2017年02月

2017年02月28日

破廉恥

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国有地を不当に払い下げ
森友学園の教育内容
幼稚園児が領土問題や安保法制
安倍首相がんばれ
日本を悪者として扱う中国や韓国に負けないように
歴史教育でウソを教えないようにお願いいたします
名誉校長を辞任した昭恵夫人
教育勅語を園児に暗唱させ
偏った教育
黒い仕掛け
政治問題にも発展

yuji5327 at 06:57 

日本国内しか意識していない紙面作りで失格。狭い永田町のゴシップで政治面を作るというような安易なことは許されない。ジャーナリズムのレベルは一般社会よりも低い。

「田勢康弘著:
政治ジャーナリズムの罪と罰、新潮社、1994年」は20年前の本であるが、今読んでも面白い、「8章:日本の新聞がおもしろくない理由」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。理山
1.ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、インディペンデント、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンなどの欧米新聞を読むと、はっとするような素晴らしい記事に出会う。
2.わが国の新聞記事には胸がときめくような記事がない。指摘しなければならないのは記者クラブを軸にした取材・執筆活動が変化していないことである。イギリスの高級紙インディペンデントは創刊にあたって、記者クラブ的なニュース発表を受け入れない、と言った。
3.素晴らしい記事とは、豊富な取材に裏打ちされたコクのある解説記事である。センセーショナルではなく、抑え目の表現ながら、期待しているものが発揮されていなければならない。日本の新聞はよく読むが、ニューヨークタイムズやインディペンデントを読むときに感じる胸のときめきがまったくない。見出しを見て、本文を10行ほど読めば、その記事がすべて理解できてしまう。
4.記者会見への依存度を低くすれば低くするほど、記者はもっと一生懸命働かなければならなくなる。記者個人のニュースソースを確保し、その関係を育てて、もつと記者本来の仕事をしなければならない。記者クラブ制度の弊害が叫ばれて久しいが、その多くは外国プレスなどを締め出していることの、閉鎖性を問題にしている。記者クラブ制度は所属する記者にとっては便利このうえもないが、取材の姿勢がどうしても受け身になる。
5.わが国の一線の記者の経験の乏しさが問題である。ホワイトハウスには、20ぐらい政治を担当している大物記者が多く、地方のメディアを出発点に激しい競争を勝ち抜いた者ばかりで、大統領の記者会見では真っ先に質問する。
6.日本の主要な政治記者は、他社の経験もなく、自民党担当記者なら、自民党幹部と共通の世界で、仲間内のような価値観で取材や執筆にあたる。記者クラブに依存しない記事を書く新聞や記者がふえれば、新聞記事に多様性が出てくることは間違いない。外国の記者の経歴を見ただけでも様々な経験を積んでいる。終身雇用、年功序列の日本の新聞界とは大きな違いである。わが国の政治記者がどのようにして育てられるかと比較すると、両国のジャーナリズムの本質的な違いがわかる。
7.新聞記者が一般に不勉強なのは、入社当初の警察回りの経験によるものである。この世界は一種の徒弟社会で、序列がものをいう。しかも、「頭ではなく足で書け」などと先輩記者がたたき込むものだから、物も考えず、本も読まない記者たちが異常発生した。最初に配属された支局の支局長やキャップとの人間関係が、その後のジャーナリスト生活に大きな影響を与える。支局長と折り合いが悪かったりすれば、前途は真っ暗で、やむなく支局長やキャップの受けをねらった記事を書いたりするようになると、ジャーナリストとしては、この段階で早くも落伍者である。
8.テレビで首相が官邸の門を入ってくる場面で、周りに20代後半から30代初めの若い記者たちがまつわりついているが、朝から晩まで金魚の糞のように首相について歩く。官邸詰めを1、2年で、今度は官庁担当や野党担当などになる。いつになってもキャップの指示がなければ、好きな取材もできなければ、好きな記事も書けない。そのうち自民党担当になり、主流派閥を受け持つ記者になる。政治状況全体を見渡すような訓練などまったくされないまま、10年もすればデスクになって本社へ上がる。この定番コースでは、国際感覚など磨く機会がない。
9.新聞社の政治部と経済部はまったく別の組織で、日本のような経済大国で、政治記者が経済の知識をまったくもたない、毎日、雑巾のように疲れ切って、本を読む時間も気力もない。政治記者を10年ほどやっても、あとには何も残らない。
10.日本の新聞は署名記事が極端に少ない。だれが書いたかわからない記事を評価するのは難しい。評価することの意味があまりない。つまり、アメリカでは読者の支持や客観的な評価が報酬に結び付く。評価が低ければ担当を変えられる。
11.日本のジャーナリズムに競争関係が成立しないのは、日本語の特殊性がある。アメリカの新聞は発行部数も数十万単位だし、基本的にはローカル紙だが、言葉が英語であり、世界中で読まれ、評価が下される。読者のほうにも記事を吟味する能力がないし、記者クラブ制度に依存した記事が多いから、表現は違っても、ほとんど同じような記事が同じ日に掲載されているので、内容をめぐる競争関係は成り立たない。
12.記者同士の競争もないわけではないが、どこの企業にでもある出世競争と大差がなく、ジャーナリストとしての競争の域には達していない。外国の評価を得るところまでは至っていない。世界中で読まれることになれば、日本国内しか意識していないいまの紙面作りではやっていけない。狭い永田町のゴシップで政治面を作るというような安易なことは許されない。ジャーナリズムのレベルは一般社会よりも低い


