2017年09月21日

一億総活躍とは、国家総動員体制と同じ発想で、ベンチャー育成とは矛盾する。成長戦略における政府の役目は、ベンチャーを育成することだが、日本ではベンチャー企業が育たない。

「野口悠紀雄著:40年体制からの脱却なくして未来はない、
週刊ダイヤモンド2016.12.31」は参考になる。印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.日本の体制は、第2次世界大戦の終了によって大きく変わったと言われ、占領軍によって導入された民主化政策が、戦後日本の基礎になったとされる。しかし、経済面に関する限り、日本の体制が変わったのは、1945年ではなく、戦時中の40年ごろである。総力戦遂行のために国家総動員体制が取られ、それまでの自由主義的な経済体制が、統制経済的なものに変わった。
2.これを「1940年体制」と呼び、金融を中心とする間接的な統制体制であり、税・財政制度も大きく変わった。それまでの間接税を中心とする税制度を、直接税を中心とする体制に改革した。また、地方分与税の導入などによって、地方は国の支配下に置かれることになった。
3.市場経済的な考えが否定され、計画経済的な考えが強くなったのは、その当時の世界的な傾向であり、日本だけが特別であったわけではない。米国ですらニューディール政策を採用した。
4、日本の特徴は、戦時体制が、第2次大戦後においてもほぼそのままの形で継続したことである。それは高度成長を実現するのに大きな役割を果たした。とりわけ、金融機閏を通じた間接的なコントロールが、経済全体の資源配分に大きな影響を与えた。ここでは、官僚機構(とりわけ大蔵省)が強い力を持った。また、石油ショックの克服に当たっても、40年体制がつくり出した企業一家的構造が大きな役割を果たした。40年体制は、その後大きく変わり、特に、80年代後半のパブルと90年代の金融危機を通じて、金融体制は大きく変わった。長期信用銀行を頂点とする体制は崩壊した。
5.世界も変わった。新興国が工業化し、情報技術が進歩した結果、製造業は新興国に移行し、先進国が成長するには高度なサービス産業を中心にする必要があった。そうした構造変化を実現したのが米国である。英国も製造業中心から脱却し、金融を中心とする産業構造に変わった。製造業を中心とする経済では、市場経済的な要素が弱い国が強かったが、それが逆転し、市場経済を中心とする経済の優位性が高まった。80年代に社会主義国が崩壊し、米国や英国は新自由主義的な考えの下で規制緩和を進めた。
6.このような大きな変化の中で、40年体制が変わらなかったのは、第1が、税・財政制度で、今に至るまで、40年体制がほぽそのままの形で残っている。唯一の変化は、89年に消費税が導入され、一般会計税収の中で約3割の比重を占めるようになった。経済環境が40年当時と全く異なるのに、税・財政制度がほとんど不変なのは驚くべきことで、その結果、さまざまな問題が起きている。特に問題なのは、少子高齢化という人口構造の変化に制度が対応しておらず、財政赤字が拡大したことである。
7.40年体制では、税負担と社会保険料負担は、主として若年労働者にかかる形になっている。このため、労働人口が減少してしまうと、税収と社会保険料収人が減る。本来であれば、直接税においては所得に対する課税から資産に対する課税にウエイトを移し、また.消費税率を30%程度にまで引き上げていくことが必要であったが、いずれもず、人口高齢化によって社会保障支出が増大し、財政赤宇が増大した。現在は、金利が異常な低水準に押し下げられているので、問題が顕在化していないが、金利が正常化すると、財政は破綻する。
8.変わらなかった第2は、国への依存である。金融危機を通じて、40年体制の外見は大きく変わったが、市場経済に否定的な考え方は残り、強まった。経済政策においては、「保守」と「革新」の意味が、日常用語とは逆転している。「革新」とは衰退産業を保護することであり、「保守」とは市場の競争の中から新しい産業が登場するのを期待する。40年体制は、「革新」的な性格を強く持っていた。官僚たちは「革新官僚」と呼ばれた。保護した産業は農業である。農村は兵士の重要な供給源だったので、農地改革や食糧管理制度は、重要な政策で、第2次大戦後も続いた。
9.高度成長期には、製造業は国の直接介入を拒否した。旧経団連は、戦時経済体制で形成された産業報国会が戦後名称を改めたもので、40年体制の申し子のような存在であるが、高産成長期には、自由主義的立場を取った。その象徴が、60年代の特定産業振興臨時措置法に対する反対である。
10. 2000年ごろから、国による保護・救済の対象が、農業から製造業に変わった。世界経済の大転換に対して、米国や英国のように産業構造の転換を図るのではなく.、製造業を延命させようとした。製造業に対する政策が.「革新的」で「40年体制的」なものに変わった。
11.最近は、円安によって製造業の収益が回復したためあまり目立たなくなったが、リーマンショック後の落ち込みに対して、さまざまな製造業救済策が取られた。雇用調整助成金、エコカー減税・補助金、地上波デジタル移行によるテレビ受像機生産の助成などである。半導体産業に対しては、エルピーダメモリなどの国策組織が救済を行つた。シャープ救済劇では、最後まで産業革新機構が残った。
12.安倍晋三内閣の戦後政治からの脱却の経済政策は、戦後経済政策への復帰であり、強化である。市場メカニズムを重視する自由主義的政策ではなく、国家統制の強化である。
政府は、この3年間、民聞企業に賃上げを要請してきたが、これは民聞企業への直接介入であり、高度成長期にもなかった政策である。
13.一億総活躍とは、国家総動員体制と同じ発想である。「ベンチャー育成」とは矛盾する。成長戦略における政府の重要な役目は、ベンチャーを育成することだが、日本ではベンチャー企業が育たない。新しい技術が生まれず、先進的な情報産業が極めて弱い。この面で、いまや日本は中国にはるかに及ばない。中国では、銀行、エネルギー関係、通信などでは国有企業が大きな存在を占めているが、消費財産業においては、自由な市場が形成されているので、先進的なIT企業が続々と誕生している。
14.日本人が国への依存思考を排し、市場メカニズムの重要性を認識しない限り現在の状態を変えることはできない。


yuji5327 at 06:21 
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工学博士、技術士(応用理学)、
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池上湖心プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山(文化功労者)に師事
書象会理事、審査会員
公募展出展
〇謙慎展・常任理事
・春興賞受賞2回
・青山賞受賞
〇読売書法展理事
・読売奨励賞受賞
・読売新聞社賞受賞
〇日展入選有

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