2015年12月
EUは対ロシア制裁強化を検討中だが、少数の当局者に対する渡航制限や資金凍結くらいである。欧州はさまざまな難題を抱えているが、各国の足並みはそろっていない。
「ポール・エイムズ著:欧州の足並みを乱す4力国、Newsweek,2015-0310」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.強さと結束を示すこと、それが今の欧州に不可欠である。テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)は、シリアとイラクから地中海の南岸に沿って勢力を拡大し、南欧も荒らしてみせると息巻いている。
2.先月「ローマ征服」を宣言したリビアの海岸から、イタリアのシチリア島までは距離にして800km程度である。東欧ではロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、ウクライナ危機に乗じてその領土分割を狙っている。せっかくフランスとドイツ両政府が停戦合意をまとめたのに、親ロシア派勢力がウクライナ東部の要衝デバルツェボを制圧した。次はアゾフ海に面した港湾都市マリウポリが危ない。
3.EUは対ロシア制裁強化を検討中だが、最近の制裁はごく少数の当局者に対する渡航制限や資金凍結くらいで終わっている。なかなか首尾一貫した対応ができそうにない。欧州はさまざまな難題を抱えているというのに、各国の足並みは必ずしもそろっていない。
4.EUの結束が弱まっている背景には、加盟国が国内に抱える諸問題がある。特に脱EUの傾向が強い4力国を分析すると以下の通りである。
・ギリシャ:ユーロ圏諸国との合意が成立し、金融支援が4カ月延長された。それでもユーロ圏から離脱する危険性はまだある。ドイツをはじめとするユーロ圏諸国は、ギリシャに融資を行う条件として、財政の規律と改革を要請している。だがそれは急進左派のツィプラス政権が掲げた公約と相反する。そんな緊縮策こそがギリシャ経済を痛めつけてきたというのが彼の主張である。ギリシャが離脱すれば、その他の不安定なユーロ国、ポルトガルやスペイン、アイルランドが後に続く心配も絶えない。ギリシャだけが離脱したとしても、債務3200億ユーロが不履行となり、各国で金融制度が崩壊するかもしれない。地政学的な懸念もある。ツイプラス政権はあからさまにロシア政府にすり寄って、EUに見放されたときに備えているようだ。ギリシャはユーロ圏とEUから離脱したら、NATO(北大西洋条約機構)からも抜けるのか。NATOは域内南東部の戦略的要衝を失うことになる。
・ハンガリー
ハンガリーの現政権もロシアと友好関係にある。先月プーチンは首都ブダペストを訪れて大歓迎された。EU加盟28力国はロシアからの燃料輸入への依存を減らそうとしているが、長期に安価で供給するとのプーチンからのおいしい話をオルバン・ビクトル首相は断れるわけもない。「ロシアからの経済協力なしに欧州経済の競争力が保てるなどと考えるならそれは幻想だ」と、オルバンは述べた。オルバン政権は国内の司法、報道、市民社会に対する激しい締め付けで、EU内から批判を受けている。オルバンは昨年、「新しい非リベラル国家」を築くという目標を語り、その模範としてプーチンの名を挙げた。プーチンは、ロシア寄りのEU加盟国であるギリシャやキプロスとの首脳会談も近々実現しようとしている。
・イギリス
欧州におけるイギリスの役割は、5月に予定されている総選挙の重大な争点になっている。選挙戦序盤を有利に進めているのは、EU脱退を訴えるイギリス独立党(UKIP)だ(ナイジェル・ファラージュ党首はプーチンを崇拝している)。最近の世論調査によると、UKIPの支持率は約15%で第3位。10年に行われた前回総選挙での得票率の約5倍に当たる。UKIPが与党に躍り出ることはまずないだろうが、選挙戦に及ぼす影響は大きい。支持者離れを恐れたデービッド・キャメロン首相は、与党が勝利したらEU離脱の是非を問う国民投票を行う方針を表明している。EU本部からは、欧州におけるイギリスの影響力低下を嘆く声が聞こえる。イギリスは軍事力も備えた大国でありながら、外交でもはや十分な役割を果たしていないとの不満だ。キャメロンはウクライナ危機に対し、一歩引いた立場を取り続けている。代わりにEU内で率先して動いているのは、ドイツとフランスの首脳である。NATOでもイギリスの影は薄く、アメリカとの盟友関係も揺らいでいる。13年には米主導のシリア空爆作戦への参加を、英議会が否決した。イギリスは今でこそ、ISISの拠点に対する空爆に手を貸しているが、その貢献度は「非常に控えめ」だと英下院国防特別委員会は指摘している。
