2014年05月30日

みんなが揃って長寿ということになると、これから十年後には、「長寿地獄」とでもいうべき事態が出現する。

新・幸福論 (一般書)
五木寛之
ポプラ社
2012-03-28

「五木寛之著:新・幸福論−青い鳥の去ったあと、ポプラ社、2012年」の「長寿は幸福か」が面白い。。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して、纏めると以下のようになる。
1.ハワード・S・フリードマンとレスリー・R・マーティンというアメリカの心理学者が書いた『長寿と性格』(清流出版)という本で、1500人もの男女を対象に、80年という長期間にわたって観察した研究成果をまとめられている。長寿のレポートとしては、非常に信憑性の高いものとして国際的にも評価されている。
2.結論は、「勤勉で、目標に向かって努力し、生涯現役で、地域社会と意味のあるつながりを持つ人が長寿」である。興味深かったのは、「明るく楽天的な人が必ずしも長寿ではない」という研究結果である。
3.親鷺は、平安末期から鎌倉時代の動乱期に九十歳まで生きた稀有な人で、いまから750年前に90歳まで生きた、信じられないほどの長寿である。『養生訓』で有名な、江戸時代の儒学者である貝原益軒は85歳で亡くなっている。日本の宗教家、思想家、学者のなかでも、群を抜いた長寿である。
4.親鸞は、亡くなる直前まで書物を書き、手紙を書き、筆写をし、人々に語ってきかせるなど、実に勤勉だった。親鶯の筆跡は、神経症ともいえるぐらい丹念に、一字一字、一画もおろそかにしていない。ふり仮名や書き込みなどもびつしりあり、見ているだけで頭が痛くなる。
5、書簡のなかで、「目もかすみ、字も形をなさず、情けないかぎりである」と書いてあるが、確かにいちばん最後のころの書簡は読みにくいところもあるが、それでも最晩年まであれだけ丹念な仕事をしたというのは、まことにこまやかで勤勉だった人である。70歳を過ぎてから、さまざまな仕事をしており、85歳を過ぎてからも、数多くの和讃を書いている。親鸞は決して明るくない人で、肖像画を見るかぎり、顔も鋭い。楽天的でよく笑う親鸞像というのは想像できない。
6.私たちが抱く長寿者のイメージは、子供や孫たちに囲まれニコニコして、お小遣いやお年玉をあげてよろこばれたり、肩を揉んでもらったり、あるいは縁側で日向ぼっこをして昔話をしたり、という絵に描いたような幸福な光景である。しかし、これからの長寿社会というのは、決してそういうものではない。
7.少子高齢化という現実が、この国に迫りつつある。この時代のかかえる最大の病とも言える。必ずしも長寿を望まないのに長寿になってしまうということが、これからの時代には広くあると思う。
8.ひとり暮らしの長寿者、都会のアパートを一人で借りて住んでいる孤独な長寿者の数が、年々ぐんぐん増えている。それは必ずしも子供や孫たちに疎外されているわけではなくて、「まわりの人の世話になって、肩身狭く暮らすよりは」と本人が望んでいる場合もある。
9.少子高齢化が加速度的に進んでいく日本では、たくさんの子供や孫に囲まれて幸せに暮らしている元気で明るい笑顔のおじいちゃん、おばあちゃんというのは、夢のまた夢ということになる。むしろ、わずかな孫を囲んで、かわりばんこに頭を撫でているおじいちゃん、おばあちゃんという風景が、当たり前になってくる。まわりに若い人や、幼い子供たちがたくさんいる生き生きした暮らしがあってこそ、長寿の幸福がある。右を見ても左を見ても自分と同じぐらいの高齢者があふれていて、老老介護という言葉も当たり前のよ
うにになってくると、長寿が必ずしも幸せということにはならない。
10.最後まで現役で、社会のお荷物にならない長寿というのが、望ましいが、そうはいかない。高齢化社会のなかで、かつての平均寿命であった50歳から、90歳までの40年間をすごさなければならない。これほど医療技術が発達し、百歳まで生きる人がたくさん出てくると、50年間を生きる覚悟をしなければならない。
11.この残りの50年というのは、日々、老化と闘って生きていかなければならない。50歳から60歳ぐらいにかけて、生理的なエイジングというのが、どんな人にも着々と進んでいく。そのなかで、特異体質のように元気で、どこも具合が悪くないという人も稀にいるが、特別な例である。