yuji5327 at 06:36 
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2017年02月27日

北の国家犯罪

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金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長
異母兄、金正男(キムジョンナム)氏殺害事件
猛毒の神経剤VXを使った毒殺
北朝鮮が化学兵器としてVXを開発・保有
大使館員らを含む北朝鮮国籍8人以上関与
北朝鮮の国家犯罪
少量で持ち込まれた場合
探知するのは難しい
マレーシア人の30代男性
マンションで液体の残留物を押収
リ・ジョンチョル容疑者=マレーシア在住
化学の専門家。

yuji5327 at 06:56 
池上湖心の書 

風邪の拡大を防ぐには、汚染された物体表面の消毒である。風邪ウイルスは大勢の人が手を触れる物の表面、プラスチックなど硬質で非多孔質の物質表面を好む。

「ジェニファー・アッカーマン著、鍛原多恵子訳
かぜの科学―もっとも身近な病の生態
ジェニファー アッカーマン
早川書房
2011-02

:かぜの科学、もっとも身近な病の生態、早川書房、2011年」は参考になる。「第8章:ひかぬが勝ち」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.アルコールはおそらく最古の殺菌剤である。この名称はアラビア語で「アル・クフル」に由来する。古代エジプト人は新生児の眼の感染症治療に「アル・クフル」を用いた。アルコールの殺菌作用は、微生物の蛋白質を変質させ、一部のウイルスの外被を構成する脂質を溶解する能力から生まれる。しかし手指消毒液は一般にウイルスより細菌に効力がある。また外被に脂質を含有しないライノウイルスより、外被に脂質を含有するインフルエンザウイルスやRSウイルスに有効である。問題はライノウイルスが1個の粒子でも感染を起こせることである。したがって風邪の予防にはウイルス全滅が前提となり、エタノール含有量が62%しかない大半の手指消毒剤ではこの目的は果たせない。さらにアルコールはウイルスの一部を「殺す」けれども、その効力は長続きしない。
2.ロナルド・ターナーは持続力のある抗ウイルスローションの開発に挑んでいる。彼が開発を目指す手指消毒液は、アルコールのほかに、手のPH値を下げてライノウイルスが棲みづらい環境にする有機酸の混合物を含むものである。2005年にターナーらのチームが行なった臨床試験では、ボランティアの手指にローションをつけて乾燥させた。しかるのちに、各ボランティアの手指をライノウイルスの粒子100個で汚染し、鼻をほじったり眼をこすったりして自己接種してもらった。ローションは接触時にライノウイルスを殺しただけでなく、つけてから数時間後でも効力があった。誰一人風邪をひかなかった。
3.注意を要するのは、ボランティアが汚染と自己接種のあいだ四時間も両手を空中に維持したまま座っていたことである。これはけっして楽な姿勢ではない。こうしたローションによって実際にウイルスの蔓延は食い止められるのだろうか不明である。現実の世界では、人びとは手を揉み、キーを叩き、電話を握りしめ、地下鉄の手すりにつかまる。
4.風邪の拡大を防ぐ一つの考え方は、汚染された物体表面の消毒である。風邪ウイルスは大勢の人が手を触れる物の表面に付着する性質がある。とりわけプラスチック、ステンレスその他の硬質で非多孔質の物質表面を好む。たとえば、ドアノブ、階段の手すり、テレビなどのリモコン、電話、照明スイッチなどである。まだ物体表面を清潔に保つ良い方法にたどり着いてはいない。濡れた布でふくのはウイルスを広げる危険性がある。
5.もし家族の一人が風邪をひいたら、手近にあるものを何でも利用してみんなが頻繁に触る場所をきれいにする。一般家庭にある洗浄液なら、どれを使っても、念入りに洗浄すれば機械的にウイルスを取り除いてくれる。
6. いちばん大事なことは健康全般に留意するということである。野菜や果物を多くとり、よく寝て、体をよく動かすことである。家庭の各部屋の扉の外にアルコール手指消毒液のボトルを置き、部屋に出入りするたびに使う。
7.自分の手を意識して顔に近づけないように注意する。家に入るたびに手を洗う。くしゃみはティッシュの中にして捨てるか、顔を袖に当ててする。小児科に行くときは午前中の早いうちに予約する。自分の家のおもちゃや書物を持参する。スポーツジムで仲間からウイルスをもらわないようにするには、トレーニング中に自分の顔を触らないようにし、ジムを利用する前後と運動器具交換時に石鹸と湯で手を洗う。


