2019年10月07日

国民投票で離脱派が勝つという結果にならないと高をくくりて投票に行かなかった。

「池上彰著:
知らないと恥をかく世界の大問題10 角川新書、2019.6.10」は参考になる。「第2章:揺らぐヨーロッパ、EUは夢だったのか」の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。・
1.自国ファースト主義の流れは、アメリカよりイギリスが先だった。EUからの離脱劇がそれである。イギリスでEU残留の是非を問う国民投票が実施され、残留派48・1%、離脱派51・9%の僅差で離脱派が勝利したのは2016年6月のことだった。イギリスはEUから出たかった理由には、東西冷戦の終結が背景にある。
2.第2次世界大戦後の世界の対立構造は単純で、ソ連をリーダーとする社会主義陣営とアメリカをリーダーとする資本主義陣営とに分かれ、それぞれが結束を強めた東西冷戦の時代でである。東ヨーロッパはそこだけで「COMECON(コメコン・経済相互援助会議)」という経済圏をつくり、資本主義経済圏とは隔絶されていて相互間の貿易はない。
3.西ヨーロッパの国々は、互いに二度と戦争を起こさないための模索をした。国境をなくしてはと、最初はドイツとフランスの紛争の火種となった国境のアルザス・ロレーヌ地方の石炭と鉄鉱石を、国家を超えて共同管理する試みから始まった。「欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)」、これがEUの起源である。その後、経済統合を進める欧州経済共同体(EEC)となり、原子力エネルギーの共同管理のための欧州原子力共同体(EURATOM)が設立され、1967年には、この3団体の主要機関を一体化させるべく、現在のEUの前身である欧州共同体(EC)が発足した。
4.EC統合は、あくまで経済分野での協力が中心だった。1992年、欧州連合:EU創設を定めた「マーストリヒト条約」が締結され、通貨統合の計画や、通貨統合参加に対する国内経済の基準が定められて、共同体の中に東側諸国が入ってきた。東ヨーロッパの国々は社会主義経済体制で賃金が安いが、教育には力を入れていたので質のいい労働者が多く、西ヨーロッパの経営者にとっては好都合だった。旧共産圏の国々がEUに加盟することを歓迎した。
5.ドイツに本社を置く自動車メーカーのフォルクスワーゲンがスロバキアに進出するなど、人件費の安い国にどんどん工場をつくった。東ヨーロッパに住む人にとって、自分の国に工場ができるのを待っていることはない。同じヨーロッパ内では移動の自由、移住の自由がある。EU加盟国の国籍を持つ人は自由に加盟国間の国境を渡り、働いたり住んだりすることができる。「もっと賃金が高い国で働こう」と考える。東ヨーロッパの国々から西ヨーロッパの国々へ、どっと人が流れ込んだ。とりわけ、ポーランドの人たちが大挙して出稼ぎに向かったのがイギリスである。
6.ポーランドには悲しい歴史がある。ナチス・ドイツとソ連によって両側から占領されて国がなくなったことがあった。このとき政権は国外に逃れ、ロンドンに亡命政府をつくって国内の抵抗運動を指揮した。いまもイギリスにコミュニティがあるので、それを頼りにイギリスへ行こう、となる。ポーランド人は建設作業や農作業など、イギリス人がやりたがらない仕事を低賃金でも喜んで引き受ける。ポーランドと西ヨーロッパ諸国では、賃金に5〜10倍の開きがある。低賃金でも祖国に仕送りすると、故郷に豪邸が建つくらい所得格差が大きい。
7.ポーランドがEUの仲間入りをしたのは2004年だが、以降、200万人ものポーランド人が出稼ぎ目的でイギリスへ移住した。イギリス人にとって、「ポーランドの労働者に仕事を奪われる」という危機感が生まれた。他にも、被害者意識を持つ理由があった。イギリスという国は医療保険制度が充実していて、誰でも無料で診てもらうことができる。もちろんポーランドからの労働者もタダである。そもそも医療費は誰が負担しているのかといえばイギリス人である。移民の急増だけが不満だったわけではない。
8.かつてEUには「過度に曲がったバナナを売ってはならない」などといった規定があったが2009年に撤廃された。欧州委員会が定めた細かい規定にはうんざり、自分の国のことは自分たちで決めたい、イギリスに主権を取り戻したい。とくにEUからの離脱を望んだのほ高齢者である。若者はというと、物心ついたころからEUの一員で、離脱など考えられない。EU域内の大学なら自由に行き来ができるし、EUはイギリス国民にとってなくてはならないものだった。
9.国民投票でまさか離脱派が勝つという投票結果になるわけがないと高をくくりて投票に行かなかった。高齢者の投票率は高く、若者の投票率が低かったことが、離脱派が勝利する一因となった。投票結果が出た後、グーグルの検索では「EUって何?」とか「EU離脱が意味することは?」とか、EUに関する質問が上位に入った。つまりイギリス国民の中には、EUのことをよく知らないまま、一時の感情だけで「離脱」に投票した人が多い可能性がある。
