2012年12月28日
市幹部は自分たちの経営責任を感じていない。住民の意思を代表しているのは、選挙で選ばれた市長と議員のみと考えている。
公務員ってなんだ? ~最年少市長が見た地方行政の真実~ (ワニブックスPLUS新書)
「熊谷俊人著:公務員ってなんだ?最年少市長が見た地方行政の真実」には、首長の実務で直面するいろいろな問題への取り組み事例が分かりやすく述べられている。とくに熊谷市長以前の霞が関官僚OBの千葉市の歴代市長がいかにいいかげんな行政をしてきたかがよくわかる。「市長は“社長”、議員は“社外取締役”」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.市幹部は自分たちを経営陣と思っていないケースが多い、新規採用された職員から副市長まで、公務員である限り、彼らは選挙で選ばれた人間のやりたいことを実現する役割にすぎない。公務員の意識では、住民の意思を代表しているのは、選挙で選ばれた市長と議員のみである。民間会社の会社員は、自分たちを社長のやりたいことを実現する手足だと思っていない。公務員は選挙で住民から選ばれたのでないので、そう考えている。
2.選挙で市民に選ばれた首長の意見は絶対だから、無茶な意見を通そうとする首長がいても、公務員は公然と反旗を翻すことはない。内心、それはさすがにまずい、と思っていても、面と向かって批判することはしない。その無茶なことを実現することを一生懸命考える。
3.熊谷市長が当選した時、市長の持つ決定権限の強さに驚いた。民間企業の社長のレベルではない。そこまで強い権限があるのは「市民から選ばれているから」である。4年に一度の市長選挙が企業で言うところの、株主総会に相当する。株主とは市民のことである。市民という多数の株主によって選ばれ、代表権を持つ取締役社長として市役所に送り込まれたのが市長である。
4.選ばれた議員は市役所の予算や条例など重要な意思決定を行うから取締役である。市長と違うのは実際の業務に携わらないので、社外取締役のような位置づけになる。
5.市役所の職員、特に幹部たちは補佐役で、副市長は「助役」である。平成19年にその名称が「副市長」に変更され、本来の位置づけと違う印象を与えた。彼らはあくまで取締役会の決定に従い、業務を執行する執行役員に相当するだけである。つまり、公務員は副市長や市役所の幹部であっても、市長・議会という取締役会の決定に従う立場にあり、経営責任は基本的には取締役である市長と議員にある。
6.熊谷氏が市長になって、局長会議の場で、ここまで財政が悪化した以上、幹部は経営責任を取る必要があり、大幅給与カットが必要だ、と言ったところ、「私たちには経営
責任がありません」と言われた。この時は「ふざけるな」と思ったが、よくよく考えると、彼らの主張も一部理解することができた。
7.選挙で選ばれた市長と、それを承認した議会の言う通りにやってきて、反抗することも許されないのに、なぜ経営責任を問われるのかと主張した。使用人に責任を問うなんておかしい、命令をした人間が問われるべきというのが彼らの認識である。「間違っていると思うなら命をかけて止めるべきではないか」と思う人もいるが、選挙で選ばれていない公務員が選挙で住民から選ばれた首長や議会の意思に反した行動を取れば、住民は対抗手段がなく、民主制は成立しない。
8.社長がなんでも決定権を持っていて、「市議会というのはお抱えの諮問機関ではないのか」という疑問があるが正しくない。社長であれば強力な権限はあるが、市長が何かやりたい施策があった場合には、まずは議会という「取締役会」にお伺いを立てる。そこで却下されてしまったら、どんなに実現させたい施策でも強行突破することはできない。つまり、市の大きな方針を決めるのは市議会議員である。
9.熊谷市長は就任後に職員の大幅給与カットに始まり、さまざまな事業にメスを入れて、千葉市の税金の遣い方をかなり変えたが、これも議会で了承を得たうえで実施した。議会が予算や条例を承認しない限り実行できない。市民にとって市議会議員というのは超法規的存在で、自分たちの顧問のような感覚になってしまい「私たちの陳情を聞いてくれる偉い人」という感覚になってしまっている。
10.行政に対する不満や文句は、市役所や職員にぶつけるべきではなく、その方針を決定した市議会議員にもその責任を問う必要がある。このように考えるだけで選挙に対する認識も変わる。「議員は明確に経営責任を負っている」という観点で見れば、利益誘導型の議員を選ぶことはリスクである。すべての絶対基準は、有権者が選挙で選んだ人であり、公務員の世界はその人間がすべてに優先している。公務員に指示を出す選挙で選ばれた人間というのがいかに重要かがわかる。