2019年11月08日
養生という趣味も、白秋期の健康を考える上で、大事なことである。義務としてでも、健康法としてでもなく、おもしろいから楽しみでやる。むずかしいことはやらない。
「五木寛之著:
白秋期、日経プレミアシリーズ、2019.3.13」は面白い。「第5章:孤独のユートピア」の概要の続きを自分なりに纏めると以下のようになる。
1.養生という趣味も、白秋期の健康を考える上で、大事なことである。趣味と言ったのは、私も養生はある程度しているが、義務としてでもなく、健康法としてでもなく、おもしろいから楽しみでやっている。
2.むずかしいことはやらない。面倒なことは、1日はできても3日はつづかない。ヨガにしても、気功にしても、それがすぐれた養生法であることは間違いない、あまりにも厄介で、面倒なことが多すぎる。続けることに悩んだら、養生ではなく健康強迫症になってしまう。
3.養生法についても「いい加減」につきあっていると、長つづきする。「転ばないように、どういうふうにするか」「誤嚥をしないように、どういうふうにするか」「腰痛にならないよう、どういうふうにするか」とか、さまざまな視点があり得る。そういう小さなことを、一つひとつやっていくことがおもしろい。
4.病気には「突然」ということはほとんどないと思っている。クモ膜下出血にしても、脳卒中にしても、心筋梗塞にしても、必ず予兆がかなり以前からあるはずである。体との会話をしている限り、そういうものが信号として伝わってくる。枕は高いほうがよいか、低いほうがよいか、自分で工夫して、「ああ、やっぱりこのほうがいい」というように考えることは、すごく大事なことである。
5.日常生活のディテールさじを大事にする。「神は細部に宿る」というけれども、小さな人生の些事というものを大事にしてきた。「いい加減」な素人判断だが、大いに役立ってきた。日常的に体と会話をするということも、孤独のユートピアの楽しみのひとつである。それは生甲斐にもなる
6.養生というのは、永遠の命を養うことではない。今日一日の生命を生き生きと生きることにある。明日、斬首されるのがわかっていても、石田三成は前夜供された柿を「腹に悪いから」と言って断ったエピソードは有名である。今日一日のために養生をするのだから、明日も続ける必要はない。明日になったら、その日一日を無事に生きるめに、なにか別のことをすればいい。そのような養生をつづけることが、今日一日ために大事なことである。
7.俺はなにも関心がない、という人には、養生という趣味も、白秋期の健康を考える上で、大事なことである。義務としてでも、健康法としてでもなく、おもしろいから楽しみでやる。むずかしいことはやらない。面倒なことは、1日はできても3日はつづきかない。ヨガにしても、気功にしても、それがすぐれた養生法であることは間違いないが、厄介で、面倒なことが多すぎる。
8.続けることに悩んだら、養生ではなく、健康強迫症になる。養生法についても「いい加減」につきあうので、長つづきする。「転ばないように、どうするか」「誤嚥をしないように、どうするか」「腰痛にならないようにどうするか」とか、さまざまな視点がある。小さなことを、ひとひとつやっていくことがおもしろい。
9.病気は突然 ということはほとんどない。クモ膜下出血、脳卒中にしても、心筋梗塞にしても、必ず予兆がある。体との会話をしている限り、信号として伝わってくる。枕は高いほうかいいか、低い方がいいか、自分で工夫してやっぱりこのほうがいいと考えることは大事である。
10.白秋期の年代には頻尿で夜中におきる。仰向けに寝ていると喉を圧迫して起きやすいから、ブッダは右側を下にして横向きに寝ていたという。誤嚥の起きる原因は、無意識にある。「いまからこれを飲み込むぞ」と、脳からしっかりと指令を出して、喉の気管を閉じる動作をする。床に落ちているものを拾うとき、「いまから腰を曲げて、床に落ちているものを拾うそ。膝をできるだけ深く曲げて、腰は曲げないようにして拾おう」と、一つひとつの動作を意識的にやる。
11.「ゴホンときたら、よろこべ」と、整体協会の創始者・野口晴哉さんは言う。風邪は普通に生活している人間の体のバランスが崩れたときにひくもので、それにともなう発熱や下痢は、体のバランスを取りもどそうとする反応である。それらの症状は、体の自浄作用の結果起きていることなので、決して、薬で抑えてはいけない。下痢と風邪は、体の大掃除ということになる。薬など人工的なもので抑えずに、蒸しタオルで温めて痛みを緩和させる程度にして、風邪をひき切ることが大切だと、野口さんは言う。注意しなければならないのは、ひき終わり。熱が下がったら、しばらくゆっくりしていて、様子を見ながら動く。以前は、風邪を誇っていたが、大きな間違いで、年に2度ぐらい、上手に風邪をひく。
