2011年05月23日

金融業界も世界市場で通用する力をつけるには保護政策をやめること 3

「池上彰著:先送りできない日本、第2の焼け跡からの再出発、角川書店、2011年5月」の「第6章:今か、未来か? 明日を決めるのはあなた」の「日本の金融業界は保護を外されて力をつけた」は、分かりやすい。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.タイや韓国を通貨危機が襲った1997年から98年にかけて、日本国内では三洋証券が倒産したり、北海道拓殖銀行が営業譲渡したり、山一澄券が自主廃業を決めたり、日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が一時国有化されたりするなど、金融不安が吹き荒れていた。これはアジア通貨危機の影響というよりは、バブル崩壊で不良債権を大量に抱え込んでしまったことが原因である。その不良債権処理を進めた小泉・竹中路線の下でも、金融機関がつぶれるかもしれないと騒がれていた。
2.日本がバブルに浮かれていたのは1980年代の後半。そのバブルが1990年にはじけると、大銀行の合併劇が始まり、激しい再編の波にさらされた。1980年代まで、日本の金融機関は、当時の大蔵省によって守られてた。日本の金融界は、一番経営力の弱い金融機関でもやっていけるように、大蔵省が規制をかけて守られてきた。いわゆる「護送船団方式」ですある。
3.銀行、証券会社、保険会社は業種間の仕事をはっきりと分けられ、別の業種からの参入は禁止されていた。激しい競争もなくバブルの追い風を受け、経営効率のいい大手機関は膨大な利益を上げ、社員の給料が上がり、福利厚生にも潤沢にお金が回った。大蔵省の役人を接待したり、天下りを受け入れたりする余裕もあった。
4.その裏側で、当時の銀行は国際競争力を育てるチャンスがなく、世界の金融界で太刀打ちできる力をつけることができなかった。この規制をなくし、自由競争の下で国際競争に打ち勝つ体力をつけさせようとしたのが、橋本龍太郎元首相が断行した日本版金融ビッグバンである。銀行、保険、証券の垣根を取り去り、他業種から、さらには外国からの参人も認められた。開国された途端、日本の金融機関は、未処理の不良債権を抱えたまま苦戦を強いられた。
5.大蔵省(財務省)から分離した金融監督庁(その後、金融庁に)の厳しいチェックを受けることになった銀行は、単独での存続が困難になり次々と合併を繰り返した。1990年には太陽神戸と三井が、96年には東京と三菱が、2002年には富士、第一勧業、日本興業、などの銀行が次々と合併して名前を変えて生き残りを図った。バブル崩壊以降から2006年まで続いた業界再編の結果、三井住友、三菱東京UFJ、みずほの3メガバンクが誕生し、ようやくグローバルマーケットで通用するだけの体力を身につけた。


先送りできない日本  ”第二の焼け跡”からの再出発 (角川oneテーマ21)
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yuji5327 at 06:35トラックバック(0) 
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工学博士、技術士(応用理学)、
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池上湖心プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山(文化功労者)に師事
書象会理事、審査会員
公募展出展
〇謙慎展・常任理事
・春興賞受賞2回
・青山賞受賞
〇読売書法展理事
・読売奨励賞受賞
・読売新聞社賞受賞
〇日展入選有

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