2017年04月28日

以前の戦争は軍人同士の限定的な戦争が多かったが、第一次世界大戦は多くの民間人を巻き込み、メディアによって、非戦闘員を傷つける残忍性をののしりあった。

「板谷敏彦著:日本人のための第1次世界大戦史、
エコノミスト、2016.4.19」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.19世紀末から始まったイギリスとドイツによる建艦競争は、第一次世界大戦勃発の主因のひとつだった。開戦時の海軍の戦力比はイギリスが3に対して、ドイツは2の割合であった。戦力に劣るドイツ海軍は、イギリス海軍を漸減させ、その後に主力艦同士の艦隊決戦に持ち込もうと考え、主力艦隊を本国の港に温存させる方針をとった。
2.補助的な兵器と考えられていたドイツ海軍の潜水艦Uボートは、緒戦から期待以上の戦果をあげて主力兵器となった、イギリス海軍がドイツの貿易活動を阻止すべく海上封鎖を始めた時、ドイツは対抗策としてイギリス近海を戦闘海域に指定して、そこを航行する敵国商船を無制限に撃沈する作戦に出た。
3.開戦時に出撃可能だったドイツ海軍のUボートは約20隻である。開戦約1カ月後に、ドイツ潜水艦「U21」がイギリス軽巡洋艦〔排水量2940トしを撃沈した。基準排水量500tの「U9」が1万2000tクラスのイギリス重.巡洋艦3隻を一度に撃沈した。予想外のUボートの活躍に、ドイッ海軍は大量のUボートを発注した。イギリス海軍の受けたショックは大きかった。
4.同盟国オーストリアはアドリア海に面していたが、その先の地中海が英仏海軍側の制海権下にあり、ドイツは外国との海上交通による交易は不可能となった。中立国のアメリカは抗議したが、次第に戦時特需から英仏向けの輸出だけで手いっぱいになり切実な不満ではなくなった。農業社会における経済封鎖は、富を破壊するだけで、封鎖された側は自給自足で飢えることはなかった。
5.20世紀初頭の国際分業と都市化の進んだ工業社会では、経済封鎖の影響は財政的混乱にとどまらず、食料自給率の回復は容易ではなく、都市住民の飢餓に結びついた。戦争初期には、戦争は短期間で終わると考えられたが、膠着状態に入ると、参加国の戦争に対する考え方は変わった。
6.イギリスも開戦前から食料品の60%を輸人に頼っていた。ドイツ海軍はイギリスの経済封鎖に対抗してイギリス・アイルランド水域を交戦水域に指定し、1915年2月18日以降の航行船舶は無警告で潜水艦攻撃の対象とした。
7.敵が軍艦であれば襲撃が可能だが、国際法の拿捕規定では、相手が戦時禁制品を搭載していない商船の場合、潜水艦は浮上して、停止させた上で臨検し、乗組員を退避させてから攻撃する必要があったが、潜水艦は小さくて退避させた乗組員を収容できない上、搭載砲も小型である。商船が大型の大砲を搭載しているような場合には浮上して臨検する行為は危険だった。
8.イギリスはおとりの武装商船を建造して、臨検のために浮上したUボートを撃沈した。Uポートからは、潜望鏡を通して見.える商船の積み荷が戦時禁制品なのか、あるいは中立国の船舶であるかの確認は事実上無理だった。潜水艦がこれほど活躍するとは予想されていなかったのでルールが明確ではなかった。
9.1915年5月7日、ニューヨーク発リバプール行きの、イギリス大手海運会社キュナード社所属の大型客船「ルシタニア号」が「U20」によって無警告のまま撃沈される事件が起きた。乗員乗客1962人中、逃げ遅れた1201人が死亡し、そのうち128人が中立国アメリカの民聞人だった。.
10.英仏寄りだったアメリカ世論はドイツに激高し、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンはドイツに対して無差別攻撃の即時停止を訴えた。この撃沈が後のアメリカの連合国側での参戦に大きく影響を及ぼした。
11.以前の戦争は軍人同士の限定的な戦争が多かったが、第一次世界大戦は多くの民間人を巻き込み、発達したメディアによって、非戦闘員を傷つけるお互いの残忍性をののしりあった。中立国のアメリカは、当初128人の民問人の犠牲に対してドイツの残虐さを訴えたが、1918年にドイツの公衆衛生当局はイギリスの海上封鎖を原因とする飢餓と疾病により76万人のドイツ市民が死亡したと主張した。



