2016年09月
ヨーロッパでもアジアでも、中国が世界中の企業を受け入れ、企業は安い労働力を使い、グローバルなコストダウンでデフレ圧力が生じた。冷戦の終結は、経済のし組みも変えた。
「池上彰著:
世界から戦争がなくならない本当の理由・戦後70年の教訓、祥伝社、平成27年8月」の「第3章東西冷戦実は今まで続いていた」「アメリカ大統領は2期目に動く」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.ソ連が崩壊すると、キューバも苦境に立たさ、ソ連崩壊を受けて成立したロシアはあまり余裕がないので、石油は国際価格で買わなければならず、砂糖も買ってもらえない。キューバの財政はひじょうに厳しくなった。石油が手に入らないので戦車などは動かせない。兵士たちがみんな自転車に乗って行進していた。
2.キューバとアメリカが国交回復に向けて動き出した背景には、3つの要因が考えられる。
1つは、キューバの苦境である。ソ連崩壊後も、キューバはベネズエラの支援を受けていた。産油国のベネズエラがキューバに石油を送り、医療体制の充実しているキューバは医師や看護師をベネズエラに送るという協力関係ができていた。
3.2013年以降にアメリカやカナダで、シェール革命が起きたことで、石油の国際価格が暴落した。それによって、ベネズエラは国家が破綻する寸前まで追い詰められ、キューバを支援する余裕がなくなった。
4.第2の要因は、アメリカのオバマ大統領が2期目を迎えたことである。2期目の米大統領は、もう再選がないので、歴史に名を残すような業績を求めるのが常である。ブッシュ大統領は、「北朝鮮を平和な国にした」という結果を残したくて、核開発を止めさせようと北朝鮮に対するテロ支援国家の指定を外したが、大失敗だった。オバマ大統領はキューバとの関係改善を「遺産」にしようと考えたが、うまくいけば歴史的な偉業である。
5.もうひとつの追い風は、バチカンのフランシスコ法王がアメリカとキューバの仲介に乗り出したことである。キューバは宗教と距離を置く社会主義国だが、もともとスペインの植民地だったので、基本的にはカトリックの国である。南米アルゼンチン出身の法王にとっては、放っておけない存在である。オバマ大統領としても、法王に「そろそろ仲直りをしたらいかがですか」と声をかけられれば、その立場を尊重する。国交回復を進める口実のひとつとして、たいへん都合がよかった。
6.東西冷戦は、1985年にミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任し、「ペレストロイカ」という言葉を掲げて大きな改革に着手し、終結に向かい始めました。1989年には、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニアなどの東欧諸国で社会主義政権が相次いで倒れ、ドイツでは冷戦のシンボルだったベルリンの壁が崩壊。その年の12月には、ゴルバチョフとブッシュ米大統領がマルタ島で冷戦の終結を宣言した。その後もアメリカとキューバの間には大きな溝が横たわっていたが、ここが国交回復を果たせば、本当の意味で「冷戦が終わった」と言えるかもしれない。
7.米ソの「恐怖の均衡」による緊張状態がなくなり、現在の世界に別の歪みももたらした。両大国のタガが外れて、中東をはじめとする地域紛争が噴出したことだけではなく、アメリカでは、それまでミサイル防衛などの研究に携わっていた物理学者や数学者が大量に仕事を失った。その優秀な頭脳の受け皿になったのが金融界である。もともと金融工学は、優秀な科学者を集めて原爆を製造したマンハッタン計画から派生したと言われ、両者は相性がよい。
8.彼らの手によって、金融派生商品の価格づけに関わる複雑な理論を駆使したシステムが作られ、スケールの大きいマネーゲームが展開された。その結果、2008年には投資銀行のリーマン・ブラザーズが破綻し、それを引き金に世界的な金融危機が続発した。
9.中央のコンピュータがソ連の攻撃で破壊され、ネットワーク全体がダメージを受けるリスクを軽減するために、米軍は個々のコンピュータが網の目のようにつながるシステムを築いた。これがインターネットの原型である。
10.私たちの利便性を高めたが、急激なグローバリゼーションを後押しすることで、さまざまな弊害を生んでいる。インターネットによるグローバリゼーションは、金融機関をはじめ、巨大企業をボーダーレスな存在にし、労働者も、国境を越えて流動化するようになった。
11.影響が大きいのは、社会主義国の労働者たちが資本主義社会に流入したことである。東欧の社会主義国は、教育水準は高いけれど賃金は安い。ヨーロッパの国々は、低賃金で質の高い労働力を確保できるようになった。そのため全体の賃金水準が下がった。
12.ヨーロッパだけでなく、アジアでも、中国が改革開放路線で世界中の企業を受け入れるようになり、やはり企業は安い労働力を使えるようになった。こうしてグローバルなコストダウン競争が起こり、デフレ圧力が生じた。冷戦の終結は、安全保障のあり方だけでなく、経済の枠組みをも大きく変えた。
世界から戦争がなくならない本当の理由・戦後70年の教訓、祥伝社、平成27年8月」の「第3章東西冷戦実は今まで続いていた」「アメリカ大統領は2期目に動く」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.ソ連が崩壊すると、キューバも苦境に立たさ、ソ連崩壊を受けて成立したロシアはあまり余裕がないので、石油は国際価格で買わなければならず、砂糖も買ってもらえない。キューバの財政はひじょうに厳しくなった。石油が手に入らないので戦車などは動かせない。兵士たちがみんな自転車に乗って行進していた。
2.キューバとアメリカが国交回復に向けて動き出した背景には、3つの要因が考えられる。
1つは、キューバの苦境である。ソ連崩壊後も、キューバはベネズエラの支援を受けていた。産油国のベネズエラがキューバに石油を送り、医療体制の充実しているキューバは医師や看護師をベネズエラに送るという協力関係ができていた。