yuji5327 at 06:44 
健康 

2017年02月26日

小池旋風

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都議会自民党の実力者
内田茂都議(77)が都議選不出馬表明
過去に脳梗塞で手術
政界は引退しない
都議会自民統率が取れなくなる。


yuji5327 at 06:45 
池上湖心の書 

インドが大きく飛躍するのは、1991年の新経済政策実行のあと。目的は、生産性の向上・雇用の拡大、人的資源の最適配分にるグローバル経営だった。

「榊原英資著:
インド・アズ・ナンバーワン 中国を超えるパワーの源泉、朝日新聞出版、2011年」は参考になる。「第2章 インドの経済と産業」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.インド経済の成長率は1980年代から90年代にかけて加速し、現在は年率8〜9%の成長が可能である。インドの経済成長の形は他の新興市場国とはかなり異なる。それは、成長を引っ張っているのが必ずしも製造業ではなくIT(情報技術)を中心とするサービス業であり、また、政治経済システムは民主的である。
2.多くの新興市場国が開発独裁というパターンをとっているが、民主主義的な政治のもとでは平等や再分配が重視されるので物事を決めるのに時閲がかかるが、インドはその中で成長してきた。新興市場国中国が共産党独裁体制のもとにあるのと対照的である。
3.1947年に独立するまでの70年間(1877〜1947年)のイギリスの植民地支配は、インド経済のあらゆる分野に大きな影響をもたらした。イギリスがインドを植民地にする前は、農業がインド経済の中心だった。一方で、インドは手工業製品や綿絹、宝石等、職人芸が生み出す製品の輸出国でもあった。その頃、農業主体の経済は、ザミンダーリー制という、少数の地主(ザミンダール)が土地を所有し、そこに多くの小作農が働くという形で行われていた。
4.この制度では利益は地主のものとなり、小作農の経済状況は惨憺たるもので、技術レベルは低く、灌概施設もなく、肥料もほとんど使わなかったので農業生産性は低く、商品化されたものはイギリス資本によって輸出された。植民地時代の特徴の一つは、インドが輸出超過だったことだが、輸出超過は植民地経営の経費に消え、インド人たちの生活の改善にはつながらなかった。
5.穀物・衣類・灯油等が不足し、鉄道網等のインフラ設備も老朽化していた。独立当時のインド政府の課題は膨大かつ困難なもので、ネルー首相、そして1966年に彼に代わったインデイラ・ガンジー首相は社会主義経済を志向し、5カ年計画を積み重ね、重工業化や中小企業の育成を図ったが、大企業の活動を規制し、外国資本に厳しいその政策はあまりにも「政治的」で非効率性を拡大し、生産性を大幅に低下させた。インド政府が外国籍企業の外貨保有率を40%以下に抑えたために、コカ・コーラやIBM等の外国籍企業は操業を停止し、インドから撤退した。
6.1965年のインド・パキスタン戦争でアメリカがパキスタン側につき、インドから海外援助を引き揚げたこともあって、インドは金融危機に追い込まれ、結果的にソビエト連邦との緊密化やインドの経済政策の社会主義への傾倒につながった。この時期のインドの経済はよくないく、その成長率はアジアの平均を大きく下回っていた。
