2019年03月19日
温度を化学シグナルとは異なる「温度シグナル」として捉える考え方が提唱されており、「温度生物学」は生物学研究の一つの大きな方向である。
「富永真琴（自然科学研究機構教授）著：温度生物学、學士會会報No.935(2019-��)は面白い。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
１．「温度」は、分子の存在状態と反応性を規定する最も基本的な物理量である。生物においては、エネルギー産生、生体分子の生合成、細胞内外の情報伝達などの生命現象すべてにおいて、温度に影響される生化学的反応が必須の役割を果たしている。さらに、温度は、血圧、代謝、生体リズムをはじめとする様々な生理機能に影響を与えることから、生体の恒常性維持においても最も重要な因子の一つである。温度を感知することに焦点を絞り、温度感受性TRPチャネルを中心に記す、
２．環境温度の感知は生存にとって重要な機能の一つであり、ヒトや鳥類などの内温(恒温)動物をはじめ、両生類、爬虫類、魚類といった外温(変温)動物、さらには無脊椎動物や単細胞生物に至るまで必須の機能である。これは全ての生理応答が温度に依存して変動するためで、それぞれに適した生育環境を得るために生物は多様な温度感知機構と温度適応性を発達させてきた。温度受容に関わる研究は責任因子である温度センサーが不明のまま長らく続いてきたが、22年前に哺乳類で初めて温度感受性分子としてカプサイシン受容体TRPV1チャネルがクローニングされて以降、一気に研究が進んだ。
３．内温動物は深部体温を維持するために環境温をモニターして、行動性(着衣、運動、食物摂取など)あるいは自律性(ふるえ・非ふるえ熱産生、皮膚血管反応、立毛、発汗など)の体温調節を行う。このような調節は、体表面や深部組織に存在する温度受容器からの入力を受けた視床下部のニューロンが最上位の体温調節中枢として情報を統合し効果器へ出力することで実現される。皮膚表面での温度受容は点で感じることが分かっており、温点・冷点と呼ばれている。その実態は真皮および表皮に分布する分岐した神経終末であり、今日では後述する温度感受性TRPチャネルの一群が発現した神経線維が温度受容の一端を担っている。しかしながら、これらの神経には「温かい」温度で活性化するTRPチャネルの発現は多くない。30〜40度で活性化するTRPチャネルは皮膚を形成するケラチノサイト(ケラチン産生細胞)に多く発現しており、皮膚の温度受容器としての可能性が提唱されているが、この場合にはケラチノサイトで感知された温度情報は感覚神経に伝達される必要がある。
４．感覚神経で環境温度を感じるためには、環境温度刺激が電気信号に変換されなければならない。温度を感知してイオンチャネルが開口して陽イオンが神経細胞内に流入すれば脱分極が引きおこされ、それが電位作動性ナトリウムチャネルを開口させて活動電位が起こると考えられている。これが、感覚神経で温度刺激を電気信号に変換する最も簡単で最も効果的なメカニズムである。TRPチャネルはカルシウム透過性が高いことから、流入したカルシウムがカルシウム活性化クロライドチャネルを活性化して、クロライド流出から更なる脱分極が引き起こされるモデルが提唱されている。
５．1997年に、ラット感覚神経から哺乳類で初めて温度で活性化されるセンサー分子としてTRPVlが発見された。これ以降、「温度感受性TRPチャネル」と総称されるTRPチャネルの一群が哺乳類を中心に次々と機能同定された。TRPチャネルは7つのサブファミリーに分けられ、ヒトではTRPNを除く6つのサブファミリーに27のチャネルが存在する。TRPチャネルはヒトや菌類、鳥類、ショウジョウバエ、線虫、ゼブラフィッシュなどにおいて視覚、味覚、嗅覚、聴覚、触覚、温覚、その他様々な物理・化学刺激の受容にきわめて重要であることが分かっている。
