2019年10月08日
脳は情報を処理する生体器官である。その情報は外界由来のもの、体の中からくるものがある。脳の働きを理解するためには、取り扱う情報の性質を理解する必要がある。
「藤田一郎(大阪大学教授):大ざっぱと丁寧を使い分ける私たちの脳の情報処理システム、週刊ダイヤモンド、2019.08.24」は面白い。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.脳はつまるところ情報を処理する生体器官である。その情報は外界由来のものであったり、体の中からくるものであったりする。従って、脳の働きを理解するためには、脳そのものだけではなく、それが取り扱う情報の性質についても理解する必要がある。
2.情報や通信の数学的な基盤を研究する学問分野は「情報理論」と呼ばれ、1948年にクロード・シャノンが発表した「通信の数学的理論」によって誕生したとされる。そしてその数年後の54年に、ブレッド・アトニーブが、情報理論の立場から視覚について考察した最初の論文を発表した。シャノンの論文ほど有名ではないが、選び抜かれた明快な言葉とシンプルな思考実験からなる、エッセーのようであり詩のようでもある素晴らしい科学論文である。
3.その論文でアトニーブは、「私たちが受け取る視覚情報のほとんどは冗長である」と主張した。彼によれば、
机の上の端に置かれたインク瓶の図があり、背景は白い壁、机は木製で茶色、インクは黒であるとすると、このような情景から目および脳が受け取る視覚情報は、この絵を画素に分解したときのその数ほどは多くない。例えば、この図を横方向に80、縦方向に50に分割し、4000個の画素に分けてみる.そして左下の角の画素から右に向かって一つずつ移動していったとき、それぞれの画素が白、茶、黒のうちのどの色だと思うかを被験者に当てさせてみても、何のヒントもないので最初は間違えるが、白が続くことにすぐに気付き、白と答える。机の左辺にやって来たときには、茶であると答えなくてはいけないのに対して白だと答える。その後は茶の画素が連続することに気付き、また正解が続くようになる。つまり、被験者が間違えるのは色が変化するところや輪郭の在り方が変化するときに限られる。言い換えれば、視覚情報として大事なものはそれらの部分に限られており、他の部.分から受け収る情報は冗長である。
4.視野の中のほとんどの場所において、その一点がどのような情報を持つかは、その周りの点がどのよ・妥情報を持つかによってたいてい正しく推定できる、これがアトニープの主張である。この主張をサポートするために、アトニーブが示したもう一つの例は、38個の点とそれを結ぶ直線だけから成るこの絵が、寝ている猫であることは即座に分かる。輪郭の中で方向が大きく変わるところ〔曲率が高いところ)だけを結び、その他の微妙な曲線の様子を全てなくしてしまっても、猫のように見慣れた物体を認識することは可能である。線画からは、猫の色、模様、毛艶の情報が捨てられてしまつているのでわからない。しかし、アトニーブと正反対のことを言うようだが、それらの情報があったとしても、私たちの認識は必ずしも正しいわけではない。注意深く眺める、これは陶器でできた置物なのである。つまり、色や模様の情報があったとしても、この写真が置物であって、本物の猫や、さらにはクロワッサンでないことを知るためには、詳細な画像情報を処理する必要がある。
5.脳は大ざつばな処理と精密な処理を両立させている。何かの課題を行おうとするとき、その達成に必要とされる時間と得られた結果の質の間にはトレードオフが存在する。身近な例として、数学の問題を解くときのことを考えると、早く仕上げようとして急いで解くと誤りを犯す危険性が高まる。一方、正確さを第一として丁寧に問題を解くと時間がかかる。脳というのは時に間違えてもよいから粗く速く計算を行う方式と、時聞がかかってもよいから精密な計算を行う方式を、さまざまな視覚の側面のそれぞれにおいて併用している。
6.2つの例がある。一つ目は、他者が威嚇をしてきたり、恐怖の表情を示していることは、何らかの危険が身の回りに迫っていることを示す重要な視覚情報である。そのような情報は、通常の顔認識の情報経路である大脳皮質での処理過程を迂回し、視床から感情や自律神経反応を制御している扁桃体へと直接伝えられる。90年代に提唱された説であるが、その厳密な証拠は、この数年になって得られつつある。もう一つの例は両眼立体視である。私たちが二つの目で見る世界は、片方の目だけで見るときには感じられない明確な奥行き感を持っており、真の3Dとなっている。これは、二つの目が左右に離れて顔に付いており、異なった視点から世界を見ていることに原因がある。目の前の数々の物体の像は、右目と左目では異なった位置にずれて投影される。どのくらいずれるかは、その物体が注視面に対してどのくらい手前にあるか、あるいは奥にあるかによる。このずれは両眼視差と呼ばれ、脳は目における映像の情報に基づいて、これを計算する。この際にも粗くて速い処理と、丁寧で精密だが時問のかかる処理を並列に行っている。これもこの10年で科学的な証拠が得られつつある。
7.心理学者・経済学著であるダニエル・カーネマンによれば、このようなデュアル処理は視覚に限らず、人間が持つ認知機能一般に普遍的な特性である。彼はこれらをオペレーションシステム1〔OS1〕、オペレーションシステム2(OS2)と名付けている。これらの提唱されている動作アルゴリズムの実体は、今後も神経科学的に探究されていく。