7.インドの政治・経済の転換は1980年代に始められた。政治面では、1984年に「鉄の女」といわれたインディラ・ガンジー首相が暗殺され、その息子ラジヴ・ガンジーが後を受け継ぎます。ラジヴ・ガンジーは歴代最年少の首相であったと同時に、独立後のインドで成長し、近代的な考え方を身につけた最初の首相だった。
8.ラジヴ・ガンジーは政府割り当てや輸入許可といった社会主義的許認可行政を改め、国内市場における競争や技術改新を強化し、産業の近代化の必要を唱えた。、彼は、ソビエト連邦から距離を置き、対米関係の改善にも努めた。また、政府は産業自由化への取り組みを強化し、大企業の許認可や規制の緩和を実行している。1985〜86年には、独禁法の制約を受ける企業の上限が5倍(2億ルピーから10億ルビー)に緩和され、同法の対象となる大企業が180から90に半減した。
9.同時に貿易の自由化も行われ、輸入に関する許認可の合理化も行われた。輸入品は輸入禁止・輸入制限・包括輸入の3つのカテゴリーに分類され、OGLの品目では許認可が一切なくなった。他方で政府は輸出促進策を進め、輸出金融の利子に対する補助、物品税の免除、輸出加工地域の造成等を行なった。自由化政策の結果、経済成長率も大きく上昇し、1988年度から90年度には平均年率7.6%のGDP(国内総生産)の成長率を達成した。こうした80年代の改革は新経済政策(NEP)によって大きく変革していく90年代への布石となった。
10.インドが大きく飛躍するのは、1991年の新経済政策実行のあとである。1991年の新経済政策の目的は、生産性の向上・雇用の拡大、人的資源の最適配分によって、国際競争力を高め、インドをグローバル経営の主要なプレーヤにすることだった。民間企業に対する許認可制はごく一部の例外を除いて廃止され、例外も徐々に減っていき、独禁法の規制も撤廃された。
11.公共セクターの独占も一部例外を除いて多くの分野で見られなくなり、例外の対象も縮少した。海外投資では、外貨保有率の40%制限が廃止され、51%未満の場合には自動的に海外直接投資の許可が下りるようになった。国の独占だった重工業についても、軍事用飛行機や武器・原子力発電・鉄道輸送の主要3分野を除き開放された。許認可や更改を通じた「許認可による統治」は過去のものになった。


yuji5327 at 06:34 
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2017年02月25日

39光年先の星に生命

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生命の存在が可能な惑星
ハビタブル惑星
NASAは地球から39光年先の赤色矮星
7つの地球サイズの系外惑星
ヨーロッパ南天天文台の超大型望遠鏡(VLT)
NASAのスピッツァー宇宙望遠鏡
水の海が存在する可能性
宇宙人がいてもおかしくない


yuji5327 at 09:31 
新技術 

農民工たちは出稼ぎ労働者で、安定した職業はなく、満足のいく生活基盤もない。過酷な肉体労働で、さまざまな差別も受けている。都市部に住む人々から汚いと日頃から蔑まれている。

