の窒素が酸素と結びついて大気汚染の原因となる窒素酸化物が排出されることはガソリン車やガス火力発電と変わりない。加えて、水素は分子が小さいため、パイプの継ぎ目から漏れてしまうという技術的ネックはいまだ解決されていない。
10.市場規模の算定方法は、水素の技術的、費用的課題がすべて順調に解決されるという楽観的な予測に基づいている。すべて「画に描いた餅」である。巨額投資の甘い汁を吸える期待感だけが先行しているのが水素元年の現状である。
11.地政学的に見ても日本は水素社会に向いていない。欧州諸国はロシアからの天然ガスのパイプラインが網の目のように敷設されている。一番簡単な水素製造方法で、原油価格が下落していることを考えれば、水素エネルギーのコスト競争力は下がっている。また、1台7百万円という水素目動車は、世界の自動車市場の主戦場となっているアジアでは受け入れられない。
12.天然ガスの改質で容易に水素を手に入れられるとか、太陽光発電や風力発電といった再生可能エネルギーが普及で、余剰電力を利用し水を電気分解して水素を製造するとか、余っている電力を使うので製造コストはタダ同然とか、言うが、日本は、国土にパイプラインが敷かれておらず、天然ガスから水素を手軽に改質できない。再生可能エネルギーも普及の途上にあり、水素製造に回せるほどの余剰電力はない。日本は欧州諸国と比べても割高なLNGやLPガスを中東諸国から輸入した上で、改質して無理やり水素を作っているに過ぎない。水素の製造コストが劇的に下がることは期待できない。
13、水素エネルギーに関連する業界が色めきだっている。政府が2014年6月に取りまとめた「水素・燃料電池戦略ロードマップ」では、地球温暖化対策としての切り札として「水素社会」をぶち上げ、2015年を「水素元年」と位置付けた。しかし、水素エネルギーのクリーンなイメージや、魅力的な経済性は「粉飾」されている。
14.実用レベルに達していない未熟な技術を、補助金を使って無理やり普及させようというのは愚行である。このままでは日本の燃料電池自動車は、補助金漬けになった日本だけで流通する「ガラパゴス化」のリスクを孕む。
15.遠い将来を見据えて燃料電池の研究は続けるべきである。たとえば、高価格の原因となっている触媒として使われるプラチナの代る材料は現在、国内の多.くの機関が取り組んでいる。問題は、莫大な投資が見込める「おいしい事業」に政官財が突進しようとしていることである。。



yuji5327 at 06:53 
エネルギー問題 | 環境

2015年11月22日

石炭を焼べしストーブやはらかく小学生のわれら照らしき

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米田靖子句
長谷川櫂解説
石炭ストーブ
絶滅のストーブ
子どものころの思い出
子どもたちの顔を照らす
熱と光
(読売新聞2015.11.164より)

