2016年12月28日
ヨーロッパの人は、ナチスに限らず、強いドイツに何度も悩まされたから、ドイツ1人勝ちのような現状には脅威を感じる。強いドイツは、宗教改革のルターから始まっている。
「池上彰、佐藤優著:大世界史、
現代を生き抜く最強の教科書、文藝春秋、2015年」は参考になる。「第5章:ドイツ帝国の復活が問題だ」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.フランスの人口学者のエマニュエル・トッドは、ギリシャ支援に関してドイツを批判していた。ギリシャは7月13日に新たな支援策に合意した。年金削減、消費税増税を法制化し、国有資産の基金化などを盛り込む、たいへん厳しいものだった。ギリシャ経済の再生には、債務の減免が不可欠であるのにも関わらず、それをドイツは認めなかった。
2.ドイツのメルケル首相は、ギリシャ危機が起きたとき、ギリシャ人はもっと働け、と言ったが、調べてみたら、ギリシャよりもドイツの方が労働時間が短かった。ギリシャ人の働き方は、ロシア人の働き方と極めて近い。ソ連は、社会主義の理想の一つの労働時問の短縮を実現した。ギリシャも、だらだらと会社にいる時間は長くても、お茶を飲んで、お喋りをして、生産性は低い。
3.ドイツの生産性は、日本よりも遥かに高い。早くから会社に着いて、始業時聞きっかりにパソコンの電源を入れ、集中して仕事し、12時きっかりにやめる。お昼を食べに行き、1時にはまた机の前に座って5時まで仕事に集中。5時になとパッとやめる。
4.ドイツでは日中のテレビ放送が始まったのは、この10年くらいのことである。昼間は皆働いていて、テレビを見る人がいないので、放送自体がなかった。ドイツの強さの源泉がある。ヨーロッパの人は、ナチスに限らず、強いドイツに何度も悩まされたから、ドイツ1人勝ちのような現状には脅威を感じる。強いドイツは、宗教改革のルターから始まっている。
5.バカンスの日数を調べると、意外なことに、ドイツはフランスよりも多い。そのバカンスでドイツ人はバスツアーで団体旅行をし、あちこちで顰蹙を買っている。階級社会だから、きちんとネクタイを締めているような人たちと、そうではない人たちとの間に大きな差がある。ブランド物には重きを置かないが、食器には凝って、祖父の代から引き継いだものを使っている。そういうライフスタイルだと内需の拡大は期待できない。産業は輸出に頼るしかない。、外需頼みのドイツの問題である。
6.イスラエルという国は、アラブの国に比べると相当しっかりしている。しかし、イスラエルに住んでいるユダヤ人が皆しっかりしているわけでなく、建国初期に大勢のドイツ系ユダヤ人が移民してきて国の基礎を築いたからしっかりしている。
7.ドイツ問題を理解する上で重要なのが、旧東ドイツである。西ドイツではなく、東ドイツがドイツ的なものをより体現していた。西ドイツは、ナチスを徹底的に追及することで周辺諸国の理解を得ようとしたが、東ドイツは、必ずしもそうではなく、指導部だけが悪いのであって、ドイツ人民は味方と考え、その指導部を変えようとした。
8.ドイツは、自由ドイツ政府というのをでっち上げて、ベルリン解放に入っていく、という形を取った。それと、ロシアの地政学的感覚も踏まえておく必要がある。ロシアは、国境の外側に緩衝地帯を置くことに執着する一方で、領土の拡張には慎重である。最近、クリミアを併合したのは珍しい。
9.第二次大戦直後、ソ連は東欧諸国を併合して領土を拡張することも可能だったのに、領土の拡張はせず、東欧に人民民主主義諸国をつくった。東ドイツも、一党独裁ではなく、複数政党制になった。ナチス党員にはテクノクラートが多かったから、その連中の政治活動を保障するために、国民民主党という名前でナチス党をつくった。
10.そういう土壌があるので、いまネオナチが東ドイツから出てきた。プーチンがよくドイツに学べ、と言っていたが、あれは東ドイツに学べという意味である。東ドイツ体制は、1950年代初頭頃までは、ソ連の統制から自由な社会主義だった。だから、劇作家のブレヒトも作家のアンナ・ゼーガースも東ドイツに戻った。知識人は、皆、東ドイツに戻る雰囲気だった。
11.旧西ドイツでは、共産党は非合法で、社民党や青年社会主義同盟も反共的だった。メルケル首相は、東ドイツで育っている。メルケル首相の出自の謎を解くには、父親の研究が必要である。メルケルは、西ドイツのハンブルク生まれで、父親はルター派の牧師だった。60年代末に、東ドイツが教会を分裂させて独自の教会をつくり、西ドイツから東ドイツに赴任していた牧師たちは、東ドイツに留まるか帰国するかを選ぶことになり、大多数が帰国したが、メルケルの父親は、帰国しないで東ドイツに残った数少ない牧師のうちの1人だった。