「石平著:
暴走を始めた中国2億6000万人の現代流民、講談社、2015年」は面白い。「序章断末魔の中国経済」の印象に残った部分の続きを自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.近年の中国で発生した暴動事件は、その多くが農民工、つまり農村から都市部に出稼ぎのために流れてきた人間たちによるものだった。彼らこそ中国の治安を脅かす「火種」で、暴動という行為に走りやすい人々の集団が「農民工」である。農民工たちが「暴動者予備群」ではなく、暴動という手段に訴えるのも仕方がない面がある。
2.都会に住んでいる普通の市民たちは、安定した職業があり、収入もある。そう不満を抱いていないから、暴動を起こすようなことはないが農民工たちは、そうではない。出稼ぎ労働者である彼らには、安定した職業はなく、満足のいく生活基盤もない。仕事といえば、もっぱら過酷な肉体労働で、さまざまな差別も受けている。服装も決して綺麗とはいえない彼らは、都市部に住む人々から「汚い」「貧しい」と日頃から蔑まれている存在である。
3.農民工たちは、発展を続けてきた中国を安価な労働力として支える存在であると同時に、社会の最底辺に置き去りにされた人々である。そんな彼らが、自分たちの境遇について強い不満を抱いたとしても、決して不思議なことではない。彼らの胸中には、強い憤りと憎しみが常に渦を巻いている。農民工たちによる暴動彼らは現在の中国の秩序、すなわち共産党首脳部が守りたいものを覆す可能性を秘めている。その究極のパターンは「革命」に近いものであり、政府、共産党体制の打倒である。
4.中国の農民工たちの厳しい生活ぶりの例として、広州市花都区にある「永安不銹鋼」というステンレス鋼を生産する企業では、勤務中に労働災害に遭い、6人の農民工が負傷している。しかも、足の指が切断されたり、失明したりという重傷だったが、彼らに対して会社からの賠償はなかった。
5.体が不自由となった彼らは工場で働くことができず、再就職先も見つからない。路頭に迷いながら、企業の永安不銃鋼を相手に賠償を求める活動を続けるしかなかった。そのなかの一人である趙小兵さんは、2011年に大怪我をした。趙さんはその日、午前8時から工場で働いており、あまりの疲労で集中力を失った。そして右手の手のひらが機械に巻き込まれ、中指と薬指がそのまま切断された。
6.もう一人の農民工・藍家順さんの場合も勤務中に居眠りした瞬間、左手が機械に吸い込まれて小指以外の四本の指が押しつぶされた。居眠りをしたのは、ひどい過労からで、毎日13時間以上も現場で働き、休めたのは月に1日だけ。いつも寝不足の状態だから、ちょっと気を緩めただけで居眠りしてしまう。それほど長い時間、働かなければならなかったのは、広州では物価が高く、食費だけでもバカにならない。精一杯働かなければ、稼いだ給料が自分の食い扶持だけに消えしてしまう。田舎にいる家族に送金するために必死に働くしかない。
7.尉国慶さんの場合、労働災害に遭ったのは工場に入って18日目だった。新人として工場に入ったその日から、2台の機械の操作を命じられた。2012年のある日、止まってしまった機械の歯車を鉄棒で調整しようとした際に、歯車が突然、猛スピードで動き出し、その反動で、手に持った鉄棒の先が飛んできて、彼の顔面を直撃し左目は潰された。このとき彼はまだ19歳という若さだったが、企業側は賠償を行わなかった。、「臨時工」と呼ばれる非正規雇用者だったからで、労働保険にも入っていないから、労働災害に遭っても金銭上の補償が何もなかった。生活のあても、未来への希望を失い、職場を追われた農民工が、犯罪に手を染めてしまうこともある。
8.2012年には、重慶市雲陽県から広州市にある玩具工場に出稼ぎに来ていた孫阿鳳さんという女性が、42歳で亡くなっている。彼女の旦那さんは肝臓の病気を患って家で長期療養しており、彼女は一人で広州に出て働き、一家を扶養しながら旦那さんの医療費も稼がなければならなかった。中国では多くの人々が医療保険に加入していないので医薬品も高額になる。




yuji5327 at 09:20 
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2017年02月24日

北の国家犯罪

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金正恩(キム・ジョンウン)委員長の異母兄、
金正男(キム・ジョンナム)氏の殺害事件
北朝鮮が組織的に関わる「国家犯罪」の疑い
在マレーシア北朝鮮大使館の2等書記官
北朝鮮の高麗航空職員が関与
犯行を主導した
指名手配済みの北朝鮮籍の男4人
入念に準備された計画的犯行
北朝鮮は「遺体は外交旅券を持つキム・チョル」
との立場