3.2013年以降にアメリカやカナダで、シェール革命が起きたことで、石油の国際価格が暴落した。それによって、ベネズエラは国家が破綻する寸前まで追い詰められ、キューバを支援する余裕がなくなった。
4.第2の要因は、アメリカのオバマ大統領が2期目を迎えたことである。2期目の米大統領は、もう再選がないので、歴史に名を残すような業績を求めるのが常である。ブッシュ大統領は、「北朝鮮を平和な国にした」という結果を残したくて、核開発を止めさせようと北朝鮮に対するテロ支援国家の指定を外したが、大失敗だった。オバマ大統領はキューバとの関係改善を「遺産」にしようと考えたが、うまくいけば歴史的な偉業である。
5.もうひとつの追い風は、バチカンのフランシスコ法王がアメリカとキューバの仲介に乗り出したことである。キューバは宗教と距離を置く社会主義国だが、もともとスペインの植民地だったので、基本的にはカトリックの国である。南米アルゼンチン出身の法王にとっては、放っておけない存在である。オバマ大統領としても、法王に「そろそろ仲直りをしたらいかがですか」と声をかけられれば、その立場を尊重する。国交回復を進める口実のひとつとして、たいへん都合がよかった。
6.東西冷戦は、1985年にミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任し、「ペレストロイカ」という言葉を掲げて大きな改革に着手し、終結に向かい始めました。1989年には、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニアなどの東欧諸国で社会主義政権が相次いで倒れ、ドイツでは冷戦のシンボルだったベルリンの壁が崩壊。その年の12月には、ゴルバチョフとブッシュ米大統領がマルタ島で冷戦の終結を宣言した。その後もアメリカとキューバの間には大きな溝が横たわっていたが、ここが国交回復を果たせば、本当の意味で「冷戦が終わった」と言えるかもしれない。
7.米ソの「恐怖の均衡」による緊張状態がなくなり、現在の世界に別の歪みももたらした。両大国のタガが外れて、中東をはじめとする地域紛争が噴出したことだけではなく、アメリカでは、それまでミサイル防衛などの研究に携わっていた物理学者や数学者が大量に仕事を失った。その優秀な頭脳の受け皿になったのが金融界である。もともと金融工学は、優秀な科学者を集めて原爆を製造したマンハッタン計画から派生したと言われ、両者は相性がよい。
8.彼らの手によって、金融派生商品の価格づけに関わる複雑な理論を駆使したシステムが作られ、スケールの大きいマネーゲームが展開された。その結果、2008年には投資銀行のリーマン・ブラザーズが破綻し、それを引き金に世界的な金融危機が続発した。
9.中央のコンピュータがソ連の攻撃で破壊され、ネットワーク全体がダメージを受けるリスクを軽減するために、米軍は個々のコンピュータが網の目のようにつながるシステムを築いた。これがインターネットの原型である。
10.私たちの利便性を高めたが、急激なグローバリゼーションを後押しすることで、さまざまな弊害を生んでいる。インターネットによるグローバリゼーションは、金融機関をはじめ、巨大企業をボーダーレスな存在にし、労働者も、国境を越えて流動化するようになった。
11.影響が大きいのは、社会主義国の労働者たちが資本主義社会に流入したことである。東欧の社会主義国は、教育水準は高いけれど賃金は安い。ヨーロッパの国々は、低賃金で質の高い労働力を確保できるようになった。そのため全体の賃金水準が下がった。
12.ヨーロッパだけでなく、アジアでも、中国が改革開放路線で世界中の企業を受け入れるようになり、やはり企業は安い労働力を使えるようになった。こうしてグローバルなコストダウン競争が起こり、デフレ圧力が生じた。冷戦の終結は、安全保障のあり方だけでなく、経済の枠組みをも大きく変えた。
日本の裁判官は、官僚裁判官である。裁判官が選挙によって選任されるアメリカとも異なり、西欧諸圏のような陪審制・参審制の制度もなく、国民が司法に一切参加できない。
「本多勝一著:
貧困なる精神O集「裁判官」、朝日新聞社、2001年」は参考になる。「裁判官のためのジャーナリズム入門講座」の「裁判官が軽蔑すべき職業になる?」は面白い。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1. 裁判というものは、「不正」とか「悪」に対して、司法権力が国民にかわって報復する役割に大きな意味がある点、「釈迦に説法」にならない。司法権の独立を自ら破壊し、行政と癒着して一権集中独裁政権に奉仕し、裁判官がとっくに「釈迦」ではなくなっている。
2.裁判などというものに幻想を持たず、訴訟などという無益なことに時間と金を費やすことは、よほどの事情でもないかぎりしない。現状がつづくかぎり、裁判官などというものはもはや正義だの公正だのといった志の高い世界を扱う職業ではなく、ドロボーやヒトゴロシを相手にするにはいい程度の軽蔑すべき役人商売だというイメージが次第に定着している。
3.私たちの税金で生活するこんな職業を、まだ正義や公正を扱う世界に属すると思いこんでいる日本人も多いが、そんな誤解を解いて、裁判官という軽蔑すべき商売の実像が理解されるような努力を、微力ながら今後つくしてゆく。
4.裁判官の中にも本来の役割たる公正・正義・論理を重んずる人物が、まだいくらかは「主流でないところ」にいることを知っているので、裁判官全体に一般化することは避ける。「税金を払ってかれらを生活させる側」には、そんな良心的裁判官を選ぶ権利など全然ないのが、もうひとつの現実である。「憲法の精神に反する判決」をする裁判官は我々が選んだのではなく、かれらが勝手に現れるような「制度」になっている。
5.古代社会の直接的自己救済「目には目を、歯には歯を」にならざるをえない。現在の日本より公正かもしれません。現在の日本であれば、裁判や「法典」になど頼れないので、不正や悪に対しては自分自身で独自に復讐または反撃するほかはない。
