2019年01月

2019年01月26日

平成の価値観

IMG_20180106_0004
集団主義的な体制
日本が敗れる原因
平成不況第二の敗戦
経営者も政治家もサラリーマン化
平成には田舎育ちの保守政治家が消え
焼け跡からの復興でたたき上げられてきた世代
戦後の都会の空気の中で育った人
筋の通らぬ思考パターン

yuji5327 at 06:58 
池上湖心の書 

社会の緩やかな崩壊は、最も恐ろしい病だ。気が付かないうちに社会が変わってしまう。今の日本は、そのような状況に向かって漂流を続けている。


「野口悠紀雄著:ふるさと納税に見る基本的判断力の喪失、週刊ダイヤモンド、2019.01.26」は参考になる。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.ある集まりで、ふるさと納税を話題にし、「税の基本原則と地方自治の原則にもとる。地方財政を崩壊させる」と言ったところ、これを望ましい制度だとする意見が出たので、仰天してしまった。この問題については、これまでも友人などと話す機会があった。彼らの中にも、「妙な制度だとは思うが、地方に財源が乏しいから、それを是正するためには、やむを得ないだろう」という意見があった。
2.しかし、うさんくさい制度だという共通認識はあったが、これを積極的に進めるべきだとの意見が出たので驚いた。そこでこの問題について世間で行われている論議をあらためて振り返ると、批判の対象は多額の返礼品である。つまり、問題は制度の運用であり、制度の基本だとは考えられていない。
3.「ふるさと納税制度そのものが税の基本原則を侵しており、これが社会の基本に関わる聞題だ」という議論はない。むしろ、「地域間の財源の偏りをなくす制度として望ましいものだ」と考えている人が多い。しかし、この老えは誤りである。ふるさと納税がなぜ正当化できない制度なのか、については、「ダイヤモンド・オンライン」で書いた(「ふるさと納税は日本人の崇高な『寄付精神』を破壊する」、2018年9月20日)。要点を繰り返せば、次の通りである。ふるさと納税の基本的な問題は、寄付のほぼ全額について税額控除を認めていることだ。つまり、寄付者にとって、事実上負担にならないことである。
4.このため、住民税の納付者は、負担なしにその納付者は、負担なしにその納付者は、負担なしにその納付先を自由に決めることができる。租税法定主義は、租税が法律で決められねばならないとする。これは、支配者が恣意的に税を課すことを制限するための仕組みである。ただし、それだけではなく、この立場からすれば、個々の納税者が自らの判断で税の使途を決めることも認められないものと考えられる。税制を決めるのは、議会なのである。ふるさと納税は、この原則を破っている。これは税制の基本原則である租税法定主義からの逸脱である。
5.この問題にこだわっているのかといえば、これが「何が正しいか」に関する基本的な判断に関わっているからである。そして、この判断は、社会の動向に決定的な影響を与える。ふるさと納税は法律で認められている制度だから、その意味では正しい制度だが、基本的判断からは、全くおかしな制度である。
6.地方が活性化することは、誰もが望んでいるが、そのための方法として、ふるさと納税は、誤ったものである。本当の地方活性化とは、地方が独自の努力で新しい産業を生み出していくことである。ふるさと納税を受けて一時的に税収が増えても、それは継続的な財源ではない。長期的に見れば、地方を衰退させる。