６．現在までに哺乳類で温度感受性が報告されたTRPチャネルは11である。それぞれの活性化をもたらす温度はヒトが区別しうる生理的な温度範囲に広く分布している。温度感受性TRPチャネルは多くの物理・化学刺激に応答する「多刺激受容体」として機能する。2017年にノーベル化学賞が授与された低温電子顕微鏡を用いた単粒子解析法によって、近年多くの温度感受性TRPチャネルの構造が原子レベルで明らかにされてきたが、未だに温度がどのようにしてチャネル開口をもたらすかは明らかでなく、細胞膜脂質の関与が示唆されている。よく知られた温度感受性TRPチャネルにカプサイシン受容体TRPVlとメントール受容体TRPM8がある。TRPVlは43度という私たちの身体に痛みをもたらす熱という物理刺激のみならずカプサイシンを含む辛み物質(化学物質刺激)で活性化され、それらの刺激には相乗作用がある。
７．私たちは熱くて辛いものをより辛いと感じる。TRPM8は約28度以下で活性化する冷刺激受容体で、「冷涼感」を与えるミント成分メントールでも活性化して、メントールと冷刺激を同時に与えることで活性化温度閾値が上昇し、より高い温度で冷たいと感じる。いずれの場合にも体温の変化は起こらず、感覚神経を騙すようにして温度感覚をもたらす。また、これらの活性化温度閾値は一定ではなく、ダイナミックに変化する。例えば、TRPVlは炎症時にリン酸化によってその閾値が低下する。日焼けした時に体温近傍の温度のシャワーでも痛みを感じるのはそのためである。ワサビやシナモンのような辛みをもたらす化学物質で活性化されることがわかり、広く侵害刺激受容体として機能している。
８．昆虫のTRPAlの強い刺激物質に クスノキの樹精で樟脳としても知られるカンファーがあり、昆虫はカンファーを痛み(熱)刺激と感じて樟脳のある洋服ダンスに近づかない。11の温度感受性TRPチャネルのいくつかは大きな温度変化に曝されない深部組織に発現して体温近傍の温度で活性化する。体温近傍の数度の温度変化に対して、その機能がダイナミックに変化するか、あるいは体温環境下で温度以外の(化学物質刺激や機械刺激などの有効刺激で活性化することで、温かさと甘味の増加現象や体温が高いことで免疫機能が維持される現象などの生理機能に関わっている。分子系統解析によって、ヒト、齧歯類（げっ歯類）が保有する温度感受性TRPチャネルホモログのほとんどは硬骨魚類と陸上脊椎動物の祖先種には既に備わっていたことが明らかになっている。
９．現在の脊椎動物の温度感受性TRPチャネルの基本約なレパートリーは脊椎動物の初期の時点で既に備わっていた。しかし、その後にそれぞれの系統が独自の進化過程を経るに従い、時にはそれぞれの種の生態や生理的な特性に応じた遺伝子レパートリーや活性化温度閾値の変化が生じた。
１０．哺乳類ではTRPチャネル以外にも温度によって活性化する蛋白質が知られている。古細菌の中には陸上の温泉などにいる好熱好酸菌や80度以上の高温を好み海底熱水噴出孔などにいる超好熱菌が存在するが、それらはTRPチャネルを持たない。大腸菌ではヒスチジンキナーゼ活性を持つ膜蛋白質が温度センサーとして機能することが知られている。植物も環境温度を感知するが、TRPチャネルは存在しない。生物は、進化の過程で独特な温度を感知する仕組みや適応・耐性を備えていった。
１１．近年、温度プローブ開発の進展は著しく、細胞内温度が一定でなく、細胞内温度の不均一性がいくつかの細胞機能に関わるという概念が提唱されている。個体内でも温度が不均一であることが報告されている。ヒトは、皮膚からの放熱と褐色脂肪組織および筋肉での熱産生によって体温を維持していると考えられているが、産熱組織でない局所での温度上昇のメカニズムは必ずしも明らかではない。温度プローブによる細胞内局所・組織内局所での正確な温度測定と温度制御技術の進展によって、これら温度の不均一性の生理学的意義が明らかになってくる。「温度」はさまざまな生命現象に関わり、「地球温暖化」や「熱中症」との関連も深い。温度を化学シグナルとは異なる「温度シグナル」として捉える考え方が提唱されており、「温度生物学」は生物学研究の一つの大きな方向である。