・フランス
ギリシャ救済にばかり目を奪われがちだが、ユーロ圏全体で景気は停滞しており、デフレスパイラルから抜け出せない不安が広がっている。欧州中央銀行(ECB)は1月に量的緩和策を発表したが、各国政府が競争力強化につながる改革を行わない限り問題解決は難しいとの見方が優勢だ。鍵を握るのはフランスとイタリア。イタリア経済は過去3年で4・7%縮小、フランスは横ばいだ。両政府とも改革を進めようとしているが、特にフランスでは抵抗が激しい。フランソワ・オランド大統領は、商店の日曜営業や長距離バスの規制改革案を打ち出したが、与党内の反対勢力に邪魔された。結局、採決を経ずに採択する「強制措置」を発動。しかし支持率アップにはつながらず、オランドの支持率は24%に下落した。人気のないオランドとは対照的に飛ぶ鳥を落とす勢いなのが、極右政党の「国民戦線」だ。ロシアから資金援助を受ける親プーチンのこの政党が、国民の不満を背景に支持を集めている。EU諸国の結束は揺らぎ、各国はロシア産エネルギー依存からの脱却や、貿易に悪影響が出るような経済制裁といった政策に国民の支持を取り付けることが難しくなっている。それもすべては、EUの景気低迷のせいである。
アメリカン・デモクラシーも、どの国にも通用する最良手段ではない。アメリカン・デモクラシーを導人しても、中国はうまくいかない。党独裁は、中国にとって最良手段である。
「丹羽宇一郎著:グローバリゼーションと日本の将来、U7、vol.60,March 2015」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.「国の核心」は日本国の繁栄であり、国民の幸せで、これを実現するための政策を考えるのが政治家の仕事である。政策はその時々の国際情勢などに大きな影響を受ける。「これをすれば全て解決する」という妙薬もない。
2.アメリカン・デモクラシーも、どの国にも通用する最良手段ではない。アメリカン・デモクラシーを導人しても、中国はうまくいかない。党独裁は、中国にとって最良手段である。中国の全国人民代表会議には3000人の議員がいる。
3.中国に相応しい政治体制について、ある中国高官は次のように言った。「中国が国家の諸問題に取り組む際、欧米諸国の経験は多少の参考になっても、そのまま当てはめることはできない。中国のように巨大な国土と人口を持つ資本主義は、人類は未経験である。中国は今、過去に例のない大実験を始めている。修正を繰り返しながら、ベターな方向を模索するしかない」。.真っ当な意見で、著者も賛成した。日本の将来について考える際も同じである。欧米諸国の。後をただ追うのではなく、日本国家の歴史的背景や置かれている状況に応じて考える必要がある。
4.日本の将来を考える時、最も考慮すべきはグローバリゼーションである。日本の鎖国時代はグローバリゼーション・ゼロだった、という点に異論はない。鎖国のように人為的強制をしない限り、世界が発展すれば、グローバリゼーションは避けられない。グローバリゼーションが大加速したきっかけは人口の増加である。世界の人口は、1600年に約3億人、1700年に6億人、1800年に9億人、1900年に16億人、2000年に64億人、現在72億人と、劇的に増加した。それに伴って貿易と市場が世界規模で拡大した。
5.世界の人口の爆発的増加を可能にしたのは、緑の革命による食糧増産である。世界の穀物生産は、1970年に11億トンでしたが、その後、作付面積はほとんど増えていないのに、現在22.5億トンにまで増加した。ただし、このままいくと世界の人口は21世紀末までに100億人を突破すると考えられるが、それに必要な食糧増産は困難と予測されている。日本の人口は、奈良時代に450万〜600万人、室町時代に1000万人、徳川幕府成立時に2000万人、明治になって3000万人、大正になって5000万人と増えた。食糧、水、エネルギーを調達できなくなると、明治時代にはハワイとブラジルへ、昭和初期には満州へと開拓移民が進んだ。