7.豊かな財源を持つ都市地域が、財源に苦しむ地方に税収を配分するのは、望ましいことだが、地方交付税制度等を通じて行うべきことである。個々の納税者が決めることではない。ところが、ふるさと納税制度では、ほぼ全額の税額控除が認められるだけでなく、寄付を受けた公共団体から返礼品が送られるようになってきた。つまり、ふるさと納税することによって、利益を得られるようになった。
8.こんなおかしな制度はあり得ない。今の制度では寄付することが利益を生むから、人々が利益だけを目的にして行動するとすれば、全ての住民税を、返礼品が最も高価な公共団体に納付するようになるので、返礼品の競争が起こり、公共団体の側から見ても利益にならないことになる。この制度で得をするのは、寄付をする人々である。
9.現実のふるさと納税も、そのような状態に近づきつつある。返礼品競争の結果、寄付を受ける公共団体に損失が発生するようになっている。制度は崩壊しつつある。何が正しく何が誤りであるかという正邪の判断は、社会の基本を成すものであり、法律以前の判断である。その判断が法律の規定を指導していく。法律に書かれているから正義だというのではない。「筋を通す」とか、「筋が通らない」といわれのも同じことである。論理が一貫していることだけではなく、正しさに対する判断が含まれている。
10.法律に照らして正義かどうかではなく、基本的な倫理観に照らして認められるかどうかである。現実社会には筋が通らないこともある。「世の中では間違ったことが行われているが、そうではない方向を正す」という意味がある。この判定には、法律のように正確ではなく、曖昧なところがある。しかし、それが北を回いているのか南を向いているのか、あるいはばらばらなのかは、大変重要なことである。
11.高度成長期の日本には、「筋」に関する一定の社会的了解があった。もちろん、この時代にも、筋が通らない案件はあった。特に、権力者からの要請でそうした案件があった。しかし、「それは筋が通らないものだ」ということについて、多くの人の共通の認識があった。そうであれば、やがては元に戻る。
12.平成の時代になってこの感覚がまひしてしまった。そのきっかけは、バブル崩壊による不良漬権の処理だった。不良債権を処理しようとすれば、組織にとつては都合の悪い事態となった。そこで、「筋は通らないけれども、隠す」ということになった。そうしなければ、大きな犠牲が生じるからである。ここで善悪に関する判断がまひしてしまった。
13.不良債権の隠蔽が、組綾内では当然と思われるようになった。それが行き詰まって、日本長期信用銀行など幾つかの機関が破綻した。その結果、日本の金融業が再生したかといえば、そうはならなかった。日本の金融改革が中途半端になってしまったのは、責任を取る地位にある人が、筋を通さなかったからである。
14.組織のトップが筋を通さなければ、組織は絶対的権力者とイエスマンの集まりになる。日産自動車に関する最近のさまざまな報道を見ていると、この会社は、あるときからそのような状態に陥っていた。財務省にも、筋を通す人がいなくなった。1990年代の過剰接待問題を経て、ついには公文書の書き換えまで行ってしまった。
15.社会の緩やかな崩壊は、最も恐ろしい病だ。気が付かないうちに社会が変わってしまう。今の日本は、そのような状況に向かって漂流を続けている。平成の時代は、日本人の正邪に対する判断力が低下を続けた時代だった。ふるさと納税は、平成の時代の象徴であった。平成に続く時代において、これらは変わるか、ふるさと納税制度は廃止されるか、日産自動車は再生できる、見守りたい。