6.宅八郎氏の言葉を引用すると、裁判などに絶望しているのは自分だけではない。「ボクは復讐についていかに批判されようと一切反省はしない。裁くのはボクだ」「本当に相手に気付かせるとしたら、まったく同じ方法でやりかえすしかない」「ボクは法律家の解釈なんて信じていない。
7.暴力団やヤクザも、「法を頼りにできぬ現実」があるために、いつまでも存在しうる。。民主主義も、司法の公正があってこそ意味がある。政権の道具と化した司法では、ソ連その他の実例と同じく、もはや民主主義社会ではなくなっている。国民もそのつもりで対処せざるをえない。
8.殺人をはじめとするさまざまな事件の被害者が救済されるべき最後のよりどころは裁判である。被害者にかわって加害者に対する正当な罰なり更生なりの道を司法権力が示し、実行する。だが、その裁判が本来の役割を放棄し、厳正な判断をしないばかりか、ヌレギヌすなわち冤罪・誤審さえ少なくないとしたら、もはや被害者は救われず、さらに新たな犠牲者が出ることになる。今や日本の裁判は、そのようないいかげんな儀式になりはててしまった。
9.裁判官は清く正しく頼もしい「正義の味方」といった存在だった、とつい過去形で言う。個人的体験は別としても、大きな裁判でひどい判決をいくつも見るに及んで、どうも「正義の味方」は幻想ではないかと思うようになった。
10.法廷の風景も、裁判官は一段高いヒナ壇にすわってエラソーな態度でいる。マスコミも無批判にそんな空気を煽る。そんな職務であればこそ、崇高なその使命を保障するために「三権分立」の主柱として司法権の独立も裁判の独立もあるのだと一般国民に考えられている。
11.日本の裁判は、「調書裁判」で、警察・検察といった行政機関の行為の追認である。裁判官が、良心や全人格をかけて裁判をするようなシステムにはなっていない。裁判官というものが司法当局によって厳しく管理・統制されている。わが国の裁判所は、全国を一元的に統括する最高裁によってピラミッド型に組織化されている。アメリカやドイツと異なる。
12.わが国の裁判官は、キャリアの官僚裁判官である。裁判官が選挙によって選任されるアメリカとも異なり、西欧諸圏のような陪審制・参審制の制度もなく、国民が司法に一切参加できない。
13.わが国の裁判官は、西欧諸国のように裁判官が政党員になったり、政治活動をすることは禁止されている。国民の目に触れることがないまま秘密裡に裁判官を管理・統制できる。フランスなどでは裁判官が労働組合を結成できるが、日本では事実上できない。
14.良心的な裁判官が自主的に研究する「裁判官懇話会」でさえ、それに参加する裁判官は陰に陽に最高裁から差別的な待遇を受ける。
貧困なる精神O集「裁判官」、朝日新聞社、2001年」は参考になる。「裁判官のためのジャーナリズム入門講座」の「裁判官が軽蔑すべき職業になる?」は面白い。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1. 裁判というものは、「不正」とか「悪」に対して、司法権力が国民にかわって報復する役割に大きな意味がある点、「釈迦に説法」にならない。司法権の独立を自ら破壊し、行政と癒着して一権集中独裁政権に奉仕し、裁判官がとっくに「釈迦」ではなくなっている。
2.裁判などというものに幻想を持たず、訴訟などという無益なことに時間と金を費やすことは、よほどの事情でもないかぎりしない。現状がつづくかぎり、裁判官などというものはもはや正義だの公正だのといった志の高い世界を扱う職業ではなく、ドロボーやヒトゴロシを相手にするにはいい程度の軽蔑すべき役人商売だというイメージが次第に定着している。
3.私たちの税金で生活するこんな職業を、まだ正義や公正を扱う世界に属すると思いこんでいる日本人も多いが、そんな誤解を解いて、裁判官という軽蔑すべき商売の実像が理解されるような努力を、微力ながら今後つくしてゆく。
4.裁判官の中にも本来の役割たる公正・正義・論理を重んずる人物が、まだいくらかは「主流でないところ」にいることを知っているので、裁判官全体に一般化することは避ける。「税金を払ってかれらを生活させる側」には、そんな良心的裁判官を選ぶ権利など全然ないのが、もうひとつの現実である。「憲法の精神に反する判決」をする裁判官は我々が選んだのではなく、かれらが勝手に現れるような「制度」になっている。
5.古代社会の直接的自己救済「目には目を、歯には歯を」にならざるをえない。現在の日本より公正かもしれません。現在の日本であれば、裁判や「法典」になど頼れないので、不正や悪に対しては自分自身で独自に復讐または反撃するほかはない。
6.宅八郎氏の言葉を引用すると、裁判などに絶望しているのは自分だけではない。「ボクは復讐についていかに批判されようと一切反省はしない。裁くのはボクだ」「本当に相手に気付かせるとしたら、まったく同じ方法でやりかえすしかない」「ボクは法律家の解釈なんて信じていない。
7.暴力団やヤクザも、「法を頼りにできぬ現実」があるために、いつまでも存在しうる。。民主主義も、司法の公正があってこそ意味がある。政権の道具と化した司法では、ソ連その他の実例と同じく、もはや民主主義社会ではなくなっている。国民もそのつもりで対処せざるをえない。
8.殺人をはじめとするさまざまな事件の被害者が救済されるべき最後のよりどころは裁判である。被害者にかわって加害者に対する正当な罰なり更生なりの道を司法権力が示し、実行する。だが、その裁判が本来の役割を放棄し、厳正な判断をしないばかりか、ヌレギヌすなわち冤罪・誤審さえ少なくないとしたら、もはや被害者は救われず、さらに新たな犠牲者が出ることになる。今や日本の裁判は、そのようないいかげんな儀式になりはててしまった。
9.裁判官は清く正しく頼もしい「正義の味方」といった存在だった、とつい過去形で言う。個人的体験は別としても、大きな裁判でひどい判決をいくつも見るに及んで、どうも「正義の味方」は幻想ではないかと思うようになった。
10.法廷の風景も、裁判官は一段高いヒナ壇にすわってエラソーな態度でいる。マスコミも無批判にそんな空気を煽る。そんな職務であればこそ、崇高なその使命を保障するために「三権分立」の主柱として司法権の独立も裁判の独立もあるのだと一般国民に考えられている。