１．「温度」は、分子の存在状態と反応性を規定する最も基本的な物理量である。生物においては、エネルギー産生、生体分子の生合成、細胞内外の情報伝達などの生命現象すべてにおいて、温度に影響される生化学的反応が必須の役割を果たしている。さらに、温度は、血圧、代謝、生体リズムをはじめとする様々な生理機能に影響を与えることから、生体の恒常性維持においても最も重要な因子の一つである。温度を感知することに焦点を絞り、温度感受性TRPチャネルを中心に記す、
２．環境温度の感知は生存にとって重要な機能の一つであり、ヒトや鳥類などの内温(恒温)動物をはじめ、両生類、爬虫類、魚類といった外温(変温)動物、さらには無脊椎動物や単細胞生物に至るまで必須の機能である。これは全ての生理応答が温度に依存して変動するためで、それぞれに適した生育環境を得るために生物は多様な温度感知機構と温度適応性を発達させてきた。温度受容に関わる研究は責任因子である温度センサーが不明のまま長らく続いてきたが、22年前に哺乳類で初めて温度感受性分子としてカプサイシン受容体TRPV1チャネルがクローニングされて以降、一気に研究が進んだ。
３．内温動物は深部体温を維持するために環境温をモニターして、行動性(着衣、運動、食物摂取など)あるいは自律性(ふるえ・非ふるえ熱産生、皮膚血管反応、立毛、発汗など)の体温調節を行う。このような調節は、体表面や深部組織に存在する温度受容器からの入力を受けた視床下部のニューロンが最上位の体温調節中枢として情報を統合し効果器へ出力することで実現される。皮膚表面での温度受容は点で感じることが分かっており、温点・冷点と呼ばれている。その実態は真皮および表皮に分布する分岐した神経終末であり、今日では後述する温度感受性TRPチャネルの一群が発現した神経線維が温度受容の一端を担っている。しかしながら、これらの神経には「温かい」温度で活性化するTRPチャネルの発現は多くない。30〜40度で活性化するTRPチャネルは皮膚を形成するケラチノサイト(ケラチン産生細胞)に多く発現しており、皮膚の温度受容器としての可能性が提唱されているが、この場合にはケラチノサイトで感知された温度情報は感覚神経に伝達される必要がある。
４．感覚神経で環境温度を感じるためには、環境温度刺激が電気信号に変換されなければならない。温度を感知してイオンチャネルが開口して陽イオンが神経細胞内に流入すれば脱分極が引きおこされ、それが電位作動性ナトリウムチャネルを開口させて活動電位が起こると考えられている。これが、感覚神経で温度刺激を電気信号に変換する最も簡単で最も効果的なメカニズムである。TRPチャネルはカルシウム透過性が高いことから、流入したカルシウムがカルシウム活性化クロライドチャネルを活性化して、クロライド流出から更なる脱分極が引き起こされるモデルが提唱されている。
５．1997年に、ラット感覚神経から哺乳類で初めて温度で活性化されるセンサー分子としてTRPVlが発見された。これ以降、「温度感受性TRPチャネル」と総称されるTRPチャネルの一群が哺乳類を中心に次々と機能同定された。TRPチャネルは7つのサブファミリーに分けられ、ヒトではTRPNを除く6つのサブファミリーに27のチャネルが存在する。TRPチャネルはヒトや菌類、鳥類、ショウジョウバエ、線虫、ゼブラフィッシュなどにおいて視覚、味覚、嗅覚、聴覚、触覚、温覚、その他様々な物理・化学刺激の受容にきわめて重要であることが分かっている。