yuji5327 at 06:31 
共通テーマ 

2019年01月25日

命と暮らし託すもの

IMG_20190106_0001
平常時よりも2割の節電
道民の命と暮らしを守る
北海道が一丸


yuji5327 at 07:20 
池上湖心の書 

ゲノム編集であることが見分けがつかないのは、食品表示でもネックとなる。遺伝子紐み換え原材料を含む食品の表示義務違反は食品を調べればわかるが、ゲノム編集では困難である。


「石堂徹生(ジャーナリスト)著:ゲノム編集で食は安全か、エコノミスト、2019.1.22」は参考になる。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.通常(野生)のマダイと比べて、身が厚い品種の「肉厚マダイ」が、今春には、初めて出荷サイズの0.8〜1.0kgまで育つ。
品種開発のヒントは、突然変異で生まれた筋肉隆々の肉牛2品種にある。欧州でヘルシーな赤身肉として広く流通。1997年、この2品種の筋肉の発達は、「ミオスタチン」という遺伝子が働かない点にあることが米国の研究で分かった。
2.ミオスタチンには、筋肉細胞が増えたり個々の細胞が大きくなったりすることを抑える働きがある。2品種の肉牛では、ミ才スタチンが働かないために他の肉牛よりも筋肉が増える。2品種の肉牛は、品種改良の中でたまたま起こった遺伝子の突然変異を見つけて育成された。
3.それならば、この遺伝子が働かないように直接、手を加えれば、筋肉壁が多い品種を作り出せるはずと考え、マダイで実現させたのが、木下政人・京都大学大学院農学研究科助教である。メダカ対象の遺伝子研究に20年取り組み、2014年から近畿大学などとの共同研究で、肉厚マダイの作製に成功した。
4.これを可能にしたのが、遺伝子をほぼ狙い通りに改変する「ゲノム編集」技術の中で、12年に登場以降、効率的だとして研究者に注目されている「クリスバー・キャス9」である。従来の品種改良は、選抜育種といって、異なる品種を掛け合わせて遺伝子の突然変異を起こさせ、そこで生じるさまざまな性質のものから選んで交配を繰り返す。突然変異を誘発するために放射線や化学物質を使う方法もある。一方、ゲノム編集は直接、遺伝子を改変し、効率よく品種改良する。
5.木下助教は「魚類では、作物や家畜と違って品種改良が進んでいない。高齢化と零細化が進む養殖業をH本の水産業の柱にする試みとして挑戦した」と話す。従来の選抜育種では近畿大学のマダイで30年かかったが、ゲノム編集の肉厚マダイは4
年でできた。研究対象を他の高級魚や魚介類に広げたいという。
6.肉厚マダイの作製は、まず通常マダイの卵子に精子をかけ、受精卵をプレートに並べる。受精卵にガラスの細い針を刺し、ミオスタチン遺伝子を破壊する物質が入った液を注入する。生まれた第1世代のうち、遺伝子変異が起きたオス・メスを選ん
で2年後に産卵させる。生まれた第2世代のうち2%にあたる27尾でミオスタチン遺伝予が破壊されており、15カ月後の体重.は通常マダイの1.5倍、可食部の筋肉量は1.2倍に増えていた。気になる味は天然物にひけを取らない。スジの少ない赤身の牛肉に似た柔らかい食感で、刺身よりもカルパッチョや鯛めし向きという。
7.肉厚マダイは現在、近畿大学水産研究所白浜実験場〔和歌山県自浜町)にある陸上の水槽で飼育されている。海上ではなく陸上養殖とするのは、法的な規制に基づくわけではない。生態系への影響や、生態系から受ける影響が未知数のためである。。
「僕らは法的に規制されてもよい。むしろ何が起こるか分からないので自主規制している」と木下助教。野生が変化に.要する時聞に対し、ゲノム編集のそれはあまりに短いことが「不安だ」という。国の規制は方向が違う。肉厚マダイのようにゲノム編集で遺伝子の一部を壊す場合、行政に情報提供さえすれば、自由に飼育・栽培し.食品として販売できるようになりそうである。
8.規制の検討が進んだのは、18年6月15日、「統合イノベーシヨン戦略」が閣議決定されたことがきっかけである。特に強化すべき主要分野の一つにバイオテクノロジーが挙げられ、ゲノム編集はその基盤技術の開発対象の一つと位置づけられた。閣議決定の前日に「総合科学技術・イノベーション会議」がこの戦略を取りまとめた際、議長の安倍晋三首相は「成長戦略のど真中に位置づけ、関係大臣は、これまでの発想にとらわれない大肌な政策を、一丸となって迅速かつ確実に実行に移してください」と述べた。
9.関係省庁は、18年度中をめどにゲノム編集の法律面での聖リ扱いをはっきりさせるよう閣議決定文書で迫られ、一気に走り出す。一番手は環境省である。生物多様性への影響の観点から規制を担う。昨年7月11日の中央環境審議会自然環境部会遺伝子組換え生物等専門委員会から9月20日のパブリック・コメント募集まで、わずか70日余の早業で審議を終えた。