6.中国の人口は、北宋時代(960〜1127)に1億人を超えたが、国内紛争の頻発などで、清朝初期(1650年頃)までは1億人前後で推移した。しかし、1790年代には3億人、アヘン戦争直前の1830年代には4億人を突破したと推定さる。そして現在、約13億7000万人である。中国近現代史は国内におけるグローバリゼーション(民族と民族の交流)だったと言える。清朝隆盛は、女真族が周囲の諸民族を支配して拡大していく過程だった。
7.清朝末期から日本軍の侵略時代には、「滅満興漢」「五族協和」などのスローガンが掲げられ、様々な民族が時に抗争し、時に共存を図った。漢民族が中華人民共和国を成立させた後は、周辺の55の少数民族を支配した。しかし、今もチベットやウイグルなどでは民族紛争が絶えない。現在、55の少数民族の総人口は1億2000万人、日本の人口とほぼ同じである。100万人以上の人口を持つ少数民族は18民族、10万人〜100万人は15民族、1万人〜10万人は15民族、1万人以下は7民族である。一番多いのが広東省の西にある広西チワン族で、1600万人いる。
8.ウイグル族は約1200万人である。ちなみに、新彊ウイグル自治区の総人口は約2200万人だが、そのうち約42%は漢民族である。50年前、同自治区に住む漢民族は僅か50万人だったが、今や920万人にも増加した。少数民族の人々は日常の生活では祖父母や父母から教わった言語で会話するが、学校教育は漢語で受けている。明文化された文法と文字を持つ少数民族はほんの僅かである。こうした状況に少数民族の側から反発があるが、彼らとて漢語を話せなければ、漢民族国家の中で仕事を得られない。
9.日本の25倍以上の国土と10倍以上の人口を持ち、複雑な民族事情までも抱える中国が、どのように国内を統治していくかは非常に難しい問題である。しかも中国は、食糧、水、エネルギーを自給自足できていない。中国は「爆食」と言われるほど食糧を輸入し、中東からの石油輸入量は増加する一方である。シェール革命により、アメリカの石油生産がサウジアラビアを抜いて世界一になりそうな現在、中東の石油の輸出先はアメリカから中国へ大きくシフトする。それに伴い、中東から中国へ、「エネルギーの新シルクロード」が生まれた。中国は食糧・水・エネルギーを確保するために、今後もグローバリゼーションを推進するしか道はない。
1.「国の核心」は日本国の繁栄であり、国民の幸せで、これを実現するための政策を考えるのが政治家の仕事である。政策はその時々の国際情勢などに大きな影響を受ける。「これをすれば全て解決する」という妙薬もない。
2.アメリカン・デモクラシーも、どの国にも通用する最良手段ではない。アメリカン・デモクラシーを導人しても、中国はうまくいかない。党独裁は、中国にとって最良手段である。中国の全国人民代表会議には3000人の議員がいる。
3.中国に相応しい政治体制について、ある中国高官は次のように言った。「中国が国家の諸問題に取り組む際、欧米諸国の経験は多少の参考になっても、そのまま当てはめることはできない。中国のように巨大な国土と人口を持つ資本主義は、人類は未経験である。中国は今、過去に例のない大実験を始めている。修正を繰り返しながら、ベターな方向を模索するしかない」。.真っ当な意見で、著者も賛成した。日本の将来について考える際も同じである。欧米諸国の。後をただ追うのではなく、日本国家の歴史的背景や置かれている状況に応じて考える必要がある。
4.日本の将来を考える時、最も考慮すべきはグローバリゼーションである。日本の鎖国時代はグローバリゼーション・ゼロだった、という点に異論はない。鎖国のように人為的強制をしない限り、世界が発展すれば、グローバリゼーションは避けられない。グローバリゼーションが大加速したきっかけは人口の増加である。世界の人口は、1600年に約3億人、1700年に6億人、1800年に9億人、1900年に16億人、2000年に64億人、現在72億人と、劇的に増加した。それに伴って貿易と市場が世界規模で拡大した。