12.メルケルは、東西ドイツ統一後にキリスト教民主同盟に入党したが、東ドイツの価値観が身についている。あえて最も反共的な党に入った。スノーデン事件で暴露されたが、アメリカはメルケルの電話を盗聴していた。
現代を生き抜く最強の教科書、文藝春秋、2015年」は参考になる。「第5章:ドイツ帝国の復活が問題だ」の印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.フランスの人口学者のエマニュエル・トッドは、ギリシャ支援に関してドイツを批判していた。ギリシャは7月13日に新たな支援策に合意した。年金削減、消費税増税を法制化し、国有資産の基金化などを盛り込む、たいへん厳しいものだった。ギリシャ経済の再生には、債務の減免が不可欠であるのにも関わらず、それをドイツは認めなかった。
2.ドイツのメルケル首相は、ギリシャ危機が起きたとき、ギリシャ人はもっと働け、と言ったが、調べてみたら、ギリシャよりもドイツの方が労働時間が短かった。ギリシャ人の働き方は、ロシア人の働き方と極めて近い。ソ連は、社会主義の理想の一つの労働時問の短縮を実現した。ギリシャも、だらだらと会社にいる時間は長くても、お茶を飲んで、お喋りをして、生産性は低い。
3.ドイツの生産性は、日本よりも遥かに高い。早くから会社に着いて、始業時聞きっかりにパソコンの電源を入れ、集中して仕事し、12時きっかりにやめる。お昼を食べに行き、1時にはまた机の前に座って5時まで仕事に集中。5時になとパッとやめる。
4.ドイツでは日中のテレビ放送が始まったのは、この10年くらいのことである。昼間は皆働いていて、テレビを見る人がいないので、放送自体がなかった。ドイツの強さの源泉がある。ヨーロッパの人は、ナチスに限らず、強いドイツに何度も悩まされたから、ドイツ1人勝ちのような現状には脅威を感じる。強いドイツは、宗教改革のルターから始まっている。
5.バカンスの日数を調べると、意外なことに、ドイツはフランスよりも多い。そのバカンスでドイツ人はバスツアーで団体旅行をし、あちこちで顰蹙を買っている。階級社会だから、きちんとネクタイを締めているような人たちと、そうではない人たちとの間に大きな差がある。ブランド物には重きを置かないが、食器には凝って、祖父の代から引き継いだものを使っている。そういうライフスタイルだと内需の拡大は期待できない。産業は輸出に頼るしかない。、外需頼みのドイツの問題である。
6.イスラエルという国は、アラブの国に比べると相当しっかりしている。しかし、イスラエルに住んでいるユダヤ人が皆しっかりしているわけでなく、建国初期に大勢のドイツ系ユダヤ人が移民してきて国の基礎を築いたからしっかりしている。
7.ドイツ問題を理解する上で重要なのが、旧東ドイツである。西ドイツではなく、東ドイツがドイツ的なものをより体現していた。西ドイツは、ナチスを徹底的に追及することで周辺諸国の理解を得ようとしたが、東ドイツは、必ずしもそうではなく、指導部だけが悪いのであって、ドイツ人民は味方と考え、その指導部を変えようとした。
8.ドイツは、自由ドイツ政府というのをでっち上げて、ベルリン解放に入っていく、という形を取った。それと、ロシアの地政学的感覚も踏まえておく必要がある。ロシアは、国境の外側に緩衝地帯を置くことに執着する一方で、領土の拡張には慎重である。最近、クリミアを併合したのは珍しい。
9.第二次大戦直後、ソ連は東欧諸国を併合して領土を拡張することも可能だったのに、領土の拡張はせず、東欧に人民民主主義諸国をつくった。東ドイツも、一党独裁ではなく、複数政党制になった。ナチス党員にはテクノクラートが多かったから、その連中の政治活動を保障するために、国民民主党という名前でナチス党をつくった。
10.そういう土壌があるので、いまネオナチが東ドイツから出てきた。プーチンがよくドイツに学べ、と言っていたが、あれは東ドイツに学べという意味である。東ドイツ体制は、1950年代初頭頃までは、ソ連の統制から自由な社会主義だった。だから、劇作家のブレヒトも作家のアンナ・ゼーガースも東ドイツに戻った。知識人は、皆、東ドイツに戻る雰囲気だった。
11.旧西ドイツでは、共産党は非合法で、社民党や青年社会主義同盟も反共的だった。メルケル首相は、東ドイツで育っている。メルケル首相の出自の謎を解くには、父親の研究が必要である。メルケルは、西ドイツのハンブルク生まれで、父親はルター派の牧師だった。60年代末に、東ドイツが教会を分裂させて独自の教会をつくり、西ドイツから東ドイツに赴任していた牧師たちは、東ドイツに留まるか帰国するかを選ぶことになり、大多数が帰国したが、メルケルの父親は、帰国しないで東ドイツに残った数少ない牧師のうちの1人だった。
12.メルケルは、東西ドイツ統一後にキリスト教民主同盟に入党したが、東ドイツの価値観が身についている。あえて最も反共的な党に入った。スノーデン事件で暴露されたが、アメリカはメルケルの電話を盗聴していた。