「よく誤解されるが、拙速だとは思っていない」と、北橋義明・環境省自然環境局野生生物課外来生物対策室長は話す。ゲノム編集関連の議論は16年から始まっていたといい、「委員会の立ち上げが18年になったというだけだ」。ただし、その16年の遣伝子紐換え生物等専門委員会の報告では、「慎重に検討する必要がある」としていた。それが、先の閣議決定を機に一転した。
10.規制の検討では「ゲノム編集生物は、「遺伝子組み換え生物」に当たるか否か」だけが焦点になった。ゲノム編集で遺伝子を改変していても、他の生物の遺伝子が残っていないのなら、遺伝子組み換え生物にはあたらず、規制は不要とした。強制力のない情報提供のみを求め、公表する方向である。
11.日本での遺伝子組み換え作物栽培は、市民の不安感をぬぐえず、ほぼ挫折した。デノム編集ではその二の舞いになるまいと、遺伝子組み換えとの違いを強調する作戦か。消費者団体などからは一斉に、「審議が駆け足」「新しい発展途上の技術で不安」などの意見とともに、「遣伝子を人為的に編集改変したものすべてを規制対象にすべき」との声が上がった。ただ、北橋室艮は「規制から外れた部分について、「危ない技術だから、法律を変えてでも規制すべき」という議論にはなっていない」
と話す。
12.専門委員会委員の一人で、日本ゲノム編集学会会長の山本卓・広島大学大学院理学研究科教授は「ゲノム編集により,自然でも起こり得る欠失変異(遺伝チのDNAを構成する塩基配列の一部が欠ける〕を起こしたケースについて、規制の対象外と
したのは妥当な判断だ」と話す、一方、石片哲也・北海道大学安全衛生本部教授は、「全体的にゲノム編集の規制に関する事例分析、諭文の引用などがなく、根拠が薄弱、政策文書としての体裁をなしていない」と、真っ向から否定する。
13.外来遺伝予の導入がなくても環境に影響を与えうる一例として石井教授が挙げるのが、クリアフィールド米だ。ドイツの世界的な化学会祉BASFが、ゲノム編集によりALS(アセト乳酸合成酵素)を破壊して、ある種の除草剤の影響を受けないイ
ネを育種したもので、その種子を欧米で販売した。ところが、米国やイタリアでは、現地で自生する雑種イネと自然交配し、栽培地で高さ2mもの変異型ALS選伝子を持つ雑種イネが繁茂し、06〜12年にかけて大騒ぎになった。作物の雑草化だである。加えて.石井教授は、食の安全面で.ゲノム編集の際に意図しない遺伝子変異が起き、アレルギーを引き起こす原因物質を生み出すケースを懸念する。
14.遺伝子は4種類の塩基の配列で機能が決まるが、ゲノム編集では標的とする遺伝子の塩基配列によく似た部分まで切断することがある。オフターゲットと呼ばれるものである。環境省に続いて、昨年9月19日に食品の安全性の観点から規制の検討を開始した厚生労働省の薬事・食品衛生審議会の遺伝子組換え食品等調査会は12月17日の報告吉でオフターゲットについて、「従来から用いられている突然変異を誘発する育種技術でも起きている」とした。外部の遺伝子が残っていなければ、ゲノム編集で起こる塩基配列の変化は、従来育種で起こっている変化と同程度だというのである。
15.これに対し、石井教授は「ゲノム編集によるオフターゲットが起こりやすい場所を推測し、調べることは可能。また、食品安全性は究極的には食品成分だから、成分変化の調査が必要だ」と指摘するが、調査会の報告書ではこれらの点について情報提供を求め、公表するとした。外部の遣伝子が残る場合のみ、遺伝子組み換え食品として安全性審査を課す方阿だ。
ただ.大塚善樹・東京都市大学教授は「ゲノム編集も、細胞内に人工的に合成したDNA断片を入れるなどの点で、方法的には遺伝予組み換えである。これまでの放射線などによる突然変異の誘発と同列に議論するのは疑問だ」と述べる,
16.異論や批判を置き去りにしたまま、規制は、「ゲノム編集で遺伝子の一部を壊すだけならば対象外」という方向で固まりつつある。そこには、「規制が難しい」という事情も絡む。外来遺伝子が残らなければ自然の交配でも起きる遺伝子変異と区別しにくく、デノム編集の痕跡がないようにみえるからである。この点、ゲノム編集した目印にDNAタグをつけ、追跡可能にするよう提言したのが塚谷裕一・東京大学院理学系研究科教授だ。その後,それよりも、万が一の事態が起きた際に制御できるよう、問題が起きた細胞を死滅させる自殺遺伝子を組み込む手段を推している。
17.消費者庁は、ゲノム編集食品の表示について、まだ内部の検討段階としている。先の肉厚マダイを開発した木下助教は、「知らない間に食べさせられるのはイヤ』というのはもっともな話だから、ゲノム編集魚と表示すればよい」と話ず。
18.肉厚マダイの商品化は未定である。水産会社や養殖業著は技術に関心は示すが、反応がにぶい。遺伝子組み換えの失敗が頭の中にある、木下助教はみている。それゆえ、多くの企業は国の親制の方針、消費者の反応を見ながら様子見を決める。ゲノム編集食品が、どのような形で市場に登場し、消費者がどう受け止めるかがみえてくるのはこれからである。19年はゲノム編集食品の今後を左右する年となる。


