2016年03月
途上国でも、1960年代や1970年代にくらべると出生率はだいぶ下がっている。世界の人口は2050年頃が90億人程度でピークで、その後は横ばいか、減少していく。
「ティモシー・テイラー著、池上彰監訳、高橋璃子訳:スタンフォード大学で一番人気の経済学入門マクロ編、かんき出版、2013年」がは面白い。「18章:世界経済をどう見るか、未来を切りひらく視点」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.経済の歴史を振り返ると、19世紀末から第一次世界大戦までのあいだに、世界経済が今と同じくグローバル化に向かっていた時期があった。しかしその動きは、長くはつづかなかった。2度の世界大戦や世界恐慌を経て、各国の経済はふたたび閉鎖的になっていった。このような歴史は、繰り返さないだろう。現状を見るかぎり、自由貿易に向かう流れは簡単には止まらない。貿易のコストは低くなり、国境を越えたコミュニケーションも容易になってきた。グローバルな事業展開は一般的になり、法律や制度の壁も低くなり、交通網もますます発達してきている。貿易による経済的利益は、今後も長くつづく。
2.今後30年から40年のあいだに、石油や天然ガスの価格は大きく上がるかもしれないが、、まったく足りなくなる可能性は低い。石油や天然ガスの価格が上がれば、それに代わるエネルギー源に注目が集まる。シェールオイルや、タールサンド油などの新たな化石エネルギー源が活用されていく。あるいは技術の進歩によって、これまでにないエネルギー源が利用できるようになったり、既存のエネルギーを今よりずっと効率的に使えるようになる。それにくわえて、近年の経済発展を支えている情報通信やコンピュータといった技術は、昔ながらの産業ほどエネルギーを消費しない。今後数十年のあいだは、エネルギー不足で経済が行きづまることはない。
3.環境汚染によって、経済成長が止まる可能性は、アメリカの場合、GDPのおよそ2〜3%が環境対策に使われている。経済がさらに発展していっても、環境にかかるコストはとくに変わらない。中国やインド、メキシコなど急成長のさなかにある国々は、アメリカが同じような段階にあった時代とくらべてはるかに環境に対する意識が高い。国が豊かになればなるほど、環境対策はより充実してくる傾向にある。環境を守るために化石燃料に対して課税する国も増えており、そうなるとエネルギー不足のリスクも減らすことがでる。経済成長と環境保護の両立は今後も課題でありつづけるが、不可能なことではない。
4.人口の爆発は問題は、現在では、少子化のほうに関心が集まっている。出生率が落ちて寿命が伸び、高齢化する可能性のほうが高い。日本や西ヨーロッパでは少子化が急速に進んでおり、今後半世紀のあいだに人口が激減する。途上国でも、1960年代や1970年代にくらべると出生率はだいぶ下がっている。世界の人口は2050年頃に90億人程度でピークを迎え、その後は横ばいか、あるいは減少していく。
5.経済の未来には、困難だけでなく多くのチャンスが待っている。世界経済は、かぎられたパイを奪いあう競争ではない。ある国の経済が成長したからといって、ほかの国が貧しくなるわけではない。各国が協力して商品や生産過程、技術、知識を共有していけば、すべての国がより豊かになれる。世界は1つの大きなネットワークになるが、そのネットワークのなかにあっても、自分の面倒は自分で見なくてはならない。人や設備にきちんと投資し、新たな技術を積極的にとり入れ、法律や金融のインフラをしっかりと整えていけば、その国は大きく成長する。
6.アメリカ経済の将来については、悲観的な見方もある。アメリカは、これまで以上に教育に力を入れ、設備投資や技術開発を推し進めていく必要がある。また、国レベルでも個人レベルでも、借金に頼る風潮を見直さなくてはならない。高齢化と医療費の増加にそなえた対策も必要である。