６．現在までに哺乳類で温度感受性が報告されたTRPチャネルは11である。それぞれの活性化をもたらす温度はヒトが区別しうる生理的な温度範囲に広く分布している。温度感受性TRPチャネルは多くの物理・化学刺激に応答する「多刺激受容体」として機能する。2017年にノーベル化学賞が授与された低温電子顕微鏡を用いた単粒子解析法によって、近年多くの温度感受性TRPチャネルの構造が原子レベルで明らかにされてきたが、未だに温度がどのようにしてチャネル開口をもたらすかは明らかでなく、細胞膜脂質の関与が示唆されている。よく知られた温度感受性TRPチャネルにカプサイシン受容体TRPVlとメントール受容体TRPM8がある。TRPVlは43度という私たちの身体に痛みをもたらす熱という物理刺激のみならずカプサイシンを含む辛み物質(化学物質刺激)で活性化され、それらの刺激には相乗作用がある。
７．私たちは熱くて辛いものをより辛いと感じる。TRPM8は約28度以下で活性化する冷刺激受容体で、「冷涼感」を与えるミント成分メントールでも活性化して、メントールと冷刺激を同時に与えることで活性化温度閾値が上昇し、より高い温度で冷たいと感じる。いずれの場合にも体温の変化は起こらず、感覚神経を騙すようにして温度感覚をもたらす。また、これらの活性化温度閾値は一定ではなく、ダイナミックに変化する。例えば、TRPVlは炎症時にリン酸化によってその閾値が低下する。日焼けした時に体温近傍の温度のシャワーでも痛みを感じるのはそのためである。ワサビやシナモンのような辛みをもたらす化学物質で活性化されることがわかり、広く侵害刺激受容体として機能している。
８．昆虫のTRPAlの強い刺激物質に クスノキの樹精で樟脳としても知られるカンファーがあり、昆虫はカンファーを痛み(熱)刺激と感じて樟脳のある洋服ダンスに近づかない。11の温度感受性TRPチャネルのいくつかは大きな温度変化に曝されない深部組織に発現して体温近傍の温度で活性化する。体温近傍の数度の温度変化に対して、その機能がダイナミックに変化するか、あるいは体温環境下で温度以外の(化学物質刺激や機械刺激などの有効刺激で活性化することで、温かさと甘味の増加現象や体温が高いことで免疫機能が維持される現象などの生理機能に関わっている。分子系統解析によって、ヒト、齧歯類（げっ歯類）が保有する温度感受性TRPチャネルホモログのほとんどは硬骨魚類と陸上脊椎動物の祖先種には既に備わっていたことが明らかになっている。
９．現在の脊椎動物の温度感受性TRPチャネルの基本約なレパートリーは脊椎動物の初期の時点で既に備わっていた。しかし、その後にそれぞれの系統が独自の進化過程を経るに従い、時にはそれぞれの種の生態や生理的な特性に応じた遺伝子レパートリーや活性化温度閾値の変化が生じた。
１０．哺乳類ではTRPチャネル以外にも温度によって活性化する蛋白質が知られている。古細菌の中には陸上の温泉などにいる好熱好酸菌や80度以上の高温を好み海底熱水噴出孔などにいる超好熱菌が存在するが、それらはTRPチャネルを持たない。大腸菌ではヒスチジンキナーゼ活性を持つ膜蛋白質が温度センサーとして機能することが知られている。植物も環境温度を感知するが、TRPチャネルは存在しない。生物は、進化の過程で独特な温度を感知する仕組みや適応・耐性を備えていった。
１１．近年、温度プローブ開発の進展は著しく、細胞内温度が一定でなく、細胞内温度の不均一性がいくつかの細胞機能に関わるという概念が提唱されている。個体内でも温度が不均一であることが報告されている。ヒトは、皮膚からの放熱と褐色脂肪組織および筋肉での熱産生によって体温を維持していると考えられているが、産熱組織でない局所での温度上昇のメカニズムは必ずしも明らかではない。温度プローブによる細胞内局所・組織内局所での正確な温度測定と温度制御技術の進展によって、これら温度の不均一性の生理学的意義が明らかになってくる。「温度」はさまざまな生命現象に関わり、「地球温暖化」や「熱中症」との関連も深い。温度を化学シグナルとは異なる「温度シグナル」として捉える考え方が提唱されており、「温度生物学」は生物学研究の一つの大きな方向である。