yuji5327 at 06:42 
健康 

2019年01月24日

囲碁最年少10歳少女棋士

IMG_20190106_0003
韓国・ソウル
史上最年少の10歳でプロ棋士
仲邑菫(なかむら・すみれ)さん
女流世界チャンピオンの崔精(チェ・ジョン)九段(22)
記念対局。
すでに勝負師の風格
明らかに敗色が濃くなった菫さん投了。
もう少し力をつけたい



yuji5327 at 07:00 
池上湖心の書 

究極の坐禅では、呼吸は「あるがごとく、なきがごとく」というのが理想とされ、呼吸を自律神経に返すということである。


「五木寛之著:養生の実技、角川書店、2004年」は参考になる。「第3章 私の実感的養生法」の一部の概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.健康法というものに惹かれる気持ちは、誰にでもある。これで丈夫になったと言われると、自分もやってみようと思う。なるほどと納得できることぼかりで、全く役に立たないと感じたものはない。問題は持続するかどうかで、3日ためして速効性のあるような健康法はない。せめて3ヶ月、半年はつづけないと目に見える効果は期待できない。継続は力なり、といわ就ると耳が痛い。休まずに努力を持続させることを、古い言葉では、「鍛錬」、鍛錬とは、古人は「鍛」を10年、「錬」を10年、とした。合わせて20年。それだけやっても、「道なお遠し」として、さらなる努力を惜しまなかった。
2.こういう話を聞いていると、気が遠くなってくる。寝る前に歯を磨く、などという簡単なことさえつづかない。いろんな健康法には興味はあるが、毎日つづけなけれぽならないとなると、あきらめるしかない。子供のころから意志が弱いタイプの人間で、苦しいこと、辛いことを努力して持続することがな人もいる。それでも中年過ぎまでは、いろんな努力をするが、50歳をこえてからは、自分という人間の限界が見えてきた。
3.養生は治療ではない。ガンになっていない前の養生となると、そう必死になることができない。面倒なことはしない。難しいことはやらない、と決断することが大切である。面倒なことは1日はできても3日はつづかない。できないことを悩んでも仕方がない。世間の誰でもがやっていることを自分だけがなぜできないのか、と落ちこむ健康強迫症である。ヨガにしても、気功にしても、それが養生法としてすぐれていることはまちがいないが、厄介で、面倒なことが多すぎる。その道の奥の深さに感動して、そのとりこになってしまえぽ、それはすでに養生法ではない。呼吸法も、深く追求していけぽ、必ず宗教的境地に達する。養生を思う人がみな修行者になることはない
4.呼吸法の真髄を体得しようが、気功、整体の極意に達しようが、人には天寿があり、天寿には逆らうことはできない。岡田式静坐呼吸法を提唱して 世を風靡した岡田虎二郎は、48歳で死んだ。彼の信奉者だった当時の知識人たちはパニックにおちいった。10年以上も一日も欠かさず岡田式を実践していた相馬黒光が、ショックを受けてその日から呼吸法をやめた。
5.天才的な養生家だった野口晴哉の65歳というのも天寿だった。空海の61歳もまた見事な天寿である。養生というのは、永遠の命を養うことではない。きょう一日の生命をいきいきと全うすることである。きょう一日のために何かをするのだから、明日もつづける必要はない。明日になれぽまた別のことをすれぽいいだけの話である。それが五木寛之氏の養生観の基本である。
6.冷えるという感覚が鈍ってきた温度の高い日本列島の夏は、なんともすごしにくい。暑さもそうだが、湿度がく加わるとさらに辛い。炎天下の街でタクシーに乗って、キリッと冷房が効いていると、一瞬ほっとする。しかし、それもほんのひとときのことで、しぼらくすると冷気が体にこたえる感じが迫ってくる。客席の窓をあけたり、上衣をはおったりしてなんとか対処するが、長時間はやはり辛い。新幹線や飛行機のなかでも客席がガラガラだと、冷蔵庫のなかに坐っているで体が冷えてくる。