7.アメリカ独立宣言を書いたトーマス・ジェファーソン元大統領は、「国の健全な活動には、見識ある市民が不可欠である」と言った。経済は巨大で揺るぎないように見えるが、人びとの支えを必要とする存在である。労働・経営・消費・貯蓄・起業などの経済活動、そして有権者および政治家による制度面からの支えが、国の経済には不可欠である。
米国のユダヤ系は、最大の見積もりでも、人口の3%以下だが、イスラエル・ロビーは全米で屈指の影響力を持つ。特に金融と情報工学は、ユダヤ系が強い。
「ユダヤ・マネーの最近事情、選択、2015.5」「世界中で猛威を振るう新興財閥」「アフリカ大陸も覆うマネーの網」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.ユダヤ系が最高の力を発揮するのは、米国の政治である。ユダヤ系は、最大の見積もりでも8百万人程度(アラブ系は350万人)で、人口の3%以下だが、その金力によって、「イスラエル・ロビー」は全米で屈指の影響力を持つ。特に政治力のある金融と情報工学(IT)は、ユダヤ系の強い分野である。
2.シェルドン・アデルソンのように、共和党の中でも特に保守系を支援する大富豪がいる一方で、ソロスは2004年の大統領選で「(当時現職の)ブッシュ落選のためなら何でもする」と公言して、民主党のジョン・ケリー候補(現国務長官)に巨額資金をつぎ込んだ。民主、共和両党のどちらが勝っても、ユダヤ系の勝者がいる格好で、来年の大統領選でもその構図は変わらない。ちなみに、イスラエル自体も、「オリガルヒの国」である。
3.イスラエルは日本と比べ、GDPで17分の1、人口で15分の1だが、今年のフォーブス誌億万長者ランキングには、17人が顔をそろえた(日本は24人)。多くは旧ソ連出身で、2重、3重の国籍を持つ。「イスラエルは建国時代の社会主義のイメージがあるが、先進国の中で最も不平等の指数が高い国である。」と、在中東特派員は言う。
4.稼ぎ先は海外である。同国7位のべニー・スタインメッツと15位のレブ・レビエフは、ダイヤモンド事業で知られ、ギニアや南アフリカ、アンゴラに巨大利権を持つ。13位のダン・ゲルトラーは、コンゴ民主共和国のジョゼフ・カビラ大統領と昵懇で、鉱物資源豊富な同国屈指の投資家である。内戦や紛争の危険をものともせずに、アフリカに人脈を築き、利権を握る。中東から旧ソ連、西欧、米国まで延びるユダヤ・マネーの網は、アフリカ大陸も覆っている。
5.ユダヤ・マネーは、反ユダヤ主義者が唱えるように「世界制覇」の陰謀を進めているのではない。それぞれが自己増殖を図りながら、結果的にユダヤ系とイスラエルの利益を積み重ねている。イスラエルの周辺環境が悪化し、イスラム過激派が台頭し、外交舞台で失敗しても、この国が揺るがない秘密は、まさにここにある。
1.ユダヤ系が最高の力を発揮するのは、米国の政治である。ユダヤ系は、最大の見積もりでも8百万人程度(アラブ系は350万人)で、人口の3%以下だが、その金力によって、「イスラエル・ロビー」は全米で屈指の影響力を持つ。特に政治力のある金融と情報工学(IT)は、ユダヤ系の強い分野である。
2.シェルドン・アデルソンのように、共和党の中でも特に保守系を支援する大富豪がいる一方で、ソロスは2004年の大統領選で「(当時現職の)ブッシュ落選のためなら何でもする」と公言して、民主党のジョン・ケリー候補(現国務長官)に巨額資金をつぎ込んだ。民主、共和両党のどちらが勝っても、ユダヤ系の勝者がいる格好で、来年の大統領選でもその構図は変わらない。ちなみに、イスラエル自体も、「オリガルヒの国」である。
3.イスラエルは日本と比べ、GDPで17分の1、人口で15分の1だが、今年のフォーブス誌億万長者ランキングには、17人が顔をそろえた(日本は24人)。多くは旧ソ連出身で、2重、3重の国籍を持つ。「イスラエルは建国時代の社会主義のイメージがあるが、先進国の中で最も不平等の指数が高い国である。」と、在中東特派員は言う。