11.日本の裁判は、「調書裁判」で、警察・検察といった行政機関の行為の追認である。裁判官が、良心や全人格をかけて裁判をするようなシステムにはなっていない。裁判官というものが司法当局によって厳しく管理・統制されている。わが国の裁判所は、全国を一元的に統括する最高裁によってピラミッド型に組織化されている。アメリカやドイツと異なる。
12.わが国の裁判官は、キャリアの官僚裁判官である。裁判官が選挙によって選任されるアメリカとも異なり、西欧諸圏のような陪審制・参審制の制度もなく、国民が司法に一切参加できない。
13.わが国の裁判官は、西欧諸国のように裁判官が政党員になったり、政治活動をすることは禁止されている。国民の目に触れることがないまま秘密裡に裁判官を管理・統制できる。フランスなどでは裁判官が労働組合を結成できるが、日本では事実上できない。
14.良心的な裁判官が自主的に研究する「裁判官懇話会」でさえ、それに参加する裁判官は陰に陽に最高裁から差別的な待遇を受ける。
6人組では誰一人として教授にはなれなかった。小出氏は助手として41年間の教員生活を終えた。思想信条によって昇進が制限される弾圧はある。
「小出裕章著:原発暴走はまだ止められる、
サンデー毎日、2015,9,27」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.3月に定年退職した。今、やり残したことは、京都大学に「熊取6人組」の後謎者を作らなかったことである。京都大学原子炉実験所には「熊取6人組」、いわば「悪党」のレッテルを貼られた科学者が私を含めて6人いた。いずれも原子力、原子炉の専門家である。国家が推進する原子力に対して全員が一致して「それでも原子力はダメだ」と抵抗してきた。
2.6人組は、原子力災害や放射能汚染など、原子力利用に伴うリスクを明らかにする研究を行ってきた。その成果を公表することで、原子力利用の是非を考える材料を提供してきた。来年3月になれば最後の一人、今中哲二助教が定年退職を迎え、熊取6人組という反原発の研究者集団は終焉を迎える。
3.原発は再稼働に向けて動き出しているが、6人組の終焉と同時に、大学の原子力専門家が作り上げた「抵抗の拠点」は失われることになる。かつて6人組に共鳴する京都大の同僚研究者もいたが、あえて仲間に引き込むことはしなかった。7人目の「悪党」になれば、
国家に盾突く研究者として苦しい立場に追い込まれるのは明白である。
4.6人組では誰一人として教授にはなれなかった。小出氏は助手として原子炉実験所に入り、助手(現在は助教と呼称)として41年間の教員生活を最底辺のまま終えた。思想信条によってポストや昇進が制限されるという弾圧は、確かにある。
5.福井地裁は今年4月、原子力規制委員会の安全審査に合格している関西電力高浜原発3、4号機の再稼働差し止めの仮処分決定を出したことは記憶に新しい。小出氏は「見事な決定だった」と声を弾ませた。
6.樋口英明裁判長が出した仮処分決定とは、福島第一原発事故後に策定された新規制基準に関して「合理性を欠く」と批判するものである。日本の司法はこれまで、原子力の問題においては「高度な科学技術に基づく」として行政の裁量権を認めてきた。だが、樋口裁判長は「行政の裁量権を認めれば司法の責任を放棄することと同義だ」との判断を示した。これまでの流れを根底から覆すものだった。司法が行政に追随した結果、福島第1原発の事故が起きたのであって、これまでの判断が間違いだったと証明された。「樋口判決」を鑑として、裁判所は変わらなければいけない。
7.一方で、鹿児島地裁は九州電力川内原発一号機の再稼働差し止めの仮処分申請を却下、8月11日に再稼働した。司法の流れは容易には変わらない。それでも、原告の住民側弁護団は即時抗告を行い、川内原発の再稼働差し止め問題は高裁で争われている。四国電力伊方原発の地元、愛媛県では中村時広知事が再稼働にいまだ同意していない。一人一人が立場や個性を生かし、やむにやまれぬ思いで自分にできることをなせば、その先には原発再稼働阻止と原子力の廃絶がある。「原発暴走」はまだ止められる。
8.長野県松本市に「終の棲家棲家」を求めた小出氏だが、その理由は、チェルノブイリ原発事故の医療支援に取り組んでいた菅谷昭市長の存在である。菅谷氏とは旧知の仲で、ベラルーシの国立甲状腺がんセンターで医療支援に従事していた当時の菅谷氏を訪ねたこともある。菅谷氏は、同国内で主に小児甲状腺がんの穀治療を行い、5年半の滞在後に帰国、04年に同市長に初当選した。菅谷氏を市長に選ぶ市民がいる松本に移住を決断した。退職したとはいえ、原子力緊急事態宣言が解除されていない今、何もせずにいるのではなく、原子力について蓄積してきた知識を用いて、できる限りのことを担いでいく。
サンデー毎日、2015,9,27」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.3月に定年退職した。今、やり残したことは、京都大学に「熊取6人組」の後謎者を作らなかったことである。京都大学原子炉実験所には「熊取6人組」、いわば「悪党」のレッテルを貼られた科学者が私を含めて6人いた。いずれも原子力、原子炉の専門家である。国家が推進する原子力に対して全員が一致して「それでも原子力はダメだ」と抵抗してきた。
2.6人組は、原子力災害や放射能汚染など、原子力利用に伴うリスクを明らかにする研究を行ってきた。その成果を公表することで、原子力利用の是非を考える材料を提供してきた。来年3月になれば最後の一人、今中哲二助教が定年退職を迎え、熊取6人組という反原発の研究者集団は終焉を迎える。
3.原発は再稼働に向けて動き出しているが、6人組の終焉と同時に、大学の原子力専門家が作り上げた「抵抗の拠点」は失われることになる。かつて6人組に共鳴する京都大の同僚研究者もいたが、あえて仲間に引き込むことはしなかった。7人目の「悪党」になれば、
国家に盾突く研究者として苦しい立場に追い込まれるのは明白である。
4.6人組では誰一人として教授にはなれなかった。小出氏は助手として原子炉実験所に入り、助手(現在は助教と呼称)として41年間の教員生活を最底辺のまま終えた。思想信条によってポストや昇進が制限されるという弾圧は、確かにある。