5.世界の人口の爆発的増加を可能にしたのは、緑の革命による食糧増産である。世界の穀物生産は、1970年に11億トンでしたが、その後、作付面積はほとんど増えていないのに、現在22.5億トンにまで増加した。ただし、このままいくと世界の人口は21世紀末までに100億人を突破すると考えられるが、それに必要な食糧増産は困難と予測されている。日本の人口は、奈良時代に450万〜600万人、室町時代に1000万人、徳川幕府成立時に2000万人、明治になって3000万人、大正になって5000万人と増えた。食糧、水、エネルギーを調達できなくなると、明治時代にはハワイとブラジルへ、昭和初期には満州へと開拓移民が進んだ。
6.中国の人口は、北宋時代(960〜1127)に1億人を超えたが、国内紛争の頻発などで、清朝初期(1650年頃)までは1億人前後で推移した。しかし、1790年代には3億人、アヘン戦争直前の1830年代には4億人を突破したと推定さる。そして現在、約13億7000万人である。中国近現代史は国内におけるグローバリゼーション(民族と民族の交流)だったと言える。清朝隆盛は、女真族が周囲の諸民族を支配して拡大していく過程だった。
7.清朝末期から日本軍の侵略時代には、「滅満興漢」「五族協和」などのスローガンが掲げられ、様々な民族が時に抗争し、時に共存を図った。漢民族が中華人民共和国を成立させた後は、周辺の55の少数民族を支配した。しかし、今もチベットやウイグルなどでは民族紛争が絶えない。現在、55の少数民族の総人口は1億2000万人、日本の人口とほぼ同じである。100万人以上の人口を持つ少数民族は18民族、10万人〜100万人は15民族、1万人〜10万人は15民族、1万人以下は7民族である。一番多いのが広東省の西にある広西チワン族で、1600万人いる。
8.ウイグル族は約1200万人である。ちなみに、新彊ウイグル自治区の総人口は約2200万人だが、そのうち約42%は漢民族である。50年前、同自治区に住む漢民族は僅か50万人だったが、今や920万人にも増加した。少数民族の人々は日常の生活では祖父母や父母から教わった言語で会話するが、学校教育は漢語で受けている。明文化された文法と文字を持つ少数民族はほんの僅かである。こうした状況に少数民族の側から反発があるが、彼らとて漢語を話せなければ、漢民族国家の中で仕事を得られない。
9.日本の25倍以上の国土と10倍以上の人口を持ち、複雑な民族事情までも抱える中国が、どのように国内を統治していくかは非常に難しい問題である。しかも中国は、食糧、水、エネルギーを自給自足できていない。中国は「爆食」と言われるほど食糧を輸入し、中東からの石油輸入量は増加する一方である。シェール革命により、アメリカの石油生産がサウジアラビアを抜いて世界一になりそうな現在、中東の石油の輸出先はアメリカから中国へ大きくシフトする。それに伴い、中東から中国へ、「エネルギーの新シルクロード」が生まれた。中国は食糧・水・エネルギーを確保するために、今後もグローバリゼーションを推進するしか道はない。
資本主義が興る前のヨーロッパにも、大富豪はいた。イタリアのメディチ家が持っていた富は、現代のビル・ゲイツも及ばぬ。これほどの富も資本主義を作らなかった。
「小室直樹著:日本人のためのイスラム原論、集英社、2002年」の「第3章:欧米とイスラム、なぜかくも対立するのか」「第1節:十字軍コンプレックスを解剖する、現代世界にクサビ刺す1000年来の恩讐」「イスラムはなぜアメリカを憎むのか」「なぜイスラム商人たちは資本家になれなかったのか」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.社会科学の巨人マックス・ウェーバー、大塚久雄博士などの資本主義研究がイスラム近代化を考えるうえでの重要なツールになる。ヨーロッパだけが近代資本主義に到達できた謎を探求していくことで、イスラム世界が近代化できない理由も、おのずから明らかになる。
2.近代以前の世界では、イスラムのほうが、ヨ〜ロッパよりもずっと豊かだったし、商業も栄えていた。アラブの大商人は途方もない財産を持っていた。「千夜一夜物語」のシンドバッドは紅海やインド洋をにかけ、さまざまな冒険をするが、こうした物語が生まれたのは、現実のアラブ商人たちの活躍があったからである。
3.彼らは中国やインドから珍しい物産を輸入して、ヨーロッパの王族・貴族に売りつけることで多額のマージンを稼いだ。中世ヨーロッパではインド産の香辛料が同じ目方の金と取引されていた。世界の富はイスラム世界に集まっていた。それだけの資本は資本主義に結びつかなかった。