7.体を冷やすことはよくないと感じる。外側からも、内側からも、あまり冷やさないように気をつけるのが養生法である。無表情な若者がふえたことと、暑さ、寒さに反応が弱い体の持主が多いこととは、たぶん同じ現象なのかもしれない。中国医学の理論でも、古くから体を冷やすことは良くない、とされてきた。薄着は自慢にならない。著者は旅行カバソのなかには、いつもカシミアの薄いセーターと、シルクのショールを入れて持ち歩いている。氷のはいった冷水は、ほとんど飲まない。火を通していないものを食べるときには、できるだけよく噛む。インドやイランなど、乾燥した酷暑の土地でも、住んでいる人たちから熱い紅茶やミルクティーを常に飲むことを教えられた。暑いときほど温かいものがいいらしい。そんなふうに内側からも外側からも体を冷やさないようにつとめてきた。
8.呼吸は生命の母である。人間を生かしているものは夢とか、希望とか、目標とか、そんな精神的な要素は、ひとまずおいて考える。食事、水、睡眠、それぞれに人間の命を支える最重要なものだが、さらに大事なものが呼吸である。サソスクリット語では、息のことをプラーナという。ラテン語のスピリタス、ギリシャ語のアニマ、すべて生命とか魂に重なる言葉だ。呼吸は命の基本、ということである。
9.最近の呼吸法に関心があつまってきたが、これは古代からくり返し訪れてきた呼吸法ブームの一つにすぎない。古代から常に呼吸法は養生の基本だった。吸う息はなんともないのだが、吐く息がうまく吐けなくなったのである。肺が古いゴムのように弾力性を失って、あまり働かないという実感があった。思いだしたのが、子供のころの腹式呼吸である。吐く息だけに気持ちを集中して、できるだけ長く、深く吐くようにする。下腹部に腹圧をかけ、肺の下のほう、みぞおちの左右のあたりをしぼり込むようにして息を吐く。半年ほどたったころには、いつのまにか普通に息ができるようになってきたので、そのとき、「治った」と思ったのだが、これはまちがいだった。
10.腹式呼吸は自然にはできない。理解しやすいのが、坐禅の理論である。坐禅というと、なんとなく無念無想が思いだす人もいるが、坐禅ではそんなことは強制しない。雑念が生じるのは生きている証拠で、妄想に、どう対処るかというところが坐禅の真髄ではある。呼吸法というのは、自分の意志によって呼吸をコントロールすることだが、呼吸とは自律神経の働きである。自律神経というのは、それ自体が勝手に働く仕組みである。心臓がドキドキうつのも、みんなオートマチックに本人の意志と関係なく働く。息をしようと意志的に行動しているわけではない。呼吸法というのは、そこに自分の意志をくわえてコソトロールしようというやりかたである。吸う息は鼻で、吐く息は静かに長く、などと人為的な工夫をさしはさむのである。ときには何秒で吸い、何秒かけてゆっくり吐く、などとこまかく指示をあたえたりする。
11.自然に自律神経にまかせた呼吸では、腹式にはならない人が多い。呼吸法というのはずいぶん人工的な、不自然なものである。一般の呼吸法と坐禅のそれとちがうのは、いわゆる呼吸法は、すべて人為的である。だからどんな呼吸法の達人でも、深く長い呼気を意識してつとめなけれぽならない。一日に何回とか、何分とか、きめてやるということが反自律的な努力なのである。坐禅の呼吸法は、究極の坐禅では、呼吸は「あるがごとく、なきがごとく」というのが理想とされ、呼吸を自律神経に返すということである。自律の「自」は、「みずから」でもあるし、また「おのずから」の意味でもある。
12.親鷺の「自然法爾」という思想を、有名な「悪人正機」よりも高く評価しているが、この「自然」とは一般的にいう天地自然のことではない。「自然」という文字を、親鷺は「おのずとしからしむる」と読ませた。「そうする」ではなく、「そうなる」と考える。この読みかたにしたがえば、「自律」とは、「おのずからなる働き」と考えてもいい。「おのずからなる働たりきき」のことを「他力」という。呼吸法は自力の工夫である。すべての呼吸法は、自力の呼吸である。日々、鍛錬と研鑽をつまなけれぽならない。「只管打坐」とは、ひたすら坐ることに専念することで、呼吸法の基本である。結局、禅は呼吸であると言うのは、何10年という修行のすえに、得られた本音である。
13.禅の呼吸のおもしろさは、呼吸をめざさず、呼吸さえ忘れる「自力の呼吸」を捨てることを究極とする点で、こう呼吸しよう、という意志は消えている。小さな「自律呼吸」の働きが、大きな「自然の呼吸」に同化してしまっている。坐っている自分が、「自然の一部分」となっている。呼吸法の実践が不必要といっているのではなく、呼吸法の鍛錬の最後の目標が、いわゆる意識的な呼吸法を忘れ、それから離れて自律呼吸に還ることである。