yuji5327 at 06:52 
池上湖心の書 

中国の成長は製造業の発展という伝統的な経済成長モデルによるものだが、インドは既存のやり方とは異なるサービス業主導の成長を体現してきた。

「榊原英資著:
インド・アズ・ナンバーワン 中国を超えるパワーの源泉、朝日新聞出版、2011年」は参考になる。「第2章 インドの経済と産業」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.1991年の改革では、資本財と中間財を除く全品目について、輸入の許認可制が廃止された。最高関税率は45%にまで引き下げられ、平均関税率は25%に低下しました。現在では、環境・健康・防衛等の理由で許可されないものを除き、許認可はほぼ廃止された。1990年代の貿易自由化は、まず輸入量規制の廃止、そして関税制から関税の引き下げへと進んでいった。
2.輸出についても自由化され、輸出規制品目は大きく削減された。海外直接投資でも、ここ10年来、規制の自由化が顕著に進んでいる。現在、政府は、多くの分野で100%の海外投資を自動承認しており、その例外は限られている。
3.経済改革は産業政策や貿易政策だけではなく、農業分野にも及んでいる。保護主義の後退とルピーの切り下げは、農業分野の輸出を促進した。世界全体の農業輸出でインドのシェアは改革前の10年問には縮小が見られたのに対し、1990年から99年にかけては1.1%から1.9%に上昇している。
4.1990年代初頭、インドは大きい経常収支赤字、大きい財政赤字、対外債務の増加に悩まされ、外的ショヅクに脆弱な状況だったが、IT部門の躍進等もあり、その後見事な回復を遂げている。1990年代には連立政権が誕生したが、この間、政権政党の構成に関係なく改革が進展したという事実は、規制型の経済体制から自由主義型体制への転換について政治的コンセンサスが成立したことを意味している。
5.1990年代の改革は現在のインド経済の基礎になり、成長や新しいチャンスへの扉を開いた。その10年後、2000年代前半のインドは、いわゆる「輝けるインド」と語られることになった。
6.インドはもう一つの新興市場大国・中国とは全く異なる方法で経済成長を実現してきた。中国の成長は製造業の発展という伝統的な経済成長モデルによるものだが、インドは既存のやり方とは異なるサービス業主導の成長を体現してきた。
7.人口の多くがまず農業で生計を立て、続いて労働集約型の製造業に移り、最後にサービス業に移るというのが、これまでの経済発展のパターンだった。しかし、インドでは製造業が足場を築く前にサービス業が拡大し、GDPの最大の貢献者となっていった。インド経済の構成におけるサービス業のシェアは絶えず上昇を続け、1990年代以降は農業を上回っている。
8.サービス業は、21世紀初頭には50%を占め、今や60%を超えるシェアを持つ。それに対して、製造業は全体のGDPの成長率なみの成長はしているが、シェアは圧倒的に少ない。今世紀に入る頃に農業部門のシェアを上回るようになったが、ここ10年ほどはサービス業のシェア伸長の影響で、むしろインド経済全体における位置づけが下がっている。この点から、インド経済はサービス業が牽引する経済という特徴がある。


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池上技術士事務所の紹介
261-0012
千葉市美浜区
磯辺6丁目1-8-204

池上技術士事務所(代表:池上雄二)の事業内容
以下のテーマの技術コンサルタント
1.公害問題、生活環境、地球環境
2.省エネ・新エネ機器導入
のテーマについて、
・技術コンサルタント
・調査報告書の作成
・アンケート調査・分析
・技術翻訳、特許調査
を承ります。
有償、無償を問わず
お気軽に下記にメールをください。
ke8y-ikgm@asahi-net.or.jp

工学博士、技術士(応用理学)、
公害防止主任管理者、
騒音防止管理者の資格で
お役に立ちたいと思います。

池上湖心 プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山に師事
書象会に所属、書象会理事
審査会々員
○作品展の開催
・主宰している「さざ波会」
 作品展を毎年8月開催
(於:稲毛ギャラリー)
・土曜会(グループ展)
 作品展を毎年10月開催
(於:銀座大黒屋)
○公募展の受賞、入選
・日展入選
(平成28年度、国立新美術館にて開催)
・読売書法展(8月開催、現在理事)
 読売奨励賞
 読売新聞社賞
・謙慎展(3月開催、現在理事)
 春興賞の受賞:2回
○書道教室
・学生:月曜日
・一般:火曜日、水曜日





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