5.福井地裁は今年4月、原子力規制委員会の安全審査に合格している関西電力高浜原発3、4号機の再稼働差し止めの仮処分決定を出したことは記憶に新しい。小出氏は「見事な決定だった」と声を弾ませた。
6.樋口英明裁判長が出した仮処分決定とは、福島第一原発事故後に策定された新規制基準に関して「合理性を欠く」と批判するものである。日本の司法はこれまで、原子力の問題においては「高度な科学技術に基づく」として行政の裁量権を認めてきた。だが、樋口裁判長は「行政の裁量権を認めれば司法の責任を放棄することと同義だ」との判断を示した。これまでの流れを根底から覆すものだった。司法が行政に追随した結果、福島第1原発の事故が起きたのであって、これまでの判断が間違いだったと証明された。「樋口判決」を鑑として、裁判所は変わらなければいけない。
7.一方で、鹿児島地裁は九州電力川内原発一号機の再稼働差し止めの仮処分申請を却下、8月11日に再稼働した。司法の流れは容易には変わらない。それでも、原告の住民側弁護団は即時抗告を行い、川内原発の再稼働差し止め問題は高裁で争われている。四国電力伊方原発の地元、愛媛県では中村時広知事が再稼働にいまだ同意していない。一人一人が立場や個性を生かし、やむにやまれぬ思いで自分にできることをなせば、その先には原発再稼働阻止と原子力の廃絶がある。「原発暴走」はまだ止められる。
8.長野県松本市に「終の棲家棲家」を求めた小出氏だが、その理由は、チェルノブイリ原発事故の医療支援に取り組んでいた菅谷昭市長の存在である。菅谷氏とは旧知の仲で、ベラルーシの国立甲状腺がんセンターで医療支援に従事していた当時の菅谷氏を訪ねたこともある。菅谷氏は、同国内で主に小児甲状腺がんの穀治療を行い、5年半の滞在後に帰国、04年に同市長に初当選した。菅谷氏を市長に選ぶ市民がいる松本に移住を決断した。退職したとはいえ、原子力緊急事態宣言が解除されていない今、何もせずにいるのではなく、原子力について蓄積してきた知識を用いて、できる限りのことを担いでいく。
消費者の立場から言えばば、送金コストが下がり、利便性が高まればよい。金融機関間の競争が不可欠、証券会社は不要になる。
「野ロ悠紀雄著:ビツトコイン技術が金融業を大きく変える、
週刊ダイヤモンド2015/09/19」が面白い。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.ビットコインの基礎技術が、いまアメリカの金融業を根底から変えようとしている。金融機関がビットコインに関心を持ったのは、2013年の末だった。当時は、仮想通貨の価格変動の大きさと投機的な側面に注目が集まったため、金融機関はビットコインにネガティブな評価を下していた。しかし、ビットコインに対するアメリカ金融業界の認識は、この1年間で大きく変わった。その潜仕力に対する.正当な認識が金融機関で急速に広まり、実験的な試みが行われるようになっている。
2.ビットコインは、われわれ自身のインフラを進化させる上で、重要な役割を果たす。ビットコイン技術の導入がどのような形で実現するかについては、人々の意見は異なるが、それが導入されることについて、意見の相違はない。この技術を使用するかどうか、ではなく、いつ使用するかで、数年はかかるという人もいるが、来年にも使われると期待する人もいる。
3.1年前には、ビットコインの主要な用途は、オンラインショップの買い物の決済だと考えられていた。コンピュータメーカーのデルやオンラインショップのオーパーストックが、決済にビットコインを導人すると発表したが、これに関心を示した消費者は少なかった。いま広がりつつある認識は、ビットコインは、単にオンライン購入のためのものではない、ということである。
4.金融業界の人々は、仮想通貨を実現させたソフトウェアは、もっと一般的に、オンライン取引を記録し、維持するための根本的に新しい方法を提供でき、それを応用すれば、コストの高い仲介者に頼らずに、送金.や金.融資産の取引ができる、ということである。
5.現在ビットコインに取り組んでいる金融機関は、仮想通貨の基盤技術であるブロックチェーン技術(ビットコインの取引を記録する台帳)に関心がある。台帳を公開する方式、その改ざんを防ぐ仕組みが、仮想通貨革命の本質である。
6.金融機関がブロックチェーンに関心を寄せる理由は、デジタルデータの管理方式が、データベースを用いる従来型の管理方式よりも透明性に富み、堅牢であり永続的であるからである。それを用いれば、ほぼ無料でマネーを瞬時に世界のどこにでも移動できる。また、誰でも取引データを参照できる。金融機関は、ブロックチェーン技術を、有価証券の管理や、決済システムの効率化と低コスト化、セキュリティの向上に利用できると考えている。
7.ビットコインの初期の信奉者は、マネーの移動が銀行に依存せず行えることに魅力を感じた。マネーが国家や金融機関の管理から離れて運営されることに、魅力を感じた。銀行という巨大組織がこの技術を支配することになれば世界は失望する。
8.消費者の立場から言えばば、送金コストが下がり、利便性が高まればよい。それを実現するには、金融機関間の競争が不可欠である。ナスダックが導入しようとするような仕組みが全ての証券収引に広がれば、証券会社は不要になる。銀行が送金・振替業務をブロックチェーン技術で行うようになれば、現在この業務に従事している人員が不要になる。
9.日本の対応の遅れが問題である。日本の金融機関は、アメリカの金融機関のようにこの問題に真剣に取り組んではいない。日本が遅れることになると、影響は甚大である。
週刊ダイヤモンド2015/09/19」が面白い。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.ビットコインの基礎技術が、いまアメリカの金融業を根底から変えようとしている。金融機関がビットコインに関心を持ったのは、2013年の末だった。当時は、仮想通貨の価格変動の大きさと投機的な側面に注目が集まったため、金融機関はビットコインにネガティブな評価を下していた。しかし、ビットコインに対するアメリカ金融業界の認識は、この1年間で大きく変わった。その潜仕力に対する.正当な認識が金融機関で急速に広まり、実験的な試みが行われるようになっている。