yuji5327 at 06:48 
健康 

2019年01月23日

外国人の起業支援

IMG_20190119_0004
未来投資戦略2018
外国人起業家の更なる受入れ
起業に向けた準備
最長1年間の在留期間を付与
入国管理制度上の措置
起業活動を支援する措置


yuji5327 at 06:49 
池上湖心の書 

坐りっぱなしの坐業の職人さんたちに長命な人が多い.。畳の上に動かずにいても全身活動が活発である。西欧的体型ぼかりを追い求める愚に、気づいてもいい。


「五木寛之著:養生の実技、角川書店、2004年」は参考になる。「第3章 私の実感的養生法」の一部の概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.東洋的体型の理想が、もっとも良く表現されているのは仏像である。西欧的体型の理想像はといえば、フィレンツェの美術館にある有名なダビデの像が頭に浮かぶ。いずれも筋骨隆々たる体型である。肩幅が広く、胸筋は発達し、ウエストは腹部にはくぼみができている、いうなればV字型の体型である。仏像の体型は、おおむねポッチャリ型である。肩はなで肩で、上体は丸味をおびてなだらかで、腰のまわりや下腹部は、豊かにふくらんでいる。全体に筋肉を感じさせない柔ら
かな線で、Aラインとでもいった体型で、布袋や大黒などが、その典型である。私たちの周囲にあふれている理想的な男性像のイメージは、西欧型で、トレーニングによって造りあげられた彫刻的な体型は、若い男性たちの理想像であるらしい。
2.東洋的A字型体型は、洋ナシ型ともいわれる。ヨガから道教、そして禅の呼吸法にいたるまで、共通して重要視されているのは、下腹部を意識することである。坐禅でも、ヨガでも、この下腹部をドッシリ、ゆったりと意識することが重要である。寛放というのは、ゆったりと広い海のようにくつろいだかたちで腹を構えよ、ということである。下腹部を寛放した姿が、東洋的体型の理想像といえる。立つときも、歩くときも、何かの動作をするときも、下腹部にぐっと力を入れ、腰をすえたかたちになると、動きが安定してくる。この腹を寛放した立ち姿は、下半身安定型だ。かすかに下腹部を突きだすように
立つ。胸を張り腹を引っこめる西欧型の立ち姿とは反対のポーズである。歩くときも、弾むようには歩かない。むかしのサムライのような、腰をおとし、足をするような歩きかたである。この形で暮していると、自然と体型も変ってくる。下半身安定型の、ボッテリした洋ナシ型になってくるのだ。
3.洋服があまり似合わない体型こそ、東洋的体型の完成図に近い。しかし、いかに近代的生活が世界を画一化しているとはいえ、風土と民族の個性をグローバルスタンダードに合わせて単一化することは、おかしい。歩きかたや、立ちかた、姿かたちまで西欧モデルに追従する必要はない。この列島に縄文のはるか以前から棲息してきた原日本人は、人間として普遍的存在であると同時に、独自の民族である。いまさらチョソマゲを結って、バカマをはく理由はない。すでに私たちは洋服を
自分の体の一部として着こなしているが、私たち自身が、西欧人になるわけではない。私たちは外来の文化を、列島化して自分の体の一部のように使いこなしてきた。A字型の下半身ぽってり型の体型を、私たちはもう1度、見なおすべきではある。
4.下腹が豊かなのは、単に内臓脂肪のせいだけではない。運動不足のせいだけでもない。多く運動する肉体だけが、正しい肉体のありかたでもない。静かに長く息を吐く。宇宙と一体化する感覚を気海丹田に集めて、深い人間の実在感を味わうことも、山野を駆けめぐることと同様に人間的な体のありかたである。V字型西欧的体型にごだおることなく、逆にA字型の下腹部を寛放する体をつくることこそ、日本人としての健康な体にいたる道だと考えるようになった。腕も、肩も、胸も、ふっくらと丸味をおびて柔らかく、下腹部と腰はどっしりと厚く重い姿かたちこそ、東洋人の理想の体型である。
5.インドで美男といえぽ、故・勝新太郎のような体型の男をいう。町の映画館のポスターに描かれているスターは、みんなでっぷりした体型ばかりだった。インドはヨガの国である。ガリガリに痩せた行者もいるが、一般人は肥っているほうが良かった。仏像の体型も、もっぱらA字型の下半身安定型である。東洋人の体型としては、この手の下腹部がぽってりした体つきのほうが健康なのである。
6.脂肪率ばかり気にするあまり、ウエストの太いことをあまり心配することはないように思うが、程度はある。ややぽってりと下半身が太いのが、東洋的体型の理想像である。仏像は人びとの理想像である。仏像のような体つきこそ、究極の東洋的体型である。そのような体型を作るためには、重心を胸におかずに、下半身におくことである。呼吸も腹でする気持ちで、深く長い呼気を意識する。激しく、大きく動くだけが運動ではない。じっと坐っていても体がつよく運動している状態がある。一日中、坐りっぱなしの坐業の職人さんたちに長命な人が多いのは、畳の上に動かずにいても目に見えない全身活動が活発に行われているからである。私たちも西欧的体型ぼかりを追い求めることの愚に、そろそろ気づいてもいい。


yuji5327 at 06:36 
健康 

2019年01月22日

イプシロン四号機人工流れ星

IMG_20190119_0003
JAXA=宇宙航空研究開発機構
人工的に流れ星小型衛星
搭載ロケット「イプシロン」4号機の打ち上げ成功
固体燃料ロケット「イプシロン」4号機
7基の衛星が搭載
打ち上げ50分後
7基の衛星を順次、予定の軌道に投入
衛星の中には、
東京のベンチャー企業・エールが開発
人工的に流れ星をつくる衛星
地上では半径100キロにわたり肉眼で見られる
人工流れ星のエンターテイメント事業


yuji5327 at 06:58 
池上湖心の書 

下痢と風邪は体の大掃除で、くしゃみをしたら、よろこべ、という。風邪は人間の体のバランスが崩れたときにひくもので、発熱や下痢は、体のバランスをとりもどす反応である。