4.稼ぎ先は海外である。同国7位のべニー・スタインメッツと15位のレブ・レビエフは、ダイヤモンド事業で知られ、ギニアや南アフリカ、アンゴラに巨大利権を持つ。13位のダン・ゲルトラーは、コンゴ民主共和国のジョゼフ・カビラ大統領と昵懇で、鉱物資源豊富な同国屈指の投資家である。内戦や紛争の危険をものともせずに、アフリカに人脈を築き、利権を握る。中東から旧ソ連、西欧、米国まで延びるユダヤ・マネーの網は、アフリカ大陸も覆っている。
5.ユダヤ・マネーは、反ユダヤ主義者が唱えるように「世界制覇」の陰謀を進めているのではない。それぞれが自己増殖を図りながら、結果的にユダヤ系とイスラエルの利益を積み重ねている。イスラエルの周辺環境が悪化し、イスラム過激派が台頭し、外交舞台で失敗しても、この国が揺るがない秘密は、まさにここにある。
多くの経済学者は、自由貿易を支持するが、いいことばかりでない。グローバリゼーションが流行語のようになっている。
「ティモシー・テイラー著、池上彰監訳、高橋璃子訳:スタンフォード大学で一番人気の経済学入門マクロ編、かんき出版、2013年」がは面白い。「14章:自由貿易:なぜ外国からものを買うのか」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.多くの経済学者は、自由貿易を支持するが、いいことばかりでない。グローバリゼーションという言葉が一種の流行語のようになっているが、目安として、世界のGDPにおける輸出の割合がある。1950年の時点では、世界のGDPのうち輸出額の占める割合は7%だった。
2.貿易によって利益が生まれるしくみは3つのタイプに分けられる。「絶対優位」と「比較優位」、それに市場が広がることによる「長期的な利益」がある。絶対優位というのは、ある国が別の国よりも高い生産性で何かをつくれることを指す。各国が得意分野に専念すれば全体の生産性が上がる。現在、その割合はおよそ25%にまで増えている。輸出の規模は3倍以上になった。
3.アメリカの経済にでも、1950年には輸出額のGDPに占める割合は3%だったが、2000年代半ばには12%になっており、3倍以上の規模である。こうした傾向が、グローバリゼーションの背景になっている。
4.世の中にはもうすこし複雑なケースもある。たとえば、あらゆる面で生産性が高い国と、あらゆる面で生産性が低い国があった場合、仮にその2つの国を、AとMとすると、Aは、すべての商品やサービスをMよりも効率的に生産できる。労働者の教育水準が高く、最新の設備があり、通信や電気、交通などのインフラもきちんと整備されている。Mにはそうした環境がなく、低い生産性にとどまってる。
5.意外なことに、こうした状況でもAとM双方が貿易のメリットを受けられる。その理由は、比較優位という考え方で説明できる。比較優位というのは、その国の強みがもっとも生かせるのはどこか、あるいはその国の弱みがもっとも小さくなるのはどこかという考え方である。メキシコと比較したとき、Aはコンピュータの生産が非常に得意で、織物の生産がそこそこ得意だとする。どちらもAのほうが生産性は高いが、コンピュータのほうが生産性の差が大きいと仮定する。このとき、Aはコンピュータと織物の両方を自分の国で生産して、Mとはまったく取引しないほうがいいとは言えない。
6.Aがコンピュータの生産に専念し、Mが織物の生産に専念したほうが、全体的な生産性は大きくる。できあがった生産物をおたがいに交換すれば、どちらの国も豊かになる。実際には、同じようなものを同じような生産性でつくれる国が世界には多く存在する。アメリカやカナダ、日本、オーストラリア、ヨーロッパ諸国といった先進国は、同じような商品をおたがいに輸出したり輸入したりしている。
7.たとえば、アメリカはヨーロッパから車を買い、ヨーロッパに車を売っている。日本はアメリカからコンピュータを買い、アメリカにコンピュータを売っている。労働者の賃金を見ても、これらの国には大きなちがいがない。生産性に差がないのに、わざわざ貿易をする意味は、1つめのメリットとして、小さな国でも規模の経済を活用できるという点がある。たとえば、イギリスのような比較的小さな国では、国内の需要はかぎられており、大量につくっても売れない。大量生産すれば、それだけ1台当たりのコストが安くなる。そこで貿易が役に立つ。大企業が国内と国外の両方をターゲットにして、大量の自動車を生産するような体制をつくれば、規模の経済によって効率的な生産が可能になる。