2.ビットコインは、われわれ自身のインフラを進化させる上で、重要な役割を果たす。ビットコイン技術の導入がどのような形で実現するかについては、人々の意見は異なるが、それが導入されることについて、意見の相違はない。この技術を使用するかどうか、ではなく、いつ使用するかで、数年はかかるという人もいるが、来年にも使われると期待する人もいる。
3.1年前には、ビットコインの主要な用途は、オンラインショップの買い物の決済だと考えられていた。コンピュータメーカーのデルやオンラインショップのオーパーストックが、決済にビットコインを導人すると発表したが、これに関心を示した消費者は少なかった。いま広がりつつある認識は、ビットコインは、単にオンライン購入のためのものではない、ということである。
4.金融業界の人々は、仮想通貨を実現させたソフトウェアは、もっと一般的に、オンライン取引を記録し、維持するための根本的に新しい方法を提供でき、それを応用すれば、コストの高い仲介者に頼らずに、送金.や金.融資産の取引ができる、ということである。
5.現在ビットコインに取り組んでいる金融機関は、仮想通貨の基盤技術であるブロックチェーン技術(ビットコインの取引を記録する台帳)に関心がある。台帳を公開する方式、その改ざんを防ぐ仕組みが、仮想通貨革命の本質である。
6.金融機関がブロックチェーンに関心を寄せる理由は、デジタルデータの管理方式が、データベースを用いる従来型の管理方式よりも透明性に富み、堅牢であり永続的であるからである。それを用いれば、ほぼ無料でマネーを瞬時に世界のどこにでも移動できる。また、誰でも取引データを参照できる。金融機関は、ブロックチェーン技術を、有価証券の管理や、決済システムの効率化と低コスト化、セキュリティの向上に利用できると考えている。
7.ビットコインの初期の信奉者は、マネーの移動が銀行に依存せず行えることに魅力を感じた。マネーが国家や金融機関の管理から離れて運営されることに、魅力を感じた。銀行という巨大組織がこの技術を支配することになれば世界は失望する。
8.消費者の立場から言えばば、送金コストが下がり、利便性が高まればよい。それを実現するには、金融機関間の競争が不可欠である。ナスダックが導入しようとするような仕組みが全ての証券収引に広がれば、証券会社は不要になる。銀行が送金・振替業務をブロックチェーン技術で行うようになれば、現在この業務に従事している人員が不要になる。
9.日本の対応の遅れが問題である。日本の金融機関は、アメリカの金融機関のようにこの問題に真剣に取り組んではいない。日本が遅れることになると、影響は甚大である。
国をつくり替えることを目指して、米軍が介入しても事態を悪化させる。それはアメリカがイラクで過去10年間にやってきたことでから明らである。
「ジヨナサン・ブローダー著:ISISを生んだのはブッシュかオバマか、
Newsweek 17 , 2015/09/15」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.ジエブ・ブッシユ元フロリダ州知事が市民対話集会の後、大学生のアイビー・ジードリックから質問された。テロ組織ISISの台頭は、米軍のイラク撤退を決めたバラク・オバマ大統領のせいだと非難したことに対して、ジードリックは、ISISはもっと早くに台頭していた、ジョージ・W・ブツンユ前大統領時代のイラク侵攻のせいだ、と異議を唱えた。
2.ジェブは、兄は米軍増派を実行しイラクに安定を取り戻した。オバマが米軍を残留させていたら安定は続いただろう、と反論。このやりとりは、来年の米大就領選の議論と同じである。悪名高いISISを誕生させたのは誰か。ほとんどの共和党候補は、オバマが悪い。オパマが大統領のときに、ISISの勢力拡大は起きた、と言う。
3.オバマ政権の当局者らは、ブッシュの失敗だ、と言う。ISIS隆盛の話はそれよりずっと複雑だと、元政府高官や中東専門家たちは指摘する。ブッシュにもオバマにもいくらか責任はあるが、イラクやシリア、トルコ、ペルシャ湾岸のイスラム教スンニ派諸国の指導者や支持者の助けがなければ、ISISはここまで強く、資金力のあるテロ組織にはなれなかった。米政府の反対を押し切って彼らがISISを支援したことは、中東地域におけるアメリカの影響力の限界を示した。
4.ブッシュとオバマ両政権時代に国家安全保障会議(NSC)のイラク担当責任者だったダグラス・オリバントは、「アメリカ人は脇役であって、主役ではない」と言う。ISISの前身であるイラク・アルカイダ機構は04年、アメリカのイラク占領に対抗する形で生まれた。ヨルダン人のアブ・ムサブ・アル・ザルカウィが率いるスンニ派のグループで、構成員の多くは不満を抱える元イラク兵だった。ブッシュ政権がイラク軍を解散させて、収入がなくなったからである。
5.ザルカウィらは米軍を追い出し、宗派間抗争をあおり、イラクにイスラムのカリフ(預言者ムハンマドの後継者)制国家をつくることを意図。自爆テロや簡易爆弾で米兵やシーア派のモスク(イスラム礼拝所)を攻撃した。
6.イラク・アルカイダ機構は早い時期に、いくつかの挫折を経験している。06年にはアメリカの空爆でザルカウィが死亡した。1年後、ブッシュ政権が米軍増派を決定。米軍は、原理主義的なザルカウィの考えに幻滅していたイラクのスンニ派と手を組んだ。08年までには、米軍増派とスンニ派の治安組織「覚醒評議会」によりアルカイダは隣国シリアに追い出され、イラクでの暴力はほぽ鎮まった。ブッシュ政権は、11年末まで米軍のイラク駐留を認める地位協定について交渉。米兵・軍属の免責特権が問題になりながら、イラク議会は協定を可決した。
7.オバマは駐留米軍のほとんどを帰国させる一方で、同様の協定締結を交渉。11年末を超えても、イラク兵の訓練などのために米兵5000人を残留させるためである。だがイラク国内の反対が強く、交渉は時間切れ。11年末までに米軍は全面撤退した。
