2012年03月20日
規制緩和が高度成長を可能にし、その成長は持続するという理屈と現実はちがっていた。それは債務の山の上に築かれた成長だった。
「ジョセフ・E・ステイグリッツ著、楡井浩一、峯村利哉訳:フリーフォール、徳間書店、2010年」の序「大不況の震源となったアメリカ型資本主義」は本書で訴えようとすることが端的に記述されている。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.過去25年問、アメリカは政府の役割と市場の役割のバランスを失っており、アンバランスな大局観を世界じゅうの国々に押しつけてきた。誤った大局観がどのように危機を招いたか、また、政策立案者たちの目を曇らせ、対応策を失敗に終わらせたかを解説している。危機がどこまで長引くかは、政策しだいである。失策は、景気の低迷を長期化させ、深刻化させる。
2.危機が訪れる前、アメリカ合衆国も、世界全体も、数多くの問題に直面していた。中でも無視できないもののひとつに気候変動への対応があった。グローバル化の急速な進展によって経済構造は激変を強いられ、多くの国の適応能力は限界に達していた。この課題は危機のあとも、拡大している。
3.2008年の危機で、市場原理主義の命脈は尽きた。市場が自律的であるなどと唱えることはなくなった。市場参加者の利己的な行動に任せればすべてがうまく運ぶと主張したりはしなくなった。市場原理主義の恩恵を受けた人たちは、「わが国の経済は事故にあったのであり、たまに衝突事故があるからといって、車の運転をやめる人間はいない。できるだけ早く世界を2008年以前の状態に戻したがっている。銀行家は何もまちがったことをしていない」と言う。
4.問題の根はもっと深い。この25年間、自律的な機構であるはずのアメリカ金融システムは、再三にわたって政府の救済を受けてきた。そうやってシステムが延命したことで、国民はそれが自力で修復したかのような錯覚をした。実際には、危機以前の大半の国民にとって、アメリカ経済はあまりうまく機能していなかった。恩恵を受けている者もいたが、平均的なアメリカ人はそうではなかった。
5.2008年に世界経済が急降下していったとき、一般人の経済観も同じだった。経済について、アメリカの権威について、長年抱いてきた尊敬が一緒に急降下した。近年、複雑な経済システムをどう運営していくかについての助言を、ルービンやグリーンスパンばかりでなく、いわゆるウォール街人脈に求めてきたが、今は助言を求めるエコノミストもいないことが分かってきた。多くのエコノミストの理論を身にまとって、政策立案者たちは規制緩和への道を突き進んだからである。
6.銀行家たちを近視眼的で危険なふるまいに駆りたてたのは、ゆがんだインセンティブだった。それは、企業統治の問題である。つまり、インセンティブや報酬を決めるやりかたがゆがんでいた。市場が劣悪な企業統治や劣悪なインセンティブ構造に鉄槌を下さなかった。銀行は劣悪な融資の多くを隠し、バランスシートから消し去り、実質的なレバレッジを増大させることができた。
7.ウォール街で働く人間たちは、自分は何もまちがったことをしていないと信じたいし、システムそのものは基本的に正しいと信じたがっている。自分たちは1000年に1度の嵐の不運な犠牲者なのだと思い込んでいる。それは人為的なものであり、ウォール街がみずからに対して、そして社会全体に対して行なったことの結果なのである。
8.ウォール街支持者は「政府が住宅の所有と貧困層への貸付を奨励したからだ」とか「政府は歯止めをかけるべきであり、かけなかったのは規制当局の怠慢だ」という責任転嫁しようとする。見苦しいとしか言いようがない。
9.問題はシステム全体にかかわるものである。ウォール街の破格の給与体系と拝金志向が、倫理面に難のある人材を引き寄せた。システムそのものに欠陥があると見るべきである。政策が金融市場の特殊な権益によって方向づけられてきた。今回の危機にかかわった"戦犯"のリストに経済学者を加えるべきである。特殊な権益を持つ者たちに、効率的かつ自律的な市場の利を説く理論を提供した責任がある。
10.経済学が、ここまでおかしくなってしまった理由は、エコノミストは、潜在的な要因を特定することには長けているが、具体的な時機を予測するのが不得意だからである。東アジアの国々はやがて不況から立ち直ったが、政策のおかげではなく、政策の不利を克服しての回復だった。規制緩和が高度成長を可能にし、その成長は持続するという理屈と現実はまったくちがっていた。それは債務の山の上に築かれた成長だった。