「板谷敏彦著:日本人のための第1次世界大戦史、
エコノミスト、2016.4.19」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.19世紀末から始まったイギリスとドイツによる建艦競争は、第一次世界大戦勃発の主因のひとつだった。開戦時の海軍の戦力比はイギリスが3に対して、ドイツは2の割合であった。戦力に劣るドイツ海軍は、イギリス海軍を漸減させ、その後に主力艦同士の艦隊決戦に持ち込もうと考え、主力艦隊を本国の港に温存させる方針をとった。
2.補助的な兵器と考えられていたドイツ海軍の潜水艦Uボートは、緒戦から期待以上の戦果をあげて主力兵器となった、イギリス海軍がドイツの貿易活動を阻止すべく海上封鎖を始めた時、ドイツは対抗策としてイギリス近海を戦闘海域に指定して、そこを航行する敵国商船を無制限に撃沈する作戦に出た。
3.開戦時に出撃可能だったドイツ海軍のUボートは約20隻である。開戦約1カ月後に、ドイツ潜水艦「U21」がイギリス軽巡洋艦〔排水量2940トしを撃沈した。基準排水量500tの「U9」が1万2000tクラスのイギリス重.巡洋艦3隻を一度に撃沈した。予想外のUボートの活躍に、ドイッ海軍は大量のUボートを発注した。イギリス海軍の受けたショックは大きかった。
4.同盟国オーストリアはアドリア海に面していたが、その先の地中海が英仏海軍側の制海権下にあり、ドイツは外国との海上交通による交易は不可能となった。中立国のアメリカは抗議したが、次第に戦時特需から英仏向けの輸出だけで手いっぱいになり切実な不満ではなくなった。農業社会における経済封鎖は、富を破壊するだけで、封鎖された側は自給自足で飢えることはなかった。
5.20世紀初頭の国際分業と都市化の進んだ工業社会では、経済封鎖の影響は財政的混乱にとどまらず、食料自給率の回復は容易ではなく、都市住民の飢餓に結びついた。戦争初期には、戦争は短期間で終わると考えられたが、膠着状態に入ると、参加国の戦争に対する考え方は変わった。
6.イギリスも開戦前から食料品の60%を輸人に頼っていた。ドイツ海軍はイギリスの経済封鎖に対抗してイギリス・アイルランド水域を交戦水域に指定し、1915年2月18日以降の航行船舶は無警告で潜水艦攻撃の対象とした。
7.敵が軍艦であれば襲撃が可能だが、国際法の拿捕規定では、相手が戦時禁制品を搭載していない商船の場合、潜水艦は浮上して、停止させた上で臨検し、乗組員を退避させてから攻撃する必要があったが、潜水艦は小さくて退避させた乗組員を収容できない上、搭載砲も小型である。商船が大型の大砲を搭載しているような場合には浮上して臨検する行為は危険だった。
8.イギリスはおとりの武装商船を建造して、臨検のために浮上したUボートを撃沈した。Uポートからは、潜望鏡を通して見.える商船の積み荷が戦時禁制品なのか、あるいは中立国の船舶であるかの確認は事実上無理だった。潜水艦がこれほど活躍するとは予想されていなかったのでルールが明確ではなかった。
9.1915年5月7日、ニューヨーク発リバプール行きの、イギリス大手海運会社キュナード社所属の大型客船「ルシタニア号」が「U20」によって無警告のまま撃沈される事件が起きた。乗員乗客1962人中、逃げ遅れた1201人が死亡し、そのうち128人が中立国アメリカの民聞人だった。.
10.英仏寄りだったアメリカ世論はドイツに激高し、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンはドイツに対して無差別攻撃の即時停止を訴えた。この撃沈が後のアメリカの連合国側での参戦に大きく影響を及ぼした。
11.以前の戦争は軍人同士の限定的な戦争が多かったが、第一次世界大戦は多くの民間人を巻き込み、発達したメディアによって、非戦闘員を傷つけるお互いの残忍性をののしりあった。中立国のアメリカは、当初128人の民問人の犠牲に対してドイツの残虐さを訴えたが、1918年にドイツの公衆衛生当局はイギリスの海上封鎖を原因とする飢餓と疾病により76万人のドイツ市民が死亡したと主張した。



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工学博士、技術士(応用理学)、
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池上湖心プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山(文化功労者)に師事
書象会理事、審査会員
公募展出展
〇謙慎展・常任理事
・春興賞受賞2回
・青山賞受賞
〇読売書法展理事
・読売奨励賞受賞
・読売新聞社賞受賞
〇日展入選有

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