10.ブレグジット推進派で「イギリスさえよければいいのだ、EUにいるからこんなことになるんだ」と人々を煽ったイギリス独立党(UKIP)ですら、まさか離脱が決まるとは思っていなかった。慌てた独立党のナイジェル・ファラージ党首は、「自分の役割は果たした」と辞任を表明し、思いもよらない結果になり、一時逃出してしまった。
11.離脱交渉に人ると、露骨な「イギリスいじめ"が始まった」。まずは「手切れ金」である。「出て行くなら、EU分担金を払ってから出て行け」というわけで、日本円にして最大で5兆6000億円を支払うことになった。最大の問題は、北アイルランドの国境管理問題である。かつてアイルランドはイギリスの植民地だった。1801年にイギリスがアイルランドを併合。アイルランドが正式にイギリス連邦から離脱したのは1949年のことである。ただし、現在のイギリスの正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」となっている。なぜアイルランド北部だけがイギリスなのかというと、イギリスの植民地時代にアイルランド島の北部(=北アイルランド)には、イギリス本土から大勢が移り住んだことが原因である。
12.もともとアイルランドはカトリック、イギリスはプロテスタント、宗教が違う。アイルランドがイギリスから独立したとき、プロテスタントの多い北部の6州(人口の3分の2がプロテスタント)はイギリス領として残った。北アイルランドに取り残された形の3分の1のカトリック教徒たちは、自分たちはアイルランド人だという思いを強くし、アイルランドとの一体化を求めて、独立運動を展開した。中でも過激派はIRA(アイルランド共和軍)を組織し、「我々、北アイルランドはアイルランドと一緒になるべきだ」とイギリスに対する武装闘争を開始した。
13.当時のマーガレット・サッチャー首相は、北アイルランドの制圧にイギリス軍を投入した。するとロンドン中心部でも爆弾テロが起きた。エリザベス女王も、サッチャー首相も命を狙われた。こうなるとプロテスタントも黙ってはいない。「我々はイギリスに留まるべきだ」と、プロテスタントの過激派が生まれた。彼らは「アルスター義勇軍(アルスター防衛協会)」を結成し、IRAの活動家を暗殺した。北アイルランドのことをイギリス側からはアルスター地方と呼んだ。アルスター義勇軍の活動は、「北アイルランドはイギリスなのだ」という主張である。激しい紛争が続き、3500人以上が殺されたが、1998年に和平合意が成立した。
14.北アイルランド情勢が安定したのにはいろいろな理由があるが、一番大きな理由は、イギリスとアイルランドの双方がEUに入ったことがある。EUに入ったことで、北アイルランドとアイルランドの国境管理がなくなり、お互いが自由に行き来できるようになった。家は北アイルランドにあるけれど、農場はアイルランドにあるといった人がいても平和になった。
15.ところがイギリスがEUから離脱するとなると、アイルランドはそのままEUに残るから、北アイルランドとアイルランドの間には再び国境線が生まれる。北アイルランドにいるカトリック教徒たちがまた怒り出して、北アイルランド紛争が再燃しかねない。すでにIRAから飛び出した「真のIRA(RIRA)」という過激派のテロが始まっている。北アイルランド紛争の地・ウエストベルファスト地区には、いまでもあちこちに壁がある。カトリック系住民とプロテスタント系住民が壁をつくって住み分けている。アイルランド出身のロック・バンドであるU2に「血の日曜日事件/1983年」という曲がある。デモ行進中の北アイルランドのカトリック系住民をイギリス軍が襲撃した痛ましい事件を描いた作品である。最近は、イスラム教徒のスンニ派とシーア派のもめごとばかりがクローズアップされているが、キリスト教徒もカトリックとプロテスタントで殺し合った歴史がある。
16.イギリスのメイ首相としては、イギリスはEUから離脱するけれど、北アイルランドとアイルランドの国境線は特別だから国境管理をしないことで丸く収めようとした。メイ首相がEUと取り交わした離脱協定案というのは、アイルランドとの国境問題について2020年末までに解決策を出すまでの間、イギリスはEUの関税同盟にそのまま留まるというもの。 つまり、これまで通りEU各国との間では関税かかけるのをやめるというものである。しかし、そもそもEUに留まるのがイヤだと言う離脱は、関税同盟に留まれば引き続きEUの決めたルールに従うだけになるので、とんでもないと主張した。結局、意見がまとまらず、結論は2019年10月末まで先送りされた。


yuji5327 at 06:48 
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工学博士、技術士(応用理学)、
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池上湖心プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山(文化功労者)に師事
書象会理事、審査会員
公募展出展
〇謙慎展・常任理事
・春興賞受賞2回
・青山賞受賞
〇読売書法展理事
・読売奨励賞受賞
・読売新聞社賞受賞
〇日展入選有

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