「五木寛之著:養生の
実技、角川書店、2004年」は参考になる。「第3章 私の実感的養生法」の一部の概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.下痢と風邪は体の大掃除だということがある。くしゃみをしたら、よろこべ、といっている。風邪は普通に生活している人間の体のバランスが崩れたときにひくもので、それに伴う発熱や下痢は、体本来のバランスをとりもどそうとする反応であるから、その症状は体の自浄作用の結果起きている。決して、薬で抑えてはいけない。この言葉に共鳴できる。症状は薬など人工的なもので抑えず、蒸しタオルで温めて、痛みを緩和させる程度にして、風邪をひききることが大切である。風邪はひき始めが肝心、早めに手を打つべきだというけれど、大いなるまちがいである。注意しなけれぽならないのは、ひき終り、熱が下がっても、しばらくゆっくりして、様子を見ながら動いたほうがいい。
2.風邪をきれいにひくことで、それまで体に蓄積されていた老廃物、邪気が抜けて、すっきりしてくる。風邪をひく前の、バランスの崩れたときに比べて、実に気持ちがいい。風邪には効用があり、人間は上手に風邪をひくいう考えである。
以前は、風邪をひかないことをひそかに誇っていたが、それが大きなまちがいだったようで、私も最近は年に2度くらいは上手に風邪をひくことにしている。
3.山陰の静かな城下町、萩は味のあるいい町だが、妙にひっそりと静かなのが気になった。それが萩ファンを惹きつけるらしい。末端が大事で、人間だと、手、足の先、皮膚や、末端が元気である必要がある。足の裏とか、足の指などについては、はやくからとりわけ大切にしてきた。仕事に疲れると、足の裏や足指をもむ。特別にツボを意識するわけではない。押して気持ちのいいところも痛いところも、とりあえずまんべんなく手でもみ、さする。足全体の血行が良くなる。はく靴も気をつける。歩いていて靴を忘れているような靴がいい。
4.最近、免疫療法のひとつとして、手足の指を刺戟する療法に人気が集まっている。テレビを見ているときなど、無意識に手をもんだり、足首をぐるぐる回したりする。歯は心臓よりも大事だ。私はそう思っている。歯を磨くときは、そっと優しく磨く。きちんと手を抜かずに、歯だけでなく、上下の歯ぐきを指でこするのもいい。歯よりも歯ぐきのほうが大事である。病んだり、はれたりした部分を、わざわざブラシで丹念に磨いたりするのは逆効果である。歯を磨いたあとで、ついでに舌を口の中で大きく回して歯の外側を回転させるようにする。
5.運動は、ほどほどにしたほうがいい。しすぎは当然よくない。しかし、日常の暮しで、体を動かす機会は無数にある。起ちあがって何かをする。坐ってすぐに別の用事を思いだす。物をとりにいく。そういう動作を面倒がらずにこまめにやることが、いい運動になる。リモコンを便わない、タクシーに乗らずに歩くのも悪くない。とりあえず日常生活のなかで、体を動かすことをすすんでやる。こまめに体を動かすことで、一日のうちに相当な運動をしたことになるはずだ。スポーツジムで集中的にトレーニングをし、家では寝転んでテレビを見るといった運動のやりかたは、賛成ではない。禅には「行禅」という言葉もあるそうだ。立つ、歩く、子足を動かす、どれも禅の修行だと思えぽ苦にならない。
6.ひざ膝は曲げるためにある。腰は曲げない。腰は「折る」か、「落とす」か、「かがめる」かのどれかだ。「かがめる」ときには膝を曲げる。「落とす」場合には、上体をまっすぐにする。「折る」ときには脚の位置を変える。脚をピンとのばしたまま、深く上体を曲げるのが最悪だ。頭の重さも、上体の重さも、すべて腰の一点にかかって、必ず腰を痛めることになる。朝、ドアの下にさし込まれている新聞を拾いあげるとき、両膝を曲げ、上体をまっすぐのばしたまま腰を落として拾いあげる。

yuji5327 at 06:47 
健康 
池上技術士事務所の紹介
261-0012
千葉市美浜区
磯辺6丁目1-8-204

池上技術士事務所(代表:池上雄二)の事業内容
以下のテーマの技術コンサルタント
1.公害問題、生活環境、地球環境
2.省エネ・新エネ機器導入
のテーマについて、
・技術コンサルタント
・調査報告書の作成
・アンケート調査・分析
・技術翻訳、特許調査
を承ります。
有償、無償を問わず
お気軽に下記にメールをください。
ke8y-ikgm@asahi-net.or.jp

工学博士、技術士(応用理学)、
公害防止主任管理者、
騒音防止管理者の資格で
お役に立ちたいと思います。

池上湖心プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山(文化功労者)に師事
書象会理事、審査会員
公募展出展
〇謙慎展・常任理事
・春興賞受賞2回
・青山賞受賞
〇読売書法展理事
・読売奨励賞受賞
・読売新聞社賞受賞
〇日展入選有

書道教室(自宅)
・学生:月曜日
・一般:火曜日、水曜日



livedoor プロフィール

yuji5327

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード