2012年04月01日

金日成の劣等感を隠すために、金日成の過去を知る人物は粛清された。金正恩の過去を知る人物は大丈夫か? 3

「池上彰著:そうだったのか!現代史パート2、集英社、2010年」には、北朝鮮の国民が虐げられてきた状況が具体的に数多く記載されている。いくつかの印象に残る内容を、数回に分けて紹介している。「KEDOの仕組みが崩壊した」の小節の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.1950年6月25日日曜日、北朝鮮の平壌放送は、「南朝鮮傀儡軍が共和国北半部に侵攻した。後退を警告したがそれを無視して侵攻をつづけたため、これを撃退せんとして朝鮮人民軍は決定的な反撃を加えつつある」と発表した。朝鮮戦争の始まりである。金日成は、事前にソ連のスターリンと中国の毛沢東に相談し、ソ連からは武器を、中国からは兵員の支援を受け、十分に準備をした上で攻め込んだ。
2.朝鮮戦争は、事前の準備ができていた北朝鮮軍が、戦争初期に韓国軍を圧倒したが、アメリカ軍を中心とした国連軍が韓国軍の支援に入ったことで形勢が逆転し、中国国境まで追いつめられたところで、中国軍が北朝鮮軍の支援に駆けつけ、かろうじて戦線を膠着状態にした。
3.1953年に休戦協定が結ばれ朝鮮戦争は停戦した。同じ民族が殺し合った戦争は、膨大な犠牲者と、深い傷痕を残したが、これはすべて、軍事力で朝鮮半島を統一しようとした金日成の野望が原因だった。
4.朝鮮戦争で、北朝鮮は中国軍の支援でかろうじて生き残ったにもかかわらず、金日成は、「戦争に勝利した」と強弁した。これ以降、金日成の権力基盤の強化が始まった。日本が朝鮮半島を植民地支配している間に、朝鮮半島各地や満洲、中国では、日本軍と戦っていた抗日ゲリラが、いくつもあった。北朝鮮の指導層には、こうした各派が入っていた。金日成は、ソ連に送り込まれて北朝鮮のトップになったとはいえ、若年であり、発足当初の北朝鮮で強固な政治基盤を持っていたわけではない。また、自分のようにソ連に逃げ込むことなく、朝鮮半島に留まって戦っていた人たちに対するコンプレックスも持っていた。
5.金日成は、抗日ゲリラ各派の人物を一掃して、自分の権力基盤の強化に乗り出した。北朝鮮国内での粛清の嵐の始まった。自分を後押ししたソ連のスターリンが権力基盤を強固にしていった手法を見習った。
6.北朝鮮の政権内部には、金日成に対する個人崇拝の傾向が強まり始めたことに懸念を示す人々も多く、金日成を排除しようという動きも出始めていたが、金日成は、こうした動きに先制攻撃を加えた。まず、金日成がソ連にいる間に朝鮮半島で抗日ゲリラをしていた人々を粛清した。朝鮮戦争で勝てなかった責任を押しつけ、「アメリカのスパイ」などと次々に虚偽の犯罪をデッチ上げて裁判にかけ、死刑にした。朝鮮労働党の内部には、ソ連共産党寄りの考え方を持つ者、中国共産党寄りの者もいたが、金日成は、こうした人々も粛清した。1956年から58年にかけて、粛清の嵐が吹き荒れた。
7.朝鮮労働党の幹部として人民のために尽くしていた人々が、ある日突然、「反党分子」「解党分子」「反革命」などと罵倒され、党から追放されたり、裁判にかけられて死刑になったりした。
8.その後も、金日成による権力基盤強化は続き、1967年に開かれた朝鮮労働党中央委員会第15回総会では、党内の実力者たちを、金日成と金正日が「反党分子」として追及し、失脚させた。その様子を、朝鮮労働党が出した『朝鮮労働党略史』は、次のように書いている。「総会では強い思想闘争がくり広げられ、その過程で党内に潜んでいたブルジョワおよび修正主義分子たちの反党反革命的正体が暴露された」
9.1961年の第4回大会で選出された労働党の中央委員で、1970年の第5回大会までに姿を消したのは、85人中53人。政治委員は11人中8人である。あまりに異常な数の消え方である。この結果、「全党員は偉大な首領金日成同志の革命思想以外にはどんな他の思想も知らないという確固たる立場を堅持し、首領様の教示とその具現である党政策を物差にしてすべてを計り、それと相反する現象とはすこしも妥協せずに原則的にたたかうことができるようになつた」(萩原遼より)。現実を直視しない、北朝鮮の「誇大妄想」的な路線が確立した。北朝鮮の農業政策は、現実の自然を直視しない画一的な農法を推進することになり、そのことが大飢謹を招いたが、その根本原因は、このとき生まれた。
10.権力のトップレベルでの粛清が終わると、今度は一般民衆レベルまで粛清を徹底させた。これは朝鮮労働党による「集中指導作業」と呼ばれた。国民に対して密告が奨励された。糾弾集会を開き、住民同士が互いに告発し合うように仕向けた。北朝鮮全土に不安と恐怖が広がり、自分が生き残るために他人を密告する、ということも起きた。こうして「罪状」が確定すると、軽い「罪状」の者は平壌から追放され、山間僻地に追いやられ、次に重い「罪状」の者は、「労働教化所」と呼ばれる強制収容所に送られた。その数65000人である。さらに重いと、逮捕・処刑である。2500人が逮捕あるいは処刑された。この「集中指導作業」は、国家のあらゆるレベルで行われ、朝鮮労働党の党員や政府の幹部、人民軍でも、相当数が追放や処刑にあった。
11.北朝鮮国内では、すべてのレベルで、金日成には逆らえない体制が確立した。これに合わせて、金日成の個人崇拝が本格化していき、平壌はもとより、全国各地に金日成の銅像や肖像画があふれた。金日成には「敬愛する首領」という形容詞が不可分になり、必ず、「敬愛する首領・金日成さま」あるいは「敬愛する首領・金日成将軍さま」という呼び方になった。
12.ソ連軍の大尉だった金日成が、朝鮮半島で縦横無尽の活躍をしていた、という経歴のねつ造も行われた。戦争中に国内にいなかった金日成のコンプレックスの裏返しであり、金日成の過去を知る人物は、多くが粛清されて姿を消していた。金日成の父どころか祖父、曾祖父までが、反封建主義、反帝国主義の活動家だったという「革命家系」の経歴がねつ造され、「革命家系の後継者」としての金正日への権力継承に道を開くことになった。すべての国民は、金日成の指導に従う、という国家体制を象徴する言葉が、「主体思想」である。その結果、決して自分では判断しない、主体的な行動ができない国民が育成されていった。


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池上湖心プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山(文化功労者)に師事
書象会理事、審査会員
公募展出展
〇謙慎展・常任理事
・春興賞受賞2回
・青山賞受賞
〇読売書法展理事
・読売奨励賞受賞
・読売新聞社賞受賞
〇日展入選有

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