2012年07月29日
軍閥の子だからこそ、戦犯の子だからこそ、再び、戦争をくり返さないため、帝国主義の復活を許さないため、日本の勤労大衆の真の幸福のため、出来るだけの努力をしなければならない。
政財界メッタ斬り―佐高信の政経外科〈7〉 (佐高信の政経外科 (7))
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「佐高信著:政財界メッタ斬り、毎日新聞社、2005年」の「戦犯の子」には共感を覚える。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.元共産党員のタカ派の板垣正氏の著書「わが叫び父の胸にとどけ」に以下の一文がある。。
「天皇絶対の徹底した教育を、生れついて以来教へられ、そして自らも天皇信仰の信念に、一応生死の問題も解決していた自分であった。軍人の家に生れ、軍人を志して将校になった私にとっては、天皇は絶対だった。父も一切の私心なく天皇に誠心を捧げるといふ姿に於て、
私にとって絶対だった。そして敗戦といふ全く予期しなかった現実に直面しつつも、天皇信仰の気持は寧ろ強くなって行った」
2.この板垣氏がシベリア抑留生活の中で変わった。それでもさすがに、父・板垣征四郎が戦犯として絞首刑に処されたニュースに仲間たちが拍手をするのには加わらなかった。ただただ悲しかった。「それは父が、決して私心で動くやうな俗人ではなかったこと、そして、
停戦以来、生きながらへた気持も、又、きっと立派に死んで行ったであらう最期の気持も、子として充分知りつくせるが故の、悲しみであった」と板垣正は書いている。
3.指揮者の小澤征爾の父親が満州青年連盟のリーダーで、板垣征四郎と石原莞爾を尊敬していので、わが子に征爾と名づけた。
4.板垣正はマルクス主義に触れて、次のように書いている。「父のはたした役割は、世界史的な立場から、明らかに帝国主義的侵略の反人民的行為と断定しなければならない。それは個人に善意があったとか、なかったとか、誠実であったとか、なかったとかの問題を超えているのである。そして、民族を破滅に陥れた天皇制機構そのものこそ、否定されなければならない。」こう断言するまでに変わった板垣正は、自分は軍閥の子、戦犯の子だと大っぴらに言うようになった。
5.軍閥の子だからこそ、戦犯の子だからこそ、再び、戦争をくり返さないため、帝国主義の復活を許さないため、日本の勤労大衆の真の幸福のため、出来るだけの努力をしなければならないといふのが板垣正の信条だった。