2020年05月31日
当時の彼らの支配地域はイギリスと同じくらいの面積があったが、どこの国も国家として認めなかったので、「自称イスラム国」や「IS」と呼ばれた。
「池上彰著:一気にわかる池上彰の世界情勢2020 毎日新聞出版 2020年1月10日」はわかりやすく、は参考になる。第4章中東・アフリカの印象に残った部分の概要を自分なりに補足して纏めると以下のようになる。
1.中東のイラクからシリアにまたがる地域を占領して国家を名乗った過激派は支配地域を大きく減らした。しかし、過激な考えを持つ勢力は、別の場所に拠点を築こうとしているが、力だけで抑えることは無理である。
2.2014年、中東のイラク第2の都市モスルを占領した過激派は、「イスラム国」を建国したと宣言した。この過激派は、イラクから西隣のシリアの広い範囲を占領して、シリアの都市ラッカを首都だと宣言した。彼らはイスラム過激派である。自分たちの考える理想のイスラム教の国家をつくろうとして、「イスラム国」という名前にした。彼らは自分たちの言うことを聞かない者は容赦なく殺してしまうという極端な行動をとることから、イスラム教徒たちからは、「彼らはイスラムを名乗っているけれど、イスラム教徒ではない」と批判されている。
3.当時の彼らの支配地域はイギリスと同じくらいの面積があったが、どこの国も国家として認めなかったので、「自称イスラム国」や「IS」と呼ばれた。彼らはもともとイラク国内の小さな組織だったが、2011年、シリアで民主化運動が始まり、それが内戦状態になると、シリアに仲間を送り込んだ。シリアでは、独裁者のアサド大統領の支配に反対する人たちが民主化運動を始めると、アサド大統領は、これを弾圧。怒った人たちは、武器を取ってアサド政権軍と戦い始めた。
4.この人たちを、周辺のサウジアラビアなどの国が応援して、武器や資金を送り込んだ。イラクの過激派は、これに目をつけ、民主化を求める人たらを攻撃して武器や資金を奪い、豊富な資金で仲間を増やし、イラクに戻ってきた。さらに油田を占領して石油の密輸を始めて、資金を稼いで、自分たちの巨大な国家を建設しようとした。インターネットなどで「我が国に来て、一緒に戦おう」と呼びかけた。これに応え、世界各国から大勢の若者が集まった。
5.当初はISを支持した人たちも、ISがあまりにひどいことをするので、逃げ始めた。周辺の国々やアメリカなどもISに対する攻撃を始めた結果、イラク軍は、モスルをISから奪い返した。シリアのラッカも、攻撃している人たちによって、ISから奪い返すことに成功した。アメリカは2019年10月、ISの最高指導者、アブバクル・バグダディが作戦によって死亡したと発表。後にISもそれを認めた。
6.追い詰められたISは、「自分の住んでいる国でテロを起こせ」と呼びかけた。その結果、イギリスなどヨーロッパ各地でテロが相次いだ。ヨーロッパなどには、「自分は何のために生きているのだろう」などと人生に悩んでいる若者が大勢いる。この人たちにとって、ISの考え方が魅力的に見えた。ISがいかにイスラム教と無関係かを若い人たちに知らせると共に、若者の悩みに応えられるような仕組みをつくることが再発防止になる。