4.資本主義が興る前のヨーロッパにも、大富豪は何人もいた。イタリアのメディチ家、ドイツのフッガー家が持っていた富は、現代のビル・ゲイツも及ばぬほどだった。ところが、これほどの富もまた資本主義を作らなかった。
5.大塚久雄博士は、近代以前の富のことを「前期的資本」と呼んだ。ウランやプルトニウムは臨界量を超すと、放っておいても核分裂を始めるが、前期的資本にはそうした性質がない。どんなに前期的資本を蓄積しても、前期的資本だけでは近代資本主義産み出さない。しかし、何かのきっかけによって、資本主義は生まれる。そのきっかけとなる「何か」はヨーロッパにのみ存在し、イスラム世界にも中国にもなかったもの、キリスト教である。
6.資本主義らしきものは、イスラム諸国では、早い時期から発達していた。アッバース朝の都バグダードの「千夜一夜物語」では、バグダードは世界交通の中心であり、経済は繁栄をきわめていた。為替、約束手形、小切手などもすでに流通していた。
7.バグダードから東方へ向かうホササン道は、中央アジアを経て唐の長安に至るシルクロードである。ティグリス川を下れば海路はペルシャ湾、インド洋を経て東シナ海へと通じていた。また、ティグリス川を遡れば、シリアから地中海方面、エジプトに通じていた。
8.起点を地中海にとれば、シリア、ペルシャ、中央アジア、新疆省、敦煌、長安、洛陽、開封、大運河、揚州、東シナ海、泉州、広東、占城、マレイ、セイロン、アラビア海、紅海、シリアと、ユーラシア大陸を一周することができた。この大幹線上の任意の地点から世界の各地方へ無数の支線が延びていた。
政治家と官僚の間を、賄賂が動いている。中国に蔓延する賄賂を一掃することは、習近平の喫緊の課題である。彼は長老たちと対立しても綱紀粛正に努めている。
「丹羽宇一郎著:グローバリゼーションと日本の将来、U7、vol.60,March 2015」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.日本もまた、水・食糧・エネルギーを自給自足できない以上、グローバリゼーションを推進し、世界の国々と交流し、貿易の恩恵を享受するしか道はない。グローバリゼーションの本当の意味は「平和と友好」であり、それらを最も維持しなければいけないのは、日本と中国のはずである。
2.世界とアジアと日中2カ国を、人口とGDPの規模で比較すると以下の通りである。世界186力国(70億人、74兆ドル)、アジア24力国(38億人、21兆ドル)、日中2カ国(15億人、GDP14兆ドル)だから、アジアは世界の人口の54%、GDPの28%を占める。アジアの人口の39%、GDPの67%を日中2カ国だけで占めており、さらにアジアでGDPが1兆ドルを超えるのは、中国、日本、インド、韓国だけである。この4力国でアジアのGDPの約82%を占めている
3.現在、日本の経済界は「中国と関係悪化したなら、他のアジアの国に行けばいい」と考えているが、GDPでアジア最大の中国を無視できない。モンゴル、ラオス、ミャンマーなどのGDPを見ると、個人経営の食物店を開業するなら別だが、巨大資本を持つ日本企業がこれら貧しい
国々で利益を上げるのは不可能である。日本のアジア外交は中国、インド、韓国抜きに考えられまない。特に中国は日本の将来を考える上で重要である。
4.習近平体制を支える第18期中央政治局委員(25名)を見ると、中国では1期5年なので、2017年まではこの陣容でいき、2017年に第二次習近平体制(〜2022年)に改選される予定である。誰が改選されるかは、年齢による。現在の年齢に5歳を足して、67歳以上になる人は全員、2017年に定年退職する。ほとんどの人が67歳を超える。特に「チャイナセブン」と呼ばれる常務中央委員は、習近平、李克強以外は全員退職だから、若手がその補充として登用される。最有力候補が、張春賢(新彊自治区書記)、孫政才(重慶市書記。元・吉林省書記)、胡春華(広東省書記。元・