yuji5327 at 06:31 
池上湖心の書 

日本の誇り、零戦の伝統などと報道されているが、それほど甘くない。三菱航空機の航空機開発は恥をかかなければいいくらいで考えれば良い。

11月20日付けの「 大前研一さんの「 ニュースの視点」(発行部数 178,133部)「三菱航空機・東芝・東洋ゴム工業・LIXILグループ〜東洋ゴム工業は同じ過ちを繰り返している」と題する記事である。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.三菱航空機の国産ジェット旅客機「MRJ」の試験機が11日、約1時間半にわたり初飛行した。日本メーカーが民間旅客機の胴体や操縦システムまで開発するのは1962年に初飛行した「YS11」以来、半世紀ぶりである。このニュースに日本中が沸きましたが、本当に「長い」のはこれからである。
2.FAA(アメリカ連邦航空局)による厳しい型式認定を取得できなければ、米国で販売できず、元も子もない。かつて三菱航空機は、MU-2というビジネス機(ターボプロップ機)を開発した。米国での評判も非常に良く、かなり販売も好調だった。それを受けて、MU-2よりもワンランク上の高級ビジネス飛行機を計画した。MU-300と呼ばれたその機種は、100件ほどの仮受注を受けて量産体制に入ったが、米国のFAAから型式認定を得ることが出来なかった。ようやく型式認定を受けた時には、時すでに遅しで相次ぐキャンセルなどで、三菱航空機は大打撃を受けた。
3.今回の「MRJ」もこれから米国の型式認定を受けることになる。1時間半飛行したと喜んでいるが、米国の型式認定では2500時間ほど飛行し、あらゆるケースでのテストを繰り返す。まだまだ手放しに喜べる状況ではない。
4.MRJは「燃費がいい」ことが大きなウリになっているが、エンジンは三菱が開発したものではないので、ボンバルディア、エンブラエルを始め、競合メーカーも追随してくる。2年ほど先を歩んでいると言われてきたが、今回のMRJ開発の遅れでその優位性も失われている。エンジン以外に目を向けても、機体の設計などそれほど大きな差が生まれる部分ではない。
5.FAAの認可を受けられたら、その先は「販売力」の勝負だが、三菱航空機は競合メーカーに比べて海外の販売力は強くない。ブラジルのエンブラエルなどはかなり売る力を持っている企業である。三菱航空機としては結局のところ、ボーイングと提携して販売してもらう、というような形に落ち着くしかない。
6.日本の誇り、零戦の伝統が活きている、などと報道されているが、現実的にはそれほど甘いことはなく、むしろ開発の遅れで厳しい状況に立たされている。三菱航空機の航空機開発は日本の「国策」だから、「恥をかかなければいい」くらいで考えれば良い。
7.東芝は12日、子会社の米原子力発電会社ウェスチングハウス(WH)で原発建設などが思うように進まず、2012、13年度の決算で合わせて約1600億円の減損損失を計上していたことが明らかになった。東芝が先週末の決算発表で損失額を発表した際は、金額を公表しておらず、巨額な損失を積極的に開示しなかった姿勢に批判の声もあがっている。これは違法ではないが、限りなく黒に近い灰色である。
8.WHにはもっと大きな問題が隠れていると思っていたが、この程度ならば一気に公表して償却処理を進めるほうが良いで。ただでさえ信用を失っているタイミングで、こんなところにも隠蔽があったとなると、そのほうが大きな問題である。
9.ソフトバンクが保有しているスプリントも似たような状況で、損失があるのに計上されていない。東芝としてはソフトバンクも同じだから、という言い訳は通じない。東芝としてはすでに俎上に載せられている状況なので、一刻も早く対応するべきである。
10.相次ぐ不祥事に揺れる東洋ゴム工業は12日、新しい経営体制を発足させた。京セラ元専務の駒口氏が会長、常務執行役員だった清水氏が社長に就任する。清水氏は「創業70年の会社有史以来の危機的な岐路に立っている」と危機感を示すとともに、駒口氏は「全てのウミを出し切る」と強調し、免震ゴムと防振ゴムの問題解決に全力を挙げる考えを示した。しかし、この方法では絶対に上手くいかない。膿を出し切るのではなく、全てを表に出して、社内のマイナー事業をやっている日陰者ではなく、プライドを持った人が経営にあたるべきである。
11.具体的に言えば、非タイヤのゴム事業に専念する会社を作り、その会社で全責任を追って取り組むべきである。巨大なタイヤメーカーの10%程度に過ぎない一事業ではダメで、タイヤメーカーが取り組んでいる体制自体に問題がある。東洋ゴムという企業は、同じような過ちを何度も繰り返している。
12.LIXILグループが2日発表した2015年4〜9月期の連結決算は、最終損益が228億円の赤字だった。主力の水回り事業が国内外で好調で、売上高は前年同期比10%増の8774億円、営業利益は2.4倍の320億円だったが、中国で水回り事業を手がける子会社「ジョウユウ」の経営破綻に伴い、関係会社投資関連損失281億円を特別損失に計上したのが響いた。売上、営業利益は順調だから、臨時の損失だと理解できる。
13.一方、1兆円規模の企業にしては営業利益が低いことが気に懸かる。世界一の道を歩んでいるが、もう少し収益基盤を強化する必要がある。



yuji5327 at 06:23 
新技術 | ものづくり

2015年11月21日

復興加速へ

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指定廃棄物の処分場建設
環境省、宮城県内3カ所の候補地
年内の現地調査を断念
2度目の越年
環境省は全くリーダーシップを発揮していない
環境省の対応に失望
2年間、何をやっていたのか
環境庁の怠慢
見えない官僚たちの作業。
ボーナスカットへ。