フリーフォール グローバル経済はどこまで落ちるのか
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1.過去25年問、アメリカは政府の役割と市場の役割のバランスを失っており、アンバランスな大局観を世界じゅうの国々に押しつけてきた。誤った大局観がどのように危機を招いたか、また、政策立案者たちの目を曇らせ、対応策を失敗に終わらせたかを解説している。危機がどこまで長引くかは、政策しだいである。失策は、景気の低迷を長期化させ、深刻化させる。
2.危機が訪れる前、アメリカ合衆国も、世界全体も、数多くの問題に直面していた。中でも無視できないもののひとつに気候変動への対応があった。グローバル化の急速な進展によって経済構造は激変を強いられ、多くの国の適応能力は限界に達していた。この課題は危機のあとも、拡大している。
3.2008年の危機で、市場原理主義の命脈は尽きた。市場が自律的であるなどと唱えることはなくなった。市場参加者の利己的な行動に任せればすべてがうまく運ぶと主張したりはしなくなった。市場原理主義の恩恵を受けた人たちは、「わが国の経済は事故にあったのであり、たまに衝突事故があるからといって、車の運転をやめる人間はいない。できるだけ早く世界を2008年以前の状態に戻したがっている。銀行家は何もまちがったことをしていない」と言う。
4.問題の根はもっと深い。この25年間、自律的な機構であるはずのアメリカ金融システムは、再三にわたって政府の救済を受けてきた。そうやってシステムが延命したことで、国民はそれが自力で修復したかのような錯覚をした。実際には、危機以前の大半の国民にとって、アメリカ経済はあまりうまく機能していなかった。恩恵を受けている者もいたが、平均的なアメリカ人はそうではなかった。
5.2008年に世界経済が急降下していったとき、一般人の経済観も同じだった。経済について、アメリカの権威について、長年抱いてきた尊敬が一緒に急降下した。近年、複雑な経済システムをどう運営していくかについての助言を、ルービンやグリーンスパンばかりでなく、いわゆるウォール街人脈に求めてきたが、今は助言を求めるエコノミストもいないことが分かってきた。多くのエコノミストの理論を身にまとって、政策立案者たちは規制緩和への道を突き進んだからである。
6.銀行家たちを近視眼的で危険なふるまいに駆りたてたのは、ゆがんだインセンティブだった。それは、企業統治の問題である。つまり、インセンティブや報酬を決めるやりかたがゆがんでいた。市場が劣悪な企業統治や劣悪なインセンティブ構造に鉄槌を下さなかった。銀行は劣悪な融資の多くを隠し、バランスシートから消し去り、実質的なレバレッジを増大させることができた。
7.ウォール街で働く人間たちは、自分は何もまちがったことをしていないと信じたいし、システムそのものは基本的に正しいと信じたがっている。自分たちは1000年に1度の嵐の不運な犠牲者なのだと思い込んでいる。それは人為的なものであり、ウォール街がみずからに対して、そして社会全体に対して行なったことの結果なのである。
8.ウォール街支持者は「政府が住宅の所有と貧困層への貸付を奨励したからだ」とか「政府は歯止めをかけるべきであり、かけなかったのは規制当局の怠慢だ」という責任転嫁しようとする。見苦しいとしか言いようがない。
9.問題はシステム全体にかかわるものである。ウォール街の破格の給与体系と拝金志向が、倫理面に難のある人材を引き寄せた。システムそのものに欠陥があると見るべきである。政策が金融市場の特殊な権益によって方向づけられてきた。今回の危機にかかわった"戦犯"のリストに経済学者を加えるべきである。特殊な権益を持つ者たちに、効率的かつ自律的な市場の利を説く理論を提供した責任がある。
10.経済学が、ここまでおかしくなってしまった理由は、エコノミストは、潜在的な要因を特定することには長けているが、具体的な時機を予測するのが不得意だからである。東アジアの国々はやがて不況から立ち直ったが、政策のおかげではなく、政策の不利を克服しての回復だった。規制緩和が高度成長を可能にし、その成長は持続するという理屈と現実はまったくちがっていた。それは債務の山の上に築かれた成長だった。
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