12.足の裏とか、足の指などについては、早くから大切にしてきた。左右の足の指を、ケアをしてきた。仕事に疲れると、足の裏や足の指をもむ。ツボを意識するのではなく、。押して気持ちのいいところ、痛いところも、まんべんなく手でもみ、さする。足全体の血行が良くな。靴も気をつける。歩いていて靴を忘れているような靴がいい。免疫療法のひとつに、手足の指を刺激する療法に人気が集まっているが、理論的裏づけはないが、何十年も前から、我流でつづけてきた。脳や、心臓や、その他の重要なところは、末端の部分が生き生きしていなければ活性化しない。手足がいつもポカポカしているように心がける。テレビを見ているときや、タクシーに乗っているときなど、無意識に手をもんだり、足首をぐるぐる回したりする。
13.歯は心臓よりも大事だと思う。自分のの歯が、現在、何本あるか無頓着の人が多い。目をつぶって、自分の上下の歯列がイメージできれば理想的である。歯を磨くときは、そっと優しく磨く。さちんと手を抜かずにする。土下の歯ぐきを指でこするのも推奨され、歯よりも歯ぐきのほうが大事なような気がする。歯を磨いたあとで、大きく回して、歯の外側を回転させるぜつようにします。これは結構きつい。頬の骨がゴリゴリ鳴ったりする。
14.食事の量について、一様に、「腹八分目」という常識に疑問を持っている。「腹8分目」というのは、30.代ぐらいの働き盛りの人の適量で、10歳、歳を重ねるにつれて、1分ずつ減らす。40代は7分。50代は6分、60代は5分。70代は4分。80代は3分は冗談のようだが、案外、支持者も多い。最近、「人は食べずに生きられる」などという説も出てきた。森美智代さんという女性は、一日青汁一杯で20年以上も生きているという。ほかにも、1日1食で充分という説もある。どっちなんだと、頭を痛めるのです。
15.腰痛の持病は、腰だけでなく、なにか動作をするときには、まず「いいかい?」と、体にたずねる。体に準備をさせ、体に不意打ちをくらわせるのはやめる。「では」とか、「さーて」とか、「どれ一丁やるか」とか、言いかたはなんでもいいが、あらかじめ身体語を発しておく。ぎっくり腰というのは厄介で、外国旅行で重いトランクを不用意に持ち上げたとき、ギクっときて、楽しいはずの旅行でひどい目にあったことがある人は多い。「さあ、いまから重いものを持ち上げるぞ」と、体にひと声かけなかったための失敗である。
白秋期、日経プレミアシリーズ、2019.3.13」は面白い。「第5章:孤独のユートピア」の概要の続きを自分なりに纏めると以下のようになる。
1.養生という趣味も、白秋期の健康を考える上で、大事なことである。趣味と言ったのは、私も養生はある程度しているが、義務としてでもなく、健康法としてでもなく、おもしろいから楽しみでやっている。
2.むずかしいことはやらない。面倒なことは、1日はできても3日はつづかない。ヨガにしても、気功にしても、それがすぐれた養生法であることは間違いない、あまりにも厄介で、面倒なことが多すぎる。続けることに悩んだら、養生ではなく健康強迫症になってしまう。
3.養生法についても「いい加減」につきあっていると、長つづきする。「転ばないように、どういうふうにするか」「誤嚥をしないように、どういうふうにするか」「腰痛にならないよう、どういうふうにするか」とか、さまざまな視点があり得る。そういう小さなことを、一つひとつやっていくことがおもしろい。
4.病気には「突然」ということはほとんどないと思っている。クモ膜下出血にしても、脳卒中にしても、心筋梗塞にしても、必ず予兆がかなり以前からあるはずである。体との会話をしている限り、そういうものが信号として伝わってくる。枕は高いほうがよいか、低いほうがよいか、自分で工夫して、「ああ、やっぱりこのほうがいい」というように考えることは、すごく大事なことである。
5.日常生活のディテールさじを大事にする。「神は細部に宿る」というけれども、小さな人生の些事というものを大事にしてきた。「いい加減」な素人判断だが、大いに役立ってきた。日常的に体と会話をするということも、孤独のユートピアの楽しみのひとつである。それは生甲斐にもなる
6.養生というのは、永遠の命を養うことではない。今日一日の生命を生き生きと生きることにある。明日、斬首されるのがわかっていても、石田三成は前夜供された柿を「腹に悪いから」と言って断ったエピソードは有名である。今日一日のために養生をするのだから、明日も続ける必要はない。明日になったら、その日一日を無事に生きるめに、なにか別のことをすればいい。そのような養生をつづけることが、今日一日ために大事なことである。