8.2つめのメリットは、種類が豊富になることです。イギリス国内の自動車需要を、1つの大きな自動車会社がすべてまかなうとすると、その会社は、規模の経済を活用するために、少ない種類の車を集中的に生産する。燃費のいい小型車に特化して、ほかの種類の車はつくらないという戦略がありうる。ファミリータイプの車やスポーツカーがほしい人は困ってしまう。しかし、外国から自動車を輸入すれば、人びとのさまざまなニーズを満たすことが可能になる。
9.3つめのメリットは、1つの産業のなかで、より高度な分業が可能になることであ。「価値連鎖(バリューチェーン)の分断」とも呼ばれる。1つの自動車はたくさんの部品でできている。シートの布地から、制御システムのように高度な技術を必要とするものまで、多様な部品が集まっている。1つのものを多くつくったほうが効率的だから、複数の国で作業を分担すると、全体の生産性はより高くなる。別の国で組み立てる方がもっとも効率的になる。1つの分野に特化して生産をおこない、それを交換することで、すべての国の生産性を高めることが可能になる。
10.4つめのメリットは、同じような種類の製品を取引することで、知識やスキルの伝達がうながされるという点である。トヨタ自動車が「かんばん方式」と呼ばれる在庫管理手法をアメリカは、日本から学び、いくつもの産業にとり入れた。商品やサービスだけでなく、アイデアがやりとりされることで生産性が高められることもある。外国と広く取引することで、国内の競争が盛んになるというメリットもある。競争が盛んになれば、価格が下がり、技術革新も起こりやすくなる。
14年下期の、読売新聞の朝刊部数は926万部。前年同期の986万部から60万部も落としている。読売関係者は1年で6%も減らすのは前代未聞という。
「断末魔の新聞販売店、宅配制度の崩壊の瀬戸際、選択、2015.5」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.新聞各社の発行部数の右肩下がりに歯止めがかからない。最大部数を誇る読売新聞は、昨年8月に朝日新聞が慰安婦報道検証記事を掲載して以降、全販売店に「朝日の読者を奪え」と号令をかけ、手当たり次第に販促グッズを配布した。商売敵の失点に乗じた攻勢をかけたものの、蓋を開けてみれば2014年上期から下期にかけて約30万部も減らした。同時期に朝日は33万部減少しており、2大全国紙は結局共倒れだった。単なる新聞離れだけではなく、最前線の販売店が抱える問題が潜んでいる。
2.14年下期の、読売新聞の朝刊部数は926万部。前年同期の986万部から60万部も落としている。読売関係者によれば「1年で6%も減らすのは前代未聞」。もはや1000万部などという数字は幻想に近い。朝日新聞の朝刊部数は710万部で、こちらは前年比で44万部の減少だ。健闘しているといわれた毎日新聞も14年上期から下期にかけて、朝刊部数330万部で前年比50万部のマイナス。産経は2000部の減少でこらえ、162万部だった。
3.発行部数と相まって、販売店の減少スピードも凄まじい。バブル崩壊前後、1990年のピーク時に全国で23700あった販売店は、14年の時点で17600店にまで落ち込んでいる。01年から昨年までの部数と店舗数の比較をしてみよう。日本新聞協会に加盟している一般紙の部数は4756万部から4169万部と12.3%の減少だ。一方、販売店は21800店が17600店となっており、19.3%も減った。今は配達するスタッフの確保が難しい。部数の減少に販売店の人手不足。それが経営苦境に拍車を掛けているのだ。