内蒙古書記)、江洋(副総理。元・広東省書記)、李源潮(国家副主席。元・南京市書記、江蘇省書記)である。特に、若手の孫政才(49歳)と胡春華(49歳)は習近平の後継者としても大変有力である。ただし、現在の人事を決定したのは、江沢民と胡錦濤の2人だから、習近平は2017年の改選の時、初めて自分の腹心を中央政治局委員に招き入れられる。その有力候補は、現在、中国の各市や省で幹部に就任している若手の中にいる。彼らの何人かは著者の友人で、僅か1〜2年のうちに異例の昇進を遂げた。5年後、彼らの中から次のチャイナセブンが抜擢される。
5.著者は、最も頻繁に中国の地方を視察し、最も多くの各省トップと面会してきた。過去30年以上にわたって人脈を形成してきたからできた。一番心配しているのは、新彊白治区書記の張春賢である。大変優秀で、将来のチャイナセブンの一翼を担う実力を持つ人だが、ウイグル白治区で起きる民族問題の責任を負わされるのが心配である。
6.中国では、政府ではなく共産党が全てを決定する。特に重要項目は、10の党機関で決定される。2013年秋〜2014年春、習近平はこのうち7つの機関の長に就任し、他の機関でも腹心の者を配したり政敵を排除したりして、権力を完全掌握した。例えば、中央紀律検査委員会(中紀委)の書記には、習が深く信頼する現チャイナセブンの一人、王岐山が就任した。中紀委は党紀の整頓や党員の腐敗を監視する機関である。著者が北京市の経済顧問だった頃、王氏は北京市長だったので、王氏の実力も人柄もよく知っている。王氏は習の信頼に十分に応えるだろう。
7.中紀委と共同で政府の監察部門を指揮するのが、中央政法委員会である。この委員会は人民武装警察の指揮を執り、司法部長(法務大臣)や最高人民法院院長(最高裁長官)を束ねる公安・検察・司法機関で、その権力は絶大である。ただし、中国には司法権の独立がなく、裁判が中国共産党の指導下に行われている。人民法院(裁判所)は審議するが裁かず、裁く者(中国共産党の各地方の政法委員会書記)は審議しない。この裁きの総元締め(中央政法委員会書記)に就任したのが孟建柱である。孟の前任者は周永康だった。
8.周は胡錦濤体制を支えた中央政治局常務委員の一人で、中国の石油閥のトップだったが、汚職と不正蓄財(1兆5000億円)の容疑で身柄を拘束され、尋問を受けている。習近平が政敵の周永康を粛清したと理解されている。中国人民解放軍の実質的トップだった徐才厚も、2014年6月末、習近平により党籍を剥奪され、検察で訴追された。ただし同年10月の四中全会(第4回中国共産党中央委員会全体会議)で、彼等の処分は延期になった。
9.日本のメディアは、「徐才厚の親分である江沢民が習近平を牽制した」と分析したが、著者は否定した。習近平はこの年の北載河会議の後、後顧の憂いなく外遊に出かけた。少しでも国内の権力基盤に不安があるなら、外遊は見送ったはずである。2月のAPEC開催後も外遊した。習近平は完全に国内を掌握していると見るべきである。今更、江沢民に習近平と争う力はない。10.徐才厚も周永康も、江沢民派の重鎮として同派の資金の流れを把握していた。ただ、1.億2000万人を代表する日本の政治家でも、政治資金の流れは不透明である。中国は日本の10倍以上の国民を擁している。政治家と官僚の間を、日本とは比較にならない額の賄賂が動いている。中国に蔓延する賄賂を一掃することは、習近平の喫緊の課題である。彼は誰よりも徹底して、時に長老たちと対立しても綱紀粛正に努めている。そうしないと中国共産党に対する国民の信頼が失われ、一党独裁が不可能になるという危機感がある。習近平はそのために党の全権掌握を急いだ。
1.日本もまた、水・食糧・エネルギーを自給自足できない以上、グローバリゼーションを推進し、世界の国々と交流し、貿易の恩恵を享受するしか道はない。グローバリゼーションの本当の意味は「平和と友好」であり、それらを最も維持しなければいけないのは、日本と中国のはずである。
2.世界とアジアと日中2カ国を、人口とGDPの規模で比較すると以下の通りである。世界186力国(70億人、74兆ドル)、アジア24力国(38億人、21兆ドル)、日中2カ国(15億人、GDP14兆ドル)だから、アジアは世界の人口の54%、GDPの28%を占める。アジアの人口の39%、GDPの67%を日中2カ国だけで占めており、さらにアジアでGDPが1兆ドルを超えるのは、中国、日本、インド、韓国だけである。この4力国でアジアのGDPの約82%を占めている