12.リューマチが出たり、神経痛が出たり、白内障を発症したり、入れ歯になると、何らかの形でエイジングが進行する。三半規管の衰えも始まり、難聴も次第に進む。補聴器も進化しているが、便利な補聴器を有効に使っている人は意外に少ない。それを当然のこととして受け入れながら自分を鍛えていくというのは、なかなかできない。
13.『楢山節考』はまことに凄惨な物語である。「大昔はお年寄りにあそこに行ってもらったそうです」という、デンデラ野と呼ばれる高台を見たが、むしろ、そうそういうところに放置されて、まわりに同じようなお年寄りがいたほうが楽なのではないかと、ふと思った。
14.最近の老人ホームは、元気なあいだだけ面倒を見るという場所である。末期がんとか、死の病に直面したら出てもらうというのが、老人ホームの現実である。老人ホームで安らかな死を迎えるというのも、これから先はありえな。家族が揃って面倒を見てくれて、家族に囲まれて自宅で死を迎えることも、集合住宅中心の生活のなかでは不可能である。
15.これからの長寿は、必ずしも幸福ではない。裕福で複数の子供や孫に恵まれ、まわりの人たちに惜しまれつつ世を去っていくという風景は、これから先、物語のなかでしかありえない。人間はどこかで自分の生命を自分でしめくくることを考えなければいけない時代に入ってくる。
16.WHO(世界保健機関)が2000年に、「健康寿命」という指標を提唱した。健康寿命とは、平均寿命から介護が必要になる期間を引いたものである。日本人の健康寿命は、男性が73歳、女性は78歳で、ともに世界一である。
17.70歳を過ぎてもやたらと健康で、80歳、90歳と生きていくとのは、ある意味では、身に背負った辛い錘のような気がして、「長寿万歳」と言ってもいられない。
18.プロスキーヤーの三浦雄一郎さんは、トレーニングのために、80歳近いいまでも足に何キロという錘をつけて歩くそうで、そのことで筋肉も鍛えられるし、ひざの関節の痛みも取れたという。百歳になってもアルプスを滑ろうという信念を持っている特殊な人の例であって、とても普通の人にはまねはできない。
19.年をとると歩き方もすり足になって、足の筋力が弱って、つまずいて転ぶ。骨がもろくなっているために、骨折することが多い。恢復するまで寝ていると体力が衰えて、そのまま寝たきりになる。この国は、さらに老人を手厚くケアする余裕がなくなる。長寿に対する考え方は、時代とともに変わる。
20.みんなが揃って長寿ということになると、十年後には、「長寿地獄」という事態が出現する。著者は80歳を過ぎており、とにかく原稿を書くという仕事を通じて、社会と接点があるあいだは、できるだけ健康でいたいが、これまで以上に健康に気を遣って長生きしようという気持ちはないという。一億総長寿運動に手を貸そうとは思わない。
21.尊厳死の考え方は、必然かもしれない。人間は、生まれてくるときは、自分の意志と関係なく、容貌、素質、体格をもって生まれてくる。世を去るときぐらいは、自分の意志で、去り方を決めてもいい。人は長生きをすべきだとか、長生きすれば幸せという常識が通用しなくなる。


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健康 
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池上湖心 プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山に師事
書象会に所属、書象会理事
審査会々員
○作品展の開催
・主宰している「さざ波会」
 作品展を毎年8月開催
(於:稲毛ギャラリー)
・土曜会(グループ展)
 作品展を毎年10月開催
(於:銀座大黒屋)
○公募展の受賞、入選
・日展入選
・読売書法展(現在理事)
 読売奨励賞
 読売新聞社賞
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 春興賞の受賞:2回
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