4.01年に全国で465000人いた販売店の従業員は、昨年345000千人に激減した。比率にして25.8%も落ちている。部数減は12.3%の下落にとどまっていることを考えると、従業員一人が配達する軒数は増加せざるをえない。現場の負担は大きくなる一方で、さらに人材確保が難しくなるという悪循環に陥ってしまった。
5.昔なら残紙があってもチラシの収入が潤沢だったから販売店の経営は成り立った。しかし時代は移り変わった。新聞一部当たり月に3000円近くの折り込みチラシ収入になったこともあったが、最近では1500円程度に減っている。新聞の購読料は約4000円だが、このうち販売店の取り分となるのは2千円の収入となるが、かつてはこれに3千円のチラシ収入が上乗せされた。
6.配達要員の確保は喫緊の課題だ。かつては貴重な戦力だった学生アルバイトは集まらない。01年当時、全国で16000人いた学生配達員は、昨年時点で4000人。高校生以下はもっと悲惨で、15年前の38000人が今や2600人である。家庭に日々、新聞が届けられるという日本のビジネスモデルは崩壊の瀬戸際である。販売店の上にあぐらをかいてきた新聞社がしっぺ返しを受ける日も遠くない。
1.新聞各社の発行部数の右肩下がりに歯止めがかからない。最大部数を誇る読売新聞は、昨年8月に朝日新聞が慰安婦報道検証記事を掲載して以降、全販売店に「朝日の読者を奪え」と号令をかけ、手当たり次第に販促グッズを配布した。商売敵の失点に乗じた攻勢をかけたものの、蓋を開けてみれば2014年上期から下期にかけて約30万部も減らした。同時期に朝日は33万部減少しており、2大全国紙は結局共倒れだった。単なる新聞離れだけではなく、最前線の販売店が抱える問題が潜んでいる。
2.14年下期の、読売新聞の朝刊部数は926万部。前年同期の986万部から60万部も落としている。読売関係者によれば「1年で6%も減らすのは前代未聞」。もはや1000万部などという数字は幻想に近い。朝日新聞の朝刊部数は710万部で、こちらは前年比で44万部の減少だ。健闘しているといわれた毎日新聞も14年上期から下期にかけて、朝刊部数330万部で前年比50万部のマイナス。産経は2000部の減少でこらえ、162万部だった。
3.発行部数と相まって、販売店の減少スピードも凄まじい。バブル崩壊前後、1990年のピーク時に全国で23700あった販売店は、14年の時点で17600店にまで落ち込んでいる。01年から昨年までの部数と店舗数の比較をしてみよう。日本新聞協会に加盟している一般紙の部数は4756万部から4169万部と12.3%の減少だ。一方、販売店は21800店が17600店となっており、19.3%も減った。今は配達するスタッフの確保が難しい。部数の減少に販売店の人手不足。それが経営苦境に拍車を掛けているのだ。
4.01年に全国で465000人いた販売店の従業員は、昨年345000千人に激減した。比率にして25.8%も落ちている。部数減は12.3%の下落にとどまっていることを考えると、従業員一人が配達する軒数は増加せざるをえない。現場の負担は大きくなる一方で、さらに人材確保が難しくなるという悪循環に陥ってしまった。
5.昔なら残紙があってもチラシの収入が潤沢だったから販売店の経営は成り立った。しかし時代は移り変わった。新聞一部当たり月に3000円近くの折り込みチラシ収入になったこともあったが、最近では1500円程度に減っている。新聞の購読料は約4000円だが、このうち販売店の取り分となるのは2千円の収入となるが、かつてはこれに3千円のチラシ収入が上乗せされた。
6.配達要員の確保は喫緊の課題だ。かつては貴重な戦力だった学生アルバイトは集まらない。01年当時、全国で16000人いた学生配達員は、昨年時点で4000人。高校生以下はもっと悲惨で、15年前の38000人が今や2600人である。家庭に日々、新聞が届けられるという日本のビジネスモデルは崩壊の瀬戸際である。販売店の上にあぐらをかいてきた新聞社がしっぺ返しを受ける日も遠くない。
