2010年09月28日
尖閣諸島、北方四島、竹島問題を解決する手段はあるか?
「フランシス・フクヤマ著、渡部昇一訳:歴史の終わり(下)、1992年」を当ブログでは何度も紹介している。今の領土問題を著者は20年以上も前から予見しているようにも思える。国の指導者は歴史を良く学び、分析しておくことが大切である。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.個人間の支配と服従という関係が終わり、それが世界の各国間の支配と服従という関係も終わるなら、帝国主義は終わり、帝国主義による戦争の危険性はしだいに減少していくはずである。
2.しかし、20世紀にさまざまな事件が起こったため、歴史や国家内部の革新的な変化はあり得ないのではないかという悲観的な見方が生まれたように、諸国間のさまざまな関係についての悲観主義も育んできた。国際関係についての悲観主義は、ある意味で内政に関する悲観主義よりもはるかに徹底している。
3.経済学や社会学理論の主流が過去1世紀にわたって歴史の変化の問題に取り組んできたのに対し、国際関係論の研究者たちは歴史など存在しないかのように、戦争や帝国主義は、人間の普遍的な側面であって、その根本的な原因は、今日もツキディデスの時代となんら変わりがないかのように語っている。
4.宗教や家族、経済組織、政治的な正統性の概念など人間の社会的環境の局面がいくら歴史的な進化をしようと、国際関係はあくまで独自のものと考える。「戦争は永劫不変」と考える。国際関係についてのこの悲観的な見解は、「現実主義」とか、あるいは「武力外交」の名のもとに体系化なされてきた。現実主義は、国際関係を理解するためのもっとも有力な枠組みであり、アメリカやヨーロッパはもとより大部分の世界で今日、ほぼすべての外交政策の専門家の考え方の基盤になっている。
5.国際政治に対し民主主義の普及がどのような影響を及ぼすかを理解するためにも、われわれは、この現実主義者たちの解釈の弱点について分析しておく必要がある。
6.現実主義の真の創始者はマキャベリであった。彼は、人間というものはいかに生くべきかという哲学者の空想によってではなく、現実にどう生きているかという面から自己を確認していかなければならないと考え、同時に、最良の国家が生き残りたければ最悪の国家の政策を見習うべきである、と説いた。
7.現代政治に現実主義が登場したのは第二次世界大戦後のことである。そのとき以来、現実主義はさまざまな形をとってきている。その最初の形は戦前から戦後初期にかけて、神学者のラインホルト・ニーバー、外交官のジョージ・ケナン、大学教授のハンス・モーゲンソーなどによってつくられた。なかでも、モーゲンソーのつくった国際関係論の教科書は、お冷戦の時期の外交政策に関するアメリカ人の考え方に影響を与えてきた。
8.その後は、新現実主義とか構造的現実主義といった学術的な理論があれこれ生まれたが、前世代でもっとも断固とした現実主義の唱導者はキッシンジャーである。国務長官時代のキッシンジャーは、アメリカの大衆をウィルソンの伝統的自由主義から教育によって遠ざけ、外交政策のより現実主義的な理解へ目を向けさせた。この現実主義は、キッシンジャーの辞職後も長いあいだアメリカの外交政策に係わった数多くの教え子や弟子たちの考え方の基盤となってきた。
9.現実主義の理論はすべて、不安定性が国際秩序の恒久的な特色であり、それは国際秩序は永遠に無政府的であるという仮説から出発する。国際的な支配者があらわれないかぎり、各国は互いにとって潜在的な脅威となるだろうし、その不安を取り除くにはどの国も防衛のために武装するよりほかに手はない。この脅威という感覚は、ある意味では避けがたいものである。どの国も他国の防衛的活動を自国への脅威と誤解し、今度は逆に相手国から攻撃的と誤解されるような防衛手段を講じるからである。こうして脅威は、百発百中の予言のごとく現実のものとなる。その結果、あらゆる国が他国以上に軍事力を増強しようとする。
10.軍備競争と戦争は国際体制における避けがたい副産物であり、それは国家自体の性格のためではなく、諸国家体制全体が無政府的な性格をもっていることによるものである。この権力闘争は、諸国家が神権政治か、奴隷をかかえる貴族制か、ファシズムの警察国家か、共産主義の独裁国家か、あるいはリベラルな民主主義国家かに影響されない。