8.その後まもなくして、シーア派であるヌーリ・マリキ首相がイラク国内のスンニ派に対し、宗派闘争を開始。政府高官を反逆罪で逮捕したり、国外追放したりした。アメリカの占領で保たれていた危うい宗派バランスが一変した。3年後、マリキはスンニ派を完全に排除した。そのためISISがシリア国境を越えてイラクに戻ってきたとき、スンニ派地域の一部ではシーア派への反感から、ISISを受け入れる声が上がった。
9.ブッシュ時代にNSCの中束・北アフリカ上級部長を務めたエリオット・エイブラムズは、「1万人規模の米兵を駐留させておけば、うまくいっていた可能性はずっと高かった」と述べたが、米軍がISISの台頭を止められたという考えを一笑に付す専門家もいる。「ISISが付け込んだイラクの宗派分裂は根深く、米軍が永遠にいても影響を受けるものではない」と、言う。
10.オバマ政権で駐イラク米大使を務めたジエームズ・ジェフリーとワシントンのシンクタンク「ニューアメリカ財団」の安全保障アナリストを務めるオリバントも同じ考えで、「オバマ大統領にもっとイラクに力を注いでほしいと思うが、あの国で起きていることは、彼の力ではもうどうにもできない」と言う。共和党の大統領候補たちもオバマはシリアのアサド政権への攻撃を「躊躇してきた」と非難している。
11.オバマ政権内部にいた人たちからも、シリア内戦が始まった当初、アメリカは穏健な反体制派を支持すべきだったという声が上がっている。まだISISなどの過激派の力が弱かった時期に手を打っておけばよかった、という。
12.国境を越えてシリアへと逃げたアルカイダの兵士らは「アルヌスラ戦線」に加わった。アルヌスラは12年までに、シリアの反体制派の中で中心的な役割を担なっていた。シーア派のイランがアサド政権を支持しているため、トルコやアラブ諸国のスンニ派の政治家や富豪たちは、シリア反体制派に資金や武器を供給し始めた。イラクから来た兵士はやがて、アルカイダ系とは異なる独自のアイデンティティーを確立し、自らを「イスラム国」と名乗り始めた。イラクとシリアの国境で通行料をふんだくり、油田を支配下に置くなどして資金を蓄えていった。
13.彼らはシリア反体制派の中で最も強力だっただけでなく、最も残虐なグループだった。「本家」のアルカイダから絶縁されたのも、捕虜の斬首など目に余る残忍性が理由である。米軍によるイラクとシリアでの空爆が始まってから1年がたつが、ISISはいまだ広範な領土を支配下に置いている。ISISを空爆することにより、アメリカは間接的にアサド政権を助けていると見る向きもある。
14.米海兵隊の元将校で、現在は対ISIS有志国連合の司令官役を務めるジョン・アレンは6月初め、イラクの領土を奪還するには、イランが訓練したシーア派民兵の力が必要だと発言した。一方、昨年まで駐シリア米国大使を務めていたロバート・フォード(オバマのシリア政策に反対して辞任〕は先頃、イランと協力すれば、ISISの思う壺であり、彼らの新兵勧誘を助けるだけだ、と警告している。フォードの分析は正しいかもしれない。だがオバマの擁護者たちは、複雑な中東地域の厳しい現実を指摘する。最近までオバマ政権のアドバイザーだった中東の専門家フィル・ゴードンは、「アメリカにはほかにいい選択肢がない」という記事を書いた。
15.国をつくり替えることを目指して、米軍が介入しても事態を悪化させる。それはアメリカがイラクで過去10年間にやってきたことでから明らである。イラク戦争で犯した間違いから学ぶべきは、共和党の大統領候補たちが無視したがっている教訓である。リンゼー・グラム上院議員は、イラクに米兵1万人を戻すことを約束。マルコ・ルビオ上院議員は、特殊部隊の配備を提案している。
16.ジェブ・ブッシュもISISとの戦いには米軍増派が必要だろう、と述べている。つまり、イラク兵を訓練するために米兵を450人増派するというオバマの政策をはっきり支持している候補者は、事実上いない。
17.しかし世論はオバマ寄りで、中東の戦争から早く引き揚げたいと思っている。3月に行われた世論調査では、過半数がISISに対する空爆を支持したものの、大規模な派兵については否定的な人が多かった。
18.9・11以来、国内で大きなテロ攻撃は起きていないし、イランとの核協議も一定の進展があるなか、米国民はジヨージ・W・ブッシユのような好戦的な大統領は2度とごめんと思っている。彼の弟ジェブに対しても、他の候補者でも同じである。「私たちはまだイラク戦争のショックから立ち直っていない」とオリバントは言う。大統領選候補者が、また戦争に足を突っ込むことを訴えて、それを国民が受け入れるとは思えない。
Newsweek 17 , 2015/09/15」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.ジエブ・ブッシユ元フロリダ州知事が市民対話集会の後、大学生のアイビー・ジードリックから質問された。テロ組織ISISの台頭は、米軍のイラク撤退を決めたバラク・オバマ大統領のせいだと非難したことに対して、ジードリックは、ISISはもっと早くに台頭していた、ジョージ・W・ブツンユ前大統領時代のイラク侵攻のせいだ、と異議を唱えた。
2.ジェブは、兄は米軍増派を実行しイラクに安定を取り戻した。オバマが米軍を残留させていたら安定は続いただろう、と反論。このやりとりは、来年の米大就領選の議論と同じである。悪名高いISISを誕生させたのは誰か。ほとんどの共和党候補は、オバマが悪い。オパマが大統領のときに、ISISの勢力拡大は起きた、と言う。
3.オバマ政権の当局者らは、ブッシュの失敗だ、と言う。ISIS隆盛の話はそれよりずっと複雑だと、元政府高官や中東専門家たちは指摘する。ブッシュにもオバマにもいくらか責任はあるが、イラクやシリア、トルコ、ペルシャ湾岸のイスラム教スンニ派諸国の指導者や支持者の助けがなければ、ISISはここまで強く、資金力のあるテロ組織にはなれなかった。米政府の反対を押し切って彼らがISISを支援したことは、中東地域におけるアメリカの影響力の限界を示した。