yuji5327 at 06:57 
池上湖心の書 

見切り発車した除染事業は放射線基準などを見直さぬ限り、収束させることは不可能である。被災地の健全な復興のためにも、聖域化せずに再検討すべきである。

「福島の除染作業、選択、2015.1」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.福島県の浜通りにある南相馬市は、津波にのまれ放射能にも襲われた自治体である。市内が壊滅的な被害を受けたが、残された地域の経済は、震災前よりも好調である。そのことは、市の財政状況に表れている。
2.一般会計予算は2010年度に263億円だったのが、今年度は1213億円に増加している。国や県を通じて復興予算や、除染費用が流入したからである。南相馬が特殊なのは、除染について市内が3つのエリアに分断されている点である。福島県内の他の地域と同様に地元自治体が除染を担う通常のエリアに加えて、南側の約半分と西部は国直轄の「除染特別地域」になっている。3.この特別地域は汚染度によって、避難指示解除準備区域、居住制限区域と帰還困難区域などにわかれる。住民が残っている通常エリアでは、多くの市民が除染のおこぼれれにあずかっている。震災前に人口7万人だったこの地で、1日当たり約6千人が除染・瓦礫撤去のために働いている。
4.この人数は今後1千人規模で増加する予定で、人手不足も起きている。最近では高収入目当ての外国人や女性の作業員まで見かけ、中には看護師が病院を一時的に離れて除染に従事するケースもある。人が増えれば必然的に住む場所が必要となるため、市内の賃貸住宅相場は高騰している。2LDKのアパートの家賃が8万〜10万円と震災前の2倍程度になった。駅周辺であれば15万円というところもあり、これは東京近郊と遜色ない。
5.空き地があれば住宅メーカーが次々とアパートを建てるという状況である。引きずられるように不動産価格も上昇。震災前に1坪当たり3万5千円だった南相馬市の基準地価は、14年度7万円以上に跳ね上がっている。
6.地元商店や飲食店も好景気で、夜の街は千客万来となる。市内には繁華街と呼べるようなところはなく、震災前はさびれきっていた。いまでは居酒屋やスナックが大繁盛である。性産業も盛んになった。かつては仙台市の国分町か、福島県南部の小名浜まで足を延ばす必要があったが、需要に応じて供給も行われるようになった。主にアジア系外国人女性がこの街に出稼ぎに来ている。
7.似たようなことは、第一原発を挟んで反対側のいわき市でも起きている。この地には、除染作業員だけでなく、第一原発で働く作業員や、関連企業の社員、さらに多額の賠償金を手にした原発避難民が流入している。繁華街では作業員同士のいさかいが絶えず、大小の違法賭博が開帳されている。一部は福島の暴力団などが仕切っている。身を持ち崩す人間も出てくる。
8.原発周辺にとどまる作業員と異なり、福島県内全域で実施されている除染の従事者が問題を起こすケースは多く、中には犯罪として立件されるものもある。2014年11月、福島県警は2人の除染作業員を婦女暴行の疑いで逮捕した。事件は浜通りから離れた、県庁所在地である福島市内で起きた。作業員二人は、ウォーキング中の女性を二人がかりで空き地に連れ込み暴行したことを認めている。
9.除染作業員の検挙人数は、2012年に県内全域で26人だったものが、2013年は5倍以上に増加している。今回捕まった婦女暴行のような事例が氷山の一角である。浜通りを中心とした福島県内の「歪んだ復興」に終わりはない。環境省が公表している除染進行状況を公表する地図をみると、ほとんどのエリアで除染がいまだに終了していない。
10.数少ない除染終了地に、楢葉町が含まれている。同町は避難指示解除準備区域であり、2015年春には住民を故郷に戻すべく準備が進められているが、一方で除染が終わったとされながらも、町内の7割の場所で年間被曝量が1ミリシーベルトを超える水準にあり、再除染が検討されている。
11.南相馬市の場合、市内が分断されていることが状況を複雑にする。まず、避難指示解除準
備区域の除染のペースは極めて遅い。大手ゼネコンが揃って受注し2013年4月から作業が始まったが、5200戸ある除染対象家屋のうち、約260戸(2014年10月末時点)しか作業が終わっていない。
12.森林地区は20%)が終了したというが、対象となる面積は1200平方メートルあり、東京ドーム200個分に当たる場所が残っている。通常の除染区域はこれよりは作業が進捗しているが、農地についてはほとんど手付かずで残されている。
13.最大の問題は、一度除染したところで再び放射線量が上昇する問題である。山側から落ちてくるのか、線量が再び上がるのでいくらやっても終わらな。内陸にいまだ除染の発注さえさ
れていない帰還困難区域がある状況では、海側でいくら作業を進めようと意味がない。
13、環境省は2015年度予算概算要求で、除染関連予算を2900億円余り計上した。福島県内に計画されている中間貯蔵施設計画も合わせれば計4千億円規模である。当初、2015年3月を予定していた除染作業の完了は、先延ばしされ続けている。今の方針を変えない限り何世代にもわたって続く。見切り発車した除染事業は放射線基準などを見直さぬ限り、収束させることは不可能である。被災地の健全な復興のためにも、聖域化せずに再検討すべきである。



yuji5327 at 06:42 
環境 

2015年11月20日

対イスラム国

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フランス検察
パリ同時多発テロの主犯格
アブデルハミド・アバウド容疑者
死亡を確認
18日制圧作戦
遺体と指紋が一致
イスラム国の対外作戦
指揮するキーパーソン


yuji5327 at 07:11 
池上湖心の書 
池上技術士事務所の紹介
261-0012
千葉市美浜区
磯辺6丁目1-8-204

池上技術士事務所(代表:池上雄二)の事業内容
以下のテーマの技術コンサルタント
1.公害問題、生活環境、地球環境
2.省エネ・新エネ機器導入
のテーマについて、
・技術コンサルタント
・調査報告書の作成
・アンケート調査・分析
・技術翻訳、特許調査
を承ります。
有償、無償を問わず
お気軽に下記にメールをください。
ke8y-ikgm@asahi-net.or.jp

工学博士、技術士(応用理学)、
公害防止主任管理者、
騒音防止管理者の資格で
お役に立ちたいと思います。

池上湖心プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山(文化功労者)に師事
書象会理事、審査会員
公募展出展
〇謙慎展・常任理事
・春興賞受賞2回
・青山賞受賞
〇読売書法展理事
・読売奨励賞受賞
・読売新聞社賞受賞
〇日展入選有

書道教室(自宅)
・学生:月曜日
・一般:火曜日、水曜日



livedoor プロフィール

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