(尖閣諸島、北方四島も現実主義では解決できないことを予見している。世界をリードできる思想家が求められている)
歴史の終わり〈上〉歴史の「終点」に立つ最後の人間
クチコミを見る
1.個人間の支配と服従という関係が終わり、それが世界の各国間の支配と服従という関係も終わるなら、帝国主義は終わり、帝国主義による戦争の危険性はしだいに減少していくはずである。
2.しかし、20世紀にさまざまな事件が起こったため、歴史や国家内部の革新的な変化はあり得ないのではないかという悲観的な見方が生まれたように、諸国間のさまざまな関係についての悲観主義も育んできた。国際関係についての悲観主義は、ある意味で内政に関する悲観主義よりもはるかに徹底している。
3.経済学や社会学理論の主流が過去1世紀にわたって歴史の変化の問題に取り組んできたのに対し、国際関係論の研究者たちは歴史など存在しないかのように、戦争や帝国主義は、人間の普遍的な側面であって、その根本的な原因は、今日もツキディデスの時代となんら変わりがないかのように語っている。
4.宗教や家族、経済組織、政治的な正統性の概念など人間の社会的環境の局面がいくら歴史的な進化をしようと、国際関係はあくまで独自のものと考える。「戦争は永劫不変」と考える。国際関係についてのこの悲観的な見解は、「現実主義」とか、あるいは「武力外交」の名のもとに体系化なされてきた。現実主義は、国際関係を理解するためのもっとも有力な枠組みであり、アメリカやヨーロッパはもとより大部分の世界で今日、ほぼすべての外交政策の専門家の考え方の基盤になっている。
5.国際政治に対し民主主義の普及がどのような影響を及ぼすかを理解するためにも、われわれは、この現実主義者たちの解釈の弱点について分析しておく必要がある。
6.現実主義の真の創始者はマキャベリであった。彼は、人間というものはいかに生くべきかという哲学者の空想によってではなく、現実にどう生きているかという面から自己を確認していかなければならないと考え、同時に、最良の国家が生き残りたければ最悪の国家の政策を見習うべきである、と説いた。
7.現代政治に現実主義が登場したのは第二次世界大戦後のことである。そのとき以来、現実主義はさまざまな形をとってきている。その最初の形は戦前から戦後初期にかけて、神学者のラインホルト・ニーバー、外交官のジョージ・ケナン、大学教授のハンス・モーゲンソーなどによってつくられた。なかでも、モーゲンソーのつくった国際関係論の教科書は、お冷戦の時期の外交政策に関するアメリカ人の考え方に影響を与えてきた。
8.その後は、新現実主義とか構造的現実主義といった学術的な理論があれこれ生まれたが、前世代でもっとも断固とした現実主義の唱導者はキッシンジャーである。国務長官時代のキッシンジャーは、アメリカの大衆をウィルソンの伝統的自由主義から教育によって遠ざけ、外交政策のより現実主義的な理解へ目を向けさせた。この現実主義は、キッシンジャーの辞職後も長いあいだアメリカの外交政策に係わった数多くの教え子や弟子たちの考え方の基盤となってきた。
9.現実主義の理論はすべて、不安定性が国際秩序の恒久的な特色であり、それは国際秩序は永遠に無政府的であるという仮説から出発する。国際的な支配者があらわれないかぎり、各国は互いにとって潜在的な脅威となるだろうし、その不安を取り除くにはどの国も防衛のために武装するよりほかに手はない。この脅威という感覚は、ある意味では避けがたいものである。どの国も他国の防衛的活動を自国への脅威と誤解し、今度は逆に相手国から攻撃的と誤解されるような防衛手段を講じるからである。こうして脅威は、百発百中の予言のごとく現実のものとなる。その結果、あらゆる国が他国以上に軍事力を増強しようとする。
10.軍備競争と戦争は国際体制における避けがたい副産物であり、それは国家自体の性格のためではなく、諸国家体制全体が無政府的な性格をもっていることによるものである。この権力闘争は、諸国家が神権政治か、奴隷をかかえる貴族制か、ファシズムの警察国家か、共産主義の独裁国家か、あるいはリベラルな民主主義国家かに影響されない。
(尖閣諸島、北方四島も現実主義では解決できないことを予見している。世界をリードできる思想家が求められている)
歴史の終わり〈上〉歴史の「終点」に立つ最後の人間
クチコミを見る