4.ブッシュとオバマ両政権時代に国家安全保障会議(NSC)のイラク担当責任者だったダグラス・オリバントは、「アメリカ人は脇役であって、主役ではない」と言う。ISISの前身であるイラク・アルカイダ機構は04年、アメリカのイラク占領に対抗する形で生まれた。ヨルダン人のアブ・ムサブ・アル・ザルカウィが率いるスンニ派のグループで、構成員の多くは不満を抱える元イラク兵だった。ブッシュ政権がイラク軍を解散させて、収入がなくなったからである。
5.ザルカウィらは米軍を追い出し、宗派間抗争をあおり、イラクにイスラムのカリフ(預言者ムハンマドの後継者)制国家をつくることを意図。自爆テロや簡易爆弾で米兵やシーア派のモスク(イスラム礼拝所)を攻撃した。
6.イラク・アルカイダ機構は早い時期に、いくつかの挫折を経験している。06年にはアメリカの空爆でザルカウィが死亡した。1年後、ブッシュ政権が米軍増派を決定。米軍は、原理主義的なザルカウィの考えに幻滅していたイラクのスンニ派と手を組んだ。08年までには、米軍増派とスンニ派の治安組織「覚醒評議会」によりアルカイダは隣国シリアに追い出され、イラクでの暴力はほぽ鎮まった。ブッシュ政権は、11年末まで米軍のイラク駐留を認める地位協定について交渉。米兵・軍属の免責特権が問題になりながら、イラク議会は協定を可決した。
7.オバマは駐留米軍のほとんどを帰国させる一方で、同様の協定締結を交渉。11年末を超えても、イラク兵の訓練などのために米兵5000人を残留させるためである。だがイラク国内の反対が強く、交渉は時間切れ。11年末までに米軍は全面撤退した。
8.その後まもなくして、シーア派であるヌーリ・マリキ首相がイラク国内のスンニ派に対し、宗派闘争を開始。政府高官を反逆罪で逮捕したり、国外追放したりした。アメリカの占領で保たれていた危うい宗派バランスが一変した。3年後、マリキはスンニ派を完全に排除した。そのためISISがシリア国境を越えてイラクに戻ってきたとき、スンニ派地域の一部ではシーア派への反感から、ISISを受け入れる声が上がった。
9.ブッシュ時代にNSCの中束・北アフリカ上級部長を務めたエリオット・エイブラムズは、「1万人規模の米兵を駐留させておけば、うまくいっていた可能性はずっと高かった」と述べたが、米軍がISISの台頭を止められたという考えを一笑に付す専門家もいる。「ISISが付け込んだイラクの宗派分裂は根深く、米軍が永遠にいても影響を受けるものではない」と、言う。
10.オバマ政権で駐イラク米大使を務めたジエームズ・ジェフリーとワシントンのシンクタンク「ニューアメリカ財団」の安全保障アナリストを務めるオリバントも同じ考えで、「オバマ大統領にもっとイラクに力を注いでほしいと思うが、あの国で起きていることは、彼の力ではもうどうにもできない」と言う。共和党の大統領候補たちもオバマはシリアのアサド政権への攻撃を「躊躇してきた」と非難している。
11.オバマ政権内部にいた人たちからも、シリア内戦が始まった当初、アメリカは穏健な反体制派を支持すべきだったという声が上がっている。まだISISなどの過激派の力が弱かった時期に手を打っておけばよかった、という。
12.国境を越えてシリアへと逃げたアルカイダの兵士らは「アルヌスラ戦線」に加わった。アルヌスラは12年までに、シリアの反体制派の中で中心的な役割を担なっていた。シーア派のイランがアサド政権を支持しているため、トルコやアラブ諸国のスンニ派の政治家や富豪たちは、シリア反体制派に資金や武器を供給し始めた。イラクから来た兵士はやがて、アルカイダ系とは異なる独自のアイデンティティーを確立し、自らを「イスラム国」と名乗り始めた。イラクとシリアの国境で通行料をふんだくり、油田を支配下に置くなどして資金を蓄えていった。
13.彼らはシリア反体制派の中で最も強力だっただけでなく、最も残虐なグループだった。「本家」のアルカイダから絶縁されたのも、捕虜の斬首など目に余る残忍性が理由である。米軍によるイラクとシリアでの空爆が始まってから1年がたつが、ISISはいまだ広範な領土を支配下に置いている。ISISを空爆することにより、アメリカは間接的にアサド政権を助けていると見る向きもある。
14.米海兵隊の元将校で、現在は対ISIS有志国連合の司令官役を務めるジョン・アレンは6月初め、イラクの領土を奪還するには、イランが訓練したシーア派民兵の力が必要だと発言した。一方、昨年まで駐シリア米国大使を務めていたロバート・フォード(オバマのシリア政策に反対して辞任〕は先頃、イランと協力すれば、ISISの思う壺であり、彼らの新兵勧誘を助けるだけだ、と警告している。フォードの分析は正しいかもしれない。だがオバマの擁護者たちは、複雑な中東地域の厳しい現実を指摘する。最近までオバマ政権のアドバイザーだった中東の専門家フィル・ゴードンは、「アメリカにはほかにいい選択肢がない」という記事を書いた。
15.国をつくり替えることを目指して、米軍が介入しても事態を悪化させる。それはアメリカがイラクで過去10年間にやってきたことでから明らである。イラク戦争で犯した間違いから学ぶべきは、共和党の大統領候補たちが無視したがっている教訓である。リンゼー・グラム上院議員は、イラクに米兵1万人を戻すことを約束。マルコ・ルビオ上院議員は、特殊部隊の配備を提案している。
16.ジェブ・ブッシュもISISとの戦いには米軍増派が必要だろう、と述べている。つまり、イラク兵を訓練するために米兵を450人増派するというオバマの政策をはっきり支持している候補者は、事実上いない。
17.しかし世論はオバマ寄りで、中東の戦争から早く引き揚げたいと思っている。3月に行われた世論調査では、過半数がISISに対する空爆を支持したものの、大規模な派兵については否定的な人が多かった。
18.9・11以来、国内で大きなテロ攻撃は起きていないし、イランとの核協議も一定の進展があるなか、米国民はジヨージ・W・ブッシユのような好戦的な大統領は2度とごめんと思っている。彼の弟ジェブに対しても、他の候補者でも同じである。「私たちはまだイラク戦争のショックから立ち直っていない」とオリバントは言う。大統領選候補者が、また戦争に足を突っ込むことを訴えて、それを国民が受け入れるとは思えない。