7.俺はなにも関心がない、という人には、養生という趣味も、白秋期の健康を考える上で、大事なことである。義務としてでも、健康法としてでもなく、おもしろいから楽しみでやる。むずかしいことはやらない。面倒なことは、1日はできても3日はつづきかない。ヨガにしても、気功にしても、それがすぐれた養生法であることは間違いないが、厄介で、面倒なことが多すぎる。
8.続けることに悩んだら、養生ではなく、健康強迫症になる。養生法についても「いい加減」につきあうので、長つづきする。「転ばないように、どうするか」「誤嚥をしないように、どうするか」「腰痛にならないようにどうするか」とか、さまざまな視点がある。小さなことを、ひとひとつやっていくことがおもしろい。
9.病気は突然 ということはほとんどない。クモ膜下出血、脳卒中にしても、心筋梗塞にしても、必ず予兆がある。体との会話をしている限り、信号として伝わってくる。枕は高いほうかいいか、低い方がいいか、自分で工夫してやっぱりこのほうがいいと考えることは大事である。
10.白秋期の年代には頻尿で夜中におきる。仰向けに寝ていると喉を圧迫して起きやすいから、ブッダは右側を下にして横向きに寝ていたという。誤嚥の起きる原因は、無意識にある。「いまからこれを飲み込むぞ」と、脳からしっかりと指令を出して、喉の気管を閉じる動作をする。床に落ちているものを拾うとき、「いまから腰を曲げて、床に落ちているものを拾うそ。膝をできるだけ深く曲げて、腰は曲げないようにして拾おう」と、一つひとつの動作を意識的にやる。
11.「ゴホンときたら、よろこべ」と、整体協会の創始者・野口晴哉さんは言う。風邪は普通に生活している人間の体のバランスが崩れたときにひくもので、それにともなう発熱や下痢は、体のバランスを取りもどそうとする反応である。それらの症状は、体の自浄作用の結果起きていることなので、決して、薬で抑えてはいけない。下痢と風邪は、体の大掃除ということになる。薬など人工的なもので抑えずに、蒸しタオルで温めて痛みを緩和させる程度にして、風邪をひき切ることが大切だと、野口さんは言う。注意しなければならないのは、ひき終わり。熱が下がったら、しばらくゆっくりしていて、様子を見ながら動く。以前は、風邪を誇っていたが、大きな間違いで、年に2度ぐらい、上手に風邪をひく。
12.足の裏とか、足の指などについては、早くから大切にしてきた。左右の足の指を、ケアをしてきた。仕事に疲れると、足の裏や足の指をもむ。ツボを意識するのではなく、。押して気持ちのいいところ、痛いところも、まんべんなく手でもみ、さする。足全体の血行が良くな。靴も気をつける。歩いていて靴を忘れているような靴がいい。免疫療法のひとつに、手足の指を刺激する療法に人気が集まっているが、理論的裏づけはないが、何十年も前から、我流でつづけてきた。脳や、心臓や、その他の重要なところは、末端の部分が生き生きしていなければ活性化しない。手足がいつもポカポカしているように心がける。テレビを見ているときや、タクシーに乗っているときなど、無意識に手をもんだり、足首をぐるぐる回したりする。
13.歯は心臓よりも大事だと思う。自分のの歯が、現在、何本あるか無頓着の人が多い。目をつぶって、自分の上下の歯列がイメージできれば理想的である。歯を磨くときは、そっと優しく磨く。さちんと手を抜かずにする。土下の歯ぐきを指でこするのも推奨され、歯よりも歯ぐきのほうが大事なような気がする。歯を磨いたあとで、大きく回して、歯の外側を回転させるぜつようにします。これは結構きつい。頬の骨がゴリゴリ鳴ったりする。
14.食事の量について、一様に、「腹八分目」という常識に疑問を持っている。「腹8分目」というのは、30.代ぐらいの働き盛りの人の適量で、10歳、歳を重ねるにつれて、1分ずつ減らす。40代は7分。50代は6分、60代は5分。70代は4分。80代は3分は冗談のようだが、案外、支持者も多い。最近、「人は食べずに生きられる」などという説も出てきた。森美智代さんという女性は、一日青汁一杯で20年以上も生きているという。ほかにも、1日1食で充分という説もある。どっちなんだと、頭を痛めるのです。
15.腰痛の持病は、腰だけでなく、なにか動作をするときには、まず「いいかい?」と、体にたずねる。体に準備をさせ、体に不意打ちをくらわせるのはやめる。「では」とか、「さーて」とか、「どれ一丁やるか」とか、言いかたはなんでもいいが、あらかじめ身体語を発しておく。ぎっくり腰というのは厄介で、外国旅行で重いトランクを不用意に持ち上げたとき、ギクっときて、楽しいはずの旅行でひどい目にあったことがある人は多い。「さあ、いまから重いものを持ち上げるぞ」と、体にひと声かけなかったための失敗である。