3.現在、日本の経済界は「中国と関係悪化したなら、他のアジアの国に行けばいい」と考えているが、GDPでアジア最大の中国を無視できない。モンゴル、ラオス、ミャンマーなどのGDPを見ると、個人経営の食物店を開業するなら別だが、巨大資本を持つ日本企業がこれら貧しい
国々で利益を上げるのは不可能である。日本のアジア外交は中国、インド、韓国抜きに考えられまない。特に中国は日本の将来を考える上で重要である。
4.習近平体制を支える第18期中央政治局委員(25名)を見ると、中国では1期5年なので、2017年まではこの陣容でいき、2017年に第二次習近平体制(〜2022年)に改選される予定である。誰が改選されるかは、年齢による。現在の年齢に5歳を足して、67歳以上になる人は全員、2017年に定年退職する。ほとんどの人が67歳を超える。特に「チャイナセブン」と呼ばれる常務中央委員は、習近平、李克強以外は全員退職だから、若手がその補充として登用される。最有力候補が、張春賢(新彊自治区書記)、孫政才(重慶市書記。元・吉林省書記)、胡春華(広東省書記。元・
内蒙古書記)、江洋(副総理。元・広東省書記)、李源潮(国家副主席。元・南京市書記、江蘇省書記)である。特に、若手の孫政才(49歳)と胡春華(49歳)は習近平の後継者としても大変有力である。ただし、現在の人事を決定したのは、江沢民と胡錦濤の2人だから、習近平は2017年の改選の時、初めて自分の腹心を中央政治局委員に招き入れられる。その有力候補は、現在、中国の各市や省で幹部に就任している若手の中にいる。彼らの何人かは著者の友人で、僅か1〜2年のうちに異例の昇進を遂げた。5年後、彼らの中から次のチャイナセブンが抜擢される。
5.著者は、最も頻繁に中国の地方を視察し、最も多くの各省トップと面会してきた。過去30年以上にわたって人脈を形成してきたからできた。一番心配しているのは、新彊白治区書記の張春賢である。大変優秀で、将来のチャイナセブンの一翼を担う実力を持つ人だが、ウイグル白治区で起きる民族問題の責任を負わされるのが心配である。
6.中国では、政府ではなく共産党が全てを決定する。特に重要項目は、10の党機関で決定される。2013年秋〜2014年春、習近平はこのうち7つの機関の長に就任し、他の機関でも腹心の者を配したり政敵を排除したりして、権力を完全掌握した。例えば、中央紀律検査委員会(中紀委)の書記には、習が深く信頼する現チャイナセブンの一人、王岐山が就任した。中紀委は党紀の整頓や党員の腐敗を監視する機関である。著者が北京市の経済顧問だった頃、王氏は北京市長だったので、王氏の実力も人柄もよく知っている。王氏は習の信頼に十分に応えるだろう。
7.中紀委と共同で政府の監察部門を指揮するのが、中央政法委員会である。この委員会は人民武装警察の指揮を執り、司法部長(法務大臣)や最高人民法院院長(最高裁長官)を束ねる公安・検察・司法機関で、その権力は絶大である。ただし、中国には司法権の独立がなく、裁判が中国共産党の指導下に行われている。人民法院(裁判所)は審議するが裁かず、裁く者(中国共産党の各地方の政法委員会書記)は審議しない。この裁きの総元締め(中央政法委員会書記)に就任したのが孟建柱である。孟の前任者は周永康だった。
8.周は胡錦濤体制を支えた中央政治局常務委員の一人で、中国の石油閥のトップだったが、汚職と不正蓄財(1兆5000億円)の容疑で身柄を拘束され、尋問を受けている。習近平が政敵の周永康を粛清したと理解されている。中国人民解放軍の実質的トップだった徐才厚も、2014年6月末、習近平により党籍を剥奪され、検察で訴追された。ただし同年10月の四中全会(第4回中国共産党中央委員会全体会議)で、彼等の処分は延期になった。
9.日本のメディアは、「徐才厚の親分である江沢民が習近平を牽制した」と分析したが、著者は否定した。習近平はこの年の北載河会議の後、後顧の憂いなく外遊に出かけた。少しでも国内の権力基盤に不安があるなら、外遊は見送ったはずである。2月のAPEC開催後も外遊した。習近平は完全に国内を掌握していると見るべきである。今更、江沢民に習近平と争う力はない。10.徐才厚も周永康も、江沢民派の重鎮として同派の資金の流れを把握していた。ただ、1.億2000万人を代表する日本の政治家でも、政治資金の流れは不透明である。中国は日本の10倍以上の国民を擁している。政治家と官僚の間を、日本とは比較にならない額の賄賂が動いている。中国に蔓延する賄賂を一掃することは、習近平の喫緊の課題である。彼は誰よりも徹底して、時に長老たちと対立しても綱紀粛正に努めている。そうしないと中国共産党に対する国民の信頼が失われ、一党独裁が不可能になるという危機感がある。習近平はそのために党の全権掌握を急いだ。
