2019年10月16日
インターネットは、本来は多様なものの共存を可能にする道具のはずである。しかし、実際には、画一化や付和雷同、そして一方向への暴走といった現象が目立っている。
「野口悠紀雄著:超整理日記に白鳥の時が来た、週刊ダイヤモンド、2019.8.31」は面白い。概要を自分なりに纏めると以下のようになる。
1.1995年4月に始めた「超」整理日記は、99年5月1日・8日合併号で100回になった。その時、「たいへん苦労している」と書いた。テーマが見つからないときがあるのだ(私は、「言いたいこと」は山ほど持っているが、それと「雑誌の記事にできる」ことは別である)。地方出張の際、自宅を出た時からずっと考え続けたが、帰りに羽田空港に着いてもまだ出てこなかったときがある。あるとき、「どんなにつらいことや不幸な目に遭っても、エッセイのタネにできる」という文章を見て膝を打った。あらゆる体験を仕事の材料にしてしまうのだ。
2.十分注意してスケジュールを組んでいるのだが、別の仕事と重なってしまったり、体調を崩したり、緊急の用事が発生したりすると、窮地に陥る。「そうしたときに備えて、予備稿を作っておくべきだ」と言われるかもしれない。しかし、なかなかそうはいかない。締め切り近くにならなければ、書く気になれない。作曲家、ロッシーニは、「差し迫った緊張感こそがインスピレーションをかき立てる」として、歌劇の序曲を初演の前夜にならないと書かなかったが、それと同じことである。さまざまな事態を何とか切り抜けてきた。3.映画「七人の侍」で、野武士の大軍を撃滅した主人公の島田勘兵衛が、地面に突き立てた刀で体を支えて、「今度も生き延びたのう」と言う場面がある。これと同じ心境を何度も味わった。2003年5月31日号で200回になった。この頃には、楽しんで書けるようになってきた。やっと書き方を把握できた。「至福の時はいつか?」というアンケートに、連載原稿を書いている時」と答えたことがある。連載は幾つかあったのだが、その中で「超」整理日記を念頭に置いていた。映画「ローマの休日」で、「訪問地で一番印象的だったのはどこか?」と記者会見で聞かれたアン王女がEach in its own way, was unforgettable. It would be difficult to ---と模範答案を言ったところで詰まってしまい“Rome” という場面があるが、これと同じである。
4.兼好法師は、『徒然草』第19段で「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば」と言っている。私は、子供の頃から自分の意見を言いたかった。小学生の時には、壁新聞を作って教室にはり出していた。意見を言いたいことが山ほどある人は、私以外にも大勢いるだろう。私にはそれを発表する機会が与えられたので、幸せだった。何の制約もなしに自由な意見を述べる機会を頂いたのは、大変ありがたいことだ。多様な意見と立場を認め合うことこそ、社会を進歩させる基本的な力だと信じている。ところが、そうした多様性が日本社会から失われつつある。
5.インターネットは、本来は多様なものの共存を可能にする道具のはずである。しかし、実際には、画一化や付和雷同、そして一方向への暴走といった現象が目立っている。その半面で、当然、論議の対象となるべきことが、議論されない。そして、ある種の意見は言いづらくなった。なぜそうなるのか? 言論統制のためではない。インターネットの世界では、アクセス数が全てを決める。どれだけ「強い」関心を集めるかでなく、どれだけの「数」の関心を集められるかが問題とされる。だから、少数の人の関心しか集めないテーマは、取り上げられない。
6.経済関係では、経済政策のあり方についての論議ではなく、「何に投資すれば儲かるか?」という類いのテーマが幅を利かせている。「そもそも金融緩和政策で物価上昇率を引き上げるのが適切なのか?」といったテーマは関心を集めず、「円高が進んだら、追加緩和がなされるのか?」といったテーマが関心を集める。こうした傾向こそが、インターネットがもたらした最大の害悪である。
7.では、その傾向に抵抗できたか? 振り返って、内心忸怩たる思いがある。「超」整理日記でも、最初の頃には、遊びのテーマをずいぶん取り上げた。連載をまとめた書籍の表紙デザインがそれを示している。映画も連載の初期の段階にはずいぶん取り上げた。しかし、特にリーマンショック後には、取り上げづらくなった。「何を書いてもよい」という特権を十分に活用できなかったことを、反省している。
8.連載を続けることに一度だけ疑問を抱いたことがある。それは、アメリカの作家、マイケル・クライトンとの座談会で、「雑誌連載をしているか?」という質問に対する彼の答えを聞いた時である。彼は、書籍執筆の邪魔になるのでやっていない」と言った。しかし、自分は連載をやめなかった。理由は2つある。1つは、上記のように、意見を言い続けたいという欲求(書籍では、意見を言いたい時に、すぐに発言することができない)。いま1つは、読者の方々とのインタラクションである。コメント、励まし、声援などを頂くことである。信じられないような出来事もあった。
9.確か12年の夏、札幌に旅行して、夕方、大通公園のベンチに座って涼んでいた。すると、見知るぬ人が近づいてきて言うには、「『超』整理日記を毎号、切り抜いて保存しています」。そして、その方は、切り抜きのスクラップブックを見せてくれた。言うまでもないことだが、私はその時間に大通公園に行くことを「超」整理日記で予告していたわけではない。一人の旅行者としてたまたまそこにいただけだ。しかも、私は東京に住んでいるので、札幌の街角に現れることはめったにない。それにもかかわらずその人が「超」整理日記のスクラップブックを持っていたということは、その人がいつもそのスクラップブックを持ち歩いていたことを意味する。たまたまベンチに座っている私を見てその人も驚いただろうが、私も驚いた。そのため、満足な対応ができなかったような気がする。お名前を聞くのも忘れてしまった。思い返せば、残念なことをした。
10.この時、起こったことの意味は、時間がたつにつれて、ますます重要なものと思えてきた。それほど真剣に読んでくださる読者がいる。そうした読者は、この方ばかりではないはずだ。私が会ったことのない熱心な読者が、大勢いるに違いない。そうであれば、決して手を抜くことはできない。実際、「楽しみにして毎週読んでいる」という声は、さまざまな機会に、限りなく聞いた。これほど幸せな経験に恵まれた執筆者は、めったにいないだろう。「超」整理日記は、今回で最終回となる。
yuji5327 at 06:43