2019年12月11日

子どもの頃習った西洋史では、十字軍は「正義の戦」というのは間違いで、イスラム側から言わせれば凶暴なる侵略者である。


「半藤一利、池上彰著:令和を生きる、幻冬舎、2019.5.30」は面白い。「第6章:戦争がない時代ではなかった」の印象に残った部分の概要の続きを自分なりに補足して纏めると以下の
1.日本は、バスに乗り遅れるな、みたいな空気が支配的になり、和平のために世界が協力するとなると、日本も蚊帳の外でいるわけにはいかないと焦る。国内のその空気と、政府に対するアメリカからの圧力があった。ちなみにアメリカはPKOには協力していない。アメリカは一貫してそうである。平和維持活動は、国連に言われなくても世界の警察官としてずっとやってきた、という。
2.昭和の日本も「バスに乗り遅れるな」を叫び、負け戦に突き進んだ。なぜ日本人はその言葉にいっせいに乗りやすいのか。太洋戦争開戦の前年、昭和15年(1940)、ヒトラー率いるドイツ軍が電撃作戦をはじめて、6月にパリに無血入城を果たした。快進撃を見て、日本では陸軍が息巻き、イギリスが白旗を上.げる前に、ドイツ、イタリアと3国同盟を結ぶべきだと主張した。陸軍大臣をわざわざ辞任させて海軍出身の米内光政内閣を総辞職に追い込み、陸軍が担いだ近衛文麿内閣を7月に誕生させ、9月にはもう3国同盟を結んでいる。「バスに乗り遅れるな」という言葉がこのとき盛んに語られたが、その意味は、早晩ドイツが勝つから、早く参戦しないとドイツの分け前にあずかれない、ということだった。東南アジアのイギリス、オランダの植民地は、戦勝国ドイツの手がのびる前に押さえておきたかった。インドネシアとフランス領インドシナといった地域の資源は、日本にとって喉から手が出るほど欲しいものだった。22.昭和16.年にもまた、バスに乗り遅れるなと叫ばれた。ドイツ軍の対ソ連進撃がはじまったのが昭和16年6月22日に、独ソ不可侵条約を無視したドイツ軍の奇襲の前に、ソ連赤軍は敗走させられた。このときイギリスとアメリカはただちにソ連援助の声明を出している。つまりソ連が英米の陣営に入った。
3.開戦後のドイツは、盛んに日本の決起を督促してきた。大島浩駐独大使をつうじて、対ソ作戦に協力を要請した。作戦はドイツ勝利で終了する可能性が高いとも言ってきた。オットー駐日ドイツ大使も、いまこそ日本にとって唯一無二のチャンス。対ソ軍事行動を起こすことで、中国との戦争、支那事変を解決できると、リッベントロップ外相の申し入れを伝えてきた。それらの情報は、日本の好戦派を武者震いさせ、ソ連が白旗を上げる前にこそ立つべき、バスに乗り遅れるな、とかれらの勇み足を早めさせた。そしてこの国は情勢分析と政治判断を誤り、全国民を巻き込んだ凄惨な負け戦さに突き進むことになった。国民はほとんど思考停止の状態で、軍部や政府の言うがままになっていた。
4.世界は平成になってからほんとうに音をたてて変わっていった。欧州連合・EUが成立したのが平成5年(1993)で、日本は国際的にはまったく無関心でありすぎた。そしてまた、バスに乗り遅れるなと、その場しのぎの法律を慌ててつくってきた。腰を据えた議論がなかった。
5.ドイツもまた、国際社会からおなじような.圧力を受けた。日本は敗戦後、戦争放棄を国是としたが、ドイツの場合は東西に分割され、徴兵制が維持され国防軍が存続することになった。そのいっぽうで第二次世界大戦の反省から、西ドイツ軍の活動はNATO軍のなかに限られ、NATOの外には出ないという歯止めがあった。
6.それが一変したのがアフガニスタン攻撃で、平成13年(2001・9・11)で、アメリカがイスラム過激派による同時多発テロ攻撃を受けた、その翌月、「対テロ戦争」と名づけられた「防衛戦争」つまり「先制攻撃」を、NATOの集団的自衛権発動という理屈ではじめた。ドイツ軍がNATO軍に入って派遣されるときに、ドイツ国内が大騒ぎになった。ドイツはNATO域内での活動は認めてきたけれど、NATO域外のアフガニスタンに果たして軍隊を派遣していいのか大議論になったが、それをやってしまった。ドイツは軍をアフガニスタンに派遣しつづけ、いまもアフガニスタンではドイツ兵が死んでいる。ドイツ軍がアフガニスタンに派遣されるときドイツ政府は、「戦闘地域には派遣しない」と言っている。戦闘地域には派迅しないという建前だったが、アフガニスタンに行ってみたら全土が戦闘地域だった。
7.アフガニスタンで現地のひとたちのために井戸を掘ったり、灌概で川をつくったりしている医師の中村哲さんは、日本はアフガニスタン人から信頼を寄せられているが、ドイツはダメで、日本人以外は全部ダメである。その日本にたいする信頼も、いつまでつづくかわからない。イスラム過激派をさらに勢いづかせたのはブッシュの「十字軍」発言である。
8.平成12年(2001・9・11)で米国に攻撃を仕掛けたその首謀者オサマ・ビンラディンを生むきっかけは湾岸戦争だった。イスラム教の聖地を2つ抱えるサウジアラビアに、アメリカ軍が駐留した。それに対してオサマ・ビンラディンが反米意識を高めて、アフガニスタン国内で反米テロ組織アルカイダをつくった。そしてアメリカに対する攻撃計画を実行に移していった。ブッシュ大統領はあろうことか、テロとの戦いについて「十字軍の戦いだ」と言った。それを聞いたアルカイダは大喜びで、かつてキリスト教社会が、平和だったイスラム教世界に突然攻め込んだのが十字軍だからである。
9.子どもの頃習った西洋史では、十字軍は「正義の戦」というのは間違いで、イスラム側から言わせれば凶暴なる侵略者である。それまでオサマ・ビンラディンは、自分たちの戦いは「十字軍との戦いだ」と言って正当化していたのが、イスラム社会一般には説得力がなかったが、アメリカ大統領のブッシュがわざわざそう言ってくれた。ここから急激にイスラム過激派は勢いづいた。
10.9・11のあとの米国の変化、世界の激変に気がついて、日本の政府は慌てた。平成12年(2001)9月25日には、小泉首相はワシントンでブッシュ大統領と会って、「米国の報復行動に同盟国の一員として、最大級の支援と協力を惜しまない」と述べて、「国際社会の一員として責任を果たしたい」と言った。ブッシュの「テロとの戦い」を支持すると表明したのもこの会談であった。帰国するやすぐに、テロ特措法成立に動き出した。このとき日本にとって、ほかに選択肢はなかったのかと間われれば、なかったと答えるしかない。アメリカの傘の下にいるあいだは、ない。アメリカの言うとおりにならざるを得なかった。



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池上湖心 プロフィール
○略歴
大東文化大卒、
在学中 上條信山に師事
書象会に所属、書象会理事
審査会々員
○作品展の開催
・主宰している「さざ波会」
 作品展を毎年8月開催
(於:稲毛ギャラリー)
○公募展の受賞、入選
・日展入選
・読売書法展(現在理事)
 読売奨励賞
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 青山賞、春興賞の受賞:2回
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