2016年03月27日
公平さは難しい概念である。外国から輸入したくない、というのを不公平と置き換えがちだが、もっと具体的でしっかりとした論拠が必要である。
「ティモシー・テイラー著、池上彰監訳、高橋璃子訳:スタンフォード大学で一番人気の経済学入門マクロ編、かんき出版、2013年」がは面白い。「14章:自由貿易:なぜ外国からものを買うのか」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.国外との取引を拡大してきた国は、うまく経済成長を遂げている。貿易を拡大することなく豊かな国は存在しない。世界をグローバル化したグループと、グローバル化していないグループに分ける。前者は1980年代から1990年代にかけて、GDPに占める輸出額の割合を伸ばしてきた国々で、中国やインド、メキシコ、それに大半の先進国である。人口でいえば30億人以上になる。グローバル化した国々では、1990年代に1人当たりGDPが年間5%増えた。後者は同じ時期に、輸出額のGDP比を減らしてきた国々で、アフリカや中東、ロシアなどで、1人当たりGDPが年間1%程度減少した。
2.このとき、おたがいの国が自分の得意なものを生産し、それを交換すれば、全体的な生
産性はもっとも高くな、強みを生かすことで、おたがいが得をする。ただし、国際貿易を増やせば経済を成長させられるとは限らない。教育水準が低く、投資も低調で、交通や通信のインフラも整備されず、汚職がはびこっているような国では、いくら貿易を推進したところで経済成長は見込めない。
3.グローバル化が進んだといっても、意外なことに、21世紀になった現在でも、国境の壁は非常に高い。カナダの各州のあいだの取引量と、カナダとアメリカとの取引量を比較すると、カナダ国内の州どうしの取引量は、国境を越えたアメリカの州に対する取引量のおよそ20倍である。先進国では、国内の都市や地域間の取引のほうが、国外との取引よりも3〜10倍多い。
4.世界が大きな1つの市場であるなら、商品の価格はどこの国でもだいたい同じになるはずである。テレビや自動車、ジーンズなどの商品は、世界中で流通している。それらの価格は、アメリカ国内ではどこの州でもそれほどちがいない。しかし、たとえばニューヨークとモスクワとムンバイで価格をくらべると、価格に大きなちがいがある。
5.世界中で物価が同じなら、為替レートが上下するのにあわせて物価も同じくらい変化するはずだが、実際には、為替レートが動いた幅のおよそ半分程度しか物価に変化がない。国境がいまだに大きな壁となっている理由は、私たちをとりまく交通や通信などのインフラは、おもに国内を視野に入れてつくられており、国境を越えやすいようにはできていない。
6.事業を国外に広げようとすると、法律や税制のちがいが大きく立ちはだかる。言葉や文化の壁があるし、通貨や労働法、安全基準、会計基準、商取引に関する法律など、さまざまなちがいを乗り越えなくてはならない。そうしたコストを試算すると、国境を越えるだけで商品価格の40%が失われる。
7.世界貿易機関(WTO)をはじめ、国際貿易の拡大を推進するための機関や協定は数多くある。技術の進歩によって、国外への交通や通信のコストは格段に下がってきている。このことは貿易を促進するだけでなく、サービスの国際的な展開にもつながる。国外にコールセンターを置いたり、税理士のサービスを別の国から提供することが一般的になる。中国やインドなど、これまで貿易に積極的でなかった国々も、近年は意欲的に国外との取引をおこなっている。アフリカ諸国など、今はまだそうでない国々も、そのうちに同じ動きに出てくる。
8.自由貿易の公平さの意見が多い。アメリカやヨーロッパなど先進国の人びとは、中国やインドなどの国と競争しなくてはならないことが不公平だと感じている。そうした国は人件費も安く、環境対策や労働基準などのルールもゆるい。しかし公平さは難しい概念である。外国から輸入したくない、という気持ちを、不公平という言葉に置き換えがちである。輸入の規制を論じるのであれば、もっと具体的でしっかりとした論拠が必要である。