公平さは難しい概念である。外国から輸入したくない、というのを不公平と置き換えがちだが、もっと具体的でしっかりとした論拠が必要である。
「ティモシー・テイラー著、池上彰監訳、高橋璃子訳:スタンフォード大学で一番人気の経済学入門マクロ編、かんき出版、2013年」がは面白い。「14章:自由貿易:なぜ外国からものを買うのか」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.国外との取引を拡大してきた国は、うまく経済成長を遂げている。貿易を拡大することなく豊かな国は存在しない。世界をグローバル化したグループと、グローバル化していないグループに分ける。前者は1980年代から1990年代にかけて、GDPに占める輸出額の割合を伸ばしてきた国々で、中国やインド、メキシコ、それに大半の先進国である。人口でいえば30億人以上になる。グローバル化した国々では、1990年代に1人当たりGDPが年間5%増えた。後者は同じ時期に、輸出額のGDP比を減らしてきた国々で、アフリカや中東、ロシアなどで、1人当たりGDPが年間1%程度減少した。
2.このとき、おたがいの国が自分の得意なものを生産し、それを交換すれば、全体的な生
産性はもっとも高くな、強みを生かすことで、おたがいが得をする。ただし、国際貿易を増やせば経済を成長させられるとは限らない。教育水準が低く、投資も低調で、交通や通信のインフラも整備されず、汚職がはびこっているような国では、いくら貿易を推進したところで経済成長は見込めない。
3.グローバル化が進んだといっても、意外なことに、21世紀になった現在でも、国境の壁は非常に高い。カナダの各州のあいだの取引量と、カナダとアメリカとの取引量を比較すると、カナダ国内の州どうしの取引量は、国境を越えたアメリカの州に対する取引量のおよそ20倍である。先進国では、国内の都市や地域間の取引のほうが、国外との取引よりも3〜10倍多い。
4.世界が大きな1つの市場であるなら、商品の価格はどこの国でもだいたい同じになるはずである。テレビや自動車、ジーンズなどの商品は、世界中で流通している。それらの価格は、アメリカ国内ではどこの州でもそれほどちがいない。しかし、たとえばニューヨークとモスクワとムンバイで価格をくらべると、価格に大きなちがいがある。
5.世界中で物価が同じなら、為替レートが上下するのにあわせて物価も同じくらい変化するはずだが、実際には、為替レートが動いた幅のおよそ半分程度しか物価に変化がない。国境がいまだに大きな壁となっている理由は、私たちをとりまく交通や通信などのインフラは、おもに国内を視野に入れてつくられており、国境を越えやすいようにはできていない。
6.事業を国外に広げようとすると、法律や税制のちがいが大きく立ちはだかる。言葉や文化の壁があるし、通貨や労働法、安全基準、会計基準、商取引に関する法律など、さまざまなちがいを乗り越えなくてはならない。そうしたコストを試算すると、国境を越えるだけで商品価格の40%が失われる。
7.世界貿易機関(WTO)をはじめ、国際貿易の拡大を推進するための機関や協定は数多くある。技術の進歩によって、国外への交通や通信のコストは格段に下がってきている。このことは貿易を促進するだけでなく、サービスの国際的な展開にもつながる。国外にコールセンターを置いたり、税理士のサービスを別の国から提供することが一般的になる。中国やインドなど、これまで貿易に積極的でなかった国々も、近年は意欲的に国外との取引をおこなっている。アフリカ諸国など、今はまだそうでない国々も、そのうちに同じ動きに出てくる。
8.自由貿易の公平さの意見が多い。アメリカやヨーロッパなど先進国の人びとは、中国やインドなどの国と競争しなくてはならないことが不公平だと感じている。そうした国は人件費も安く、環境対策や労働基準などのルールもゆるい。しかし公平さは難しい概念である。外国から輸入したくない、という気持ちを、不公平という言葉に置き換えがちである。輸入の規制を論じるのであれば、もっと具体的でしっかりとした論拠が必要である。