ベルサイユ宮殿もトルコ人から見れば、トルコのトプカプ宮殿のほうが十数倍もある。オリエントには圧倒的な富と贅沢があった。
「小室直樹著:日本人のためのイスラム原論、集英社、2002年」の「第3章:欧米とイスラム、なぜかくも対立するのか」「第1節:十字軍コンプレックスを解剖する、現代世界にクサビ刺す1000年来の恩讐」「イスラムはなぜアメリカを憎むのか」「聖書研究でもヨーロッパをはるかに凌ぐ」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.当時のイスラム学は聖書研究においても、クリスチャンを圧倒していた。新約聖書の原典は、ギリシャ語で書かれている。初期キリスト教の時代は、公用語、教養語はギリシャ語であった。時代を経てギリシャ語が廃れ、かつてのローマ人のようにギリシヤ語を母国語のように駆使できる人間はいなくなった。
2.ヨーロッパでは聖書を原典で読む人がめっきり減った。イスラムではギリシャ語を自由に駆使できる文化人は多かった。イスラム教におけるコーランとは神が与えた最終最後の啓示であるが、聖書の「最終解釈」についても述べられている。
3.キリスト教では、原罪あるがゆえに、神の救済を待つしかないというのがパウロの教えであった。アッラーは、キリスト教徒の解釈を一笑に付し、アダムとイブは、サタンのそそのかしに乗せられて、禁断の木の実を食べてたので、彼らを楽園から追放された。
4.アッラーは、人間を救うことにし、コーランを与えた。キリスト教徒の考えるような原罪は存在しないという。
5.武力においても、文化においても、聖書理解においてもイスラムはヨーロッパを圧倒していたが、経済力も忘れていけない。コーランには「聖書の読み方」についての指示が述べられ、コーランに書かれていることが、聖書の最終解釈であると強調されている。サラセンの文化人たちも聖書を熱心に読むようになった。その見識は、この時代のヨーロッパ人を凌いでいた。
6.アラブ人たちは、ほぼ100パーセントの識字率だったのに、カトリックのほうは、僧侶にしてもギリシャ語はおろか、ラテン語も読めないのが普通だった。ヨーロッパ人から見ると、オリエント、つまりイスラムの世界は圧倒的な豊かさを誇る別天地であった。
7.ベルサイユ宮殿もトルコ人から見れば、トルコのトプカプ宮殿のほうが何倍も、十数倍もある。トプカプの中にはベルサイユ宮殿クラスの建物がゴロゴロ転がっている。オリエントには圧倒的な富と贅沢があった。こうした圧倒的な文化格差があり、イスラムで本物の学問を学びたいと考えるヨーロッパ人も現われた。
8.キリスト教会でも10世紀ごろから、志ある僧侶たちは続々とイスラム留学を志願するようになった。なかでも人気があったのが、コルドバへの留学である。サラセン帝国の首都バグダードはあまりに遠いが、イスラム教徒が支配するスペインなら近い。カトリックの僧侶たちもコルドバにあったイスラムの大学にしばしば留学して、ギリシャ哲学などを学んだ。
9.北アフリカのイスラム圏も、重要な留学先であった。北アフリカなんてサハラ砂漠しかないなどと思われているが、当時の地中海世界においては、オリエントは夢と憧れの地であった。オリエント急行は、パリからイスタンブールへと向かう豪華列車だが、この列車が1883年に開業したとき、欧州の金持ちたちはこぞってこの列車のチケットを買った。当時のヨーロッパ人にとって「オリエントに行く」というのは単なる観光旅行以上の特別の意味を持っていた。
10.キリスト教徒のイスラムへの留学の経験がなければ、イタリアのルネッサンスは起こりようがなかった。当時のヨーロッパ世界では、ギリシャの古典を読もうと思っても、文献が手に入らない。ヨーロッパ人たちはアラブ世界からまずアラブ語訳を、さらにギリシャ語の原典を手に入れるところから始めた。ヨーロッパで古典の学問が復興するには、長い時間を要した。