2010年10月01日
正統と思われない国との付き合い方
「フランシス・フクヤマ著、渡部昇一訳:歴史の終わり(下)、1992年」の外交問題に関連する部分で、昨日、書ききれなかった部分で、印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.現実主義の最後の第4の規則は、外交政策から道義心を排除する必要があるということである。モーゲンソーは、国々に広く受け入れられている「世界を支配する道徳律と特定国家の道徳的願望とを同一視」しがちな傾向を批判している。こうした傾向が高慢と勇み足をもたらす。
2.キッシンジャーもこの趣旨に沿って、国家体制には正統なシステムと革命的なシステムの二つがあると言っている。正統な国家体制をとる諸国は互いにそれを認め合っており、他国を傷つけたりその生存権を脅かしたりはしない。これに対して革命的な国家体制をとる諸国のなかには、現状をそのまま受け入れるのを潔しとしない国であるため、たえず大きな紛争の発祥の地になる。
3.世界革命を求める闘争と社会主義の世界的勝利に熱をあげていたソ連は、このような革命的国家の典型だった。だがアメリカのようなリベラルな民主主義国も、自国の政体をベトナムやパナマなどの地域に広めようとする際に、革命的な国家と同じような行動をとる場合がある。革命的な国家体制をとる諸国間では、正統な国家体制よりもはるかに多くの紛争を引き起こしやすい。
4.このような国は平和共存ということに満足せず、あらゆる紛争を、善と悪との闘争と見なす。そして、とりわけ今日の核時代においては平和がもっとも重要な目標であるという点からすれば、正統な国家体制は革命的な体制よりはるかに望ましいものである。
5.以上の考え方から、道義心を外交政策のなかに持ち込むことへの強い反発が生まれてくる。ニーバーは、「道学者は政治的な現実主義者と同じくらい危険な人種である。彼らは、当代のどんな平和な社会にも存在する抑圧と不正の要素を見逃している。協調や友情を無批判に賛美していては、結局のところ伝統的な不正を受け入れ、表立った形での抑圧よりも目立たない形での抑圧を好むようことになる。」
6.逆説的になるが、現実主義者は、一方では軍事力で力の均衡をたえず維持しようとしながら、他方ではそれと同じ程度に強大な敵との和解につとめようとする。敵との和解という発想は、現実主義者の立場からすれば当然のなりゆきである。仮に国家間の競争がある意味で恒久的かつ普遍的なものだとすれば、敵国の指導者やイデオロギーに変化があっても、国際的な安定のための根本的な改善にはつながらないからである。人権侵害問題への批判を通して敵対国の政権の正統性を攻撃するようなことは心得違いであるばかりか、危険なやり方でもある。
7.現実主義者メッテルニヒが軍人ではなく外交官だったことや、現実主義者キッシンジャーが国連をひどく見下していた一方で、1970年代初期の米ソのデタントつまり、リベラルな民主主義国と改革の兆しすらなかったソ連との緊張緩和政策の考案者だったことは、偶然ではない。当時のキッシンジャーが説明を試みたように、ソビエト共産主義勢力は国際的現実における恒久的な一側面であり、それは望んでも消滅するものでもなく、抜本的な改革には繋がらない。
8.アメリカ人の対応方法としては、対決よりも和解という考え方に慣れておく必要があった。アメリカと当時のソ連は核戦争の回避という点では共通の利害をもっており、だからこそキッシンジャーは、この共通の利害をふまえた関係促進の努力のなかにユダヤ人移民問題のようなソ連の人権問題を持ち込むことに一貫して反対したのである。
9.現実主義は、国連に信頼をおくというようなまったく無邪気でリベラルな国際主義を頼りにする風潮からアメリカを救い出した。現実主義は、この時代の国際政治を理解するのにふさわしい構想であった。その当時、世界は現実主義が示したとおりに動いていた。世界には、反目し合うイデオロギーをもった諸国家が存在していたためである。
歴史の終わり〈上〉歴史の「終点」に立つ最後の人間
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1.現実主義の最後の第4の規則は、外交政策から道義心を排除する必要があるということである。モーゲンソーは、国々に広く受け入れられている「世界を支配する道徳律と特定国家の道徳的願望とを同一視」しがちな傾向を批判している。こうした傾向が高慢と勇み足をもたらす。
2.キッシンジャーもこの趣旨に沿って、国家体制には正統なシステムと革命的なシステムの二つがあると言っている。正統な国家体制をとる諸国は互いにそれを認め合っており、他国を傷つけたりその生存権を脅かしたりはしない。これに対して革命的な国家体制をとる諸国のなかには、現状をそのまま受け入れるのを潔しとしない国であるため、たえず大きな紛争の発祥の地になる。
3.世界革命を求める闘争と社会主義の世界的勝利に熱をあげていたソ連は、このような革命的国家の典型だった。だがアメリカのようなリベラルな民主主義国も、自国の政体をベトナムやパナマなどの地域に広めようとする際に、革命的な国家と同じような行動をとる場合がある。革命的な国家体制をとる諸国間では、正統な国家体制よりもはるかに多くの紛争を引き起こしやすい。
4.このような国は平和共存ということに満足せず、あらゆる紛争を、善と悪との闘争と見なす。そして、とりわけ今日の核時代においては平和がもっとも重要な目標であるという点からすれば、正統な国家体制は革命的な体制よりはるかに望ましいものである。
5.以上の考え方から、道義心を外交政策のなかに持ち込むことへの強い反発が生まれてくる。ニーバーは、「道学者は政治的な現実主義者と同じくらい危険な人種である。彼らは、当代のどんな平和な社会にも存在する抑圧と不正の要素を見逃している。協調や友情を無批判に賛美していては、結局のところ伝統的な不正を受け入れ、表立った形での抑圧よりも目立たない形での抑圧を好むようことになる。」
6.逆説的になるが、現実主義者は、一方では軍事力で力の均衡をたえず維持しようとしながら、他方ではそれと同じ程度に強大な敵との和解につとめようとする。敵との和解という発想は、現実主義者の立場からすれば当然のなりゆきである。仮に国家間の競争がある意味で恒久的かつ普遍的なものだとすれば、敵国の指導者やイデオロギーに変化があっても、国際的な安定のための根本的な改善にはつながらないからである。人権侵害問題への批判を通して敵対国の政権の正統性を攻撃するようなことは心得違いであるばかりか、危険なやり方でもある。
7.現実主義者メッテルニヒが軍人ではなく外交官だったことや、現実主義者キッシンジャーが国連をひどく見下していた一方で、1970年代初期の米ソのデタントつまり、リベラルな民主主義国と改革の兆しすらなかったソ連との緊張緩和政策の考案者だったことは、偶然ではない。当時のキッシンジャーが説明を試みたように、ソビエト共産主義勢力は国際的現実における恒久的な一側面であり、それは望んでも消滅するものでもなく、抜本的な改革には繋がらない。
8.アメリカ人の対応方法としては、対決よりも和解という考え方に慣れておく必要があった。アメリカと当時のソ連は核戦争の回避という点では共通の利害をもっており、だからこそキッシンジャーは、この共通の利害をふまえた関係促進の努力のなかにユダヤ人移民問題のようなソ連の人権問題を持ち込むことに一貫して反対したのである。
9.現実主義は、国連に信頼をおくというようなまったく無邪気でリベラルな国際主義を頼りにする風潮からアメリカを救い出した。現実主義は、この時代の国際政治を理解するのにふさわしい構想であった。その当時、世界は現実主義が示したとおりに動いていた。世界には、反目し合うイデオロギーをもった諸国家が存在していたためである。
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